こんにちは、フェリシモしあわせ共創事務局のFukuです。
1995年1月に阪神・淡路大震災が発生し、2025年で30年という年月が経ちます。ちょうどその年、本社の神戸移転を計画し、震災の直後9月に実施したフェリシモは、被災者とともに復興に取り組んできました。
また、当時は全国のお客さまからフェリシモへご心配のお声をいただいたり、「おつりはいらない」と多めにお振込みをいただいたりと、神戸への思いを受け取る出来事が数多くありました。そのような状況がきっかけとなりお客さまとわたしたちの思いを支援としてもっと続けられないかと始めたのが、「緊急義援金」です。その経験がのちに「もっとずっときっと基金」へとつながっていきました。
長いようであっという間だった30年という道のりをたどってきた神戸と、ともに歩んできたフェリシモ。この節目を機に、フェリシモのこれまでと、これからの歩みについて広報部部長の吉川貴志さんへお話を聞きました。
話し手:吉川貴志さん
聞き手:フェリシモしあわせ共創事務局
Q1、はじめに、吉川さんのふだんのお仕事を教えてください。
吉川:世の中の方々にフェリシモの活動を深く幅広く知っていただくのが広報部の役目です。私たちが特に力を入れていることは、テレビや新聞、WEBなどのメディアを通じて発信していくこと。例えばプレスリリース配信を通じて、フェリシモが大切にしている取り組みや新商品・新プロジェクトの魅力を伝えており、数多くのテレビ番組や新聞記事などで紹介いただいています。
Q2、2025年は阪神・淡路大震災から30年であり、フェリシモが神戸に根をおろしてからも30年。どのようなことを企画されていますか?
吉川:神戸にとって、そしてともに歩んできたフェリシモにとって2025年は節目の年です。今回は1月17日に向けてメディアから注目いただいていることや、それにまつわるフェリシモの取り組みをご紹介します。ひとつ目は「みんなのBOSAI もしもしも 備蓄でお守りKOBE BOX2」です。2024年に初めて神戸の企業5社と「備蓄でお守り KOBE BOX」という備蓄食セットを作り、とても好評だったことから、第2弾を制作することになりました。第1弾と同様に「ふだんに食べてもおいしい備蓄」をコンセプトとして、第2弾では神戸をはじめ阪神間の10社とともにBOXを企画しています。2024年12月17日には、ステージフェリシモホールと海辺の絶景が臨めるレストラン「Sincro」にて商品発表会・試食会を開催したところ、過去最多となる記者の方々にご取材いただくことができました。試食会では、「Sincro」でエグゼクティブシェフを務める北川理映子さんに、備蓄セットを活用したアレンジ料理を、デモンストレーションしていただきました。開催後も別のテレビ・新聞からの新たな取材が続いており、とても大きな反響をいただています。
Q3、過去最多の記者が来場されたとは、高い注目度がうかがえます。他にはどのような企画があるのでしょう?
吉川:ふたつ目は、神戸学校について。1997年にはじまった神戸学校は、もともと阪神・淡路大震災をきっかけに、「経験と言葉の贈り物」をコンセプトに始まり、神戸の方々が豊かな人生を送ることも願って毎月、開催されています。各界でご活躍の方をゲストとして招きメッセージライブを開催しています。毎年1月は震災をテーマに依頼しており、今年はプロデューサーの堀之内礼二郎さんをお招きします。堀之内さんは、これまでNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」などの話題作を手がけると同時に、被災者の心のケアにかけまわった精神科医・安克昌氏を描いたドラマ「心の傷を癒すということ」など、阪神・淡路大震災後の街や人々をテーマにした作品に携わってこられました。2025年1月17日には、阪神・淡路大震災から30年の神戸と人々の復興を描いた映画「港に火がともる」のプロデューサーを務められています。この大切な節目の会に、どのようなお話をしていただけるか、とても楽しみです。
Q4、2025年ならではの記念的なゲストですね。では、3つ目も教えてください。
吉川:これはとても喜ばしいニュースで、フェリシモが運営会社となり2024年4月にリニューアルオープンした神戸ポートタワーの年間来場者が、震災後最多を更新するペースとなっています。31年ぶりの大台突破となる、50万人達成が1月20日ごろに実現しそうです。震災から30年で神戸ポートタワーが最も華やかに輝く2025年、それをフェリシモがお手伝いしているということは、とても誇らしいことです。その明るいニュースをみなさまへお伝えすることで、神戸の方々にますます元気になってほしいと思っています。50万人達成時には、記念イベントを計画しています。これまで、定期便事業や店舗や飲食事業を柱としてきたフェリシモが、こうやって神戸のまちづくりへ関われることはとてもうれしいことです。わたしたちが考える「しあわせ価値」が、愛される神戸のまちづくりという面で大きな力になっていることを、広報部からお届けしたいと思っています。
Q5、商品企画からまちづくりまで広がってきているフェリシモの活動ですが、改めて30年間を振り返るような企画はありますか?
吉川:神戸とともに歩んできたフェリシモのヒストリーを紹介する映像を制作しました。阪神・淡路大震災が発生してから30年、傷つきながら立ち上がってきた神戸の街とわたしたちがどのようにともに歩んできたか。商品やイベントについてだけでなく、私たちがお客さまとともに大切にしてきた基金活動に関しても発信するような内容を考えました。
Q6、阪神・淡路大震災の発生を受けて生まれた基金活動はどのようなものがあるのでしょうか?
吉川:震災当時、心配してくださるお声はもちろん、「おつりはいらない」とお客さまから多めにお振込をいただいたり、現金書留で義援金をお送りいただいたりと、応援をいただくことが多くあったんです。そこで、お客さまからいただく応援を、「緊急義援金」という形にして引き続き支援をお願いしたところ、あっという間に4,000万円もの義援金が集まりました。フェリシモがさらに同額をプラスした金額を、神戸市を通じて日本赤十字社にお預けしました。阪神・淡路大震災の被害は大きく、「緊急義援金」のあとも継続的に支援ができないか考えるようになりました。そこで、1990年にスタートしていた「フェリシモの森基金」の仕組みを応用して、毎月お客さまから100円をお預かりする形で、新たに「毎月100円義援金」を始めました。この仕組みは、その後の災害支援の礎となり、東日本大震災が発生した際には「東日本大震災毎月100円義援金」を始動。そして現在は「もっとずっときっと基金」として、国内で発生した自然災害からの復興・復旧や、防災・減災活動へ義援金を運用する基金活動が続いています。
Q7、30年という歩みとともに、当時の想いがずっと受け継がれているのですね。映像制作をする中で、他にはどのようなことを感じましたか?
吉川:私自身も阪神・淡路大震災を経験し、大災害を受けた街がゆっくりと復興していくのを見てきた一人でもあるので、神戸の人々ががんばってきたことをずっと身近に感じていました。そうした背景もあって、映像制作は私にとっても、神戸とフェリシモがともにチャレンジしてきたこと改めて振り返るきっかけになったように感じています。実際に「神戸」というテーマで素材を集めだすと、フェリシモの活動は想像以上に幅広く驚きました。6分程度の映像をつくる予定が、編集チームに制作用の素材を渡してみると「全部そのまま作ると17分になる」と言われました(笑)。さすがに長すぎるので最終的に代表的な活動へと絞っていきましたが、その取り組みの内容やきっかけに改めて目を向けると、力を合わせてひとつずつ取り組んでいくことが大切だと、神戸に教わったのだなと実感しています。自分たちが力を入れてきたことを振り返り、それを励みにこれからもがんばるぞと思えるような、この映像がそんなきっかけになればいいなと思います。
Q8、次の30年へとつなげていくために、考えていることはありますか?
吉川:フェリシモは2025年5月で創業60年を迎えます。これまで世の中にまだない商品企画や販売企画をずっと続けてきました。しかし、私が携わっている広報、PR活動はまだまだ開拓すべきところがあるように思います。お客さまの興味や関心も多岐に広がっているので、一つひとつの企画に対し、伝え方を考え抜くことが必要だと感じています。これからもフェリシモのみなさん自らも広報、PR活動ができるような磨き方を重ねて、さらにフェリシモの良さを発信していきたいですね。
Q9、創業60年の前祝いでもあるような書籍『LOVE♡FELISSIMO ファンブック』が、2024年10月に刊行されました。これはどのようなきっかけで、書籍が生まれたのでしょうか?
吉川:あさ出版という出版社の編集者から「フェリシモのことが大好きで、どうしてもファンブックを作りたいんです」と、突然ご連絡をいただいたんです。最初は驚きましたが、お話すると熱意は本物でした。そこから、矢崎社長へのインタビューやプランナーへの取材、フェリシモのファンの方を集めた座談会の企画など、半年がかりで取材を重ねていただいて、1冊の本が完成しました。制作するなかでは、こんな出来事もありました。本書の撮影を担当してくださっていたフォトグラファーの太田未来子さんは、神戸のご出身ということで、阪神・淡路大震災で被災した際に、フェリシモから支援品が届いたことを教えてくださったんです。生活用品をセットにした支援品の中に入っていたバスタオルは、その後なんと30年間用途を変えながら使い続けてくださっていたそうです。このように支援の先にいた方との出会いであったり、社員にとっては当たり前のことであるような思いや意図を掘り起こして取材をしてくださったりしました。フェリシモの書籍を出版するとしたら、自分たちで企画するものだと思っていたので、フェリシモ以外の企業の方から「本をつくりたい」と思ってもらえるような会社になったのだなと感銘した出来事です。
Q10、最後に、これからの30年に向けて、吉川さんの思いを教えてください!
吉川:入社して20年以上が経ちますが、これまでいい意味でいちばんショックを受けたのが、2005年の「神戸カタログ」に編集メンバーとして参加したときでした。「神戸カタログ」は阪神・淡路大震災の復興のひとつとして、地元でものづくりをしている人たちに売る場所を提供することを目指して始まったものです。2005年の一冊は、「震災から10年」というテーマで取り組んでいたのですが、カタログ制作のために既存の部署やチームを超えて生まれるエネルギーの強さに心の底から圧倒されました。ものづくりのためのパッションや団結力、そして突破力は、やはりフェリシモらしさだと思いますし、広報としても、そのパワーをもっと世の中に伝えていきたいですね。
フェリシモの企画は、個人の思いから始まるものが多く、その熱い思いが周りをどんどん巻き込んで、大きな活動へと発展することが多いです。それは一方的なことではなく、例えば阪神・淡路大震災の義援金が始まったきっかけのように、お客さまからの思いが発端のひとつとなることもあります。フェリシモへ期待していただいていることやワクワクしてくださっている思いを受け止め、それを超える思いを生み出して形にし、世の中に伝えていけたら。そうやってフェリシモの活動を未来につなげていけたらと考えています。
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