今回、クリスマスケーキの支援で訪れた岩手県宮古市。
3キロほど入り組んだ宮古湾に面する高浜地区は高さ10メートルの堤防を越えて津波が流れ込んだ。
震災前は300世帯だった地区は、今では120世帯に。
震災前まで堤防の向こう側にある浜にそれぞれの牡蠣小屋を持ち、自らの船で養殖を行っていたが、津波により小屋や船はもちろん、港まで流されてしまった。
牡蠣のほか、昆布の養殖も手掛けていた佐々木さんもそのひとり。
船が手に入る順番は24番目だという。佐々木さんは自宅1階が津波の被害を受けた。
自分は山へ逃げることができたが、祖父と奥さんが自宅で被災。
彼らは一昼夜、自宅2階で波が引くのを待ったと言う。
奥さんが浜を案内してくれた。
「ここにずっと牡蠣小屋が並んでいたんですよ。
その中でストーブ焚きながら、この時期は昆布の種付け作業をしていました」。
12月下旬の気温は0度ほど。海風は強く冷たい。
小屋がなくなった浜で昆布の種付け作業をしている家族がいた。
「本当の震災はこれからだ」。奥さんの言葉が心にしみる。
現在、佐々木さんたちは組合員共同で牡蠣の養殖を始めている。
組合員18人がそれぞれの役割を持って、1年ものの牡蠣をこの冬から出荷している。
共同の船、共同の車、共同の作業場。
いつになったら以前のように漁ができるのか、まだ見えない。
どんな応援が私にできるのだろうと言葉を詰まらせていた私に佐々木さんは言った。
「また、絶対来てください。海は力強いですから。
必ず復興しますから。その姿を見に来てください」。
希望を信じ、できることをひとつずつ取り組んでいく。
その姿勢に身が引き締まる思いがしました。
3キロほど入り組んだ宮古湾に面する高浜地区は高さ10メートルの堤防を越えて津波が流れ込んだ。
震災前は300世帯だった地区は、今では120世帯に。
震災前まで堤防の向こう側にある浜にそれぞれの牡蠣小屋を持ち、自らの船で養殖を行っていたが、津波により小屋や船はもちろん、港まで流されてしまった。
牡蠣のほか、昆布の養殖も手掛けていた佐々木さんもそのひとり。
船が手に入る順番は24番目だという。佐々木さんは自宅1階が津波の被害を受けた。
自分は山へ逃げることができたが、祖父と奥さんが自宅で被災。
彼らは一昼夜、自宅2階で波が引くのを待ったと言う。
奥さんが浜を案内してくれた。
「ここにずっと牡蠣小屋が並んでいたんですよ。
その中でストーブ焚きながら、この時期は昆布の種付け作業をしていました」。
12月下旬の気温は0度ほど。海風は強く冷たい。
小屋がなくなった浜で昆布の種付け作業をしている家族がいた。
「本当の震災はこれからだ」。奥さんの言葉が心にしみる。
現在、佐々木さんたちは組合員共同で牡蠣の養殖を始めている。
組合員18人がそれぞれの役割を持って、1年ものの牡蠣をこの冬から出荷している。
共同の船、共同の車、共同の作業場。
いつになったら以前のように漁ができるのか、まだ見えない。
どんな応援が私にできるのだろうと言葉を詰まらせていた私に佐々木さんは言った。
「また、絶対来てください。海は力強いですから。
必ず復興しますから。その姿を見に来てください」。
希望を信じ、できることをひとつずつ取り組んでいく。
その姿勢に身が引き締まる思いがしました。
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