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とうほくIPPOプロジェクトレポート -のだ村未来・女性育成プロジェクト(下向理奈さん)-

「とうほくIPPOプロジェクト」支援先活動レポートシリーズは、第4期の支援先である「のだ村未来・女性育成プロジェクト」下向理奈さんに、お話をうかがいました。

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とうほくIPPOは自分と地域の未来を広げてくれました

 

岩手県野田村にある「のんのりのだ村」の事務所で下向さんとお会いしました。震災後、まだ赤ちゃんだったお嬢さんと二人で生まれ育った野田村に帰ってきた下向さん。仮設住宅で暮らしはじめたころは、初めて接する〝村社会〟における人の距離の近さに躊躇したそうです。幼いお嬢さんを介して、人と会話を交わしていくうちに、いつしか世代間の溝を埋める仲介通訳者として、村の人たちを繋いで来ました。そして、2015 年の春、村全体をキャンパスにした村民によるユニークな学校〝野田村大学〟を創立。下向さんは理事長に受任。「すべてのきっかけはとうほくIPPOプロジェクト」と下向さんは言います。

 

 

■『のだ村未来・女性育成プロジェクト』はどのような目的で立ち上げたプロジェクト
 ですか?
 

震災の翌年、地域の情報を発信する役所の部署に所属して、初めて地域の人と深くお話をするようになりました。野田村の特産品も知らなかったですから。当時は仮設住宅や町を歩き周り、たくさんの人たちと会っていきました。さをり織りのお母さんたちに出会ったのはそのとき。震災から3年が経った2014年に入ると、外部からの支援が減って来たんです。さをり織りのお母さんからも、支援が終ったあと継続する方法はないかと相談受けたんです。そんなある日『FINE』という情報誌でとうほくIPPOプロジェクトのことを知りました。お母さんたちが作るさをり織りをお母さんたちと一緒に商品化していきたいという気持ちが自分の中でも明確になりました。復興支援とかのカテゴリーで括られるものではなく、女性たちが求める商品を作って行こうと決めて、プロジェクトを立ち上げました。

 

 

■とうほくIPPOプロジェクトの支援金を受けてどのように展開していきましたか?
 

織り機を購入しました。最初はさをり織りを村内の人たちに知ってほしかったので、20~30代の女性たちとガールズコレクションを開催しました。そしたら、同じ層の女の子たちから商品アイデアがよせられるようになったんです。世代が上のお母さんたちに、直接それを持ちかけるのは失礼かなと思ったので、新たな商品アイデアをお母さんたちに相談しました。そのうち、お母さんたちからも商品アイデアがあがってくるようになり、どんどんさをり織りの商品〝SAORI〟が増えて来たんです。東京の中野や六本木ヒルズのイベントに出店したんですけど、女性たちが「かわいい!」って言いながら買っていくんです。フェリシモさんからお誘いをいただいた気仙沼の「ピースジャム」にも出店しました。次第にプロ意識が高くなってきて、今ではお母さんたちも〝マーケティング〟〝ニーズ〟とかの単語を使うようになりました。面白いのは村の漁師さんまでお土産屋さんでSAORIのことを説明してくれるんです。

 

 

■村の人がSAORIのプロジェクトの応援団になっているのですね。その先のイメージは
 何かありますか?
 

今年の4月末から野田村は仮設住宅から高台住宅に移動しました。被災地の中では復興事業が一番早く進んでいるかもしれません。〝自立〟していかなければならないフェーズに来ています。SAORIから私が実感したことは、〝人と人が一緒に活動することの可能性は未知数〟だということです。だからこそ、世代別の交流を増やしていく必要があると思うんです。地域の人同士がもっとコミュニケーションをとれるようになれば、みんなが村の事を考えられるようになるのだと思います。復興事業が一番早かった事で、外部から大学生や任意の団体がスタディーツアーで野田村を訪れます。それなら、村の人たちを教授にして、村全体をキャンパスにする大学を作っちゃおう!ってことで、去年から野田村大学を創立しちゃったんです。SAORIのお母さんたちは現代美術学部。大学という名のプロジェクトの下で、村の人たちと野田村大学の生徒である外部の人たちと交流ができる場を増やしていく予定です。

 

 

■とうほくIPPOプロジェクトをこれから志願する方へメッセージをお願いします。
 

フェリシモを知る同世代の女性が多かったので、繋がりが広がりました。たくさんのイベントの案内などのサポートもいただきました。IPPOどころか、とうほく10歩です。
「人と人とが共に活動することによって展開する可能性は未知数であるんです」と下向さんは言います。〝復興〟〝支援〟の先にどのような未来を築くことが村の幸せなのか? 〝楽しんで参加する社会の仕組み〟を開拓する野田村は一つの答えだと思いました。

 

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ガスや水道が壊れたときは業社に電話するよりも村のおじいさんに相談するほどすっかり野田村の暮らしに馴染んでいる下向さん。

 

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「村の人が直接話に立ち寄ってくるんです」この事務所は村の中心部から車で10分以上離れた森の中にある。距離は離れていても心が近ければ人は訪れます。

 

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事務所は下向さんの仕事場であり、商品展示室であり、みんなの会議室であり、子どもたちの遊び場。

 

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ティッシュケース、ボタン、鍋敷き、名刺入れ、お風呂マット、ブローチ。たくさんの人が実用的に使える商品がたくさん。どのSAORIもモダンで美しい。

 

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もともと織物の地であったため、手の器用なお母さんが多いのです。

 

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「二時間の会議よりも、直接村の人たちを交流したほうが話は広がると思うんです」と下向さん。村長の織田裕二さんにかけて、この言葉を事務所にかけている。 

 

 

【2016年取材:羽鳥靖子(ライター)】 

 

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「のんのりのだ物語」
https://ja-jp.facebook.com/nonnori.story/

 

 

◆「とうほくIPPOプロジェクト」の第7期事業を募集中です。 (~10月2日まで)

以下のページをご参照願います。

http://www.felissimo.co.jp/s/tohokuippo7/

または、「とうほくIPPO」と検索してください。

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