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推し事現場のあの仕事ー高橋麻衣さんー

宝塚歌劇の男役から製作の現場に「舞台プロデューサー」のお仕事 ー梅田芸術劇場 高橋 麻衣さん(前編)ー【連載】推し事現場のあの仕事 #005

わたしたちの“推し”が輝いている劇場やライブ会場などの”現場”。そこではふだんスポットライトを浴びることが少ない、多くの人々によって作品が作られています。本連載では、現場の裏側から作品を支える様々なクリエイターたちに焦点を当て、現場でのモロモロや創作過程のエピソードなど、さまざまな“お仕事トーク”を深掘りしていきます。

第5回にご登場いただくのは梅田芸術劇場所属のプロデューサーとして演劇やミュージカルの製作現場で活躍する高橋 麻衣(たかはし まい)さん。

インタビュー前半では宝塚歌劇団で男役として活躍した高橋さんが舞台製作の道に進んだ想いや、コロナ禍での意識の変化、最初のチーフプロデュース作品『エリザベート TAKARAZUKA20周年 スペシャル・ガラ・コンサート』についてうかがいました。(編集部)

高橋 麻衣さん

高橋 麻衣さん

舞台に立ち続けるなら男役以外は考えられなかった

――高橋さんは宝塚歌劇団月組の男役・一色瑠加(いっしき るか)さんとして活躍されていましたが、なぜ舞台をプロデュースする側のお仕事に就かれたのでしょうか。

高橋 小さいころからタカラヅカに憧れて、その舞台に立たせていただいていたので、在団中は外の世界のことをほぼ何も知らずに走り続けていました。退団を決めた時に、やっぱり自分は舞台に関わる仕事をしたいと強く思い、宝塚歌劇団ともご縁の深い梅田芸術劇場に就職する道を選んだんです。

――俳優として舞台に立ち続ける方向でなく?

高橋 わたしの場合、俳優として舞台に立つとしたら、男役以外は考えられませんでした。となると、必然的に退団=俳優ではない形で舞台に関わるという選択肢になりますよね。就職にあたっては履歴書も自分で作成しました。当時はパソコンを使えなかったので志望動機も必死になって手書きで書きましたよ(笑)。

――そこから舞台の上ではなく、それを創り支えるお仕事が始まったのですね。

高橋 そうですね、退団後は梅田芸術劇場に就職して、今年(2022年)でちょうど10年目になります。

舞台の企画が立ち上がってから初日の幕が開くまで

――舞台プロデューサーのお仕事って、わたしたちも知っているようで知らない面が多いと思うんです。まずは企画が動いてから初日の幕が開くまでの流れを教えていただけますか。

高橋 いろいろなパターンがあるので一概には言えませんが、作品の上演権利を押さえ、俳優や演出家、各スタッフのキャスティングやスタッフィングをしたのちに、メディアに向けて情報を公開します。稽古が始まればそれに立会い、全体を見ながら初日に向けてさまざまな調整をしていくという感じでしょうか。これは本当にざっくりした流れで、主催会社や公演規模、担当するプロデューサーによっていろいろなやり方があると思います。

――舞台の企画が最初に上がって、それが実際に上演される確率ってどのくらいなのでしょう。

高橋 これもいろいろです。個人的な感覚ですが、大体、当初の企画の段階から本当に形になるのは3割に満たないかもしれません。特にミュージカルは海外作品だと版権など権利の関係もありますし。大型作品の場合は準備開始から上演まで3年くらいの時間があればベストですが、2年程度で余裕を持ちつつ幕を開けられるかな、という感じです。

――2年先、3年先の公演の話になると、特にキャスティングが大変そうですね。

高橋 舞台を中心に活動なさっている俳優さんだと、2年先のスケジュールをいただくことも可能ですが、映像関係がメインの方だと難しい場合もありますね。そのあたりのオファー関係は普段からいろいろな事務所と信頼関係を作っていくことが大切なのだと感じています。

――そういう交渉関係などは、先輩プロデューサーのもとで勉強なさった?

高橋 わたしはそうでした。たとえばサブの時代に出演交渉の場に同行して先輩の仕事の手伝いをしたり。プロデューサーの仕事の進め方って人によって全然違うので、正解はないのですが、いろいろな先輩の現場に帯同できたのはありがたかったですし、そういう経験ができたことで次第に自分のやり方を見つけられたのかもしれません。

高橋麻衣さん
プロデューサーとして関わった作品への想い

――高橋さんがチーフプロデューサーとして最初に担当なさったのが『エリザベート TAKARAZUKA20周年 スペシャル・ガラ・コンサート』(2016~2017年)ですよね。

高橋 そうです、あと、トム・サザーランドさんが演出したミュージカル・コメディ『パジャマ・ゲーム』(2017年)も初期の企画段階からチーフとして関わらせてもらいました。梅田芸術劇場の場合、製作会社・興行会社でもあるので、プロデューサーが自分の好きなものを企画としてガンガン推すというよりは、多くのお客さまに喜んでいただける作品を舞台に上げることも大切な要素だと考えています。

――これまで高橋さんが担当なさって、特に思い入れの深い作品ってなんでしょう?

高橋 もちろん、すべての作品それぞれに思いがありますが、ミュージカル『VIOLET』(2020年)は作品を決める段階から長期間携わったこともあり、本当にいろいろな経験をしたと思います。

――梅芸さんは『VIOLET』の英国版を上演したロンドンのチャリングクロス劇場とパートナーシップを結び共同制作を行っていますよね。

高橋 そもそも『VIOLET』はチャリングクロス劇場との共同企画として動き出した作品でした。英国キャスト版・日本キャスト版共に藤田俊太郎さんの演出で、2019年に英国版をチャリングクロス劇場で上演し、翌年の日本版ではコロナ禍で一度公演が延期になり、一部演出を変更してやっと上演できた作品ですので、とにかく感慨深かったです。

『VIOLET』

提供:梅田芸術劇場

――これまでの現場で特に大変だったことってなんでしょう?

高橋 うーん、難しい、基本、大変なことばかりですから(笑)。その大変さって公演によっても違うんですよ。たとえば、今年東京でも上演できたミュージカル『ボディガード』は、コロナの感染対策がとにかく大変でした。プロデューサーの仕事はどうしてもいろいろなことを精神的に背負ってしまってキツい局面も多いのですが、初日の幕が開いた時や、千穐楽にキャストがお客さまから拍手を浴びている姿を見ると、いつのまにかすべてが洗い流されていくんですよね(笑)。

――ああ、素敵ですね。高橋さんがうれしい時って?

高橋 稽古場で悩み苦しんでいたキャストが、何かのきっかけでポーンとその闇から抜けて、覚醒する瞬間があるのですが、そこに立ち会えた時は「やった!」ってなります。稽古場での出来事はその場にいないと体感できませんから。さらに、その俳優さんが自分がキャスティングした人だったりすると、より胸に迫るものがありますね。

 

コロナ禍であらためて1公演1公演の大切さを嚙みしめる

――コロナ禍というキーワードがお話の中で出ましたが、プロデューサーとしてどういう意識の変化がありましたか。

高橋 それを意識の変化といっていいのかわかりませんが、やらないよりやろう!と思うようになりました。リスクを考えていろいろなことを止めるのではなく、万全の対策を取った上でやれるだけのことをやる。やらないで後悔するより、しっかり対策をして前進しながら、途中で何かが起きたらそれに対応する。今はそんな風に思っています。公演を打つ、幕を開けることは当たり前のことではなくて、それこそ奇跡なのだと実感する毎日ですね。

――現場の空気も変わりました?

高橋 もちろんコロナ禍以前から1公演1公演を大切に……という思いは皆同じだったと思いますが、この状況になってから、さらにその気持ちが強くアツくなった気はします。初心に帰る、ではないですけど、カンパニー全体が「この1回が最後になるかもしれない」と、舞台に向き合っていると感じますし、その熱量は凄いです。わたし自身、中途半端なことはできないですし、さらに気を引き締めなければと日々気合いを入れ直しています。

――ここからは少し時間を巻き戻させてください。高橋さんが最初にチーフプロデューサーとして担当したのは『エリザベート TAKARAZUKA20周年 スペシャル・ガラ・コンサート』(2016年~2017年)。この時のこと、覚えていますか?

高橋 あの時は確かキャストが総勢60名弱で、怒涛のような現場だったこともあり、記憶があまりないんです(笑)。さすがにひとりで現場を回すのは厳しいだろうということで、先輩のプロデューサーが助けに入ってくださったことで救われました。

小池修一郎先生とも、演出家とプロデューサーという関係でお仕事をさせていただくのは初めてでしたから緊張しましたね……現役時代はいろいろお世話になったのですが。また、この公演が出産後の舞台復帰作となった春野寿美礼さんが公演終了後に「出演出来て良かったです、ありがとう」と声をかけてくださったことは今でもよく覚えています。もし、共演者として同じ舞台に立っていたら、そういうこともなかったと思いますので、ああ、今、自分は製作側にいるのだと、あらためて背筋が伸びる気がしました。

――高橋さんが宝塚歌劇団のOGであることが現場で強みになったのでは?

高橋 どうでしょう、強みでもありますし、以前は自分が出演者だったことでキャストの状態や現場の状況などがわかりすぎてしまい、逆に難しいところもありました。また、タカラヅカは年次の上下関係がずっと継承されますから、そのあたりもちょっと不思議でおもしろい感覚でしたね。自分の古巣を少し引いたところで客観的に見つめながら製作サイドとして場をまとめていくけれど、たまに現役時代の血が戻る……みたいな。そういう意味でも大規模なOG公演を担当できたことはとてもありがたい経験だったと思います。

高橋麻衣さん

<後編>では、高橋さんが担当なさった他の公演や宝塚歌劇団・現役時代を振り返りながら“推し”についてもうかがっていきます!

(取材・文・撮影=上村由紀子)

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挑戦する気持ちを宿す人と作品を創りたい「舞台プロデューサー」のお仕事 ー梅田芸術劇場 高橋 麻衣さん(後編)ー【連載】推し事現場のあの仕事 #005

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