舞台の感動とともに劇場内の美しさも体感してほしい「劇場案内人」のお仕事 ー日生劇場 松尾 千尋さん(前編)ー【連載】推し事現場のあの仕事 #004
公開日 2022.04.29 / 最終更新日 2023.04.13
わたしたちの“推し”が輝いている劇場やライブ会場などの”現場”。そこではふだんスポットライトを浴びることが少ない、多くの人々によって作品が作られています。本連載では、現場の裏側から作品を支える様々なクリエイターたちに焦点を当て、現場でのモロモロや創作過程のエピソードなど、さまざまな“お仕事トーク”を深掘りしていきます。
第4回では観劇ラバーから人気の高い日生劇場(東京・日比谷)にスポットを当て、劇場案内係のお仕事にフォーカスします。ご登場いただくのは日生劇場・劇場案内係として観客の信頼を集める松尾 千尋(まつお ちひろ)さん(公益財団法人 ニッセイ文化振興財団)。
インタビュー前半では今のお仕事を始めたきっかけや、わたしたちが見ることのできない劇場案内の裏側をうかがいました。(編集部)
劇場案内係の仕事を始めたきっかけはケーキ販売スタッフの面接
――松尾さんが日生劇場・案内係のお仕事に就かれてどのくらいになるか教えてください。
松尾 劇場案内の仕事をさせていただいて約10年になります。今は財団の職員として劇場内で働いていますが、じつはアルバイトからのスタートなんです。
――そんな道があるんですね。
松尾 もともとは九州の出身で、大学から東京で暮らすようになりました。大学ではバレエを専門にやっていたのですが、一時期、ひざを故障し休学していまして、その時期になにかアルバイトをしようと思い、これまで経験したことがない仕事を探していたんです。
――そこで日生劇場案内係の募集を見て応募なさった。
松尾 それが違うんです(笑)。子どもの頃からケーキ屋さんに憧れていまして、ケーキ販売スタッフの募集を見て面接に行ったら、その枠は埋まってしまっていて。そうしたら担当の方が「バレエやってるの?劇場案内のアルバイトに興味ない?」と提案してくださり、候補に挙がった劇場の中で、唯一自分が観劇に訪れたことがある日生劇場に履歴書を送ることにしました。
――そこでケーキ屋さんでのアルバイトが決まっていたら、劇場案内係・松尾さんの誕生はなかったわけですね。
松尾 いえいえ、恥ずかしいです(笑)。そのアルバイト採用の時の面接官が、日生劇場ファンの方からよくお名前を挙げていただく案内係の先輩・梅津でした。
――梅津さんをご存じない方のために補足させていただくと、日生劇場案内係さんの中でも“レジェンド”的存在の方で、ご自身にも多数のファンがいらっしゃる稀有な存在の案内係さんです。わたしが『マツコの知らない世界』(TBS系)で日生劇場をご紹介した際にも番組にご登場いただきました。
松尾 アルバイトの面接で劇場にうかがった時の面接官のひとりが梅津で「松尾さんと一緒に働きたいと思いました」と、直接採用のお電話をくださり、それからずっと一緒にお仕事させていただいています。仕事はプロフェッショナルにこなしますが、ふだんはとてもチャーミングな先輩です。
開場前後で場内温度も細やかに管理見えない部分の気配りも
――ここからは案内係のお仕事を深掘りさせてください。1回の公演で大体何名くらいの案内スタッフさんが動かれていて、どんな順序でお仕事が進められるのでしょうか。
松尾 公演日の案内スタッフは20名程度で、まず、お客さまをお迎えする準備をします。点呼と各自の持ち場確認の後は掃除からですね。もちろん、プロの清掃スタッフの方にも入っていただいていますが、例えばホワイエの椅子、劇場内の手すり、通気口など、お客さまが直接触れられる細かい場所はわたしたちが掃除をしています。その後、足元灯などが切れていないかなど設備についてチェックし、各自の持ち場に入ってシフトやその日の確認・注意事項を共有します。その日の注意事項というのは、たとえば、車いすのお客さまへのフォローなどですね。
それが終了しましたら、2階席、グランドサークル席、1階席の温度をそれぞれ確認し、ビル管理会社さんと連携を取りながら温度調節のお願いをします。寒い時期ですと、開場時は高めに設定していただいて、お客さまが入場なさる時間を見計らって、そこから少し下げてもらう段取りでしょうか。そうこうしているうちに開場時間になりますので、エスカレーターを運転させ、お客さまをお迎えします。
――そこはわたしたち観客が見ることのできないお仕事ですね。劇場内の持ち場というのは、日によって変わるものでしょうか?
松尾 基本的にはひと月ごとにシフトが変わり、持ち場もローテーションで変わります。日生劇場に関しては、誰かがずっと1階席担当というようなことはないですね。
――取材等でゲネプロ(最終舞台稽古)に入れていただくことがありますが、日生劇場の案内係さんはメモを取りながらご覧になっていますよね。それはやはり、遅れてきた人を案内する際のタイミングを確認なさっているから?
松尾 おっしゃるとおりです。演出の都合もありますが、すでに着席をされて観劇に集中しているお客さまへの配慮も大事だと思っていますし、わたしたち自身も舞台上の進行を確認することで、より良いタイミングで遅れていらした方をご案内できるよう心がけています。特に曲の途中などは着席なさっているお客さまにも影響が出てしまいますので注意しますね。
――公演主催会社の所有=専用劇場ならわかりますが、おもに貸館として稼働している劇場でそこまでなさっている。
松尾 ご来場いただくお客さまに変わりはありませんし、舞台を大切に思ってくださるお客さまを大切にするということは案内係の先輩たちから代々受け継がれてきたものですので当たり前のようにやっています。
わたしはもともと、人と関わることが大好きでアルバイトからこの仕事に入ったので、お客さまと接するのは楽しいです。今はコロナ禍ということもあり、確認やご注意、ご案内等、必要最低限の会話しかできないですが、以前は終演後や幕間にその日の舞台をご覧になった方からご感想をお伝えいただくのも楽しみのひとつでした。
劇場内で心配事がある時はまずわたしたちに相談してほしい
――お客さまとのエピソードもたくさんありそうです。
松尾 それはもう!今は以前のように気軽にお話しできる状況ではないですが、よくご来場いただけるお客さまのお顔を劇場内で見つけると嬉しく思いますし、あまりお見かけできないと「どうしたのかな、お元気かな」と勝手に心配したりもします。コロナ禍になって、以前の当たり前がそうではなくなったのだと日々実感しています。
――以前から気になっていたのですが、勝手に席を移動して空席に座っちゃう方がいるじゃないですか。あれって案内係さんは気づいているものですか?
松尾 自分の持ち場の空席はその日ごとにメモをしておりますので、席を移られたお客さまには気づきます。
――やはりそうなんですね。たとえば、何らかの事情でどうしても席を移りたい場合はご相談することも可能でしょうか。
松尾 なにかご事情などがありましたら、ご相談いただければと思います。ただ、劇場内の座席はすべて指定席ですのでご要望にお応えできないことも多いかもしれません。
――日生劇場内を熟知している松尾さんイチ推しのスポットはどこでしょう。
松尾 わあ、難しいですね。日生劇場は比較的どの席から観ても観やすいというお声をいただくことが多いです。いろいろな席に座って劇場の雰囲気を楽しみながら観劇していただければと思っていますが、自分でチケットを購入する時に席が選べるならグランドサークルのセンターブロックを買いたいです。
――グランドサークルは舞台上の俳優さんと目線が合うのがいいですよね。
松尾 そうなんです。さらに、ひじ掛けもゆったりお使いいただける仕様ですので、グランドサークルのA列とB列はわたしたち案内係の間では「ロイヤルシート」と呼ばれています。
本当に美しい劇場ですので、エントランスの白い大理石の空間や、赤い絨毯の大階段や螺旋階段、客席のガラスモザイクの壁やアコヤ貝をちりばめた天井などもぜひ体感していただきたいです。日生劇場は劇場でお芝居を観ることの素晴らしさや非日常感をより深く実感できる劇場だと思っています。
<後編>では劇場支配人の松本 勝嗣(まつもと よしつぐ)さんにもご登場いただき、おふたりの“推し”や劇場案内スタッフに向いている人のパーソナリティなどをうかがっていきます。
(取材・構成・撮影=上村由紀子)
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