講演録
第1部
若新さん:
みなさん、こんにちは。よろしくお願いします。今日は神戸にお住まいの方はどれくらいですか。半分くらいですか。
2015年の3月だったから4年半くらい前にもこの会場に来させていただいて、その時もフェリシモの方が市のイベントを運営されていて、ここでお話させてもらいましたが、それが僕の中でしっかり神戸に来た最近の思い出です。終わった後に「打ち上げに行きましょう」と言われて、みんなでこの辺のおしゃれなお店に反省会に行きました。テラスに案内していただいたのですが、「3月でめっちゃ寒いのに何でわざわざテラスなんだろう。今日、中は満席なのかな」と思いました。でも、中はガラガラで「寒いですね」と言っても、神戸のみなさんは「ええ、でももう3月ですし」と言って、コートを着てボーっと火がついている柱みたいなところで手をこすりあわせていて、「今日、よかったですね」と市の人も言っていて、「これはなんなんだ。これが神戸スタイルなのか」と思ってちょっと衝撃でしたが「まあ、そういうこともあるか」と思いました。
その後、「2次会に行きましょう」と言われて、「今度の店はテラスじゃないよな」と思って行ったらテラスがある店で、「ヤバっ。次もテラスだったらどうしよう」と思っていたら、全然テラスでなくていいのに、「すみません、テラス席はこの時間はもう使えないらしくて」と。「これは悪い夢を見たのかな」と思って、今日もフェリシモの方がいらっしゃるので悪口のつもりで言っているわけではないのですが、東京に戻って神戸の人に言ったら「それが神戸スタイルだ」と聞いたのですが、冬でもテラスでご飯を食べるものなのですか。
フェリシモ:
僕は今、初めて聞きました。
若新さん:
ではそういうことではないのですか。
フェリシモ:
はい。本日はどうぞよろしくお願いします。
若新さん:
よろしくお願いします。それが僕の神戸の思い出でした。
今日の「グラデーションの海をどう泳ぐ? 」というのは、神戸学校のスタッフのみなさんに「若新さんの本や活動を見ていて、こういうのはどうですか」と逆に提案いただいたもので、結構、哲学的な問いだと僕は思っています。前回はゆうこすが来たということで、僕はゆうこすの次に、という感じのキャラでもないから今日大丈夫かなと思いましたが、たくさんの人が来てくれて安心しています。まずここから80分くらいお話させていただくことになっています。
■僕は思春期が終わっていない人間
若新さん:
改めて簡単に自己紹介させていただきます。僕は福井出身なのでこのへんもたまに来ます。高速がつながっていて三田のアウトレットは家から近かったのでよく行きました。最近、おかげさまでテレビのコメンテーターをたくさんさせてもらっているので、いろいろなところで「見た」と言ってくれる人は多いのですが、「仕事は何をしているの」とよく聞かれます。僕自身も、わかりやすく自分の仕事を説明できたらいいと思うのですがむずかしくて、簡単に言うと、独立して会社をしているということと、運がよかったというか縁があったというか、大学に残って研究する仕事も続けています。
普通のサラリーマンをしたことがなく、大学生時代に先輩と作った障害者の就職支援をするLITALICO(リタリコ)という会社が唯一の会社経験ですが、大きくなっていく中で「それ、ちょっとどうなの」ということがいっぱいあって二年足らずで取締役を辞めてしまいました。
そのころくらいから僕は「組織の中で人は何に葛藤しているのか」「組織の中で自分の個性やこだわりとどう向き合っていったらいいのだろうか」と、最近でいうところの「多様さ」や「自分らしさ」みたいなものに早い段階から興味を持って研究していました。
今はコミュニケーション論をしています。いろいろな企業や町で実験的なことをしていまして、後で少しお話しします。
僕が生まれ育った所は信号機が全然ないというすごい山奥の田舎で、両親もおじさんも妹も学校の先生という家族です。小さいころはすくすくと元気に育っていたのですが、僕の人生のキーワードと言うか、何が僕を僕らしくしているかをひとことでいうなら「思春期」です。山奥の中で思春期を過ごしてちょっとおかしくなって、そのままです。ずっと思春期でいると社会人としてまともに生きていけなくなってしまうので、みんな思春期を終えていくと思うのですが、なぜかわからないですけど思春期が終わらなかったのです。だから、僕がどういう人間なのかと言うと、思春期が終わっていないということだと思います。
どんな思春期だったかというと、とにかく音楽が好きでした。もう少し正直に言うと、足がクラスでいちばん速くはなかったのです。これは大きな問題です。わかりますか、みなさん。逆に言うと、一番じゃないといやだったのです。そういうのがいるじゃないですか。何でも一番じゃないと不機嫌になるめんどうくさいのが。「おまえ中心で世界は回ってないよ」という感じですが、何でも自分が一番じゃないといやな性格だったのです。
勉強は幸い、田舎の山奥の中でまあまあ賢く生んでもらったからやればできます。飯を食うのも急げば一番で食べられます。だいたいのことはがんばれば一番になるのですが、100メートル走は毎日どれだけ走っても、どうがんばっても努力ではなれないのです。小学生の時は足が速いことはイケてるステータスだから、一番ではなくて2番とか3番で、リレーでもアンカーには選ばれなくてめっちゃ悔しかったです。「俺の人生でリレーでアンカーに選ばれないなんてどういうことだ」と絶望していて、とにかく足の速さで一番になれないことが苦しくて「クソっ」と思っていました。
中学校に入るといい時代がやってきました。体育の時間に100メートル走をムキになって走らなくていい雰囲気になってくるわけです。「俺、真剣に走ってないし」という感じで、足が一番じゃないことをごまかせました。そこに来て、スポーツよりもみんな音楽を聞き出したりするので、「楽器を弾けることがイケてる」みたいになってきたわけです。「これは超いい。足がいちばん速くないという問題を楽器が弾けることですべてクリアーできる」と思って、勉強してテストは学年で一番を取って、楽器を買って演奏しまくっていました。
その時にビジュアル系バンドの第一次ブームが来て、男なのに髪を伸ばして色を染めてウジウジしているのが現れました。当時、ミュージックステーションに出ているヴィジュアル系のバンドマンたちを見て親父が言うのです。「なんだよ、こいつら気持ち悪い。男か女かよくわかんねえ。こんな大人にだけはなるなよ」。逆に僕は「こんな生き方があるのか」と思ってしまったのです。いちばん好きなのはX JAPANで、ビジュアル系バンドにハマりまくって、田舎の山奥の田んぼの中で、全部通販でしか買えないのですが、楽器を買い始めたわけです。
若新さん:
この写真は、中学生や高校生くらいの時の僕です。田舎だとビジュアル系っぽい服は売っていないので、今でも忘れませんが、この肩が出ている赤い服は大阪のミナミに行って買いました。「大阪に行ったら売っとるらしいぞ」と言って大阪のミナミまで行って「肩が出てる服、売ってないっすか」と言ってこれを買いました。これはXの、HIDEという亡くなったギタリストが着ていた服でした。想像してください。あの山奥から肩が出ている服を買いに大阪まで行くというのが僕の思春期でした。
そういう高校生活を送っていて、当時は自分の生き方や過ごし方について俯瞰したことはあまりなかったのですが、僕の思春期のあり方をひとことで言うと、ズレた人だと思われていたみたいです。当時、「ズレる」という概念があまりなくて、田舎だと「まとも」か「グレてる」しかありませんでした。「グレてる」だと物を盗むとか、壁を殴って破壊するとか、ケンカするとかわかりやすくて先生も対処しやすいと思いますが、「グレてる」とはちょっと違うので「どういうことなの」と疑問に思われたわけです。でも、ずっとそれをあの田舎の山奥の中で考えながら生きていました。
若新さん:
この写真は高校生の時ですが、田舎の山奥の公立の進学校だったから校則がきびしくて、毎日、学校の裏側から学校に入っていました。だんだん勉強がおもしろくなくなってきて、授業中はずっと着メロを作って着メロ投稿サイトに応募して、週末は友だちの家に外泊してギターを弾いたりする生活をしていました。いつも担任の先生に「おまえ、どうすんの、これから」と言われて、「大丈夫、先生。これから世の中の価値観は変わりますよ」みたいなことをえらそうに言っていました。
「#スライド」
若新さん:
その時、担任の先生が毎回、僕に「若いな。今はそんなことを言っているけど、大人になってまともに仕事をし始めたら同窓会で会うと必ずこう言ってくる。『先生、あのころは若気の至りで何もわからずに若かったです』ってみんな言うんや」と言うわけです。将来、この思春期のまま年をとって、いつか有名になった時に帰って同窓会が開かれた時も、先生に「おまえはあのころ、若かったな」と絶対に言われないようにしてやろうと思って、思春期が終わらなくなりました。学校の先生のひとことは結構罪が重いというか、「先生の言葉は絶対に許せない。忘れないぞ」となって、思春期が終わらないまま、ずっとやってきました。
何でこんなよけいな話をしているかというと、結果として思春期が終わらなかったことが今の自分の人生を作っていると思うからです。思春期らしさにはいろいろあると思いますが、僕にとっての1番のポイントは「いちいち気になる」「いちいち疑問に思う」ことでした。「な、何で?」といちいち気になって納得いかないのです。そういうのを中二病というらしいです。「本当にそうなのか」「それは大人がそう思っているだけじゃないのか」「それは古い価値観なんじゃないか」と、いちいち疑問付を投げかけて、いちいち突っかかって、いちいち斜めから見るやつは中二病のめんどうくさいやつだというらしいです。そんな人間はまともな社会人になれないから、たぶん学校は「思春期を早く卒業しろ」と言うのです。「なんで髪の毛はずっと黒じゃないといけないのですか」「なんでネクタイは締めないといけないのですか」ってただのめんどうくさいだけなのですが、ずっと思春期が終わらないという生き方をしてしまったせいで、結果的によかったのですが、疑問を持つようになり、「それは本当に一個しかないのかな」「みんなはこう言っているけど、本当にこっちに行くしかないのかな」といちいち思うようになりました。疑問を持つことがやめられなくて、気になったら「もう別にいいか」と思えないという人生を送ってきました。
そのせいでいろいろなことがありました。思春期以降、いちばん大きなインパクトがあることは、大学の先輩と一緒に作った会社で起きました。初めはふたりで作って、後に上場するのですが、社員が増えてきた時に「若新さん、もういいかげんその髪型はどうかと思います」と言われました。今みたいにベンチャー企業なら髪型も服装も自由という時代ではまだなくて、ベンチャー企業はなめられていたので、だからこそ「若くてもきっちり髪を切って、ちゃんとネクタイを締めてなめられないようにしなければいけない」という時代でした。僕はずっとイジイジしていて、先生の言葉がずっとへばりついているわけです。言われたとおりじゃないですか。同窓会をしたら「若新、おまえ会社作って上場したらしいな。髪の毛もビシっと切って、やっぱあのころ、若かったな」と言われて「そうですね、あのころは若かったです」と言わなければいけないじゃないですか。「ここで髪の毛を切ったら俺は終わりだ。絶対、イヤだ。もうこの会社を辞めるしかない」と思って辞めてしまいました。株をたくさん持っていて、上場した時にそれなりにボーナスはもらえましたが、「辞めるならだいぶ減らしなさい」と言われて、今はもうどうなったかわかりませんが、髪を切って会社に残っていたら、当時の計算であと10億円分くらい株を持っていました。「あの時やめなかったら10億か20億くらいあったのにな」とみんなに言われましたが、あの時は仕方がなかったのです。髪を切ることだけはできなかったのです。
10億を失ってこだわりの髪型を維持して僕の中に何が生まれたかというと、やっぱりいちいち疑問を持つというか、「みんなはこうするけど、僕は本当はどうしたいのか」「何で周りの人はこうするの」と、「そういうものだから」ということに対して素通りできなくなり、その時点でめんどうくさい人間としてほぼできあがってしまいました。それが仕事につながっていなかったころはめちゃくちゃ不安でした。今だからこそ「僕は思春期的にきたからこうなれた」と格好つけて言えますが、「なんでもかんでも1個1個、自分が納得できなかったら前に進めないなんて、僕はほんまに生きていけるのか」と当時は悩んでいました。でも、それから10年くらいたって幸運なことに、疑問を持って実験してみることがうまくできるようになって、飯が食えるようになりました。今回、「パーソナリティの部分も話してください」と言われましたが、僕のパーソナリティは基本的に思春期的であって、いちいち立ち止まっていちいち疑問を持ってしまうことで、これはもう僕のすべてです。
逆に言うと、別に僕には「日本の未来をこう変えたい」とか「これからの世の中をこうしたい」というのはたいしてなくて、よく聞かれますが、いつも「特にないです」と言っています。「こういう未来を作りたい」とそんなに熱く思っているわけではないのに、何でそんなにこだわった生き方をしているのかというと、思春期的にいちいち気になるのです。でも、いちいち問いかけを持つ思春期が終わらなかったおかげで、結果的に新しい未来を作っているふうに見えるらしいです。
もうひとつは、疑問を持つことが生かされた場所が大学という世界でした。大学で研究するうえで、いちいち気になったことを試してみたいとか深めてみたいというのが研究者に向いているということもあったらしく、それで大学にも残って仕事ができているという感じです。
■可能性を探る試行錯誤が活動のテーマ
若新さん:
では、疑問を持ちながらどういうことをしているかを簡単に整理します。いろいろな仕事をしているので全部お話しする時間はないのですが、いちばん関心があるのは組織のことです。
「#スライド」
若新さん:
僕がしている組織の仕事は結構、珍しいらしいです。なぜかというと、組織コンサルティングの仕事をする人は、組織がスマートになるためのお手伝いをしている人がほとんどです。つまり、「意志疎通しやすい」「指示命令系統がはっきりしている」「役割分担が明確」といった合理的な生産性が高い組織を作る組織コンサルの人はたくさんいますが、僕はほとんどそういうことはしていません。それよりも、会社の組織の中で何となく出てきている気持ちや雰囲気、違和感、メッセージをみんなで話し合って文化みたいなものにしたり、感じだけでまだはっきりしていないものをブランドにしていくような研修やセミナーとか、みんなで新しいものを作れるような組織はどういうものだろうということを考えています。ニートだけの会社や普通の就職ができない人向けの就職サービスとか、今でいうところの新しい働き方や居場所みたいなものを作ってみたり、いろいろ実験的なことをしています。
よく勘違いされますが、僕にとっての理想の働き方や居場所というものがあってやっているというよりは、「何でそうなってしまっているんだろう」という、いちいち立ち止まって考えてしまうクセから基本的に始まっていて、「こういうのもありなんじゃない」「こうじゃなくてもいいんじゃない」ということが多いです。
基本的にはそういう考え方で仕事をしていて、人生、何が起こるかわからないです。地方の田舎の中で「今までこういうはずだったんだけど」ということに対して「いや、もしかしたらそれはみんなが勝手にそう作っているだけで、そうじゃない可能性もあるんじゃないの」と疑問をぶつけて実験し始めたら、これが町づくりとか地方創生というブームとぴったりあったみたいで、たまたま縁があって地元の福井で町づくりの仕事を始め、そういう仕事もいっぱいやりました。
最近は「学校や教室のあり方とか学ぶことについても、もっと新しくていいんじゃない」ということで、クラスや教室、学びのあり方に関心を持って探求しています。
あと、あまり表には出していませんが、実はある政党の若者向けのプロジェクトは、どこの党とは言いませんが、全面的に僕が作っています。若い人が政治に関心がない中で、僕の仕事は「政治に関心を持とう」というメッセージではありません。政党はまあまあお金を持っているし、いろいろな人がいるので、政党という場を使ったら逆にこんなことが若者にとっておもしろいのではないかということをみんなで探したり、個人の政治家のPR戦略をしています。基本的に「こうしなければいけないと思いこんでいるから、おもしろくなくなって、新しくならないんじゃない?」「もっといろいろな可能性があるんじゃない?」ということを提案しています。
最近はニュース番組やラジオでたくさんコメンテーターをさせてもらっていますが、それも僕としては狙ってしているというよりも、「みんなこういう流れで見ているけど本当はどうなんだろう。もっと違う見方はあるんじゃないか」という思春期から終わらない癖が、また運がいいことに、そういう仕事にもハマったのかなと思っています。
「#スライド」
若新さん:
そういった取り組みのベースにあるのは大学での研究です。自分にマッチしていたみたいで、大学の研究をしながら、こういう仕事を独立してやっています。大学の研究所で、僕は「ゆるいコミュニケーション・ラボ」を運営しています。それには僕の「いちいち気になってしまう」「いちいちほかのやり方も試したくなる」「いちいち別の角度から見たい」という、非常に中二病的な視点がふんだんに入っていて、「それをひとつの新しい研究の流れにしてみないか」と言ってもらえたことから始まりました。「本当にこの先、まともな人間として生きていけるのだろうか」と不安だった、思春期が終わらない、もうおじさんになりかけている人間にとって、そういう視点でラボを作っていいと言われたのは奇跡でした。そのラボが何を目指すかいちばんわかりやすいメッセージとして打ち出しているのは「『これが正しい』という『答え』はもうないのではないか」ということです。これが、この研究活動のベースになっています。
これもはっきり言ってすごく思春期的な話です。国語テストで「筆者はこの時、何を言いたかったのでしょうか。1、2、3、4で最もふさわしいものを選びなさい」とあって、答えが「3番」という時に、「先生、本当に3番ですか。1という見方もできたのではないですか」というやつが教室にいたら、基本的にはめんどうくさい感じです。でもみんなが「3に違いない」と答えを決めていこうとする中で、「いや、それが今、世の中のいろいろなことをむずかしくしたり、おもしろくなくしているんじゃないか。だから『答えはこれだ』と1個にしなくてもいいし、1個にすることに限界がある時代なんじゃないか」というのが僕の研究の重要なメッセージです。
だから、僕はいろいろな取り組みをしていますが、今でも「結局、何のためにやっているのかよくわからない」と言われることが多いです。たぶん、僕に対して「あなたがやっていることは何が答えなのか見えません」と言いたいのだと思います。僕と同世代でテレビに出ている人も何人かいますが、基本的にイケてる人たちは「これが次の社会のやり方だ」と、新しい答えを提示してくれている感じがあります。あれはかっこいいです。僕は中二病なので、「これが答えだ」と言われると、「いや、ほかのやり方もあるんじゃないの」といちいち思ってしまうわけです。
「#スライド」
若新さん:
僕は「答えがもうない」ということを一度きちんと認めた上で、いろいろな可能性を探っていきたいのです。だから、みんなの前で偉そうに「これが正しいんだ」「これが新しい社会の形だ」と導いていくのではなくて、新しい何かを作る必要があるのなら試行錯誤するということをテーマに活動しています。だから今日も、どうやって試行錯誤していくかについてはお話しできますが、「これからの日本社会はこうなって、僕たちの暮らしはこう変わって、働き方はこうなります」という答えみたいなものは、みなさんに提示するようなものは何もないです。だから、探し方や試行錯誤のやり方が今日の話になります。
試行錯誤はtry and errorと訳されますが、こういうふうにプロジェクトを進めていこうとすると、苦手な人が多かったです。それは中高年の方というわけではなく、若い人や大学生も全然、嫌なのです。
「#スライド」
若新さん:
何で試行錯誤が苦手なのかを聞いていくと、ほとんど答えは一緒でした。試行錯誤をていねいに説明すると「失敗を繰り返すことでちょっとずつ見えてくる」ということです。新しいことを見ていこうと思ったら失敗を繰り返さないとわかりませんが、失敗がめっちゃ嫌らしいのです。今はちょっとした失敗でもネットで超絶にたたかれます。だから、失敗というプロセスなく新しいことをやっていきなり大正解を出したいらしいです。僕は「それは無理だろう」と思っているし、たまに出せる人がいたとしても、その人も裏ではものすごく試行錯誤を繰り返していると思います。
僕は、失敗を見せないように試行錯誤することを考えると疲れてしまうので、むしろ試行錯誤をみんなで楽しんで、明らかに人を傷つけたり、不快にさせたり、法を破ることでなければ、答えがない時代なのだから失敗そのものはもっと許し合って、正しいかどうかわからなくても試していいというふうにできたらいいと思うのです。僕は、それを日常的にどれだけ上手にゆるい実験をするかということだと思っています。日々が実験であっていいとなれば、いきなり成果が出なくても、失敗が繰り返されてもいいわけです。だけど、実験的な時間が許されないので、僕はすべての取り組みで「まずは実験です」と説明しています。僕自身が実験好きだということだと思いますが、結局、「この髪型どうかな」「この服どうかな」と試してみたいのです。試していくと、いろいろなものが見つかっていきます。
僕は大学生に「何で実験が必要なのか」という話をよくします。「試行錯誤があった方がいい」「これが答えだというものはもう明確ではない」ということを説明する上で、すべての理由は「社会を見て」ではなくて自分の葛藤が出発点なのですが、僕がこういうふうに仕事がたくさんできるようになった理由は、世の中のタイミングとうまくあったから、実験的だということが今、ちょうど求められてきているからではないかと思っています。
■「失われた20年」で失われたのは「答え」
「#スライド」(日本の戦後のGDPグラフ)
若新さん:
どう説明しているのかという話ですが、これは日本の戦後のGDP、国がどれくらい経済的な活動をしているかのグラフです。これは名目GDPといって、物価の上昇とかを調整せずにそのままグラフにしたものです。これを見ると、ある時を境にグラフの形が大きく変わっていることがわかります。それはどこかというと1995年です。95年までの社会がどうだったかというと、こういう感じの社会です。
「#スライド」(日本の戦後のGDPグラフ、~1995年を点線囲み)
若新さん:
グラフが60年くらいからしかないのですが、戦後の日本は1995年くらいまではグラフの形が一定の変化でずっときています。これは何かというと、戦争で焼け野原になった日本は1995年までは経済が成長していたということです。こういうのを「成長社会」というらしいです。成長社会とは何かというと、これが今、僕がいろいろな所から声をかけてもらえる理由のひとつだと思いますが、経済が成長して、人口も増えて、足りないものが満たされ、やったらやっただけ成果が出るという社会だったらしいです。
最近、「不況だ」「昔の方がすごかった」と言われますが、今の方がテクノロジーはあふれているし、計算も速いし、製造する能力も高いです。絶対に親父の世代よりも我々の方が能力は高いです。だけど、昔の方が成長していたわけです。それは、ものがなくて、やったらやっただけ結果が出るので、「何のためにがんばっているのか」とか「この先、どうなっていくのか」ということが描きやすかったらしいです。
親父は学校の先生でしたが初任給が4万円で、最後、校長先生の時は給料が50万でした。ただの公務員で、しかも新しい工夫もいらなくて、言われたことをしていると生涯で給料が13倍くらいになっているわけです。超、熱いです。
それは物価の上昇もあったのですが、これも大事です。物価の上昇で何が起こるかというと、ローンを組んだもの勝ちだったらしいです。今は借金がネガティブにとらえられがちですが、給料がどんどん上がっていく中で物価も上がっていく、つまり物の価値も上がっているので、家は30年後より今の方が安く建てられるし、借金も今した方が後で返しやすいというミラクルが起こっていたらしいです。35年ローンと聞くと今の若い世代は「35年もかけて返すの」となりますが、親父の時代は「35年かけて返せばいい」と言います。なぜかというと、35年かけて給料も物価も上がり続けていくから、昔借りた借金の額が相対的に小さくなっていくらしいです。それはもう、少しでも早く借金して家を建てた方がいいです。50歳、60歳になってから家を建てようと思ったら2000万ですが、今だったら700万くらい借金をすれば600万で家を建てられるのです。利子を含めて700万、800万の借金は将来給料が高くなってから返せばいい。超絶おいしい話です。だから、正しい働き方とかイケてる働き方について疑問を持たない人が多かったらしいです。どうしたらローンを組めるかというと、会社を途中でやめずに最後まで働き続けそうな人、だから公務員や大企業で働く人ということです。公務員や大企業で働くにはどうしたらいいかというと、いい学校を出た方がいいです。だから、ローンを組むためにはこういう会社に入りたくて、こういう会社に入るにはこういう学校を出るということがめっちゃわかりやすかったらしいです。
もちろん、給料が上がり続けてローンを組めることだけが人生のしあわせではないと思いますが、親父がいつもこう言っていたのです。「おまえらはいいよな。便所からハエがわかない時代に生まれてきてしあわせや。俺らの時は便所に入ったらハエでいっぱいやったで」。確かにそう言われてみると、便所に入るたびにハエやウジ虫を見なければいけない生活が水洗トイレになって、いい香りがして、立ち上がれば流れる時代に変わっていったわけです。その時代を作っていく時に、「自分らしさとは何か」「自分は人と違うのではないだろうか」「自分はもっと個性的な人生をあゆまなくていいのだろうか」ということを思う余地も必要性もなく、そういう人は少なかったと思うのです。
何が言いたいかというと、どうやら経済が成長している時は給料がただ上がっているだけではなくて、多くの人にとって「こうすれば人生はよくなっていくだろう」という「答えっぽいもの」があったらしいのです。この「答えっぽいもの」は「っぽい」というのが重要で、絶対の答えではないと思います。そうではない生き方をしていた人もいると思いますが、大半の人には「こういう生き方をすると人生はよくなる」という答えっぽいものがあって、そこで生まれたものが「みんなで画一的に生き、人生をデザインする」ということだと思います。
だから親も学校の先生も「こうした方がいいんじゃないの」とその答えっぽいものに沿って人生をすすめてきます。親父の人生は本当に見事です。どれくらい答えっぽい人生だったかというと、1983年にトヨタが「いつかはクラウン」というCMを出しました。親父は50年生まれだからまだ33歳の時にこのCMが出てきて、「出世してクラウンを買うのが最高だ」ということで最後、校長先生になった時に「クラウン買ってきたぞ」とクラウンを新車で買って帰ってきて、車庫に入れていつも眺めていたのです。こんなわかりやすい「これが昭和の答えだ」みたいな人生を歩む人がいるのかと思いました。
あと、僕の実家は大きくて立派です。田舎で家が立派というのは超大事らしくて、親父はこれをどうやってピカピカにしたかというと、退職金の大半を使って家の壁を塗り替えて、手前にある土壁の蔵をなおしました。退職金を使って先祖代々伝わる蔵をなおすことがずっと人生の目標で、大学を出て先生になった時から決まっていたらしいです。40年間、「最後はクラウンを買って、家をピカピカにして蔵をなおす」という目標が変わらないってすごくないですか。蔵をなおした時に僕のおばあちゃんはもう亡くなっていましたが、おばあちゃんの妹を家に呼んできて、「おばさん、見てくれ。蔵なおったで」と言って親父はウルウルと泣いていたのです。そして僕にこう言いました。「これでいつでも死ねる。もう俺は何も思い残すことはない」。これが親父の昭和の人生です。
イチローの作文ではないけれど、40年間、目標がぶれないことはある意味すごいけど、今時、そんなことはほとんど無理だと思うのです。親父はがんばったと思いますが、「こうしていけば僕の人生はイケてるに決まっている」ということを僕たちは描けないと思います。なぜかというと、社会が急激に変わって「こうすることが正しい」「こうすることが答えだ」というものがなくなったからです。
このグラフを見てよく大学生と議論するのですが、今の大学生は「失われた20年」と言われるらしいです。「失われた20年」と言われて、自分たちの生きてきた20年は日本の社会や経済がどんどん悪くなってきて、バブルから下がり続けていると思っていたらしいです。でも、グラフを見てほしいのですが、この20年間で日本はどうなったかというと、経済の現在地としてはバブルの絶頂期から全く変わっていなくて、今日に至るまでちょっとずつ上がったり下がったりしていますが、下がっていないのです。つまり、失われたのは日本人の生産や経済活動の能力ではなくて、やったらやっただけ上がるという成長が全くなくなったというのが「失われた20年」でいちばん問題になっている「失われたもの」らしいです。算数でいうところのグラフの傾きがそれまですごい勢いで傾いていたのになくなったということです。この急激な傾きが失われたことによる一番の問題は「これが答えに違いない」という「答えっぽいもの」がなくなったことだと思います。親父は別にバカではないと思いますが、何も考えていないです。40年間、「いつかはクラウン」というCM通りにクラウンを買って、最後は蔵をなおすという人生をずっと設定して答えっぽいものがありましたが、たぶん、それが失われたのだと思います。「自分は何を目標に働けばいいのか」「自分は何を目標に生きていけばしあわせだと言えるのか」という答えがない、それが今、僕たちが向き合っていかなければいけないややこしい問題で、今日のテーマになっていると思います。
■目標を自分で作れるのがグラデーションの時代の魅力
若新さん:
では、今はどんな時代なのかという時に、ネット上を見ていると「これこそが次の正解だ」ということをすごく探している気がします。だけど、何で答えっぽいものがあったかというと、世の中がまだ貧しくて、やったらやっただけ成果が出る社会だったからこそ答えを設定できたと思うのです。今は急激に下がったわけでもなくて、実は日本の社会はだいぶ豊かなわけです。そう言うとすぐに「今の社会が豊かだとか、何を見ているんだ」「貧しい人はいっぱいいる」と言われますが、貧しい人はゼロではないと思いますが、僕らは戦後、いろいろなことを試してきて、この20年間、まあまあ豊かな状態をキープできているのです。だってずっと下がっていないのですから。豊かなところをキープはできているけれど、そこからガンガン上がっていったりはしないという、豊かだけど代わり映えしない時代だということがいちばん問題だと思います。
だから、「環境は快適だけど、何のためにやっているのかが簡単にわからず、人それぞれだ」というのがグラデーションの時代だと思うのです。人にはいろいろなタイプがいて、AかBかではなくて、その間に無限の可能性があります。クラスに40人いたら、男か女かではなくて、いろいろなタイプの人がいていいというグラデーションの時代になっていけることを僕はおもしろいと思うけど、大学生と話をしていると不安でもあるらしいのです。「人それぞれでいいんだよ」と言うと、「じゃ、僕はどういうふうにしたらいいんですか」と逆に不安になってしまうのです。「自分で好きなように、納得いくように、気持ちいいと思う働き方をすればいいじゃん」と言っても「それって何ですか。これであっているんですか」と。
それはやっぱり、世の中の環境が変わってきたと言いますが、ずっと学校では「これが正解です」と教わり続けてきているからです。国語のテストでも四択のうち1個だけが正解なので「正解がないと不安だ」という人がまだ多いのです。人それぞれになった時に起こる現象としては、運も結構、影響してくると思うので、このグラデーションの時代にちょうどいい流れに乗る人もいればなかなか乗れない人もいると思うし、ハマる、ハマらないとかいろいろあると思います。どんな人と出会うか、どんな場所に生まれたかということでも変わってくると思います。
人それぞれがグラデーション的であってもいいという時代の一番の魅力は「自分で創造できる」ことだと思います。親父が何で40年間ブレずにがんばれたかというと、貧しくて蔵がぼろぼろで恥ずかしくて、「この家の蔵をなおして、家を盛り返して立派にする」という使命を与えられたと思ったみたいです。親父は自分自身で自分の生きる目標や生き甲斐を創造したとは言えないと僕は思います。与えられた目標に向かってがんばったことを否定するつもりは全然ないし、目標がどんどん与えられる社会だったららくだと思いますが、どうやらそれがない中で、自分で作れるというのが魅力だと僕は思います。
若新さん:
でも、繰り返しになってしまいますが、それが正しいかどうかがわからないというのがこのグラデーションの時代だと思います。それをいちばん感じた事例をお話します。
2015年に僕は「ゆるい就職」というサービスを企画して話題になりました。週4日休もうというサービスで、3日間だけ働いて最低、食べていける15万くらいを稼ぎ、4日は仕事を掛け持ちしてもいいし、仕事以外のことをしてもいいというものです。正社員で一週間に5日、フルで働くことだけが答えじゃなくてもいいという提案でした。
今だったらこういうサービスや考え方が増えてきているからそこまで批判されないと思いますが、当時はすごく反響が大きくて、「なんだ、その週4日休むっていうのは」「絶対、社会をだめにするプロジェクトだ」「企画したやつは何を考えているんだ」と。そして、このプロジェクトに高学歴の人たちがたくさん集まっていたので「親にせっかく大学に行かせてもらって4日休むとは何を考えているんだ」と。その時のみんなの反応は「週4日休むなんていう形は正しくない」というものでした。
僕は「この働き方が次の新しい正しい働き方です」とは全然言っていません。毎日楽しく働いている人は週7日働いていてもいいわけです。週7日働いている人から週1日くらいしか働かない人まで、本人が納得するならいろいろな形があってよくて、「『形だけが成功』というふうに縛られているとおもしろくない」という提案だったのですが、「こんなのは絶対、間違っている」と。別に僕はこれを「正しい」と言いたかったわけではなくて、「働く形にもう少しいろいろあっていいんじゃないの」という感じでした。今だったら僕が言っていることは受け入れてもらえるのですが。
「#スライド」
若新さん:
それで、みんなで集まっていろいろしゃべるのですが、この「週4日休もう」というプロジェクトに来た若者は「この働き方が正しいかどうか」ではなくて「自分が働く意味は何だろう」とずっとしゃべっているのです。新卒でとりあえず就職した時は「働くものだから」と思ったから就職したけど、今、もう少し立ち止まって、「自分が働いていく意味は何なのか」と。グラデーションがある時代というとかっこいいし、人それぞれ多様であっていいと言いますが、逆に言うと、どれが正しいともいえなくなるので自分が納得いく意味を見つけないといけないのです。意味を見つけられる人は「僕はこのスタイルでいこう」とできるのだと思います。僕はこの点から「なるほど。正しく働くかどうかではなくて、意味を持って働けるかどうかというものがきっとこれからくるのだろう」と感じるようになりました。
こういう仕事をしていると、いろいろなところから「若手社員のモチベーションを上げるにはどうしたらいいでしょうか」という講演やセミナーの依頼が来ます。このころ、そういうお仕事をお受けしたら「本人が自分の仕事に意味を見いだせればがんばって働くと思います」と必ず言っていました。「働く社員一人一人、若手が自分の意味を自由に作れるようにしてあげたらどうですか」と講演したことがありましたが、依頼してくれたほとんどの人が「意味って何ですか」「どうやって意味を決めればいいのですか」と言うのです。つまり、「正しい意味は何だ」と依頼してくださった経営者さんから質問されるわけですが、一人一人にとって意味が違うわけだから「正しい意味」はないわけです。一人一人にとって違う意味をお互いが持つことはめちゃくちゃむずかしいのかなと思いました。
■他人の評価と自分の納得の狭間で悩む
「#スライド」
若新さん:
働く意味を自由に作るとはどういうことなのかという極端な例をお話しします。僕は今、150人くらい全員ニートという会社をやっていて、取締役です。これは今もまだ誤解され続けているプロジェクトですが、これを作った時から考えていたことのひとつは実験です。ニートが増えていると言われているけど、例えばニートたちは何を求めているのか、どういう時にやる気になるのか、彼らが今、何を感じているのかということをみんなで自由に探す実験的な場所としてこの会社をやってみようと思いました。「どうなんだ」とよく言われますが、僕にもこの会社がどうなるかはわかりません。でも、わからないことをみんなで探していくのが僕は好きなのです。「ニートはこれが原因なのではないか」と言う人はいっぱいいましたが、「本当にそれが原因だろうか」とまた中二病が出てくるわけです。それでみんなでウダウダしゃべるのですが、9割くらいはお互いのことをなじりあっていて、ずっと連絡がきていますが「あいつが勝手に資料をアップした」とか、今ももめています。
「#スライド」
若新さん:
彼らはこのぐちゃぐちゃした中で探し続けていろいろなことを見つけていきます。僕がいちばん好きな話があります。最初はいろいろと仕事を受けてがんばったのですが、全然成果が出せなかったり、お客さまにがっかりされることが多くて、メンバーは「俺らはこのままやっていても仕事なんてたぶんできない」と感じ始めていました。その中で一人、「僕たちは仕事をしたことがないので普通の仕事をするのは無理だから、ニートらしく遊ぶサービスをしたらどうだろう」と思い立ったメンバーがいて、「レンタルニート」、秋葉原の駅前で「ニートをレンタルします」という、本当に何の価値があるかわからないサービスを始めました。
「#スライド」
若新さん:
これがもし「おまえなんかクソだから秋葉原の駅前で『自分をレンタルします』って看板持って立ってこい」と僕に命令されてやっていたとしたらとんでもないパワハラです。ポイントは、彼が「何か自分でもやれることはないのか」と探し始めて、好きでこの恥ずかしいことをしているということです。そうしたらすごい反響があって、いろいろなところから注目されて「私もレンタルしたい」となるのですが、彼がおもしろいことを言い出すのです。
レンタルニートがテレビとかでいっぱい取り上げられたので僕もレンタルニートのことを調べていたら、せっかく話題になっているのだから立派なホームページを作ればいいのにレンタルニートのホームページがめっちゃしょぼいのです。「何でこんなにレンタルニートのホームページはしょぼいの」と聞いたら「しっかりしたホームページを作ったらお客さまに期待されるじゃないですか。そうしたら遅刻できないし、楽しませなきゃいけない。でも、あくまでニートなので『もしかしたら楽しいかもしれません』くらいにゆるくしておかないと、期待にこたえられないことが不安だ」と言うのです。
つまり、彼らの本音がひとつ聞けたのです。「働きたいけどお客さまや雇用主に求められる期待にこたえられないことが怖い。期待にこたえられなかったらどうしようと思うのがつらいから、これだったら期待が低いから俺でもできるんじゃないかな」というふうにしたかったということです。でも、一生懸命やるので「結構、喜んでもらえるんですよ」と彼はいつも言うし、お客さまも「案外、楽しかったです」「思ったよりよかったです」と言うらしいです。それで、また注文が入ります。「僕らに必要なのは、期待を裏切らない低いクオリティのサービスだ」と言っていました。めちゃめちゃ盲点でした。だって今、どんなに安く食べられる牛丼屋さんでも机にコップの跡がついているだけでみんな怒るじゃないですか。低いクオリティが許せない社会なのです。だから彼らも期待にこたえなければいけないと焦っているのだけど、「自分で期待値を下げれば俺らでも働ける」ということです。
その後、プラモデルを買ったはいいけど組み立てないまま置いてある人が世の中にはいるらしくて、それもお金持ちで忙しい人が多いらしいです。彼はプラモデルを作るのが大好きだったので、そういう人たちからプラモデルを預かって、金をもらって製作代行するサービスを始めました。この時もクオリティを下げることは大事なのですが、プラモデルのクオリティを下げるのではなく、いつ完成するか約束しないらしいです。いつまでに作らなければいけないとなるとプレッシャーになって仕事になってしまうけど、納期を決めないと楽しんで作れるらしいです。「できあがったら送ります」と約束すると「いつでもいいですよ」と、そもそも作っていなかったプラモデルなので、頼んだ方もいつでもいいわけです。仕事だと思わなくていいから作りたい時に作り、しかも金がもらえて、自分でも写真を撮って「最高だ」と。
彼はこれで月収が2万円くらいになりました。そうしたら「それでどうすんの」「2万円じゃ食えねえじゃん」とみんな言うのですが、「いや、これは僕がやる意味があるんです。ニートの僕じゃなかったら、こんな楽しくプラモデルを作れないじゃないですか」と彼は言うのです。
グラデーションの世界はいろいろな働き方や生き方があっていいのだけど、今までの社会は「白か黒か」「正しいか正しくないか」「正解か不正解か」しかなかったので、そうではない形をしようとすると「そんなんで食えるの。本当に合ってるの」「将来、大丈夫なの」とみんなとやかく言ってきます。でも彼は、「他人の評価は気にならない訳ではないけれど、自分が納得しているかどうかが大事だ」と言っていました。だから、他人の評価が気になって仕方がない人は、絶対に大企業に就職するとか公務員になった方がいいと思います。でも、他人の評価は冷たいし、こまかい所までていねいに見てくれないじゃないですか。彼は「他人の評価もほしいけど、それよりも『これはやり続けられる』とか『これは楽しい』という自分の納得の方が大事だ。それが充実につながる」といつも言っていました。
僕らは今、この狭間で悩んでいると思います。いろいろな形があってよくて、日本社会はバブル期から実は決して下がっていなくて、やろうと思えばインターネットもあって情報も豊かで、どこにでも行けて、何でもできるわけです。なのに何もできないのは、やっぱりそれがあっているのか間違っているのかが気になりすぎているからです。他人の評価を気にしていたら、いつまでも自分らしい新しい形や多様なバリエーションを出せないと思います。彼は「これは俺がやる意味があるんです。納得しているのです」と自分で「意味がある」と言うのだから、もうどうしようもないじゃないですか。先ほどのレンタルニートの看板を持つというのも、はっきり言って端から見たらめちゃめちゃ恥ずかしいことです。「僕、ニートです」と言って駅に立つなんて何かの罰ゲームみたいで絶対、僕はやりたくないです。何で彼がやっているかというと、自分で意味があると思っていて、自分が納得しているからです。別にそれが「新しい」とか「時代を切り開いている」という話ではなくて、自分が納得できれば続けられるし、次の可能性が広がるということを感じました。
■グラデーションの世界は非線形で予測不可能
若新さん:
こういうふうにいくつかの事例を話していく中で、やっぱりいろいろな人から「グラデーションの時代とはいえ、『社会がこういうふうになっていく』とか『このパターンとこのパターンはいいですよ』というだいたいのモデルや方向性は見えてこないのですか」と聞かれます。「答えがないのも、形がいろいろなのも、社会の評価がついてくるとは限らないこともわかりましたが、『いろいろやっていたらこれはイケてる方向だと思います』というのはないのですか」と聞いてくるのです。やっぱり正しそうな選択肢がほしいということです。
「#スライド」
若新さん:
グラデーションの海を泳ぐとはどういうことかという問いを考えていくと、ここから後半の話ですが、僕は非線形の世界に入っていかなければいけないと思っていて、この話をして終わりたいと思います。
グラデーションの世界は「人それぞれでいい」「答えがない」というだけでなく、非線形です。これを今から説明しますが、グラデーションの海をひとことでいうと「はてな」です。見る人から「はてな」というだけではなく、泳ぐ側からしてもはっきり言って「はてな」です。ニート君がレンタルニートというサービスを始めて楽しむことができたのは「やる前からこうなる」とわかっていたからではありません。「何かやってみたら何か変わっていくかも」みたいなもので本人にもわからないし、見ている人はもっとわからない、それが僕はグラデーションの世界だと思います。
でも、親父の人生を見て「あの人は何をしているんだろう」とわからなかった人はたぶんいないと思うのです。親父の人生は公務員で毎日学校に通って担任になり、学年主任になり、教頭になり、校長になり、辞めて教育委員会に入りましたと完璧にわかりやすいです。誰も「おまえの父ちゃんって訳わかんない生き方してるよな」と言わないし、本人にとっても「次はこうなる」とわかりやすかったと思います。
「#スライド」
若新さん:
でも、僕らが泳いでいく、無限に可能性があっていいというグラデーションの世界は、まわりから見てわからないだけではなくて、自分でもわからない。それを非線形の世界と言います。
線形と非線形の話をします。そんなにむずかしくないです。グラフの横軸(X軸)に時間、縦軸(Y軸)に結果を取った時、線形の社会は、基本的にやったら給料とポジションという結果が一定の割合で出ます。親父の人生です。しかも、線形の重要なところは「やったらやっただけ上がる」だけではなくて、「やる前から予測できる」ということです。なぜかというと線形だからずっと続いていくので、グラフはX・Y軸の一定の範囲までしかありませんが、「グラフ外のこの段階でのYの値は」と言われたら「ここらあたり」と予想できます。線形の社会は想像できるわけです。こういう線形の人生を歩むことが安定だと言われていたし、だからローンも組め、借金も確実に返せたわけです。
社会が著しく成長して、ないものがどんどん満たされていく中で線形の社会が描きやすかったみたいで、こういう仕事をすれば確実に儲かるとか、こういう働き方をすれば確実に給料が増えていくということがひとつだったと思います。自分の人生の満足感もそれとともに上がっていきます。親父が家を建てなおす前はボットン便所でハエがわいていて、僕が小さいころ、エアコンは1台しかついていませんでしたが、この前、家に帰って数えたら8台ついていました。親父とおかんは子どもが全員出ていったから11DKの家に二人で住んでいて、二人で8台も使わないのにボットン便所からエアコン8台をずっと上がっていったわけです。若新家のエアコンが増えた歴史をまとめたら、ある日、増えたのではなくて、何年に2台になってと年々増えて、絶対に比例になっています。これが線形の社会です。
では、非線形は何かというと2種類あります。1つはまっすぐではないけど予想できる非線形です。戦後の急激な成長はGDPのグラフではまっすぐではなくて、少しカーブしていますが、一定の割合でどれくらいの角度で上がっていくかがわかるので予想できます。日本の戦後経済は非線形だけど予測できるレベルのカーブで上がっていったらしいです。絶対上がっていくのが見える訳ですから、これはテンションが上がります。これが予測可能な非線形です。
ある日、この上がり続けることが終わってしまったので、「上がると思っていたのに」とみんな不安に思ったらしいです。実はずっとそのまま横ばいの社会が続いていて、僕たちはこれからいろいろな働き方、稼ぎ方、生き方ができると思いますが、給料や仕事の急激な増加が設計できるかというとむずかしいと思います。線形に上がっていく仕事も減っています。もちろん、今でも役所に入れば給料は線形に上がっていくし、そういう時代がゼロになったわけではないと思いますが、グラデーションの社会は非線形で予測不可能なものだと思います。
若新さん:
つまり、絶対に上がり続けるとは限らないし、がんばっているはずなのに落ちる時もあるということです。「(グラフが)3つありますがどれがいいですか」と大学生によく聞きます。いちばんいいのは予測可能な非線形の社会(グラフの赤いカーブ)です。最高です。でも、生涯で給料が13倍に上がることが予測できる仕事は今、なかなかないし、とんでもない人気になります。親父はそういう就職をしましたが残っていません。
線形の仕事や社会はないわけではないけれど減ってきているし、もう1つむずかしい問題があります。それはまあまあ豊かな社会に生まれて、最初からエアコンもついていてスマホもすぐ買ってもらえる子どもが増えているから線形だとつまらないらしいのです。線形の問題のひとつはつまらなさです。ずっと予測できてしまい、しかもこの角度が低くて線形だと全然つまらないわけです。だから、みんな「自分らしく働きたい」「人とは違う生き方をしてみたい」「僕なりのスタイルを見つけたい」と言うのですが、それは急激に予測不可能な非線形の社会になります。
でも、この予測不可能な非線形の時間を過ごせるようにならないと、グラデーションの海を泳げないと思います。そういう話をすると「一応、今のところは安全な線形の人生の方がいい」という人が増えると思います。でも僕はいろいろやってみて、この非線形な感じは思春期っぽさそのもので、思春期の男の子の感情のゆれを感じます。僕はそれを「本当にそのとおりいくの? 」「それ、終わっちゃうんじゃないの? 」「それだけが正しいわけなの? 」という疑問の中で、「非線形だけど何か生まれていく。おもしろいものを見つけられる」という時代の作り方が可能ではないかと思っています。
■成果よりも発見の方が価値がある
「#スライド」(鯖江市役所JK課)
若新さん:
僕の取り組みの中でひとつ事例を話すと、地元、福井の鯖江市で、女子高生だけを集めたJK課というプロジェクトがあります。作った時からいろいろなメッセージを打ち出していますが、今日の説明でいくと、このJK課はまさに非線形なプロジェクトとしてデザインしたかったのです。つまり、彼女たちが市役所に来ることで何かは生まれるのですがどう生まれるかは予想がつかなくて、予想がつかないことに意味があると思います。高校生にだっていろいろな考え方があるし、町をどう見るかもバラバラです。高校生に「こうなってほしい」「こうなるべき」「町にこうかかわるべき」と押しつけるのではなくて、集まった一人一人が自由に町を感じて、好きなように町とかかわっていくことをやりたかったので、当然、非線形にならざるをえないということです。
この非線形なプロジェクトをどう作っていくかというのはむずかしかったです。何がむずかしいかというと、非線形を作ることがむずかしいのではなくて、非線形なものを説明して納得してもらうのがむずかしいのです。「これが正しい町づくりだ」という正解がないからこそみんなで探していくべきだと思ったのですが、これを理解してもらいづらいのです。
僕はあえて非線形になるように、「町づくりなんて考えたこともないし」という女子高生を集めて、特に計画やゴールも立てませんでした。何でみんな計画やゴールを立てたがるかというと、計画を立てて描いたゴールに対して順番にやっていくと線形なプロジェクトになるからです。予想できるから線形なものにはみんな安心します。でも、線形にしてしまうとそれ以外のものを排除しなければいけなくなるから、彼女たち一人一人の考え方や視点にいちいち注目できません。ゴールを決めたらそれに沿う形で進めなければいけないので、彼女たちが「本当にそうなんですか」「私、こっちもやりたいです」「私、それは微妙だと思います」と言い出した時に、「いやいや、こういう計画だから」となってしまうからです。そうではなくて一人一人の声を取り入れて、一人一人が自由に感じるように町とかかわっていきたかったので計画もゴールも立てなかったのです。そうしないと非線形な世界になりません。
あと、「何だ、それ。はてなすぎて怪しい」とさんざん言われました。何が怪しいかというと予想ができないということです。予測不可なことは怪しく映るらしいです。ただ、進めていったら彼女たちは活動を楽しんで、大臣賞をもらい、教科書の表紙になり、最近だと国連で発表して国連本部の会議で評価されて、結果的にめちゃくちゃ成果が出ました。しかも卒業生の8割くらいが福井に残っているらしくて、これは驚異的な数字ですごいです。でも大事なのは、これは僕が線形に描いた結果ではないということです。やっていけばこんな結果になるとは僕は全然想像できなかったし、いろいろ試したからたまたま生まれたという感じでした。
非線形の社会は確かにやり始めはどうなるのかわからなくて不安ですし、「ちゃんと結果が出るの?」という批判もあります。だけど、計画通りにやるわけではないからいろいろなものを排除しないし、彼女たちの一人一人の声も聞けるし、可能性が広がって思ってもいなかったおもしろい結果が生まれるので、僕は魅力的だと思います。新しい生き方や働き方をしたいと言うと、「将来どうなるわけ? 」と親に必ず聞かれます。その時、「思ってもいない感じになるよ」と堂々と親に言ってほしいです。この想定外な感じをどう作り上げていくかがグラデーションの世界のおもしろさだと思います。
彼女たちとどうプロジェクトを進めてきたかというと、「何をやってもいいし、やらなくてもいいし、思い通りにしていいよ」と言っても、「何からすればいいの。何を言えばいいの」と最初はわからないわけです。でも、線形の社会は「明日、こうなる」ということがわかってしまうから、安定していますがつまらないのです。だけど、非線形の世界はおもしろいらしいです。それはそうです。予想していないことがいっぱい起こるわけですから。
そして、これは研究してわかったことですが、わからないからこそおもしろいことを楽しんでいると、非線形の社会はやる前は予測不可能でわからないけど、やるにつれて新しいことがどんどんわかってくるらしいのです。しかも、やってみて初めてわかることが多いです。線形はやる前からだいたい想像がつくから「予想していたとおりになったね」となりますが、非線形だと「こんなことが起こるのね」となり、それがめちゃめちゃおもしろいらしいです。だから、非線形で「はてな」の所を小さい失敗を気にせずに試行錯誤的に楽しんでいくと、必ず発見が連続します。成果が出るかどうかは別ですが、発見が連続することはほぼ間違いないと僕たちは研究の結果からみています。「答えを設定しない」「計画を作らない」プロジェクトはいい結果が出るかどうかの保証はないけれど、発見は絶対連続します。つまり、新しい働き方や生き方をすると、それで給料が増えるとかしあわせになるという保証はないけれど、発見が続く人生になることは間違いないです。「はてな」で非線形だからやってみて初めてわかるわけです。
「#スライド」
若新さん:
グラデーションの世界のおもしろさは、成果よりも発見の方が価値があると思えることではないかと思います。だから、JK課では「成果も出るかもしれませんが、まずは成果よりもいっぱい発見があるかどうか楽しみましょう」としました。たぶん女子高生たちは成果が出たからではなくて、「こんなこともあるのね」という発見が多かったから楽しいので続けてくれたのです。それが続いていくから結果的にいい成果も出たという感じでした。
人とは違う選択肢を選んだり、人とは違うパターンでやっていこうとすると、「本当に結果が出るの?」「本当に稼げるの?」と不安になるし、成果を先に予測したくなりますが、予測できないことをやるからこそ発見が生まれ、発見そのものが楽しくて、彼女たちにとってはやりがいなのです。発見が続いていくことで学ぶことや気づくことがいっぱいあるので、「じゃあ、もっとこうすればいいんじゃない?」と、むしろ新しい成果が出やすくなってきたと僕たちは見ています。
非線形の世界は、線形や予測可能なものに比べるとグチャグチャしていてやる前はわからないのですが、やっていくと必ず小さな発見が続くことはほぼ明らかだと僕たちは思っています。JK課のプロジェクトも周りの人から見て「すごいね」と言われるようなわかりやすい結果が出るかどうかはたまたまで、出なかった時期もあるし、すごく出た時期もあります。だけど、彼女たち、もっと言うと市の職員も僕も発見している時期がずっと続いています。発見が続いていくと、発見と発見が結びついて何かしら形が見えてきます。「こうするとこういうふうになっていくんじゃないか」とぼんやりと形が見えてくるので、非線形だけど発見が続く世界を続けていけば、何か創造されていくというのがグラデーションの世界だと思います。
「#スライド」
若新さん:
やる前はそれが正しい選択肢なのかわかりにくいですが、それを選んだことによって試すことが増えます。当然、小さい失敗もいっぱい続きますが、できるだけ気にしないようにしていっぱい試すと発見が続いて創造されるというのがグラデーションの世界のおもしろさだと思います。それでどう人生を切り開いてくかということですが、「はてな」の試行錯誤を「不安」と思ってしまうのか「楽しい」と思うかの違いが一番だと思います。僕たちはやってみないとわからない状態を基本的には回避してきたと思います。部活でもやってみないと全くわからない練習よりも、確実そうだから昔から先輩もやってきたことをやります。でも、「こういうのもやってみませんか? 」ということをどれだけ楽しめるかということです。
「#スライド」
若新さん:
JK課を作った時に、消防署から「一緒に防災キャンペーンをしませんか」と誘われました。市役所の人は基本的に「今日、消防署に行ったら2時間の中でこれとこれをして、こういう結果を出しましょう」という線形な思想で描きます。だけど、JK課ではあえて行く前にいっさい打ち合わせをせずに、行ってその場で非線形な世界を楽しみます。だから何を言うかわからないし、2時間後、どうなるかもわかりません。
若新さん:
JKの子を連れて行ったら、消防署の人がコスチュームを用意しておいてくれて「これを着てください。どうですか。何か考えましょう」と言われてキャッキャ言っていたのですが、せっかく消防署が用意してくれたのに、メンバーがそのコスチュームが微妙だと思って「えー、こんなことやっても意味なくないですか」と言い出しました。そこで計画があると「いやいや、これを着て今からこれをするから」となるわけですが、計画がないから何でもありです。それで「そのコスチュームを着るのがいやだったらどうしたらいいの」と聞いたら「消防車を出動させたい。そこにあるじゃない」と言い出しました。「大丈夫かな」と思って消防署に聞いたら「日を改めたらできます」となって、地元のショッピングセンターの店長が「うちの駐車場を半分封鎖していいのでどうぞ」「やったー!」となりました。「消防車に乗って何するの」「ハシゴ車に乗って町を一望する」「一望するだけだと意味ないから、スピーカーを持って『火の用心』って叫ぶみたいなのやろう」と言いだして、計画には全くなかったことを楽しみだすわけです。ここで「それはどういう結果になるかわからないから、どうなの」となると進められないので、結果はやってのお楽しみということでとりあえず消防車に乗って「火の用心」と叫んでみました。
こうやって続けていくと、まわりで見ていた人たちも「なんかおもしろいな」となってきます。別にこのプロジェクトによって鯖江市の火事が減ったとは思わないし、そもそも火事を減らすことが目的ではなく、今までになかった関係や町のおもしろさや魅力を作るのが目的なので答えがないわけです。答えがないのだから探してみるしかない。そのためには線形な計画に縛られずにやっていくと、先ほどお話ししたとおり、絶対、何か気づくのです。
この一連の流れは優秀でクリエイティブな女子高生たちだからできたと思いますか。その辺の高校生を連れていったから行われた会話です。トレーニングして、デザインシンキングして、プレゼンテーションの手法を学んだからこの発言が出たのではなくて、「意味なくないですか」「消防車を出動させたい」と言っているだけです。でも、自由に解放された環境の中で試すからいろいろわかってくるのです。
「#スライド」
若新さん:
最後のひとつですが、地元の自衛隊の基地から「自衛隊員は全国から赴任しているので地元に知り合いが全然いないから、若者と交流したいので何か一緒にやりたい」という相談がありました。これも行く前に打ち合わせをせずに行ってみると、メンバーが「いやー、ちょっとその制服が微妙ですね」と自衛隊の人に言うわけです。別にデザイン思考でもなければ何でもなくて、その場で思ったことをただ言っているだけです。「服務規程がきびしいので脱げないのです」「じゃあ服を脱げる時間に会うのはどうですか」となり、勤務時間が終わった後、夜に自衛隊基地の中でパーティをしようとなり、自衛隊員がなぜかJKの前で私服を披露するという意味がわからないファッションショーが企画されて、私服もズボンは迷彩だったというのがオチでしたが、めっちゃ仲よくなっているわけです。そんなことは市役所の中で事前に考えていても思いつきません。行ってしゃべりながら、その中で「どうします?」と自由にやりとりしたから「そんな方法があるのね」と誰も想像していなかった結果になったのです。
その学びを蓄積していくと、「彼女たちは大人をこういうふうに見てるんじゃないか」「実は地域の中にはこういうおもしろい可能性があるんじゃないか」ということが少しずつわかってきます。ずっとあてずっぽうでやっているわけではなくて、発見を続けていくと結果的に学ぶことがあり、「これが私たちのやり方かな」「これがこの町のスタイルかな」「これが私の描いてきた人生の形かな」というものが少しずつ見えていくと思っています。
■スタイルを作るヒントは自分の癖
若新さん:
質問をいくつかいただいています。
「黒色の素敵なカーディガンは女性ものですか」。
これは男ものです。僕は身長が179センチあるので、女性ものは着られないので男ものです。僕はオスかメスかといったらはっきりオスですが、思春期くらいから中性的な服が好きです。男はこういうもの、女はこういうものを着るべきということに対しても納得がいかないだけです。だから「こういうのもありじゃん」という中性的な服が好きです。中性的なスタイルはよくわかりにくいというか、何で「男らしい」「女らしい」というのが支持されてきたかというと、いいか悪いかは別として、どういう役割をするかが明確で、結果も予想しやすいからだと思います。
「答えはもうないと気づきながら答えなければいけないという狭間に生きている人は苦しい感覚があると思います。私たちにできる答えへの抵抗のようなものはあるのでしょうか」。
答えはないと思っているけれども、きちんと答えなければいけないという狭間で悩んでいるということですね。「答えを出さなければいけない」といちばん縛っているものは自分自身な気がします。もちろん職場の上司や先生や親も「ちゃんと答えを出しなさい」と言ってきますが、僕が実際にやってみてわかったことは、自分自身があまり答えに縛られなければ、それなりに答えがないという試行錯誤をすることはできる気がします。
なぜかと言うと、話は少しずれますが、なんだかんだ言って日本の社会は雇用も生活も保証されているから、答えがないことを試行錯誤して、失敗しても世間の評判的にはアウトになるけど、いきなり生活できなくなるとか死ぬとかはないと思っています。それが今の、成長は終わったけれど成熟していていろいろ試せるグラデーションの時代のいいところだと思います。答えではないことをしてしまったとしても、もう二度と復活できなくなるかというと別にそうではなくて、ちょっと蓄えがあれば試せるし、場所を変えればいいのです。だからいちばん邪魔をしているのは、「正しい結果を出さなければいけない」ということに自分が縛られていることで、それは僕自身もそう思うことがあります。
「自意識過剰でナルシストの若者でいらっしゃったとのことですが、たとえそうであってもご自身を上手にコントロールされていると思います。それはどのようにしたらできるのでしょうか」。
最後の質問ですが、これは重要なところかもしれません。
僕は「自意識過剰だ」とよく言っていますが、何かというと、人には自分の癖みたいなものがあると思うのです。世の中のAかBかという選択肢とは別に自分ならではのスタイルを作っていくうえでヒントになるのは、自分自身が結果を持っているものがいちばん自分なりの形を作るのに近く、僕はそれは癖だと思っています。グラデーションが認められていなかった「AかBかCのどれかを選びなさい」という時代には癖はマイナスでしかなかったと思います。「思春期を早く終わらせろ」というのは「癖がある人間になるな」ということで、癖が強くなりすぎると、就職する時にA、B、Cというパッケージにはまらない訳です。3つしか用意されていないパッケージのどれかにスポっとはまれるように、癖をなくすように僕たちはずっと言われてきたと思います。だから、癖そのものが悪いというより、選択肢が少ない時代に癖が合わなかったという気はします。
それが、今日のテーマでいうと、答えはわからないけどいろいろな形があっていいのだから、癖は無理して隠さなくていいし、癖が結果的に自分の形につながっていく、と発想を変えるしかないと思います。小さいころからの自分のキャラや癖は簡単に変えられないから、それを我慢しておさえようと毎日意識するより、むしろ自由に出せるようなスタイルで稼げる方法や楽しんでいける方法を見つけた方がストレスがなくなっていきます。
結構、みなさん、自分の癖はわかっていると思います。なぜかというと、癖があることによって会社や集団にうまくなじめなかったり、続けづらかったりということが何かしら人生で一個はあって、それが自分の癖だとわかっていると思います。それをどう隠すか、どう減らすかをみなさんはずっと意識してきたと思いますが、それと自然に向き合って、自分を出していてもやっていけるような形を探せば、自分の中の形が見えるのではないかと思います。ただ、癖を隠さずに出した人生がどういうものであるかがやる前には想像できないということがグラデーションの世界なので、流れ着くところはわからないということです。癖を出してみると毎日、新しく見つけることや学ぶことが多くて、「今までは隠さなければいけないと思っていたけど、これを言うことでこんなことが起こるんだ」「こんな出会いがあるんだ」とおもしろいと思います。でも、それがどこにたどり着くかはやってみないとわからなくて、いろいろな変化の中で「こういう所に来るんだ」と非線形の結果に結びつくことを怖がらなければいいと思います。
自意識過剰というキャラを認めようと思ったのはいつかは忘れましたが、たぶん20歳くらいから「隠すのはつらいな」と思い始めました。「僕は全然、自分のことは好きじゃない」と言いながら、「あいつ、実はめっちゃナルシストだ」とバレている人は職場にもいるじゃないですか。あれがいちばんダサいと思っていたので、「もう隠さずに出していこう」と。自意識過剰な自分を出すことでどういう仕事に就けるかははっきりわかっていませんでしたが、それを自然に出す方が自分が楽しめる時間が増える気がしたし、自分にとって心地よいチャンスが増えるのではないかと思ってやっていった結果が今という感じです。ありがとうございました。
第2部
フェリシモ:
私は2001年に株式会社フェリシモに入社しまして、今年で18年目になります。ふだんは組織人材開発グループというところで、今日のテーマであるグラデーションの海をどう作るかという仕事に携わっています。といいましても、実はこの3月に部署移動したばかりでして、まだ人事の仕事は勉強中です。今日は素人発言もしながら若新さんにいろいろとお話を伺いたいと思っています。プライベートの話も少しさせていただきますと、子どもが3人おりまして、中1、小3、小1です。いちばん下の子が産まれた時に、弊社でおそらく男性でふたり目となる育児休業を取得した経験もございます。ふだんはずっと子どもとサッカーをしています。小学6年生から中、高、大学とずっとサッカー部でしたが、そういったところもあって、「強いチームとはどんなチームだろう」「いい組織とはどんな組織なんだろう」というのは僕のライフテーマになっています。今日は会社の組織だけではない部分でもいろいろとお話を伺えたらと思っておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
早速、第1部の流れの中からいくつかお伺いしたいことがあります。「ゴールも計画もなくていい」というところで、管理職や経営層、ましてやJK課は役所の方々とされていたと思うのですが、そういったどうしても答えを求めてしまいたい人たちのマインドセットにどういうふうに気をつけられていたのですか。
若新さん:
僕にとっても意外でしたが、自治体さんとの仕事は結構、どれもうまくいっているというか、あまりストレスはないです。なぜかというと、僕がいちばん組んで一緒に仕事をしやすいのは市役所の人でむしろ相性がよく、それがうまくいった理由でした。
ありがちなのは「それは古い方法だからあなたたちは古い」と確実に計画やゴールを導く人たちのことを否定すると、言われた方も「俺たちが今まで作ってきたのに」と腹が立ちます。でも僕の場合、非線形であってもプロジェクト自体は進めていくので、計画やゴールはなくても準備をしたり、物事を推進したり、とんでもない問題が起きないようにフォローしてくれたりということは、職員の人は得意だったのです。だから、もともとその人たちが持っている能力で、僕がやろうとしていることにぴったりな部分を尊重して、それを絶賛するくらい絶賛していました。
若新さん:
例えば、女子高生を集めて、最初に記者会見をしました。これはたいした話ではないけどおもしろくて、大問題を起こさない限り、市役所はいつも決まった部屋で定例記者会見をしているのですが、JK課で話題になったから、市長にノリで「テレビで見るように後ろにパネルを張っていかにもみたいな『ザ・記者会見』をしましょうよ」と言いました。「記者会見っておもしろそうじゃないですか」「どこでやるのですか」「ホールとか借り切ってやりましょうよ」となりました。ホテルとかでしている記者会見は特別にやるものらしいので、市役所はしたことがなかったらしいです。普通だと、そういう記者会見はしたことがないから、それを線形にデザインしようとすると止まってしまうのですが、僕がある程度おもしろそうな絵を描きます。それに対して、「どういう机が何個いる」「カメラはどこに置く」「受付をどうする」「準備は何時からする」ということも付随してくるわけで、そういう部分は職員の人はめちゃくちゃ得意でした。大きな会場に高校生を集めて盛り上がるか、どんな質問が出てくるか、どんな空間になるかわからないという部分は非線形にやっていくのですが、何時に会場を開けて、何時に机をセッティングして、控え室をどうしてという話は、むしろきっちり準備した方がよりその「はてな」な空間をしっかり運営できるのです。グチャグチャしたグラデーションの世界を支えるベースはきっちりしている方がよいので、その役割分担をしっかりやりました。だから、答えが大事だという堅い世代の人に「ほっといてくれ」と言うのではなくて、「僕たちは楽しんでやるけど、ヤバいとなったら超助けてほしい」「形が見えてきたら応援してくれませんか」という感じがいいと思っています。
フェリシモ:
その話をお伺いして思ったのですが、若新さんは「違い」についてもよくコメントされていて「違うもの同士がわかり合って1つになろうというのではない」ということを言われていたのが印象的で、それについてもう少し詳しくお伺いしたいです。
若新さん:
わかりやすい事例でいうと、市役所のおじさんとJKはいちばん違うわけです。よくないのはどちらかをどちらかに合わせることです。多いのは、職場体験とかで高校生がやる時は大人側に合わせるわけです。違いがあるとストレスがかかるし、予測不可能になりやすいし、混沌としやすいからですが、違うに決まっています。その違うはずのものをどちらかに合わせることで違いを少なくするのが職場体験やインターンだと思います。何でどちらかに合わせるかというと、「やり方は1個であるべきだ」と思っているからだと思いますが、明らかに違うという状態にしておくことの方が僕はずっと大事だと思っています。若手が上司に対して「これからはこうすべきですよ」と言う時に「俺たちのやり方の方が正しいし、時代に合っている」と引き込もうとするのはむずかしいと思います。それぞれ違うやり方や考え方があって、管理職には管理職の価値観やスタイルがあります。それを違うものと認めた上で「僕たちはこういうやり方でやってみるから、助けてほしい時には力を貸してくれませんか」「僕たちは自由にやるけど、この辺は苦手なので固めてくれませんか」と、違いを生かしあう役割分担が大事だと思っています。
フェリシモ:
知り合いで「違いを『受け止める』と『受け入れる』をわけて考えなさい」と仰っていた人がいて、そういう意味で言うと、「こういう違いもあるんだな」と違いをまず受け止めると。
若新さん:
そのまま入れてしまうわけではなくて。
フェリシモ:
「自分に合う、合わないを含めて、入れるかどうかは後で判断したらいい」ということを仰っていて、まさにそういうことなのかなと。
若新さん:
そうです。女子高生たちはお菓子を食いちらかしてしゃべって帰るのですが、よくあるのは「あの子たちはダメだよね。いくらいいアイデアが出ても最後にお菓子のゴミも捨てていかない」と言う人が今までいたわけです。お菓子のゴミなんか別に大人でも捨てられるし、市役所の職員が捨てるからいいのです。好き放題しゃべり散らかすのが高校生の役割で、その後、ちゃんと会議室を元通り、明日も使えるようにしておくのが管理する人の役割です。これを「自由にしゃべるのもいいけど、お菓子のゴミも捨てようね」「両方やりなさいよ」となるからつまらなくなるのです。関係ないようで関係あると思うのは、「お菓子の袋を絶対捨て忘れてはいけません。食べ終わった後は机をきれいにしましょう」と言われたら、人間というのはそんなに上手にできていないから、そう言われ続けているとしゃべり方も考え方も「散らかしたらいけない」「終わったら片づけなければ」と絶対なると思うのです。人間はコンピューターみたいに「こっちはゆるく」「こっちは堅く」と作られていないから影響すると思います。気分があるじゃないですか。ゆるい空間ではゆるくしゃべれるし、堅い空間では発言も緊張して自由になれないのと一緒です。だから、自由に発見的にしゃべって楽しく帰ってもらうことと、その後散らかった場所を片づけることは明確に分担して、得意な人が片づければいいと思います。あとでちょろっと僕が「みんなが食い散らかした後も職員の人がきれいにしてくれるからいいよね。みんなラッキーだよね」と言うと「あ、そっか。ありがとう」と、それくらいのフォローはしていましたが。
フェリシモ:
なるほど。少し違う話をさせてもらいますが「ゆるい就職」というお話の中で、働き方はいろいろあるということで思い出したことがあります。同じくらいの年齢かと思うのでご存じかどうかわかりませんが、昔、「風雲! たけし城」というテレビ番組がありました。その中の「キノコでポン!」というゲームをみなさん、ご存じですか。でっかいキノコに人がしがみつきながら下が池みたいな所をグルグル回ってスタートからゴールまで落ちなければマルというゲームですが、昔、会社に対してそうやって落ちないようにしがみついている自分がいて、働き方に対してそういうものだと思っていました。ある時、「そうではなくて、僕がいて、そこに会社や家庭、プライベートがある」と思えた時がありまして、働き方を考えるのは大事だと気づいた時期がありました。そういうこともふまえて、今、弊社ではキャリアデザインシートで毎年、「あなたらしい働き方」を考えてもらうような機会に取り組んでいます。実際、そういうことをしている会社はかなり増えてきていると思いますが、時代背景とかに関して若新さんはどう思われますか。
若新さん:
みんな落ちたくないと思っているから、落ちてみてもいいし歩けるけど落ちられないということですよね。
フェリシモ:
そうです。
若新さん:
落ちられないことによってしがみついているから、なかなかそれ以外のパターンが見えないということはひとつあると思います。例えば、リアルに「目が覚めたら下が100メートルくらいの屋上の棒にしがみついていて、手を離したら落ちて死ぬ」だったらしがみつきます。でも、僕たちは手を離したら死ぬわけではないけど、どこかで手を離したら死ぬというような気持ちにさせられているわけです。僕はそういうことになっているのはなぜなのかと考えるのが好きです。就職活動の時も受かればいいですが「落ちたら死ぬ」みたいな感じになっています。屋上から手を離したら落ちて死ぬのは本能的にも知っているし、テレビでそういうシーンを見ているからわかりますが、「就職活動がうまくいかなかったら人生が終わる」は自分が体験したわけではないのに、「する前にそんな気がすごくする」ということです。
だから、何本か用意したものにしがみついている状態というのは、世の中、すごくよくできていると思っていて、しがみつく棒をメンテナンスしておけば下の広場は整備しなくてすみます。「無限に広いフィールドを整備するのは大変だから、世の中のしくみを作っている側は何本かつかまりやすい棒を用意してメンテナンスしている」ということを僕はいつもまわりくどく考えるのです。「何で落ちたくないんだろう」と思った時に、実は落ちても何も問題は起きないけど、落ちるとまずいというふうにさせられていることによって、しがみついてほしい人にしがみつかされているのではないかといつも考えていたのです。
そう思うと、しがみついているのが悔しくなってきます。言っている意味はわかりますか。本当はしがみつくのをやめても何も起こりませんが、いつも誰かが落ちたこともないのに「落ちたら終わるよ」というルールを言っているのです。そう言われ続けているからみんなしがみついているという状態を僕はくやしいと思っています。だから僕はだんだん腹が立ってきて「絶対、手を離してやる」と。そう思っているからこそ、手を離した後の人生について自分で責任をとれるし、始めていけると思うのです。「手を離してみてもいい世界があるよ」「手を離してみればこういうプランがあるよ」と言ってしまうと、みんな、手を離してもちょうどいいような受け皿がある時を待つのです。ごめんなさい、ややこしい話で。
フェリシモ:
いえ、全然。
若新さん:
そういう人はずっとなんだかんだでしがみついているし、しがみつくのをやめて落ちたところがいいかどうかの見極めはむずかしいので、結局、ずっと「ま、いいか」と。「やめたらもっといいかもしれないけど、その可能性は確かではない。だったらずっと今までのやり方にしておこう」という保守的な考えでは手を離させるのはむずかしい気がしています。
そうではなくて、「このつかまってるということが悔しい」と思った瞬間に離すことそのものが大事で、「手放してみることがおもしろいんだ」とか、手放してみて初めて「みんな手放していないから、手放す世界を知らないのでは」という喜びがあるのです。手放して落ちたところにもっといい選択肢が待っているかどうかは僕にとってあまり重要ではありません。
言いたいことがわかってきました。今、正社員という働き方について「正社員なんてもう古い。正社員よりもっといい選択肢がある」というメッセージを言う人が多い気がしますが、それはうそだと思います。正社員の方がいいかもしれないじゃないですか。僕はただ「正社員の方がいい」みたいなものにしがみついているのが悔しいだけです。
フェリシモ:
結局、一人一人が自分でどう考えて、判断して、学ぶかというところです。
若新さん:
そうです。放してみて「正社員の方がよかった」となると、放した状態も知っているわけだからもう一回しがみつく理由も納得がいきます。「下に落ちてみて死にはしなかったけど、こっちの方が穴からチュルチュルとおいしい蜜が出てくるからつかまっている方がよかった」と言えるようになります。訳もわからずつかまっているのか、つかまっている理由がわかってつかまっているのかは全然違います。
つかまるのをやめたことがないにもかかわらず、つかまっている方がいいに違いないと思わされている状態が悔しいのです。だから、「放すともっといい選択肢がある」「多様な働き方をすると人生が豊かになる」ではなく、理由もなくやっていることは一度やめて、理由をもう一回、確かめることが大事です。だから、いろいろな選択肢を提示することは、意外と有効ではない気がします。「こんな働き方をしている人がいます」「彼はこういう生き方をしています」と選択肢を見せても、「どれだったら自分は成功するかな」としがみつく考えになってしまうと思います。
フェリシモ:
会社でもロールモデルという言葉がはやっています。
若新さん:
いい話になってきました。ロールモデルは疑わずにしがみつかせておくためのしくみです。疑われるとめんどうくさいから、今まで組織はしがみついているものを疑わせないように疑いをなくすことが大事でした。だから、これからの組織は覚悟がいります。一回、手を離してまたしがみついてくる人は、疑わずにしがみついている人とは違う覚悟で戻ってくるからです。それを受け入れるようになった時に、組織は初めて強くなるような気がします。
フェリシモ:
なるほど。
「#拍手」
若新さん:
拍手が出ています。ハハハ。
フェリシモ:
しがみつく意識を持ってしまうのは、家庭環境や家庭教育も関係してくるのかとも思います。
若新さん:
今日はいい場所だからあえて関係ない話もしつつ行くと、「どんな家庭で育ったのですか」とよく言われます。僕は本当に公務員一家で、バカになるから9時に寝てドリフとバカ殿様は禁止、ゲーム禁止、マンガは買ってもいい数が決まっていて、テレビは9時まで見ていいけれども番組は決めたものを壁に書いて、それ以外の番組を見たらおばあちゃんがチクるという制度でした。しがみつかされまくっていて、「しがみつく必要はない」という自由な教育を受けてきたわけではないのです。だから、僕の場合は自由によってではなく不自由によって自由になっていて、ひとつは「マジかよ、何でだよ」という「疑問」です。「何でバカ殿はいけないんだよ」「何でドリフを見ちゃいけないんだ」と、僕は、何が理由かわかりませんが、疑問を持つことがどんどん突出していったと思います。だから、単に「自分で納得するように決めればいい」としておけば自由でいられるかというと、そうではないと思います。
少し高度な話になりますが、自分が疑問に思っていることを言語化して、伝えて、聞いてもらうことが重要だったのではないかと思います。つまり、「何となく疑問を持った」「何となくストレスを持った」時に、何かがわからなくてイライラしたままなのか、「俺はこれが納得いってない」と誰かに伝えられるまで言語化したかは違うと思います。このトレーニングをすると、自分の疑問や不満を頭の中で構造化できるようになりますが、イライラするだけだと窓ガラスを割るだけです。「暴走しよう」となるのか、「何か新しく工夫しよう」となるかは、イライラや納得がいかない感じを頭の中で理由があるものに変られるかどうかです。僕は大人としゃべるのが好きだったので、学校の先生をつかまえてウダウダしゃべっていました。「よくしゃべるやつだな」と言われましたが、しゃべることを通して自分が思っている気持ち悪さや納得のいかなさをいちいち言葉にするトレーニングをしていました。しゃべっていなかったら、単なるイライラに変わっていたと思います。しゃべりながらわかってきましたが、自由でも大して自由ではない人の理由は、ストレスを言語化していないからかもしれません。「好きなようにしていい」「好きなものを見ればいい」「自由だからしがみつかなくてもいい」となると何も考えなくてすみます。そうすると「今、こういう疑問を持っている」「俺は本当はこうしたいかもしれない」と問う機会がなくなるかもしれません。
フェリシモ:
そういう意味でいうと、僕は24時間営業のファミレスは大事だと思ったことがあって、何にも考えていない学生の時に、友だちと集まってしょうもないことを「あれについてはどう思う」「これについてはどう思う」と答えはないのですがみんなでしゃべりまくる時間がありました。僕にとっては大事な時間で、なんの教養もない話をしているのですが、言語化するのは大事だと思っていて、それにつながるお話だと思いました。
若新さん:
だから、組織も若手社員に対して「制限しないから自由にやりなさい」はうそだと思います。制限しない社会もないです。どれでもOKとはいかないし、結局、売り上げを上げなければいけません。だからこそどうしても生まれてしまうストレスや制限、わずらわしさについて言語化するのです。起こっている問題をなくしてしまうのではなくて、それを形にして表明していいとすれば、それを社員同士で話して、答えてあげられることで自由さが生まれると思います。
お客さま(質問1):
会社がイライラとかをどのように受け入れるかというお話でしたが、社会がグラデーションや人とは違うということをどのように受け入れたらいいのでしょうか。
大学の職業訓練校化はグラデーション型社会の対極にあると思うのですが、日本社会は本当にグラデーション型の生き方を受け入れるのでしょう。
若新さん:
なるほど。大学の職業訓練校化という意味でいちばん言われているのは、言い方はあまりよくないですが、昔からあった大学ではなくて、歴史が浅かったり偏差値が低い大学が基本的に職業訓練校化されているということです。なぜかというと、大学の存在意義をわかりやすい形で見いだしたいからだと思います。就職先や就職率がいいと価値を明確にしやすいし、入る人も増えるからです。ほとんどなまえを書いただけで入った大学でもいいところに就職できたとなると「大学に行った意味があるよね」と。
はっきり言って、もともと大学の出口は就職ではなかったので、今でも高偏差値の大学は存在そのものとしては就職にそんなにこだわりません。でも、大学進学率がめっちゃ増えて、とりあえず今、ふたりにひとりが大学に行くので、「大学に行ったのだからいいところに就職しなければ意味がない」とか「それくらいの偏差値の大学だから、せめて就職くらいよくしないと『大学に行って何をしていたのか』ってバカにされちゃうよ」という親や周りの人たちのメッセージによって、就職という出口に照準を合わせなければならなくなると思うのです。あまり勉強せずに、とりあえずなまえを選ばなかったから大学に行けたという子が、親戚の集まりの時に「何々くん、大学どこだったっけ」「なんとか平成国際産業大学です」「聞いたことないなまえだな」となった時でも、「でも、ちゃんと就職活動してなんとか商事に入りました」と言うと「すごいやん」となるじゃないですか。でも、その時に「大学生活はどう? 」と聞かれて「毎日、思いに耽ってるかな」ともしその子が言ったら「もう、こいつダメやな。名もない大学に行って思いに耽ってる、バカじゃないのか」となってしまうわけです。思いに耽っていればいいというわけではないけど、投資したことに対して明確な出口があることがいいと思いすぎていると、「就職という出口でちゃんと結果を出さないと」ということになると思うのです。
大学の価値は、それこそ学問というのはまさに「学ぶ」「問う」ですから、「問いを持つことができるかどうか」です。少なくとも身内にはそういうメッセージを投げかけてあげるといいのでしょう。「ちゃんと答えを出せるの? 」「ちゃんとゴールに出られるの? 」ではなくて、「どう物を考えられるようになったのか」「どんな問いを持てるようになったのか」というのが学問だと思います。
お客さま(質問2):
こちらから見てキャラが濃くて、仕事上失敗を繰り返し、是正が見えなくて外された正社員がいます。本人がどう思っておられるかわかりませんが、かかわり方に困っています。それは無意味なことなのでしょうか。
若新さん:
職場の中にキャラが激しくて外された人がいて、どうかかわっていいかわからないと。
お客さま:
なまえは知りませんが大学のご出身だと思います。テスト系は得意で資格もいっぱい持っています。だけど、実際のお仕事はどう指導や助言を受けてもやり方を変えなくて、失敗を繰り返して、あげく上司が外してしまって、今、本当にポンと外されていらっしゃるのです。26歳で男の人です。
若新さん:
仕事はざっくりいうとどんな内容ですか。
お客さま:
コミュニケーションが必要な仕事です。お客さまと対話をして成果を生むような仕事です。だからコミュニケーション能力がはっきりいってないのです。
若新さん:
なるほど、ちょっと内気ということですね。でも、試験は取れるわけですから、別に得意なことはあるのですよね。
お客さま:
試験は得意なので、そちらの仕事だったらたぶんいけると思うのですが、たまたま当部署に配属されて全く無理なのです。それで上司も外してしまったけど、移す先がないのか何なのか動かないのです。
若新さん:
本人はどう振る舞っているのですか。
お客さま:
不思議なのですが、パソコンがダーっと並んでいて、私たちが仕事をしていてふと顔を上げると、本人はお仕事が目の前にないのでミーアキャットのようにきょろきょろしています。私一人ではなくて、みんなが「必ずミーアキャットしてるよね」と言うのです。「何もすることないんよね」「かわいそうといえばかわいそうだし、でも身から出たさびというか、今のこの職場では無理だし、どうしたらいいんやろうね」「本人がどう思ってるかわからへんから何とも言われへんし」と。空気は非常によくないです。
若新さん:
なるほど。少し話がずれるかもしれませんが、今、採用に関してニーズはめちゃめちゃ多いですが、ひとつ、めんどうくさいズレが起きていると思います。
戦後の経済成長の中で、手が汚れないとか怪我をする可能性が低い仕事の方がいいということと、効率的に生産性が上がって給料も上がるということでデスクワークはいい仕事だということが出てきました。だからとりあえず入った大学が職業訓練化されていると、出口としてデスクワークにつけるような訓練を受けるということになり、たぶん彼もデスクワークができる訓練や資格をめっちゃ受けたと思います。思うに、親父が働いていた時代は伝票をチェックする、書く、流す、まとめる、ホッチキスを押す、印刷するという仕事が結構、あったはずです。でも、近年は「大学でこれをとっておけば就職できる」と思われるデスクワークにつながる仕事が相当機械化やプログラム化されて減ってきています。
今、オリンピックも近いし、外国人も来ているし、就職口はいっぱいあると言われていて、まだ機械化されていない人間と対面して調整する仕事がめちゃくちゃ残っています。だから、彼がもし自分にあった事務の仕事を探せば働けると思いますが、何も考えずに就職活動をすると、実際に職場で求められている「窓口でお客さまに対応する」「案内をする」「問い合わせに答える」というまだ完全にオートメーション化できない仕事に配属されがちだと思います。誰がどうするのかむずかしいところですが、正義感を持って立ち上がり、その子の親にも会いに行って、「こういう時代だから、あえてもう少しがんばってデスクワークができるような仕事に転職した方がよいのではないですか」と教えてあげるのもひとつですが、これもまた悲しいことに、資格を取ったら就職できると思われていたデスクワークが機械化されているから、それでもある事務仕事にはめちゃくちゃ高度な仕事か、絶対にミスを許されないような仕事しか残っていないのです。それはそれで今度は求められる水準がすごく高くなってきます。無理でも人間関係を作るということになるでしょう。きっと、人としゃべるのがもう無理そうな子なのですよね。
お客さま:
私たちとしゃべっていてもあわないです。ましてやお客さまや外の人としゃべるのは無理です。
若新さん:
乱暴なことを言うようですが、方法はもうひとつあると思います。無理して人とかかわるような仕事をしなくても、今、工場で段ボールを左から右に運ぶとか、段ボールを閉めるという仕事もめちゃめちゃあります。ある程度オートメーション化されていますが、それでもやっぱり人間が運ばなければいけない仕事もあるし、みんなから「この子は何をしているんだろう」と思われる中で辺りをきょろきょろ見回さなければいけない仕事をするくらいだったら、そちらの方がらくかもしれません。作業服を着る仕事も今は相当安全化されているので、昔と違って簡単に指が吹っ飛んでいったりとかはしません。エアコンもきいています。
結局、大学を出たということで、親が工場に就職することを嫌がるのです。これはこれで変な縛りが生まれています。人によってはガムテープをバっと貼って、伝票をパっと貼ってこっちに渡すとか、トラックから降ろしたり積むという仕事が気持ちよくできて、仕事もめちゃくちゃあるのに、「大学まで行って、簿記とか管理者なんとか認定とかいっぱい資格を取って、何で工場で段ボールのふたを閉めるの」と親が言うので無理にそこで働かなければいけないと思わされていることも悲しいかもしれません。大学を出て資格を取ったのだからこういう仕事でなければいけないと思うことも、また、苦しめている気がします。ずっと座って、給料をもらって、左右を見るだけの仕事は逆につらいです。でも、会社はたぶん簡単にクビにできないから置いているのです。いろいろ労働問題とか言われていますが、日本社会の実態は全然クビにならない社会です。だから堂々と合っている仕事を選べるようにした方がいいと思います。「こういうキャリアを歩んだ、こういう大学を出た、こういう資格を取ったんだからこういう仕事に就くべき」というモデルが邪魔をしている気がします。
お客さま(質問3):
何にでも疑問を感じ、しかも答えはないという前提で事象に向き合う、これを続けていて若新さんは心がもつのでしょうか。病みそうな時に対処法があるのでしょうか。
お客さま(質問4):
若新さんの若さの秘訣を教えてください。
若新さん:
なるほど。質問された方からすると、疑問を持って試してみることはすごくストレスがかかることだと感じるからでしょうね。僕の考え方は、いろいろなぜいたくができる時代になってきたと思います。今、消費が盛んでないのは、みんなの稼ぎが下がってきて昔ほど買い物をできる豊かさがないからだとよく言われます。でも、グラフを見ると買い物をマックスにしていた時代と稼ぎは何も変わっていません。では、なぜみんなが買い物を楽しめなくなったかというと、もっといい物や新しい物が次々と出てくるから、物を買っても快感がなくなっているからだと思います。スマホをひとつ買ったら2年くらいハイスペックのままだから、もういらないじゃないですか。僕たちの時はまだ「いい音がするコンポがほしい」「電池が長く持つウォークマンがほしい」というものがありましたが、スマホひとつでほとんど満たされます。ご飯も一食500円でまあまあおいしいものが食べられるので「今日もまた500円の飯しか食えてない」とも思わないし、栄養失調にもなりません。まあまあ快適な所に住んで、まあまあおいしいものを食べて、まあまあいい情報を得て、ベースはほとんど得られていると思うのです。
だからあとは何がぜいたくかということで、僕が時間をかけて感じたことをかっこよく言うと、やっぱり哲学をしていることが成熟した社会の中で人間にとっての究極のぜいたくだと思います。それに気づいた時、「超ラッキー」と思いました。だって、始めればもう哲学じゃないですか。超絶幸福になって超絶ぜいたくになれるものが仮にあったとして、それが哲学をするということであるなら、始めれば超絶ぜいたくになるわけです。すべての人が平等に哲学を始められるような状態になっていると思ったのです。でも、みんな、始めないのです。なぜかというと、問いが始まると答えを出さなければいけないからです。
そのサイクルを僕たちは学校でやっていて、いい大学を出て就職した人は、問題が出たら答えを出すところまでやって完結すると思っていて、答えが出なさそうなものを始めることを避けている人が多いと思います。だからみんなやっていない気がします。つまり、手を離してみたらどうなるかというのも、それは死ぬわけではなくて問いが始まるのです。「何で俺はしがみついていたんだろう」「次はどこに立つべきなんだろう」「今度は何にしがみついたらいいのだろう」という答えはわかりません。しがみついている間はそれが答えなので問わなくてすむわけですが、問いを始めると次の答えを考えてしまいます。
だけど、僕は問いを始めて答えを出せることが哲学ではないと思っています。答えがないものを問い続けることが哲学の世界観ですが、「答えが出ないと失敗だ」「答えが出ないと問うただけ遠回りだった」と思っている人が多くて、究極のぜいたくが目の前にあるのにそれをせずに不平不満を言って生きています。「俺だけぜいたくだ。ヤバいじゃん」と気づいたのです。一人だけ日本で最高くらいぜいたくで、それに気づいていない人は2000万の年収を3000万にして、3000万の年収を5000万にして、もっといいマンションに住んで、もっとぜいたくがあるはずだと思ってがんばって大変だけど、僕はもう問うということによって哲学を始めて、一人の人間として生まれてきた究極のぜいたくを味わえています。しかも、みんながそれを味わえていなかったら優位性があります。みんなは一生懸命お金ばかり稼いで貧相な感じなのに、僕だけ哲学をしてぜいたくだったらうれしいです。「みんな、がんばって働いているけど、僕だけもうぜいたくだ」と思えるのは気持ちいいから、みんな別に気づかなくていいと思いました。気づかない理由を考えると、問いが始まると答えがあるから答えなければダメだと思っていて、答えが出ないと苦しいと思っているからです。
そういうと、「若新さんはただ問うているだけで何の答えも出していないのですか」と言われますが、タイミングはわかりませんが、自分なりの答えが出ることもあります。もうひとつは、答えは出ないかもしれないけど気づくことが多いのです。学校のテストがよくなかったのは、気づいただけでは許してくれなかったことだと思います。「先生、答えを出せていなかったですが、気づいてはいたんです」といってもそれで80点にはなりません。充分、気づいているし発見したけど、答えを導き出せていなかったことには中間点をくれないのです。だから、「問いを始めたのなら、ちゃんと答えを出さなければ」ということによって、せっかくあるおもしろい世界に行っていないのです。
問いを始めて哲学的に生きることといい方向に行くかどうかは別ですが、視点が広がり、新しい見え方、感じ方、伝え方とかいろいろなものが生まれてきます。それが直接、給料や生活の向上につながるかはわかりませんが、気持ちは豊かになっていきます。これが究極的なぜいたくだと気づいたら、問うことに疲れることがなくなりました。思春期の時は疲れました。なぜかというと、出口が単純で「受験して大学に受からなければいけない」「就職しなければいけない」とゴールがしっかり決められていたから、「問いをしていて大丈夫なのか。作った会社も辞めてしまったし、生きていけるのか」という不安がありました。けど、今になってみると、答えを出さなければいけないことに縛られなければ、問うということは楽しんでいけて、発見が積み上がっていけば何か形になることがわかりました。みなさんに言ってもなかなかできないと思うので、僕だけが哲学をしてぜいたくに生きていきます。
フェリシモ:
明日からがんばります。やります。
若新さん:
みなさんは答えが出る仕事をがんばってやって、納税していただいて、そこそこの裕福な暮らしをしてください。究極のぜいたくは僕一人でしているので、みなさんは全然しなくていいと思います。
フェリシモ(司会):
非常に名残惜しいですが、神戸学校が終了となります。最後に若新さんに神戸学校を代表して質問させていただいてもよろしいでしょうか。
若新さん:
はい。まだ一時間くらいしゃべれますけど大丈夫ですか。
フェリシモ(司会):
ありがとうございます。若新さんが一生をかけてやりとげたい夢について教えていただけますでしょうか。
若新さん:
何ですか、その設定されたみたいな質問は。一生をかけてやり遂げたい夢ですか。僕たちが大学生の時は「一生をかけて実現する夢を設定するのがいい」という自己啓発がはやった時代です。夢を書き込むノートが売られ、設定して、逆算して、それをかなえていくことが必要だと。一生をかけて実現したい夢をみな描こうとしているから、答えが出なさそうな問いは始めないです。だって「人生をかけてこれを実現するぞ」という夢を設定すると、一個一個確実に、線形に実現していかないといけないわけです。そこで新たな問いを持ってしまって、「おや、もしかしてこうかも」となった時に、それが自分が設定した一生をかけて実現したい夢に向かってなさそうだったら「これは答えが出ないかもしれないし、ルートがずれるかもしれないからやめよう」と。だからみんなぜいたくをせずに、まず目の前のことをがんばっているのかなという気はします。
僕は一生をかけてこうしようという夢は別になかったのですが、代わりに「一生をかけてこうしていたい」という自分のスタイルは明確でした。改めて言語化しますが、多くの人が掲げている一生の夢の代わりに僕が設定しているのが「一生、思春期的である」ことです。僕には思春期的な生き方があっていると思います。納得がいかなければ常に問うて、答えが出ないかもしれないけど手放して、実験してみるということは続けていくと明確になりました。
スタイルが決まると、それにあった形で、非線形だけどラッキーなことに僕にふさわしい仕事が来ました。だから、それを決めておけば一生をかけてどうなった方がいいかということは後々どんどん見えてくると思います。僕自身の人生は非線形ですがあてずっぽうではなく、物事を進める時のポリシーはいっぱい決まっています。例えば、意見が折り合わない時は、相手の意見を否定して倒すのではなく、相手の意見もすべて受け入れたうえでもうひとつ新しい意見を出すとか、自分がやりたいと思うことを設定しておくとか、プロジェクトで問題が起きたらこういうふうにしたいという自分のスタンスを一個ずつ決めて、それを一生続けていくことを心掛けるようにしています。
そうすると、常に自分の選択や行動を基準に物事を作るので、外側に用意された計画や課題によって動かされることが相当減ってきて、僕の色がはっきりと見えてきました。だから一生をかけて実現する夢ではなく、一生をかけてこうありたいという振るまい方やスタイルを考えるのがいいと思います。生涯の一日という意味でいうと、今日も思春期的であったという感じで、これをずっと続けていくということです。問いを持って、それに対して自分なりの視点で見て、味わって、試して、一個一個やっていけたらいいというのが僕の人生です。だから自分がどんなおじいちゃんになっているか楽しみです。その姿を設定したらなれるかどうか不安ですが、設定はないので、その時に自分がどうなっているのかは結構、楽しみです。