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~ その⑨マニュアルづくり ~

~ その⑨マニュアルづくり

前回のレポート「その⑧差し出された1万円」はこちら

■床板はがし隊 作業マニュアルができるまで
翌日の床板はがし隊は、各班に1台電動丸ノコギリが使えるようになったことで大幅に作業効率があがりました。全てをバールとハンマーだけでやっていた時に比べて3倍くらいのスピードで床板がキレイにはがしていけるので、より多くの被災住宅を訪問して作業ができました。

 

僕はといえば、サンマ隊の時と同じく作業2日目にして床板はがし隊の班長になったのですが、一日を通して班を引率しているとここで作業するボランティアの「安全管理」の難しさに直面していました。

床板をはがした後の梁には錆びた釘がむき出しになっています。最終的にはそれを全て抜くのですが、バールで板を剥がした反動でバランスを崩した時に、こういった釘で怪我をしてしまうと破傷風になってしまうこともあります。
それでも、床板の下に流れ込んだ泥をかき出すにはその中で作業しないといけない…。

 

また、もうひとつ悩ましいことも。

 

ここにいるボランティアの人たちは大工作業経験者とはいえ、解体屋さんのようにダイナミックに作業する人もいれば、大工さんのように丁寧に作業する人もいます。作業方法や手順のばらつきは少し間違えると大切な住宅をうっかり傷つけることにもなりかねません。

ひとまず、いろんなことに気を配りながらその日の作業を終えました。

 

ボランティアセンターに戻ってからのミーティングで、この床板はがし隊の有志メンバーが1日の作業で感じたそれぞれの気づきを出し合いました。その後1~2時間くらいを使って私はその内容を事務所にあったパソコンでそれを文書にして印刷した紙をみんなに渡しました。それを見たメンバーが「この短時間でこんな書類ができるなんてすごい!」と感激してくれて、明日からはこれをマニュアルにして各班で動こうということで一致しました。

 

 実は私が現場の作業に関わるのは今日が最後で、明日にはこの地を離れます。なので、このマニュアルを私自身が現場で使うことはできません。これを活かすのは僕以外のメンバーです。託すような気持ちで「最後に自分ができることがあるなら」と、今回の作業マニュアルづくりに取り組みました。

 

 翌朝、いつもの朝礼が始まりました。しかし、僕はいつもの作業着や長靴を身につけていません。現場に向かうみんなを見送ろうと、バスに乗り込む前に床板はがし隊やサンマチームの人に会いにいきました。

 

すると、昨夜一緒にマニュアルを作った仲間たちは、ひとりずつ僕に固い握手をしてくれました。そして、あのマニュアルを手にそれぞれ別のバスに乗り込み、出発直前のボランティアメンバーにむけてその内容を説明してくれています。

 

その様子を見ていてふと思いました。

 

みんなの「被災された方のために何かしたい」という気持ち。
そして、「後からやってくるボランティアのために自分が今やれることをやろう。それを次の人につなげよう」とする姿勢。

 

復興支援活動って、やっぱり「想い」をつなぎ続けるリレーなんですね。

 

そして、そのリレーは現地にいけなくても参加できるんです。この遠野まごころネットも全国のたくさんの方からの資金援助、物資提供がるからこそ、多岐に渡る活動ができているわけですから。個人としてできること、企業としてできること、消費者、生活者としてできることなど、まだまだたくさん考えていけると思いました。

 

僕も、プライベートでの「ボランティア活動」と、フェリシモという会社を通してできる「支援活動」の両方を『想いをつなぎつづけるリレー』だと思って、これからも取り組んでいきたいなと決意したのでした。

 

■ついに帰路へ
バスを見送ったあと、みんながいない静かな体育館で荷造りをして、遠野駅に向かいました。1週間かなりハードに身体を動かし続けてきたので、帰る前に温泉にでも入ろうかと、花巻で少し寄り道することにします。

 

 

1.JPG(つづく)

 

haco.スタッフコジコジの現地ボランティア参加日記

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