「フェリシモ地球村の基金」は、世界各地の自立支援活動を応援したいとのコンセプトで、1993年にフェリシモ2つ目の基金として創設されました。
基金の前身となったのは、お客さまのお手もとにある衣類や文房具などを送っていただき、応援を必要としている人たちへ贈りものとしてお届けする「フェリシモサンタクローズ・サークル(以下、「サンタクローズ・サークル」)」でした。1993年1月に案内を開始したこの企画では、「やさしい気持ちを手渡したい」というフェリシモの呼びかけに多くの方々が賛同いただき、衣類、文房具、絵本などを、世界各地の紛争や災害からの復興をめざす人たちや貧困に苦しむ人たちにお届けすることができました。
そして、より持続可能な社会をめざして、応援先の自立支援をサポートするために設立されたのが「フェリシモ地球村の基金」です。現在も、毎月100円基金として多くの方々に参加をしていただき、「就学援助や教育機会の提供」「健康や衛生環境の改善」「事業創出や就業支援」「紛争や災害からの復興」の4つの分野において、世界中のさまざまな地域で活動する国際協力団体などのサポートを実施しています。
その礎を築いた当時の担当者にお話を聞きました。
話し手:当時の担当者
聞き手:フェリシモ基金事務局
お客さまとともに世界中へ贈りものを
「フェリシモ地球村の基金」は、1992年に準備を開始した「サンタクローズ・サークル」が起源になっています。フェリシモでは、ハイセンス時代から「カルチャーキャラバン」といったイベントなどを通してお客さまの生活文化に寄与する取り組みを行ってきました。1990年代に入り、より社会的な役割を発揮できる活動を展開していこうと、1991年には製品の原料から廃棄プロセスにおいて、社会や環境によりやさしい商品を「しあわせマーク認定商品」として案内を開始。さらに、自然素材や伝統文化を活用し、村おこしにつながるフェアトレードの商品開発なども進められていました。そして1992年に準備を開始したのが「サンタクローズ・サークル」です。社会貢献といっても、当時、企業の社会貢献活動として一般的だった寄付という手段ではなく、お客さまにも参加していただくかたちでの活動をしたいとの方針から、お客さまのお手もとにある、愛着はあるけれどもう着ることのない衣類などを、必要とする人たちに贈りものとして手渡しする活動として企画しました。
フェリシモの手でお届けし、参加いただいた方々に応援先の反響をレポート
応援を必要としている人たちにフェリシモから物品や金銭をお送りして完了するという発想はもともとありませんでした。例えば、店舗や工場が近隣のゴミ拾いを行うなど、地域に寄り添った活動というのは昔から当たり前にありますよね。当時の私たちの取り組みは、そういった人との距離感や方向性に近い活動をイメージしていました。「サンタクローズ・サークル」は、1994年8月末には64万個を超える贈りものをお届けしました。当初の応援先は、タイ(スラムや少数民族の貧困層)、ペルー(高原地帯の貧困層)、ザイール(キンシャサ近郊の貧困層)、インド(ウエストベンガル州の貧困地域)、中国(四川省涼山の貧困地域の少数民族)、ベトナム(ハノイ近郊の貧困層)の6つの地域でした。いずれもそれぞれの応援先の気候風土や必要とされているものを事前に情報収集して公開し、参加いただく方のお手もとにある衣類などに、よりマッチしそうな応援先を選んでいただけるようにしました。参加いただく方には、衣類のクリーニング(お洗濯)やフェリシモまでの送料を負担していただき、フェリシモは受付後の仕分け・検品や輸送、そしてできる限り私たちの手で応援先にお届けし、現地での反響をご参加いただいた方にレポートするというところまでを一連の流れとしました。応援先の人たちがどのような暮らしをしていて、本当によろこんでいただけのかどうか、実際にこの目で確かめて参加いただいた方にお伝えすることが大切だと考えたからです。
応援先とのあたたかみのある交流
「サンタクローズ・サークル」の実現には、応援先とのネットワークの構築や輸送ルートの確保が重要で、社内外のさまざまな方々にご協力いただきました。当時在籍していた海外出身の社員や、応援先出身の留学生やミュージシャン、応援先の駐日大使館、NGOなど、多くの方々に賛同いただきご協力いただきました。そのおかげで各地へお届けが実現できたと思いますし、応援先とのあたたかな交流が生まれ、それが参加いただいた方にも少なからず伝わったのではないかと思います。フェリシモらしさを感じたエピソードがあります。タイの政府機関から、事前に衣類のサンプルを提出するよう要請があり、研修中だった新入社員に封入や梱包をお願いしたところ、タイの国旗をイメージしたカラー包装でケースをラッピングしてくれて、のちにタイ政府の関係者からおどろきと感謝のご連絡をいただいたということがありました。そういう気配りや実行力は、社内で脈々と付け継がれていると思います。
フェリシモらしい発信の仕方を再認識
印象深いことといえば、 ちょうどフェリシモが「サンタクローズ・サークル」の案内を開始する数日前に、当時、センセーショナルな広告宣伝でたびたび注目されていた「ベネトン」の創業者であるベネトンさんが、裸になって衣類の回収を呼びかけるという写真が全国紙の全面広告に掲載されたんです。同じアパレル分野で事業展開する企業の社員として、正直おどろきました。しかし、こうした活動が、ひいては企業による衣類回収に関心が寄せられるきっかけになったと思います。 また、「贈りたい、大好きだった服」「やさしい気持ちを手渡したい」というメッセージを真摯な言葉と姿勢でお伝えすることが、フェリシモらしい方法なのだと実感したできごとでもありました。
変化し続ける国際情勢の中で
「サンタクローズ・サークル」の活動では、 応援先の社会・政治情勢の影響も少なからず影響がありました。例えば、当時ペルーは、日系人の大統領であったことから、最初からフェリシモの活動を好意的に受け止めていただけました。一方、 企業の社会貢献活動として、当時一般的だった寄付というかたちではなく、衣類や文房具などを集めて、困っている人たちに贈るというフェリシモの活動のコンセプトが、営利目的の活動として警戒されたり、応援先の利権争いに巻き込まれそうになったこともありました。そのために、本来の応援先にお届けすることが困難になったことや、外国の税関や軍に一時的に差し押さえられるといったこともありました。初期の頃は、社員が物資のお届けに赴きました。最初に訪れたのは、タイ・ラオス・カンボジアの国境地帯でした。当時はまだカンボジア内戦が終結しておらず、広範囲に散らばる難民の人たちへ衣類をお届けするために、タイ軍と警察の車両の護衛付きで地域の寺院や集会所を回りました。今でも印象に残っているのは、ジャングルの隙間道から、手足を失った人たちを混じえた老若男女が、徒歩あるいは牛車やトラックの荷台に揺られながら集まってくる光景です。そして、とにかく暑かったことを覚えています。
持続可能な自立支援を目指して、基金設立
多くのメディアに「サンタクローズ・サークル」を取り上げていただいたこともあり、学校、企業、自治会、高齢者の方々が、自分たちの活動の一部として協力してくださることもありました。このように、参加いただいた方々と応援先の人たちとだけでなく、社会のさまざまな方々と問題意識を育んだり、目的を共有できる場でもありました。やがて「サンタクローズ・サークル」の取り組みを、緊急的な支援から、「フェリシモ地球村の基金」による自立支援へと軸を移していこうということになりました。「フェリシモの森基金」に次いで2番目に誕生した、毎月100円を寄付いただく基金です。衣類や文房具も、食料、薬品、テントや毛布などと同じく、そのときを生きていく上で必要です。しかし、日々の暮らしを支えるための「自立支援」をサポートする活動がより重要になってくるとの矢崎社長のアドバイスによって「サンタクローズ・サークル」のコンセプトの発展形として生まれた「フェリシモ地球村の基金」の活動が今日まで続いています。
継続することが次の活動の原動力に
いつの時代でも、支援を必要としている人がたちがいらっしゃると思います。いろいろなことが地球上で流動的に発生するなかで、ご縁やタイミングによって、支援のあり方も変わってくるのだと思います。フェリシモでは「ともにしあわせになるしあわせ」というコンセプトのもと、それまでにないかたちの社会貢献を企画したり、代々培ってきたネットワークを生かして活動を展開してきました。「フェリシモ地球村の基金」に至るまでの一連の活動においては、営利目的ではないかと誤解されることもありましたし、ご理解いただくためにはていねいな姿勢が必要とされました。そのようななかで、担当としてできたことは、ただ一生懸命に目の前のことをやる、ということだけでした。フェリシモが築いてきた土台があったからこそできた活動であり、誰にバトンが回ってきたとしても、会社の理念や方針と良識に従って、思うように活動を展開してみればいいと思います。そうして、そうしたことの繰り返しの中で、それぞれの活動がバネとなって、また新たな活動を生み出す力になると思います。
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