haco.スタッフの岩手県ボランティアレポート第4回。
前回、魚を拾うボランティアに一緒に参加していた女子高校生の姿に感動。
作業を終えて、ボランティアチームの班長と話していると……。
一日の作業を終えて道具を片付けるときに班長と何気なく話をしていた時のことです。
コジ:「いつから来られてるんですか?」
班長:「僕は一昨日からです」
コジ:「えぇ!?いつから班長しているんですか?
班長:「昨日からです(笑)」
コジ:「本当に!?で、いつまで居るんですか?」
班長:「僕は明日までなんです」
初日に出会った受付の男性しかり、この班長も自分と同じ短期ボランティアの一人だったのです。
彼は昨日(作業2日目)から班長になり、もう明日には帰るというのです。それにしては、見事な班長ぶりだったことが驚きで、そのことを言うと
班長:「ここではみんなが入れ替わっていくので2日目から班長になるっていうのはザラですよ。」
と答えてくれました。
それにしては素晴らしすぎる!
よく考えると僕は、今日から1週間滞在する予定です。
心の片隅で、「ということは、自分が班長になることもあり得るのか…、もし自分が明日から班長をしろと言われたら、この班長のようにテキパキ動いたり、チームをしっかりと率いることができるかなぁ…」と少し不安になりました。
でも、今日の班長がたった3日目にしてしっかりと自分たちのチームを率いてくれたことに対する感謝の気持ちもあって、「もし自分が班長になったら、ちゃんとその役割を全うすることが、彼の想いに報いることにもなる」と考えることにしました。
■体育館での生活
一日の作業が終わると、またバスにのって遠野の社会福祉センターまで帰ります。
津波が押し寄せた地域と、そうでない地域ではすでに大きな差があって、津波到達ラインよりも内陸側ではコンビニの品揃えも十分ですし、飲食店なども通常営業をしていました。
宿泊拠点の遠野市は電気・水道ともに復旧していて食事やお風呂なども不自由を感じることはありません。小さな温泉が2箇所ほどあるのですが、ボランティア割引ということで通常よりも安い価格でお風呂に入らせてもらえたりします。ボランティアは、遠野市のみなさんにも支えてもらっていることを実感。
社会福祉センターの体育館がボランティアの宿泊所として開放されているのですが、4月の末とはいえ東北なので夜は冷え込みます。夜も19:00くらいを回るとそこかしこに各自の寝袋が敷かれて、つかの間の休息時間です。
その中に小学生(3年生くらい?)の男の子がお父さんと2人で食事しているのを見つけました。
寝袋を座布団代わりにしてその上でコンビニのお弁当を食べています。今日の割り振りだとおそらくこの子もサンマ隊として活動していたはずです。
「こんな小さな子もがんばってるのか!」と思うと、なんだか胸が熱くなりました。
体育館の消灯は22時です。電気が消えたあとは他の人のいびきがそこかしこで鳴り響いてくるので耳栓を持ってくればよかったとちょっと後悔。夜中に1~2回余震で揺れたりしつつ、朝は周りの人が起き始める5時くらいに目が覚めてしまうので、なかなかぐっすり寝るという訳にはいきません。
前回、魚を拾うボランティアに一緒に参加していた女子高校生の姿に感動。
作業を終えて、ボランティアチームの班長と話していると……。
一日の作業を終えて道具を片付けるときに班長と何気なく話をしていた時のことです。
コジ:「いつから来られてるんですか?」
班長:「僕は一昨日からです」
コジ:「えぇ!?いつから班長しているんですか?
班長:「昨日からです(笑)」
コジ:「本当に!?で、いつまで居るんですか?」
班長:「僕は明日までなんです」
初日に出会った受付の男性しかり、この班長も自分と同じ短期ボランティアの一人だったのです。
彼は昨日(作業2日目)から班長になり、もう明日には帰るというのです。それにしては、見事な班長ぶりだったことが驚きで、そのことを言うと
班長:「ここではみんなが入れ替わっていくので2日目から班長になるっていうのはザラですよ。」
と答えてくれました。
それにしては素晴らしすぎる!
よく考えると僕は、今日から1週間滞在する予定です。
心の片隅で、「ということは、自分が班長になることもあり得るのか…、もし自分が明日から班長をしろと言われたら、この班長のようにテキパキ動いたり、チームをしっかりと率いることができるかなぁ…」と少し不安になりました。
でも、今日の班長がたった3日目にしてしっかりと自分たちのチームを率いてくれたことに対する感謝の気持ちもあって、「もし自分が班長になったら、ちゃんとその役割を全うすることが、彼の想いに報いることにもなる」と考えることにしました。
■体育館での生活
一日の作業が終わると、またバスにのって遠野の社会福祉センターまで帰ります。
津波が押し寄せた地域と、そうでない地域ではすでに大きな差があって、津波到達ラインよりも内陸側ではコンビニの品揃えも十分ですし、飲食店なども通常営業をしていました。
宿泊拠点の遠野市は電気・水道ともに復旧していて食事やお風呂なども不自由を感じることはありません。小さな温泉が2箇所ほどあるのですが、ボランティア割引ということで通常よりも安い価格でお風呂に入らせてもらえたりします。ボランティアは、遠野市のみなさんにも支えてもらっていることを実感。
社会福祉センターの体育館がボランティアの宿泊所として開放されているのですが、4月の末とはいえ東北なので夜は冷え込みます。夜も19:00くらいを回るとそこかしこに各自の寝袋が敷かれて、つかの間の休息時間です。
その中に小学生(3年生くらい?)の男の子がお父さんと2人で食事しているのを見つけました。
寝袋を座布団代わりにしてその上でコンビニのお弁当を食べています。今日の割り振りだとおそらくこの子もサンマ隊として活動していたはずです。
「こんな小さな子もがんばってるのか!」と思うと、なんだか胸が熱くなりました。
体育館の消灯は22時です。電気が消えたあとは他の人のいびきがそこかしこで鳴り響いてくるので耳栓を持ってくればよかったとちょっと後悔。夜中に1~2回余震で揺れたりしつつ、朝は周りの人が起き始める5時くらいに目が覚めてしまうので、なかなかぐっすり寝るという訳にはいきません。
体育館に泊まるボランティアは寝袋持参。朝晩は冷え込みます。
遠野市内はほぼ復旧しているように見えました。
■そして、やはり2日目から班長に任命される!
2日目、GWにも入ってきたということもありサンマ隊のボランティアが200名~300名ほどに膨れ上がりました。その日の朝礼で、班長をさらに10人増やして20人体制で班編成するということに決まりました。そして次の瞬間、前日の班長たちが他のボランティアに向かって「昨日サンマ隊で作業している方!」と呼びかけ始め、私も挙手したら即班長に決定、すぐに現場での段取りなどの確認作業へ入りました。しかし、自分にしてみれば「やはりきたか」というくらいで動揺はありません。
実は他で任命された新任班長も前日に私と同じような覚悟をしていたようで、誰も戸惑ったり、うろたえたりせずにその役割を全うしようと一生懸命になっています。
現場に到着したあとは、いよいよ10人のメンバーを率いて作業することになりましたが、みんなやっぱり一生懸命でこの日もたくさんのサンマやシャケを回収することができました。昨日回収したラインから始まって、今日終わったラインから明日はスタートします。ちょっとずつですが、確実に前進していっています。
ちなみに2日目で班長になっているということを聞いたメンバーが昨日の僕と同じように驚いていたので、僕は迷わずこう言いました。
「ここではみんなが入れ替わっていくので2日目から班長になるっていうのはザラですよ。」
たくさんのボランティアが引き継ぎをしながら、みんなの作業や想いを途切れさせないようにバトンをつないでいく、まさにリレーですね!
(次回に続く……)
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