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推し活は世界平和につながっている!? すっかりメジャーになった「推し活」について改めて考えてみた

アイドルファン界隈から使われ始めたとされる「推し」という言葉。現在ではその対象はアイドルに留まらず、俳優、声優、アーティスト、スポーツ選手、YouTuber、実在の人物以外には漫画やアニメのキャラクター、鉄道や食べ物、仏像などの「推し」を持つ人も。
『そもそも「推し」とは?』の記事にもあるように、「推し」とは「他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物」(デジタル大辞林より)のことを言う。
つまり推し活とは、人に強くすすめたいほど好きでたまらない対象に、精神的にも物理的(時間的・金銭的)にも自分の多くを費やして愛情と情熱を注ぎ、存分に楽しんだり全力で応援したり、周囲に布教したりする活動のことである。

ジャンルの垣根を飛び出した「推し」の概念

「推し」という言葉が必ずしもアイドルやアニメなど所謂オタク界隈だけではなく、現在のように多様なジャンルで広く使われるようになった背景には、数年前から推し活にまつわるエンタメ作品が増えてきた影響があるように思う。

私自身、好きな俳優やアーティストを「推し」と呼び始めたのはそれほど昔ではない。今回この記事を書くにあたり、自身と「推し活」との歴史を思い返していたのだが、インターネット上でちらほらと目にしていた「推し」という言葉をしっかり認識したと記憶しているのが2019年夏放送のドラマ『だから私は推しました』だ。当時ドラマは視聴しておらずタイトルを目にした程度だったが、「ドラマになるくらい流行っているんだ」となんとなく思っていたような気がする。この頃「推し活」という言葉はまったく自分ごとではなかったはずなのに(好きなものに夢中になったり愛を語ったりはしていたので実質的には推し活していたのだが)、何がどう転んだか2020年1月、私は個人ブログで好きな俳優のことをすでに「推し」呼びしていた。この頃から私は自分の好きな人や物にまつわる言動を指し、「推し活」と呼び始めていたようである。

昨年末に新語・流行語大賞にノミネートされるほど「推し活」が広く一般に認知された大きなきっかけとしては、2021年1月に『推し、燃ゆ』(宇佐見りん著、河出書房新社)が芥川賞を受賞したことだろう。以降WEBメディアのみならず新聞や雑誌でも「推し」に関する記事が次々掲載され、テレビの情報番組でも多数特集が組まれた。

最近では推し活にかかるお金をリサーチしその経済効果を解説する「推し活消費」系や、コロナ禍で心を病んでしまう人が増えたことに絡めた「推し活がもたらす心理的メリット」を解説する記事など切り口も多様化している。約20年オタクの世界でオタクのために存在していた「推し」の概念は、ここ数年ですっかり社会派になったと言っていい。

推し活をしていて気がついた自身の変化

私はもともと何かにハマりやすい気質であり、これまでもその時々で常に「推し」のような存在はいたものの、それを「推し活」と自認するようになったのは先ほど書いた通りここ2年ほどだ。好きな人たちを「推し」と呼び、SNSやブログで積極的に発信するようになったことで私の正式な推し活は始まったのだが、これをやってみて私は早々に辿り着いたのである。「推し活は世界平和につながっている」という結論に。

ああっ、頭のなかにクエスチョンマークが浮かんだ人、待って、読むのをやめないで。「推し活で世界平和? は? 何言ってんだ」と思う人もいるかもしれない。でも、どうかもう少しそのまま読み進めてほしい。

まずは推し活の始まりから、そのときどきの心境も併せて順を追って説明していく。

推し活の始まりは誰でも、推しに出会うところから始まる。ときに雷に打たれたように、ときに道端の小さな花に目を奪われたように、私たちはそれぞれの推しと運命の出会いを果たす。
推しを見て、作品を鑑賞して、幸せな気分に浸る。家での鑑賞では飽き足らず、現場(舞台やライブなどのリアルイベント)に足を運ぶようになる。生でしか味わえない幸せを噛みしめながらまた自分の生活に戻っていく。
はじめは自身のなかでひっそりと愛でていれば満足していたのが、愛が強くなるにつれ次第に「たまらなく好き、好きすぎて黙っていられない、嗚呼ッ、聞いて、誰かこの叫びを聞いて……!」といった具合に、「推し」の語源でもある「推薦する」という気持ちがムクムクと湧いてくる。今はSNSで気軽にそれを発信できるし、同じ気持ちを共有できる仲間を見つけるのも比較的容易だ。語り合える仲間ができれば推し活はさらに楽しいものになる。

こうして推し活をしていて、私はあるときふと気がついた。最近はメンタルが安定しているしなんだかポジティブだな、と。これは推しのおかげかもしれない、と思った。

推し活の社会的意義とは

思い出してほしい、先に触れた最近の推し活にまつわるメディアの数々を。「推し活消費が経済を回している」「病んだ心に推し活」「推し活で人生イキイキ」そんな見出しがあったかなかったか、とにかくそれらの中では推し活の社会的意義が語られている。わかりやすく言い換えれば、推しは生きる活力になるのだと思う。推しを見る、聴く、語る。そのひとつひとつが楽しみであり癒しであり励みであり、あらゆるポジティブなパワーとして自身のエネルギーに変換される。推し関連イベントをマイルストーンにすれば日々のあれこれをなんとか乗り切れるし、推し活資金のために目の前のお仕事も頑張れる。

人は他者と関わらず生きていくのは難しいが、そこに人生の悩みの多くが生まれるのもまた事実である。人間関係というものは、うまくいっているときには自身にポジティブな効果をもたらすけれど、いつでもネガティブに反転するリスクも併せ持っているからだ。どんなときでも等しく、安定して心の安寧を得られる方法として、推し活は私たちにぴったりとフィットしたのではないか。

推しは他者だがそこに個別の関係性を築くことはできない。一方通行な想いは歯がゆく切ないものだが、同時にそれによって自分が脅かされる心配もない。『推し、燃ゆ』の主人公・あかりはこれを「(推しと自分との距離を指して)へだたり分の優しさがある」と言った。関係性を築くことができない相手だからこそ、裏切られる心配もない。推しを見ているだけで、推しの作品に触れているだけで、安定してポジティブなパワーを蓄えていける。

ひとりひとりの推し活が世界を変える、かも

ひとりひとりがこうして、(推しの力を借りるとはいえ、そこに直接的な関係性なしで)ある意味自家発電で心の安寧を保つことができれば、自分の力だけでは如何ともしがたい問題が起きたときも、理不尽な状況に心が折れそうになったときも、ほんの少し上を向くくらいの力は持てるのではないかと思う。推し活は問題を解決してはくれない。けれど解決するためのパワーの源にはなってくれる。

推し活は、自分の心を自分で労わってあげるためのひとつの方法だ。毎日外の世界で頑張っている自分を、家に帰ったら推し活でヨシヨシしてご褒美を与える。そうすれば外の世界でまた戦える。自分が元気でご機嫌なら、もしかしたらいつもよりちょっとだけ他者にやさしくできるかもしれない。つらいことにも立ち向かえるかもしれない。そうして自身を労う方法を身に付けた人が増えていけば、世界は今よりちょっとやさしくなるかもしれない。それはすなわち世界平和に、細い細い線でつながっているかもしれない。私はそんな風に思うのだ。

本記事の文中で触れた、推し活にまつわるエンタメ作品について紹介した記事がこちら。

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