以下の基金から、2019年度に拠出したあしなが育英会さまの活動レポートをご紹介します。
「あしなが育英会」は、病気や災害、自死(自殺)などで親を亡くした子どもたちや、親が重度後遺障害で働けない家庭の子どもたちを物心両面で支える一般財団法人です。
阪神淡路大震災後は、親をなくした子どもたちのために「神戸レインボーハウス」を建設。その後はあしながレインボーハウス(東京都日野市)、東日本大震災発生後には、仙台、石巻、陸前高田の3ヵ所に東北レインボーハウスを建設して、津波遺児の心のケア活動を行っています。
■子どもたちとのエピソード
震災から9年が過ぎ、特におはなしの時間で子どもたちが教えてくれることがあります。それは、亡くなった人の声や、笑った顔などを思い出せなくなってきたということです。震災当時はまだ未就学児だった子たちの多くが、「自分は小さかったから記憶がない」と言います。そして、誰かがそのことを話すと、「自分も」と共感する子が多くいます。
1月の集いで、ある小学生の男の子は海を描き、海面にいくつもの丸を描きました。そして、丸が並んでいる中に人間を1人描いて、「助けて」と吹き出しを加えました。男の子はこれがどのような絵で、どのような気持ちで描いたのかは話しませんでしたが、震災から年月が経つことによって生まれる気持ちがある一方で、年月が経っても震災の時の経験は消えることなく心に残っています。
あしなが育英会では年齢にあった方法で、子どもたちの声に耳を傾けています。そして、子どもたちがそれらの気持ちに折り合いをつけながら、歩み、寄り添うことのできる存在が長期的に必要だと感じています。
18歳以上のプログラムでは、自分の気持ち(グリーフ)を文字や色、形で表現します
■保護者の方とのエピソード
ある日、ワンデイプログラムに参加したお母さんが、保護者プログラムの中で「今日はどうしても話したいことがあって……」と切り出しました。
小学6年生と4年生の息子たちが、「お父さんがいたら、何したい?」と人に聞かれて大号泣したというのです。子どもたちが震災後に、お父さんのことで泣くのを見たのはこれが初めてだったそうです。
その日、参加をしていた子どもたちは皆、震災当時は0歳から6歳のとても幼い子どもたちでした。そこで職員は保護者に、「子どもが実感を伴って死の概念を理解するのが10歳前後であること、子どもは泣く以外の方法、特に『遊び』を通じて気持ちを表現することもあること」を伝えると、小学3年生の子どもを育てているお母さんは、「10歳……うちの子が理解するのは、これからなんですね」とつぶやきました。
木製玩具で組み立て遊び
最近の出来事や、亡くなった人への想い、自分と子どもの
これからを、それぞれ保護者も想いを書き出します。
<支援者のみなさまへ>
阪神淡路大震災から25年、東日本大震災からは9年が経ちました。2019年度は、子どもたちに寄り添って下さるファシリテーター(ケアボランティア)が53名誕生しました。仙台、石巻、陸前高田にある東北レインボーハウスを中心に、心のケアプログラムと宿泊交流プログラムなどの行事に、のべ618人の遺児と保護者が参加をしました。
私たちが継続的に活動することができるのも、継続してご支援下さる方々がいらっしゃるおかげです。心より感謝申し上げます。今後もそれぞれのご家庭にあった支援の形を考えながら、寄り添い続けられたらと考えています。
夏には野外活動も
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