講演録
第1部
フェリシモ:
松下さんはもともとは奈良ご出身とのことですが、神戸に来られて何年くらいでしょうか。
松下麻理さん:
それを言うと年がばれるのですが、33年になります。
フェリシモ:
最初の勤務がホテルだったということですが、ホテルではどのようなお仕事を。
松下さん:
最初はポートピアホテルに勤めていて、そこではレストランキャッシャーというレストランの会計係をしていました。その後文化教室の仕事をして、ホテルを移って西神オリエンタルホテルでブライダルのプランナーをしていました。その後メリケンパークオリエンタルホテルに移動してブライダルプランナーと広報の仕事をしていました。
フェリシモ:
神戸に来られたきっかけをお聞きしてもよろしいですか。
松下さん:
大学生活を送っている中で、たまに神戸に遊びに来るとすごく神戸がキラキラしていて、その当時の神戸はポートピア博覧会が終わった後のキラキラとした雰囲気がある時で、「こういう町で過ごせたらいいなあ」と思いながら就職試験を受けにきたら通ってしまって、あこがれが高じて神戸に引っ越すことになりました。
フェリシモ:
ホテルでの勤務は長かったと思うのですが、その後神戸市の広報へ行かれたということで、そのきっかけは?
松下さん:
ホテルに勤めていると、いろいろな方に「神戸に来てください」というプロモーションをしなければならないのですが、例えば東京の雑誌社に行って「ぜひうちのホテルを取り上げてください」と言おうとしても、まずは神戸に来ていただかなければお話になりません。「神戸はこんなにいい街です」とか「神戸にはこんなに素敵なことがたくさんあります」というお話をしているうちに、もっと大きなステージで神戸をPRする仕事ができればいいなと思うようになりました。そんな時に、たまたま新聞で神戸市役所が民間の広報の専門家を登用するという記事がありましたので、これに応募して、なんとか運良く通って、神戸市の広報専門官にならせていただきました。
フェリシモ:
そちらはホテルからすぐに移られたのでしょうか。
松下さん:
ホテルをいったん退職して、それから神戸市役所に移りました。
フェリシモ:
勤務していたホテルの方から何か言われたりとかは。
松下さん:
これを言うと本当に向こう見ずだと思われると思いますが、実は私、受けると決まった時点で辞めると言ったのです。新しい世界に行きたい気持ちがあって、全然受かる自信はなかったのですが「退職します」と言いに行ったら上司がすごくびっくりして「いや、受かってから辞めてもいいんじゃないの」と言われました。けれども、その時は「もし落ちたら落ちたでなんとかしよう」と思っていて、退職しようと決めたのです。
その時に、当時の総支配人が「その気持ちはネガティブなの? ポジティブなの?」と聞いてくれました。「もちろんポジティブです」と言うと、「そうなんだ、じゃあ応援する」と言ってくれたのです。なので、自分の気持ちもさわやかに辞めさせていただけたし、運良く通ったので、その時のことはいまでもよく思い出します。
フェリシモ:
神戸市初の民間登用ということですが、意識して活動されましたか。
松下さん:
私より前に同じ仕事をしていた人がいなかったので自分で道を切り開いていくという立場で、前の人と比較されることもなかったし、広い心で好きなことをやらせていただけたと思っています。
少し私の理解が足りなかったのは、神戸をPRする気持ちがすごく強かったのですが、実際は市民のみなさんに市政を理解していただくという重要なミッションがありました。市役所がやっていることは、よくゆりかごから墓場までと言いますが、多岐にわたります。いろいろなことをわかりやすく市民語に翻訳してお伝えしないといけないというのはなかなかむずかしくて、おもしろい仕事でもあったのですが、最初の3年ぐらいはほとんどそんな仕事をしていました。
フェリシモ:
具体的な業務などは?
松下さん:
みなさんのお宅に配られる広報紙を書いたり、取材に行ってホームページに書いたり、それぞれの局の方と話をしてプロモーション戦略を考えたり、そういったことをしていました。
フェリシモ:
さまざまな活動をされていたのですね。
松下さん:
何十年も神戸に住んでいるのに、こんなことが神戸の役所で行われていたのかと知らないことが結構たくさんありました。広報の仕事をしていましたので、新聞とかも読んでいて、そんなに世の中で起こっていることを知らない方ではないと思っていたのですが、それでもやっぱり入ってみると知らないことがいっぱいあったのです。もっとこういうことを知っていれば活用できる人がたくさんいるのにと思うことを、どんどん知っていただけるように広報できたらという気持ちでやっていました。
■神戸の魅力を発信する架け橋、神戸フィルムオフィス
フェリシモ:
広報の仕事を4年9ヵ月されてから現在の神戸フィルムオフィスの最初は副代表になられてということですが、神戸フィルムオフィスの活動についておうかがいしてもよろしいですか。
松下さん:
いま、私がいる神戸フィルムオフィスは神戸市の外郭団体の「神戸国際観光コンベンション協会」の一部門です。映画、ドラマ、テレビ番組、CM、雑誌の写真撮影、そういう映像に関係する作品を神戸に誘致して、神戸で撮っていただけることが決まったら、それに対して支援を行う仕事をしています。
(#組織図のスライド[写真なし])
これが組織図です。神戸フィルムオフィスは、先ほど話をした観光コンベンション協会の中にあります。神戸市の経済観光局観光企画課とほぼ一緒にやっているという感じですけれども、なぜこういう仕事が必要かというと、例えば「映画を撮りたい」といった時に、神戸の中にどんな施設があるのかとか、だれが協力してくれるのかというのが外から来た人ではつながりにくいですよね。その時に「そういうものを撮りたいのですね。じゃあこんな所がありますよ。あんな所がありますよ。許可をいただくのならこういう所に行けばいいですよ」というようなことをご紹介して、実際に町の方々にいろいろなお願いをして、撮影が始まれば当日もスムーズに撮れるようにというような、そういう窓口になる仕事です。
右側に県、国、神戸市各局、警察、大学、それから民間施設といろいろな関係先が書いてありますが、そういう方と左側の映像制作者の間を取り持つ架け橋になる仕事をしています。
いろいろな作品で神戸が舞台になったり神戸のことが紹介されると、神戸に観光客の方が来てくださったり町の隠れた魅力が全国に発信されるので、そういうことを目的に私たちはこの活動をしています。
フェリシモ:
最近あった大きなロケなどを具体的に見ながらお話をうかがえればと思うのですが。
松下さん:
実際に起こったことを見ていただいた方が早いですね。
最初は『デスノート Light up the NEW world』という、2016年10月に公開された作品です。たぶん、ほとんどの方がご存じの、10年前に藤原 竜也さんと松山 ケンイチさんが主演された『デスノート』という映画がありましたが、その10年後という設定で制作された映画です。10年後なので藤原 竜也さんとか松山 ケンイチさんではなくて、その次の世代の方々が出てこられるという映画です。舞台はどこだと思われますか?
フェリシモ:
舞台は東京。
松下さん:
そうです。全部東京のお話ですけれども、なかなか東京では撮りにくい。
フェリシモ:
それはどうして?
松下さん:
まず、人がたくさんいらっしゃるじゃないですか。例えば、これはどこかわかりますか?
フェリシモ:
これは大丸があるので神戸ですね。
松下さん:
そうです。元町のスクランブル交差点です。実はこれ、渋谷のスクランブル交差点という体で撮った場面です。デスノートが6冊、この地上に舞い降りてきて、その内の1冊で人を殺していく物騒なシーンなんですけどね。
川栄 李奈さんという元AKBの女優さんが超能力少女という設定で、デスノートはなまえを書かれた人が死んでしまいますよね。なまえを知らないと殺せないのですが、その子は超能力があって顔を見ただけでおでこのあたりにパンとなまえが見えてしまうのです。スクランブル交差点の雑踏の中で、見る人見る人、なまえを書きまくってどんどん殺していくというすごい物騒なシーンをここで撮りましたが、この撮影を東京でするのはとても難しい。
人が多いということと、規制もきびしいし、町の方々の協力を得てこれだけの撮影をしようと思ったら、周辺の方々にものすごく協力をしていただかないといけないので、その協力を取り付けるのはまず無理だということで、全国で撮れそうな所を探した結果、ここで撮ることになったのです。
一昨年の12月、ルミナリエが終わった次の日からこの交差点を3日間、夜中に道路封鎖をさせていただいて、いま、人がたくさんいますけれども、これは全部エキストラの方々です。3~400人くらいの方々が毎日夜通し、この交差点の中で「ワー」「キャー」って声をあげながら走り回ってお芝居に協力してくださったのです。
フェリシモ:
夜中ということは、本当は大丸も閉店しているのですね。
松下さん:
全部閉まっている時間なので、お願いをして電気をつけていただきました。その周りのお店の方にもお願いをして電気をつけていただいたり、中には店員さんがいてくださったりした所もありました。
スクランブル交差点に入る道路は、全面通行止めということで迂回していただきました。警察の方々にものすごく協力していただいて、「ルミナリエが終わったと思ったらこれか。ちょっとは休ませてくれ」と言われましたが、そんな感じで撮影をしたのです。「こういう撮影はもう神戸しかできない」と、その時に監督さんが仰ってくださって。
主演が東出 昌大さんと池松 壮亮さん、あと二村さんのお好きな菅田 将暉さんというような方がここにも出られていましたが、映画が公開される前によくテレビで「今週から封切りになります」とプロモーションをされますよね。その時に「神戸の場面はどうでしたか」と聞かれて、東出さんと池松さんが「この場面がすごかった」、印象深かったと仰ってくださったのです。何がすごかったかというと、まずこれだけの道路を封鎖して撮れたということ。そして、たくさんのエキストラの方が来られましたが、誰も写真を撮ったり、ミーハーな感じでやる人もいなかったし、エキストラさんだけどお芝居をしてくれた。「神戸すごい」とほめてくださったのです。
フェリシモ:
東京でできなくて、神戸でできる理由というのはその人柄もありますか。
松下さん:
やっぱり人の数が少ないというのはあると思いますが、私たち神戸フィルムオフィスは17年前に立ち上がった組織なので経験もありますし、町の方々も17年やっている間にずいぶん慣れてきてくださっているというか、「撮影といったらこういうものなんだな」と理解してくださる方が多くて、協力をしてくださる方が非常に増えてきたということでスムーズにできるのではないかと思います。
松下さん:
このスライドの写真は、道路で人がバタバタと死んでいくということで死んでいる人の様子ですが、すごいリアルでしょう。人形なのです。
フェリシモ:
えっ。
松下さん:
びっくりしますよね。
フェリシモ:
上も人形ですか。
松下さん:
上も下も人形です。その時は群衆がいっぱいいて、バターンと倒れるのはやっぱり派手にかっこよく倒れないといけないので、アクション部さんというアクション専門でやっていらっしゃる方が倒れます。どんどん倒れていくとこういう人形にすり替わっていって、それぞれの役割を演じるという感じです。そんなことをしながら撮影をしています。
フェリシモ:
ほかにもありましたか?
松下さん:
この映画を見られた方はわかると思いますが、一応渋谷のスクランブル交差点ということになっていますが、カメラは大丸から元町商店街の入り口に行って、バーっと流れていきます。神戸の人が見たら、「あっ、元町やん」と思うような景色が映っていますので、もしまだご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度見てみてください。見慣れた風景がばっちり出てきますので。
フェリシモ:
12月ということで寒そうですね。
松下さん:
本当にこの3日間は寒くて、みんな屋外でずっと立ちっぱなしだったり走り回ったりしながらご協力いただいたのですが、映画とかドラマの撮影ってスクリーンに映っている時間は1分でも、撮るのは何時間もかけて撮ったりしていることがあるので待ち時間もすごく長いです。でもみなさんがんばってくださって、そのおかげでこの映画ができています。
フェリシモ:
エキストラのとりまとめも神戸フィルムオフィスでされているのでしょうか。
松下さん:
私たちはサポーターさんと呼んでいます。うちのホームページをあけていただくと、「サポーター募集」というのがあって、どなたでも登録さえしてくださればその日からサポーターという制度です。エキストラのお願いをする時は、例えば年代層、男性の30代から60代の方とか、いろいろ役柄の設定によって映画会社から属性のリクエストがきますので、その方々にメールでお知らせをして、「行きます」と手をあげてくださった方に、多い場合は抽選とか先着順になることもありますが、ご協力いただいています。
■むずかしい地下鉄ロケを実現させる神戸のプロフェッショナルたち
フェリシモ:
ほかにもむずかしいロケなどはありますか。
松下さん:
『紙の月』(2012)という、宮沢 りえさんが主演された銀行の横領事件を描いた映画がありましたが、これは神戸市営地下鉄の神戸市交通局の方に非常にお世話になりました。地下鉄のシーンがすごく多かったのです。電車とか交通機関でのロケは本当にむずかしい。
フェリシモ:
むずかしそうですね。電車なんて特に。
松下さん:
例えばこれ、どこの駅かわかりますか?
松下さん:
市営地下鉄の西神・山手線の県庁前の駅ですけれども、カメラが入ってロケをしています。これはいつやっていると思いますか?
フェリシモ:
車を止めることはきっとできないと思うので終電後ですか。
松下さん:
そうです。終電から始発の間しかこういう所では撮れないのです。車両基地みたいな所があるので、そこに止まっている電車の中で車両の中のシーンは昼間に撮らせてもらっているのですが、こういうホームのシーンは夜中に終電が終わったらダーッと運びこんで、始発までの間に全部撤去するということを毎夜繰り返して撮っていきます。
いまでこそだいぶほかでもできる所が増えてきていると思いますが、もともとは神戸でしか撮れませんでした。神戸で初めて地下鉄ロケが行われたのは、『GO』という行定勲監督の映画の時です。初めて地下鉄撮影ができて、そのころの映像制作者の間で「神戸に行ったら地下鉄が撮れるらしいよ」みたいな噂がダーッと広まったらしいです。
フェリシモ:
終電から始発までだと意外と時間がないのではないでしょうか。
松下さん:
だから一気に準備を進めておいて、一気に入って、一気に撮るという感じでやっていました。
この写真は名谷駅ですけれども、県庁とか西神中央とかいろいろな駅で撮らせていただきました。
フェリシモ:
あまり夜中だというのはわからないですね。
松下さん:
地下鉄なので昼間でも夜みたいな感じですからね。映画館でパンフレットを買われると、「プロダクションノート」という裏話的なことが書いてあるコーナーがよくありますが、その時に映画の制作者の方が神戸がいかにむずかしい撮影を受け入れたかということを延々と書いてくださっています。
かいつまんでご紹介しますと、地下鉄ロケは撮影開始直前の正月明けに神戸のロケが決まって、神戸フィルムオフィスのスタッフに連れられてすぐに市役所に行くと、そこには交通局の人たちが15人ぐらい、作業服を着た人たちとか駅員の方とか背広の人とか各部署のいろいろな人がいるのです。おそるおそる「こんなことしたいんですけど」と言うと、みんなあきれたような顔をして「えー、いまからそんなこと言う?」みたいな感じで言われました。でも「そこをなんとか」と言うと、「まあ、本当にやるん? 県庁前だったら終電が0時14分だから、車庫50分発で1時5分着。それ3000系? どの車両が欲しいの? 時代設定は90年代? 乗客役は切符? パスカード? 何人?」みたいな感じでみんながワーッと会話をして、あっけにとられるうちに「まあ、やりましょう。でもきついわー、ワハハー」みたいな感じでやれることになったと。
3週間後、1月27日にクランクイン。終電後の長田駅に地元エキストラ120名のみなさんとともに地下鉄のエキスパートの人たちがやってくれたと。1週間、朝、昼、晩と身勝手に地下鉄の撮影をし続けて神戸ロケを終えた時に、せめてお礼でもと食事に誘ったけれども「うれしいけど我々は公務員だから」と辞退されて、別れ際まで本当にプロフェッショナルな伊達男たちだった、ということを書いていただいています。
フェリシモ:
かっこいいですね。
松下さん:
みなさんが毎日乗っていらっしゃる地下鉄の方々がこんなことをしてくれていたなんて、という感じですよね。
フェリシモ:
全然知らなかったです。
松下さん:
まあ、目に付くようなところでは撮影していないので。
■昭和初期の神戸を再現 時代考証に奔走した『べっぴんさん』
フェリシモ:
本日、受付にも美術品を展示している、NHKの朝ドラ『べっぴんさん』の話をおうかがいできますか。
松下さん:
記憶に新しいところだと思います。神戸が舞台の朝ドラを作ると発表されたのが2016年1月、だから1年半以上前ですね。『べっぴんさん』というドラマを作るという第一報は制作発表の時に私たちも知ったので、みなさんがわかられたのと同じ時にその話がNHKから舞いこんできました。1月に制作発表、5月にクランクイン、10月に放送開始でした。
1月から5月までの撮影が始まるまでの間はどんなことをしていると思いますか?
フェリシモ:
先ほど仰っていたような、建物の許可を取ったりとかですか。
松下さん:
ロケもありましたので、ロケ場所を探したり、ロケが成立するようにお願いしにいったりというのはもちろんやっていました。
でも今回、『べっぴんさん』というドラマの、すみれちゃんというヒロインは昭和元年生まれという設定でした。なので、彼女の成長にあわせて神戸の町がどうなっていったか描かないといけませんでした。ドラマ自体は昭和9年から始まっているので、そのころの神戸の町がどんなだったとか、商店街はどんなふうな店が並んでいて、どんな人たちがそこにいて、という時代考証をしました。
あと、麻田さんという靴の職人さんを市村 正親さんが演じられて、市村さんがシューって靴を縫ってはるシーンが何回も出てきましたけれども、技術指導の方を探しに行ったり、ヒロインたちも手芸クラブだったのでお裁縫をしていましたよね。お裁縫を教えてくれる方とか、小道具を貸してもらえる方とか、いろいろな方を探しに行ったり、お話を聞きに行ったりということを結構長いことしていました。映画とかドラマにはたくさんの人が関わっておられるんですけれども、監督さんとプロデューサーの違いはなかなかわからないですよね。わかりますか?
フェリシモ:
いや、細かくは。
松下さん:
「よーい、スタート!」と言っているのが監督さんです。プロデューサーはその時には現場にいることもあるし、いないこともある。でもプロデューサーは最初の方になまえが出てきます。プロデューサーは企画を立てて、お金を集めて、番組全体がうまく世に出ていくようにいろいろな仕事をする人です。監督さんは純粋にそのドラマをシーンを割って演出していく人です。
ロケ地を探すのはプロデューサーの下にある制作部の人たちです。演出部の人はお芝居をつけるのが仕事なので、例えば演技指導、靴の縫い方とかお裁縫の仕方というのは演出部さんの仕事です。それ以外にも美術部さん、衣装部さん、照明部さん、録音部さんとかいろいろな仕事の人がいて、例えば美術の方は昭和初期の神戸を再現するためにいろいろなものを用意しないといけないので、古い写真を見に来たりとかリサーチに来られます。
なので、2月、3月、4月は演出部さん、制作部さん、美術部さん、たまには衣装部さんとかが入れ替わり立ち替わり神戸にやってきて、「こんなん探してるんです」「こんなこと教えてくれる人いませんかね」と毎日のように連絡が携帯に入ります。その人たちに「だったら、この人に聞いてみられたらどうですか」とか「ここに行ったら古い写真がたくさん見られますよ」とか「じゃあ、あの人に聞いてみますね」というようなことを私が中継ぎをして、いろいろな方々にリサーチのお手伝いをしていただきました。
フェリシモ:
昭和の初期の頃を知っていらっしゃる方はどうやって見つけたのですか。
松下さん:
例えば商店街の方でしたら、いまの店主さんではなくて先代の社長さんとか親戚の奥さんとか、そういう方々にお願いをして集まっていただいて座談会をしてね。
「みなさんのお店の間取りはどんなんでしたか」とか「使用人の方はどんな所で暮らしてはったんですか」「まかないのメニューはどんなんでしたか」とか。
フェリシモ:
細かいですね。
松下さん:
「みなさんが通っていた小学校に外国人の同級生はいましたか」とか、細かいところから聞き取っていかれるのです。細かいところから作りこんでいくと、ものすごくリアルなその時代の神戸が再現できるのだそうです。
放送が始まってから元町商店街に行くことがあって、そこの喫茶店の奥さんに「『べっぴんさん』見てるよ」と声をかけていただきました。その方はたぶん昭和一桁生まれなのですが、私たちからするとドラマを作っている人たちはみんな戦後生まれなので、その時代の神戸を知らないのです。その人たちが作ったその時代の神戸が本当にリアルなのかは想像でしかないわけです。だから、みんな少し不安があるのです。私が「どうですか? 子どもの頃ご覧になっていた神戸となにか違和感はありますか?」と聞いたら、その方が「ううん、そのまんまやったよ。懐かしいわ」と言ってくださったので、早速プロデューサーに伝えたら、「そう言っていただけるのがいちばんうれしい」と彼らも喜んでいました。
フェリシモ:
こんな貴重な裏話をお聞きできてうれしいです。
いくつかロケの時の写真を持ってきていただいていますね。
松下さん:
これは六甲の神戸大学の本館前の広場で撮らせていただいた時の画像です。昭和9年、覚えていらっしゃらないかもしれませんが、第2話です。子どものころのすみれが、靴がどうなっているのかを知りたくてたまらなくて、お父さんの靴をバラバラにしちゃうんですよ。「何やってんの!」と怒られて、その靴を修繕してもらうために靴店の「あさやさんに行きたい」と言うのです。だけど、山の手のお嬢さまなので「そんな街なんか行ったらあきません」とお手伝いさんの喜代さんに怒られます。でもどうしても行きたくて、それで潔君が「僕が連れていってあげる」と言って、潔君に連れられて神戸の下町に出かけたというシーンをここで撮りました。
後ろに古い建物があって神戸らしさが出ているのですが、道を行き交う人たちのエキストラがたくさん必要ということでした。監督さんが昭和9年の写真をずいぶんご覧になって、「外国人の姿がやっぱりすごく多い。神戸はそのころからインターナショナル・シティーだったのだな」と思われたので、「エキストラさんの中にも外国人の方をたくさん入れたい。それも欧米の人だけではなくて中国人風な人、韓国人風な人、インド人も絶対ほしい」と。
フェリシモ:
絶対?
松下さん:
ターバンを巻いたインド人も絶対なかにいてほしいと言われました。外国人の方はタレント事務所みたいに契約していらっしゃる所からお願いしてきていただくことが多いのですが、この時はそのなかでもインド人エキストラになってくださる方が見つからなくて、「なんとかならないですかね」と頼まれたので、私が北野にあるインド人クラブの会長さんの所に「誰か来てくださらないですか」とお願いに行きました。だいぶ探してくださったのですが、この日にあいている方がなかなかいらっしゃらなくて、「来週、インド人の運動会があるから、あなたがそこに行って直接リクルートしなさい」と言われて。
フェリシモ:
運動会があるのですか。
松下さん:
インド人の方ばかりでやっていらっしゃった運動会があって、六甲アイランドのカネディアン・アカデミーの運動場でしたが、そこでみなさんに説明して、「こんなのがあるのですがどうですか」と言ったら来てくださる方がいらっしゃって、当日、出てくださったのです。
フェリシモ:
お写真がありましたね。
松下さん:
この方が私がリクルートした方です。とてもいい方でがんばってくださいました。
フェリシモ:
こういう時の服装は衣装さんが用意されるのですか。
松下さん:
衣装さんが用意されたものもありますけれども、この方は自前でした。
フェリシモ:
自前!
松下さん:
ターバンもご自分でかっこよく巻いてくださって、本当にありがたかったです。
フェリシモ:
昭和9年のインド人のターバンの巻き方なのでしょうか。
松下さん:
それはたぶん変わりなくいまも受け継がれているのだと思います。
でもその場に水兵さん、貴婦人や、日本人の庶民がいたり少し上流階級の人がいたりして、昭和9年の神戸はこうだったんだろうなという監督さんの思いが、この1枚の写真からもわかります。この場面で「賃金を上げろー」とか「労働環境を改善しろー」と労働者の方がデモをしている所にすみれが紛れこんでしまって、潔君とはぐれて迷子になって、後でお父さんにえらい怒られるんですけどね。そのシーンをここで撮ったという思い出の所です。
フェリシモ:
この写真はどこでしょう。
松下さん:
これは六甲アイランドのファッションマートで撮影しました。
ファッション美術館というUFOみたいな建物の東側にある、アトリウムです。これは万博会場という設定で、昭和40年くらいの時点で「近未来」に見えるところという、またまたむずかしいお題でした。
フェリシモ:
むずかしいですね。
松下さん:
いろいろ探した結果、監督がここがいいと仰って、ここでロケをしました。
実際の万博は春から夏、そして9月で終わっています。その万博が終わる直前に行われた世界の子どものファッションショー、栄輔さんがものすごくかっこよく登場されるシーンの時のロケです。9月ですけれども撮ったのは1月です。この日は小雪が舞うくらい寒い日で、アトリウムは一応屋内ですが暖房がないのでものすごく寒かったです。寒い中で、ファッションショーなので子どもたちがやってきたらみんな一所懸命拍手してくださったり、「おぉー」と何回も声をあげてくださったり、エキストラのみなさんにも本当にがんばっていただきました。
みなさんコートを着て来られていますが、本番になったら見えない所に置いてあるブルーシートに走ってコートを置きに行って、本番が終わったらそこにコートを取りに行ってというのを何回も何回も繰り返してこのシーンを撮ったのです。
紙吹雪がバーっと上から舞う華やかなシーンでしたが、どうですか、昭和40年の未来に見えますか。
フェリシモ:
見えると思います。
松下さん:
ありがとうございます。
この時の裏話がありまして、主演の芳根京子さんが寒い中みなさんががんばってくださったことをすごくありがたいと思ってくださって、別に誰に言われたわけでもなく、エキストラさんが出られるカットが終わって、みなさんが帰られて控え室に入る直前の所に芳根さんがターっと走って行かれて、ひとりひとりエキストラの方々に「お疲れさまでした。ありがとうございました」とあいさつをしてくださったのです。寒い中みんな凍えながら控え室に帰っていたのですが、京子ちゃんのかわいい笑顔に一瞬にして報われて「いい子やねー」とすごく喜んで。
フェリシモ:
さすが朝ドラのヒロインですね。
松下さん:
朝ドラのヒロインはやっぱり特別じゃないですか。背負っている責任が大きい中で19歳の彼女は1年間でものすごく成長されて、1月の撮影でしたが、「そんなこともできるようになったんやな」と監督さんが少しお父さんのような目で見られていたのが印象的でした。
■神戸が大事にしているものをきちんと出せたことがいちばんよかった
フェリシモ:
こちらはどこの写真でしょうか。
松下さん:
さくらという、すみれちゃんの娘が反抗期にナイトクラブに入りびたって、ドラマーの二郎さんに恋をしてというシーンを覚えていらっしゃいますか。二郎がナイトクラブに出るダンスパーティーみたいなシーンで、東門街にあるクラブ月世界で撮らせていただきました。
「青い月」と書いてある下がステージで、ドラムが置いてあって、そこで河合 二郎役の林 遣都さんがかっこよくドラムを叩くというシーンでしたが、ここに座っているのは遣都さんではなくて、冨士 正太朗さんという神戸のドラマーさんです。
『べっぴんさん』の1月、2月ぐらいはジャズを演奏するシーンがすごくたくさんありましたよね。そのジャズのシーンをどうしようかということを10月ぐらいからみんなで話をしていました。私はどうしてもこのシーンを神戸のミュージシャンでやってほしいと思っていて、「そうしましょうよ」とずっと言っていました。監督さんや制作の人たちも「その方が絶対いいよね」という話をして、ジャズのプロデュースをしていらっしゃる渡邉つとむさんにお願いをして「なんとかなるかな」と言ったら、彼も「がんばろう」と言ってくださって。結果、林 遣都さんと同じグループなので年輩の方ではちょっと釣り合いが取れないので、20代から30代前半ぐらいの神戸で活躍していらっしゃるジャズミュージシャンの方々に出ていただきました。
林 遣都さんには神戸のドラマーの冨士 正太朗さんがドラムの叩き方を教えました。林遣都さんは全くドラムを叩いたことがなかったのでゼロから、スティックの持ち方から冨士さんが教えてくださって、1ヵ月ちょっとで一応見た目にはちゃんと叩いていると見えるぐらいに成長されて、このシーンも無事撮ることができました。
フェリシモ:
いまでもこのジャズシーンの方々が活動されているとおうかがいしたのですが。
松下さん:
普通にこのあたりのライブハウス、ソネさんとかにもよく出ておられる方々ですので、みなさんも見られたら「この人たちが出ていたんだな」というのがわかるような感じでライブをされています。神戸の音が全国に流れていたのがすごくよかったなと私も思います。
フェリシモ:
松下さんのこだわりですね。
松下さん:
私だけではないのですが、いろいろな方々のいろいろな思い、神戸の方々が大事にしていらっしゃったものをきちんと出せたというのが、『べっぴんさん』の仕事をやっていていちばんよかったと思うことです。
実はね、これはほとんどの方が気づかれていないと思いますが、美術チームは美術チームでこだわりがあって、神戸らしいものを画面の中にどんどん入れていこうというミッションを自分たちで勝手に作って、入れたいものをリストアップしていました。「神戸と言えば」と言いながら、そばめしとかソースとかケミカルシューズとかを何個かリストアップして、それを少しずついろいろな所に忍ばせてあるのです。例えばそばめしは昭和30年代にタノシカというキアリスのだんなさんたちがよくクダを巻きに居酒屋に行っていたシーンがありますが、その居酒屋の後ろの壁に焼き鳥とかおでんとかもろきゅうとかいろいろなメニューが短冊みたいにブラブラ下がっているのですが、その中にそばめし、ぼっかけというのが忍ばせてあったりします。
それとか、港町商店街というキアリスのお店があったおなじみの商店街の電信柱には大森ケミカルや葺合ソースという看板があったり、そして、そこの和菓子屋さんのおまんじゅうとかの中に瓦せんべいとかね、本当に細かく神戸のものがいろいろな所に忍ばせてあるのです。
ほとんどの人は気がついていないと思いますが、例えばケミカルと書いてあるのはケミカル業界の方が気づいてくださって「あそこにケミカルって書いてあったけど、あれは何で入ってんのかな」というお問い合わせをいただいたことがあって、「いやいや、ちゃんとこういうふうに思ってやっているんです」とお答えするとすごく喜んでくださったという話も聞きました。
フェリシモ:
結構気づかれるものなのですね。
松下さん:やっぱり自分たちが誇りに思っているものがテレビの画面に出たらうれしいですよね。
■神戸の人が気づいていない神戸の素敵な所を発掘したい
フェリシモ:
少し話が変わってしまうかもしれませんが、神戸で撮影されたものの中で、松下さんが最初に神戸の町で撮影した映像の素晴らしさに気づいたものがあるとお聞きしたのですが。
松下さん:
その画像を見ていただきましょうか。私が2年前にフィルムオフィスに入って、最初に担当させていただいたのが大和ハウスのCMでした。深津 絵里さんとリリー・フランキーさんが夫婦で、坂道を二人が手をつないで歩いて、これからはこうやって歩くぞというシーンを覚えていらっしゃる方は多いと思いますが、あのシリーズは実はほとんど神戸で撮影されています。最新のものは2017年3月に撮って4月からオンエアーされていますが、いままで5作のうちの4作はほとんど神戸で撮られています。その前作が私の初めてのフィルムオフィスでの仕事でした。
設定を少し説明しますと、深津 絵里さんとリリー・フランキーさんは夫婦です。リリー・フランキーさんは新聞記者という設定なので、職場は神戸新聞社さんの編集局でいつも撮らせていただいています。深津 絵里さんはフランス文学の翻訳者ということになっているので、よく編集の人と打ち合わせで喫茶店に行ったり、調べ物をするのに図書館に行ったりしています。ふたりが住んでいる家は塩屋の高台にあります。本当は家はないです。空き地があってそこに毎回ロケのたびに仮設の家を建てて撮影します。ふたりが歩いていく坂道は御影山手で、御影山手の坂道を上ると塩屋に行くという設定になっています。
フェリシモ:
ちょっとおもしろいですね。
松下さん:
このシリーズはホームページでどなたでもご覧になれます。大和ハウスさんのテレビCMのアーカイブを見ていただいたらわかりますが、今日は「ここで、一緒に」というシリーズの「嘘編」を見ていただきます。
いまから私が、映像のシーンのロケ地になった場所を「これはここです」「ここです」と言っていきますので、それを見ながら「そこだったのか」とわかっていただければと思います。
(#大和ハウスCM 「ここで、一緒に」嘘編[映像を上映])
松下さん:
これは塩屋に建てたセットです。これは西元町、三角の公園です。元町商店街のいちばん突き当たりの所です。
これは京都の出版社です。神戸で撮れなかったものはほかの町でも。東大阪の町工場。
これは六甲アイランドのマリンパーク。これは山陽電車の滝の茶屋のあたり。
これも塩屋のセットの中です。これは住宅展示場。これは神戸新聞社さんです。これも住宅展示場です。塩屋です。この喫茶店は大阪です。神戸大学の教室です。パルシネマという新開地の名画座です。ここは大阪です。これは塩屋です。
このシリーズは日本のCM業界では最高峰の人たちが撮ってくださっているので、すごく映画的な奥行きのある映像です。最初、雨の中でリリーさんが立ち尽くしているシーンがありますが、あれは元町六丁目の商店街を抜けた所にある公園で撮りました。正直なところ、私はそれまでそこがロケ地になると思ったことがなくて、雨を降らして道にたたずんでいるリリーさんを撮る場所というのをいろいろ探して提案していたのですがなかなか監督さんに気に入っていただけなくて、スタッフのひとりが「ここ、いけるんじゃないですか」と見つけてこられた場所をプレゼンすると監督が「ここだー」と仰った場面なのです。アングルチェックと言って、カメラマンの方が来られて実際にカメラをおいて映してみられて、実際の景色とモニターを両方見られる所に立って見ると、いつも見ていた景色がものすごく素敵なものに見えて「ああ、これか」と思ったのです。
何が決め手かというと、この監督さんは電車とかが走る風景が大好きなのです。あそこはJRの高架がシュッと後ろに通っていて、その下を車が通っている、そしてこっちに人がいるという画が撮れる所なのです。奥行きがあって、しかも動きがあって、雨でにじんだような景色が撮れるという、たった2、3秒のシーンですが、そこまでこだわって。
そして雨でしたが、実際に雨ではなくて、雨降らしといって人工的に雨を降らせるのです。どうやって降らせるかというと、まず散水車で下を濡らします。その後ハイライダーに乗って、上からスプリンクラーみたいなホースを持っている人がいて、バーッとそれを何機もやって、周辺のビルにもホースを持った人が何人もいて大豪雨を作り出すのです。
フェリシモ:
大変そうですね。
松下さん:
その水をどこから取ってくるかというと、一気にすごくたくさんの水がいります。神戸には素敵な場所がありまして、船が着いたらその船が水を補給する場所があるのです。新港東ふ頭に水の自動販売機があって、コインを入れるとすごく大きな口径からドバーっと水が出てくる、港にはどこでもあるらしいのですが、そういうのがあるので雨降らしをするのも楽でいいとよく言われます。そんな感じで、あのたった3秒のシーンを必死で撮っていました。
フェリシモ:
あの3秒にそんなものが詰まっていたなんて。
松下さん:
できあがった映像をみなさんにごゆっくり見ていただきたいのですが、リリーさんが最近奥さんの元気がないからネコを飼ってあげようと思って、もの悲しい夕暮れの道を奥さんのことを心配しながら歩いていると、ハッとネコに出会うという心理風景を表現する大事な場面です。私が思っていた元町六丁目の三角の公園とは全然違うものが映像で出てきて、「プロの方が映像を作ると私たちがいままで何とも思っていなかった町角がこんなに素敵に映るんだ」というのを発見して、おもしろいなと思いました。
御影山手の坂道もそうですが、普通の住宅地です。観光客が行くような場所でもないし、そんなに景色がいいというわけでもないのに、すごく素敵に映る。町の隠れた魅力を外からきた人に教えていただくことができるんだなと感じた仕事でした。
フェリシモ:
神戸フィルムオフィスの活動としては、そういったことを神戸の方に気づいていただきたいでしょう。
松下さん:
もちろんひとつの理由は神戸の魅力を発信することによって、外の方々に「神戸に行ってみたいな」とか「神戸に住んでみたいな」と思っていただくのが大事な目的ではあるのですが、一方で、町の方々に「神戸ってこんなに素敵なとこだったんだな」と気づいていただくことも大事な目的だと思っているのです。見ていらっしゃるだけでも素敵な所はたくさんありますが、神戸の人が気づいていない神戸の素敵な所をどんどん発掘して見ていただけたらいいなと思います。
フェリシモ:
それは神戸フィルムオフィスに入られてから感じられたことですか。それよりも前に感じられていたのでしょうか。
松下さん:
町を誇りに思う気持ちは大事だなというのを、私は神戸市の広報課にいる時に強く思っていたのです。二村さんも外から来られたのでよくわかると思いますが、もともと神戸の人はめっちゃ神戸のこと好きじゃないですか。
フェリシモ:
そう思います。
松下さん:
もともと好きな人は神戸が大好き。神戸が嫌いで住んでいる人はほぼいないと思うのです。でも、「何で神戸が好きなん?」と聞かれた時に「全部好き」みたいな、具体的に「ここが好き」というのが出てくる人が少ないなという印象を、私も奈良から来たのでそんなふうに思っていて、だからもっと具体的に「神戸のこんなところがいいんですよ」と言えたらいいのになという気持ちがずっとありました。
なので、前の仕事でも、いまの仕事でもそうなのですが、神戸の人が神戸を好きになれるように、そしてなぜ好きなのかということをもっと具体化していくことができればいいなと思っています。
■BE KOBE 神戸の魅力は人である
フェリシモ:
そういう思いを持って、もうひとつフィルムオフィスとは別で、今回のテーマでもある「BE KOBE」という活動をしていらっしゃいますが、そちらについても今日ぜひお話をおうかがいできればと思います。
松下さん:
私が神戸市の広報課にいた時に、阪神・淡路大震災から20年の節目の年がありました。震災20年だからできることがないかと考えて、「BE KOBE 神戸は、人の中にある。」というスローガンを打ち出しました。
震災から20年の間に神戸の中で生まれたものがすごくたくさんあると素朴に感じていました。行政が作り出したものはもちろんあるし、町の人たちが作り出したものもすごくたくさんある。震災を経験したからできたものもあるし、中には震災の時に何もできなくて、それが自分として残念だったからいまこの活動をしていますという方もたくさんいらっしゃいました。そういうことができる神戸の人たちこそが神戸の誇りなのではないかと思って、それで神戸の魅力は人なのではないかということを打ち出して、それをいろいろな方々、震災以降に生まれた方も神戸以外の所から引っ越してこられた方も、みんなに感じていただければうれしいなと思って、BE KOBEというプロモーションを始めました。
いろいろな人に登場していただいてお話を聞き、それを共有していく時に出したのが、画像でご覧いただいている一文です。
震災から20年の中ではっきりしたのは、神戸の魅力は人であるということ。それはどんな人なのかというと、困っている人がいたら当然のように手をさしのべる人がたくさんいらっしゃる、困難に出会っても前を向いて心を合わせて生きていく大きな力を持っている、そんなことをできる人たちこそが神戸の魅力ではないかと思って、こんなことをしたのです。
フェリシモ:
具体的にそれを感じられたエピソードはありますか?
松下さん:
例えば、神戸の震災を経験したけれど、何もできず、その後、東日本大震災の時に畳屋さんになっておられた方がいます。避難所で板間に座っているおばあちゃんを見て「せめて畳の上に座らせてあげたい」と思われたのですが、持って行く術がなかったということで、仲間の畳屋さんたちと一緒に運送システムやこんな時にこうなったらどう動くというのを作り上げられました。その後の熊本の地震の時には、避難所に畳を届けて畳の上でみなさん休んでいただくという活動をしておられます。
また、災害とは全く関係ないのですが、COMIN’KOBE(カミングコウベ)というロックフェスティバルをしていらっしゃる松原さんは、震災の時は中学生でした。彼は、北区に住んでいて、揺れたけれどもそんなに大変な地震ではなかったし、「今日学校休みや、ラッキー」ぐらいにしか思っていなかった。だけど、大人になって音楽の仕事をするようになって、いろいろな町に行くと「あのとき神戸大変だったよね」という話をされて、何も知らない自分、何もしていない自分が恥ずかしくなって、「これではあかん」と思ってCOMIN’KOBEという、いまやもう4万人を集めるイベントを立ち上げてチャリティーでずっとやっているのです。入場料を無料にして、替わりに募金を募って、それを例えば東北の被災地に送るという活動を毎年やっているのです。
そういうふうにいろいろな方々ががんばっている神戸を誇りに思って、自分も何か、そんなにたいそうなことでなくても全然いいのですが、自分以外の誰かのために何かができるような人になれたらなという気持ちを持てる人が少しでも増えていけば、この町は変わっていくのではないかと思うのです。BE KOBEは直訳したら「神戸になれ!」みたいな、ちょっと偉そうとよく言われますが、私の心の中ではBE KOBEというのは「神戸であれ」。自分自身に語りかける言葉だと思っていて、私は大好きな神戸にふさわしい人でありたいという思いを持っている言葉かなと思っています。
フェリシモ:
先ほどの畳屋さんのお話をもう少しお聞きしてもよろしいですか。
松下さん:
前田さんという方ですが、最初、東日本大震災の時にいろいろな自治体に連絡を取ってみたけれども、その時は全然受け入れるような状態でもないし、「無理です」みたいなことを言われたのです。その後いろいろな災害が起こった時に現地の自治体に連絡しても、うまくいかなかったのです。いきなり畳屋さんから電話がかかってきて「畳を持って行きます」と言われたら「お金がかかるのかな」とか「悪い人じゃないかな」とか心配になりますよね。
彼は「何でうまくいかないんだろう」と考えて、「約束をしていればいいんだ」と思われて、いろいろな町と災害協定を結ぶことを始められました。平常時からそういう約束ができていたら、何かあったらすぐに「いまから行きます」と動けます。できない理由をひとつひとつていねいにつぶしていかれたところがすごいと思います。そういうことをできる人が神戸にいるって素晴らしいじゃないですか。
でもね、私、もうひとついつもよくお話ししていることがあって、この方のように素晴らしい方もいらっしゃるのですが、何気なく過ごしている神戸市民の方々もやっぱりすごいなと思うことがあります。阪神・淡路大震災以降、神戸市の社会福祉協議会という所では、どこかの町でなにかの災害が起こった時に、災害救援募金という義援金を募集することを毎回やってるんです。東日本大震災とかフィリピンの台風とか誰もが知っている大きな災害の時には、どこの町でやってもお金がいっぱい集まって寄付ができるのですが、神戸は聞いたことのないような地球の裏側の小さな町で起こったそんなに大規模ではない災害の時でも、募金を開始すると送って恥ずかしくないだけのお金が集まるらしいのです。ほかの地域の社会福祉協議会の方から、「何で神戸はそんなんで成立するんですか」と言われるらしいのですが、「何月何日から区役所で募金を始めます」と言うと、お財布を握りしめたおばあちゃんが募金をしに来てくださるというのです。その方々は阪神淡路の時にお世話になったから、自分も何かあったらやりたいという気持ちを持ってくださっている。なんかそういうのって誇らしくないですか。そういう町だということをみなさんに誇りに思っていただけるとうれしいなと思います。
■自分たちの町を良くしていくためにつながりを持つ
フェリシモ:
BE KOBEはシビックプライドの醸成を目指しているとおうかがいしました。
松下さん:
シビックプライドは「市民の誇り」です。市民がその市民であることに誇りを持っているということで、神戸の人だったら神戸に誇りを持っているということがシビックプライドだと思います。「神戸が好き」という気持ちはシビックプライドの入り口だと思いますが、もうひとつ「好き」以上の「誇り」。誇るためには、海があって山があって町がきれいでというより、もう少し何かいりますよね。尊敬できるものであったり、意義のあることであったり、そういうものがこの町の中で生まれていけばいいなと思うのです。
フェリシモ:
松下さんは神戸の魅力をたくさん知っていらっしゃいますが、逆に課題を感じていらっしゃることはありますか。
松下さん:
課題は神戸に限らずいろいろな所にあると思います。例えばいま、超高齢社会と言われますが、お年寄りの比率がこれからもっと増えていく。そうなってくると、役所だけにまかせておいても支えきれない時代に、いま、もう入っていると思います。
でも、それは決して怖いことではないと私は思います。元気なお年寄りもたくさんいらっしゃるということになれば、別に怖くないのです。例えば若い時から介護予防をするとか、地域の方が見守りあって「もしかしたら認知症になりかけてはるんかな」という方を早めに病院に連れて行って治療することで進行をずいぶん遅らせることができるとか、いろいろできることがあるはずです。
それをするために何が必要かというと、地域の人たちが見守りあう目を持つことだと思います。これもシビックプライドにつながっていくのですが、自分たちが自分たちの町を良くしていこうと思うのであれば、まずはつながりを持つことだと思うのです。なので、これは神戸に限りませんが、つながりあうことが課題だと思います。
フェリシモ:
神戸に限らないということですが、人口とかほかの都市と神戸で競い合っていたりということについて松下さんのお考えがあるということで。
松下さん:
市役所の中にいると、「都市間競争に勝ち抜く」というワードがたまに出てくるのですが、私は少しその言葉には違和感があります。個人的な感想ですけれども。勝つということは誰かをけ落とすとか負けないということじゃないですか。どこかに負けている人がいるということですよね。そういう発想よりは「みんなでよくなっていく」「周りの人たちと一緒によくなっていく」という発想で私はいたいなと思うのです。私たちが私たちの町を誇りに思ってどんどんよくしていくことで周辺の人たちもよくなっていく。そして、そんな神戸にあこがれたり尊敬したりしてくれる人がたくさん来てくれる。こんなに素晴らしい町なら神戸に住みたいという人が増えてきたりすると、もっといいかなと思うのです。
BE KOBEのモニュメントが今年の4月にメリケンパークにできました。メリケンパークの周辺にいらっしゃる方々の協議会で港にこういうものを建てたいという声をあげていただいて、みなと総局が作ってくれました。
いま、このモニュメントの前がフォトスポットになっていて、毎日すごい列ができているらしいです。みんなこれと一緒に写真を撮ってくださっていると聞いて、すごくうれしいなと思っています。ただ、このBE KOBEという言葉がなぜできたのか、何を目指しているのかを知っていただく所までは至っていないので、これから時間をかけて伝え続けていきたいと思っています。
フェリシモ:
フォトスポットになっているということですが、私は友だちを神戸案内することがよくあって、いまは異人館のあたりで写真を撮って拡散していったりもするのですが、個人から出していってほしい情報とか、もう少し広まればいいなと思うようなことはございますか。
松下さん:
住んでいる人たちが神戸の魅力をよくわかっていらっしゃるはずだと思うのです。神戸は多種多様なものがあって、いろいろな人がいる町です。昔よりも人の嗜好はセグメント化されているというか、みんな同じ方向を向いているのではなくて、好きなものがいろいろあるという時代だと思うので、みなさんがそれぞれの好きなそれぞれの神戸をいろいろな視点で発信してくださることが神戸のためになるのではないかという気がします。
第2部
質問1
お客さま:
神戸ロケにより制作された映画やテレビドラマのうち、特に印象深い作品は何ですか。
その作品に関して具体的にどのような事柄が印象深いですか。
松下さん:
ひとつひとつの作品がものすごく大事なものなので、これひとつと言われるとなかなかむずかしいのですが、2016年に公開された『オオカミ少女と黒王子』という二階堂ふみさんと山崎賢人さん出演の作品がありました。これは高校生のかわいらしい恋物語ですが、東京近郊に住む高校生が修学旅行で神戸にやってくるということでした。なので、後半の40分が全部神戸のいろいろな所を回る、神戸が神戸として出てくる貴重な作品でした。私たちはいろいろな仕事をしていますが、ドラマとか映画で神戸が神戸として出てくることがすごく少なくて、東京近郊の街とか架空の街という感じで出てくるので、神戸として出てくるのがまずすごくうれしい。しかも修学旅行なので観光地を巡ります。王子動物園とかメリケンパークとか高架下とか南京町とかビーナスブリッジとか、みなさんがいつも行かれるような所で撮影できたのがすごく印象的でした。
この映画はラストシーンが、喧嘩しているふたりが仲直りしてキスをしてハッピーエンドなのです。キスをする場所をどこにするかというので、モザイクの観覧車が見える夜景のきれいな所とかいろいろご紹介をしたのですが、結果、南京町広場になったのです。豚まん屋さんをバックにキスして終わるのですが、「ここですか、ここ? ここお気に入りですか」みたいな感じで少し意外でした。そのロケの時は、これも真夜中でしたが、お店が終わった後もある程度開けてくださっていて、湯気がワーッと出たりすると街の雰囲気が出るので、店主のみなさんがお料理は何もないのにお湯を沸かして湯気を出したりとかしてがんばってくださって、とても幻想的なシーンになっているのでぜひ見ていただきたいと思います。
質問2
お客さま:
神戸在住です。以前、神戸の観光場所を人に聞かれました。異人館と六甲山とお伝えしたら「もう行った」と言われ、umie(ウミエ)と言ったら「ショッピング以外で」と言われて、私はもう思いつけませんでした。神戸の観光、見所などを教えてください。
松下さん:
神戸に観光される方が何を魅力に思って来てくださるかというところですけれども、たぶんですね、神戸の人のライフスタイルを楽しみに来るという方が多いのではないかと思います。衣食住とか余暇の過ごし方とか、神戸の方はすごく楽しいことをいっぱいしていらっしゃるので、それを見たいなと思って来られる方が多いのではないでしょうか。
特に「もう行ったことがある」ということは、通り一遍のことではないことを求めていらっしゃると思うので、私がおすすめするのは、例えば摩耶山です。いろいろなアクティビティーをしていらっしゃいます。山に登って山ヨガをしたり、ワンコインハイクといって一緒にハイキングに連れて行ってもらって見所を見せてもらったり、ハンモックを貸してもらえたりします。山の上で木陰に自立式のハンモックを自分で組み立てて寝転がってみると、山の上なので手が届きそうな所に雲が流れていたりするのです。そういう私たち神戸の人が日常行っているような場所をご紹介してあげるのがいいのではないかと思います。
質問3
お客さま:
いままで神戸の町のいろいろな所で撮影をされていますが、最近行かれてよかった場所やこの時期にはここがおすすめという場所はありますか。
松下さん:
ロケ地としての神戸の魅力の大きな部分は坂道と路地です。どんな映像制作者の方でも坂道と路地に引っかかる人が多くて、やっぱり独特の風情があると思います。神戸は坂道コレクションができるくらいいろいろな所に坂道があり、こんな坂道どうですかというのを私たちはいつもおすすめしていますが、まだ一度も撮影できていなくて、いつかしたいなと思っているのは、垂水区の愛徳学園の東側にある通称「愛徳坂」という坂です。そこは一車線しかないので、道路封鎖とかなかなかしにくい所なのでロケを成立させるのは非常にむずかしいのですが、坂道の上からシューっと下っていったらそのまま海に入るんじゃないかと思うぐらい急勾配で、すごく雰囲気のいい坂なんです。だからいつかそこでロケをできないかなと思います。
あと、路地と言えば私の中では塩屋か駒ヶ林です。塩屋の路地も車がなかなか入りにくい所なので撮影するのは大変ですけれども、塩屋とか駒ヶ林の路地でロケをしてみたいなと思います。
質問4
お客さま:
「神戸の人は神戸大好き」には非常に納得しました。神戸の人は旅行や出張に行った際、「どちらから来られましたか」と聞かれたら「関西」ではなく「神戸」と答えるからです。
そんな神戸っ子が県外に持って行くおみやげでおすすめはありますか。これぞ神戸ですというものがありましたら、ぜひ教えていただきたいです。
松下さん:
非常にむずかしい質問ですよね。相手がどんな人かによってだいぶかわってくるので。
でも、私たちは「ちょっとひねったものを持っていきたいな」「神戸の魅力をお伝えできるものがあればいいな」と思うので、「案外知られていないけれど神戸にはこんなものもあります」というものを持って行ったりします。
例えば須磨海苔。須磨ではすごく高級ないいお海苔ができるのです。それは水のこともあるし、水深のこともあるし、海釣り公園の近くのあたりで毎年冬になったら12月から3月ぐらいまで海苔の養殖が行われます。12月くらいに一番摘みの海苔が出るのですが、その海苔を持って行くとこれだけのうんちくが話せて「なんかいいみたい」な気持ちになってもらえるので私は結構よく持って行きます。
フェリシモ:
海苔がおすすめとは少し意外でした。
松下さん:
神戸ってまだまだ私も発掘しきれていないのですが、いいものがたくさんあると思います。
質問5
お客さま:
町を見る視点を養うコツがあれば教えてください。
松下さん:
私も教えてほしい。神戸市の広報課にいた時から、できる限りその場所に公共の交通機関を使って自分の足で歩いていって、車で行かなければいけない場合もありますが、その場所の人と話をすることを自分の中のテーマにしていました。そうすると場所も覚えるし、そこに住んでいる人たちの空気感みたいなものも自分の中に入ってくるような気がするのです。そこから入るのが基本かなと思っていました。
フェリシモ:
苦労されたことなどはありますか。
松下さん:
北区の淡河で取材をしました。神姫バスで行くのですが、三宮からも出ていますけれども、最終バスが午後3時過ぎなのです。
フェリシモ:
早いですね。
松下さん:
「東京よりも遠い」と思いました。車だと30分くらいで行けるのですが、バスで行くと帰ってくるのに時間が非常にきびしいなと思いました。次からはレンタカーを借りて行こうと思います。
質問6
お客さま:
ホテル勤務から神戸市役所の広報を経て神戸フィルムオフィスのお仕事とどんどん広がっておられますが、今後はどのような活動を考えておられますか。
松下さん:
職を転々としてきましたので、もう落ち着いてこのまま神戸フィルムオフィスにいたいと思っています。神戸を紹介するとか神戸を好きになってもらうという私がいちばんしたいことができる仕事なので、もちろん映像制作者の方に向けてやっていますけれども、それ以外にも神戸をPRできる機会があればどんどん出ていける仕事なので、これを極めていきたいと思っています。
フェリシモ:
第1部ではあまりお聞きできなかったのですが、ブライダルのお仕事もされていたそうですね。
松下さん:
そうです。昔、やっていました。
フェリシモ:
ホテル業の中でもさまざまなお仕事をされていたということで、ブライダルのお話を以前お聞きした時に、本当に天職だと思った時期があったとお聞きしたのですが。
松下さん:
私、だいたいの仕事をいつも仕事が変わるたびに「これ天職だった!」と思うのです。いままでずっと天職と思えなかった仕事がほとんどないぐらいで、結構、順応するタイプなので、ウェディングの時はすごく楽しくやらせていただいていました。
質問7
お客さま:
私は京都の小さな出版社に勤め、広報系の仕事をしています。その中でどういうふうに京都らしさを出していくのがいいのかむずかしくわからないことが多いです。私自身、大阪に住んでいるため、そういったことをどこに相談すればよいかわからないです。なにかアドバイスをいただければ幸いです。
松下さん:
京都は本当に魅力がいっぱいの町です。ただ、京都というイメージもすごく強い町だと思うので、神戸もそうですけれども、神戸と言えば海・山・町とか、おしゃれとか港とか、わりと既成概念で神戸らしいと思われる所が結構あります。でも、それはもうみなさん、重々ご承知のことだと思うのです。なので、もう少し深いところとか意外性のある所を探していかれるのがいいのではないかと思います。
そういう時にどうするかというと、私は町の達人たちにいつも話を聞きに行きます。キーマンみたいな方がいらっしゃって、こういう活動をしている人とか、この地域のことをすごくよく知っている人とか、例えば灘区だったらこの人とか、塩屋だったらこの人というような人がいらっしゃいます。その人たちに聞くと、「こんなおもしろいことがあったよ」という情報をどんどんくれるので、そういうキーマンとか町の達人的な人を見つけて懐に飛びこむのが近道ではないかなと思います。
フェリシモ:
そういえば松下さんは奈良のご出身です。近くに京都や大阪もありますが、その中でもどうして神戸にいらっしゃったのですか。
松下さん:
20歳くらいの私にとって、神戸はあこがれの町でした。もちろん、ふるさとの奈良も大好きですけれども、神戸のキラキラ感、光の色が違うとずっと思っていて、阪急電車でよく来ていましたが、西宮北口を過ぎるぐらいから、なにか光の色が違うといつも思っていました。「ここで変わった」と感じる瞬間があって、後に神戸市の仕事をするようになってから、六甲山に光が当たってその照り返しのゆるやかな光で真珠を選別するのが真珠の加工の人たちにはいちばんやりやすいという話を聞いたときに、「もしかしてそれかな」と自分の中で少しつながったような気がしたのですが、神戸の光とか、風がずーっと吹き抜けている感じもやっぱり神戸の魅力で、そういうところに引かれていったのかなという気がします。
フェリシモ:
神戸は海も山も同時に楽しめる土地ということで私も大好きですけれども、農作物とかもすぐ近くにあります。
松下さん:
これは市役所の仕事をしてから知ったことですけれども、神戸の北区や西区には広大な農地が広がっていて、車で30分で行ける所にたくさんの農家さんがいらっしゃいます。最近、毎週土曜日、今日は夏と春の間でお休みですが、ファーマーズマーケットを東遊園地でやっています。私もボランティアスタッフでよく行かせていただきますが、新鮮なお野菜、今朝とったばかりのタマネギとか農家さんが持ってきてくださるのを買えて、本当に神戸はいい所だなと思います。
目の前には海があって、いかなごのくぎ煮がなぜ神戸でできるかというと、いかなごは小さな魚なのですごく足がはやく、とってから4時間以内ぐらいに調理しないと傷んでしまいます。神戸は朝にとったものが9時ぐらいには市場に入るので充分加工できるのです。
そして後ろには1000メートル級の山がある。六甲山に上がったら、これもびっくりなのですが、六甲山の上の平均気温は北海道南部の平均気温と同じなのです。だから私たちは神戸にいながらにして避暑は北海道に行ける。20分ぐらいで上がれるというぜいたくな暮らしをしているのがすごいと思います。
フェリシモ:
第1部でもロケの時などに寒かったり暑かったり大変というお話をおうかがいしましたが、松下さんは結構現場に行かれることが多いということで。
松下さん:
私たちは5人でやっていて、それぞれの担当作品を持っているので、ほかの担当の時には行かないこともありますが、大きな現場には顔を出すようにしています。
フェリシモ:
大変なのは寒い時と暑い時のどちらですか。
松下さん:
寒い時は着こむとか走り回るとか自助努力で何とかしのげるのですが、暑いのはちょっとしのげないことが多くてきびしいです。この時期からのロケは結構体力勝負になります。
フェリシモ:
六甲山に行くしかないですね。
松下さん:
本当ですね。うまい。
質問8
お客さま:
なにかを伝えるというなかで、最も大切にされていること、こころを配られていることは何ですか。
松下さん:
なにかを伝えるには、「なにか」が何なのかを深く知ることが大事だと思います。私は取材に行ったりすると、関わっていらっしゃる方の話をしっかり聞くのが基本です。そこをしっかり知った上で伝えていくことが大事ではないでしょうか。
質問9
お客さま:
神戸フィルムオフィスに入られてからいちばん苦労したと思うことはなんですか。
松下さん:
毎回小さな成功、小さな失敗、小さな成功、小さな失敗というのを繰り返してずーっと仕事をしているような感じです。うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。こちらの思いはあっても相手がついてこないとか、すごくやりたかったのに別の所で決まってしまったとか、思わぬ仕事が舞いこんだとか、成功と失敗をずーっと繰り返しているので、すべてが苦労だったような気もするし、すべてが成功だったような気もするし、そういうふうに1個ずつ積み上げてていねいにきちんと対応していくことが大事なのかなと思っています。
フェリシモ:
現在、何本くらいお仕事を同時に抱えられているんでしょうか。
松下さん:
去年は『べっぴんさん』があってものすごく忙しくて、たまたま大きな作品が続いたということで、本当に去年は大丈夫かなと思うくらい忙しかったのですけれども、今年は朝ドラが終わったので少し楽をさせてもらっています。
フェリシモ:
朝ドラはやはり大変ですか。
松下さん:
朝ドラは大変でした。1本の作品で1年2ヵ月かかりっきりでした。でもいい経験をさせていただいたし、町の方やいろいろな方に助けていただきながら一緒に作ったという気持ちになれたのがやっぱりうれしいです。
質問10
お客さま:
神戸のために何ができるかというのは、神戸フィルムオフィスでは映画の誘致以外では何かありますか。
松下さん:
誘致して支援して作品ができあがった後に、それをたくさんの方々に見ていただくというのも大事な仕事です。そして、作品の制作が発表されていない段階では守秘義務があって表には出せないので、エキストラの方は別ですけれども、撮影現場を一般市民の方に見ていただく機会はなかなかありません。なので、できあがってから「こんなふうに撮られました」とか「ここがロケ地です」というお話をみなさんと共有するのも大事な仕事だと思っています。
フェリシモ:
その際にSNSなどを効果的に使われたりするのでしょうか。
松下さん:
フェイスブックとかツイッターで発信することもありますし、例えば『べっぴんさん』でいうと、今年の3月にハーバーランドでイベントを3日間やりました。ジャズ喫茶「ヨーソロー」の、大阪のスタジオにあったセットをそのまま神戸に移築してもらって、その前で『べっぴんさん』に出た人たちにジャズの演奏をしてもらって、最後の日には栄輔さん役の松下優也さんに来ていただいてトークショーもしました。そうやって、できあがっている作品をみなさんに身近に感じていただけることもどんどんしていこうと思っています。
今年も1個、大きなことを考えていますので、フィルムオフィスのフェイスブックとかホームページを見ていただいたら、秋ぐらいにはお話しできるようになると思います。
フェリシモ:
楽しみにしています。
質問11
お客さま:
お話を聞いて神戸、住んでいる町の魅力の再発見に思いをめぐらせています。世界の都市ではどこか印象的な所はありますか。
松下さん:
私は頻繁に海外旅行に行っていないのですけれども、行ったことはないのですがアムステルダムにはすごく興味を持っています。先ほどのBE KOBEを作る時に、お手本にした町がニューヨークとアムステルダムとバルセロナでした。アムステルダムは移民が多い町らしいです。売春やドラッグが合法ということで、どちらかというとダークなイメージがついていて、EUの中でも「住んでみたい街ランキング」でどんどん落ちてきているという社会問題を抱えていらっしゃったのです。そうではなくて、アムステルダムの市民であることを誇りに思おうという、町のプロモーションをしようということになって、「I amsterdam 」というロゴが発表されました。町のあちこちにI amsterdamというモニュメントができたりとか、市民の方々の写真のところにI amsterdamとつけたものがあちこちに貼られたり、写真集ができたりというようなシティープロモーションをされて、いまではアムステルダムを誇りに思う人が増えてきたという町なので、ちょっと見てみたい気持ちはあります。
質問12
お客さま:
フィルムオフィスのお仕事は非常にお忙しそうですがプライベートはありますか。何をされて過ごされていますか。
松下さん:
いつごろからかプライベートと仕事の境目が自分でもよくわからなくなってきて、市役所にいる時は平日は市役所に行って取材をしたりものを書いたりという仕事が多かったのですが、土日はいろいろな所に行って、取材と言いながら町の方々がやっていることを一緒にやらせてもらうのがすごく楽しくて、いまでも結構、土日で暇があればいろいろな所で行われているイベントに参加したり、スタッフとして一緒にやったりしています。
それがいまとなっては仕事なのかプライベートなのかよくわからないのですけれども、そうやっている間に町の人たちとの距離が近くなると、「いま、こんなネタ探してるんだけど」とか「ここでロケしたいんだけど」とお願いすると力になっていただけたりすることもよくあるので、いろいろな方とつながっているのが仕事でもあり、私の余暇の楽しみでもあります。
フェリシモ:
最近参加されたイベントはありますか。
松下さん:
このあいだの日曜日は、「こうべイクメンプロジェクト」に行って、一緒にいろいろなことをやっていました。お父さんたちが始められているイベントです。お父さんがイクメンになろうというのではなくて、町の人たちみんなで子どもを育てようという活動をしていらっしゃる方が毎年父の日にイベントをされています。
フェリシモ:
印象に残ったイベントはありますか。
松下さん:
どれも印象に残っていますが、最近でいうと須磨の海辺です。JR須磨駅の前の砂浜で遠浅化工事が終わりました。須磨の海は波打ち際からドンと深くなって、小さい子を遊ばせるには怖いという話がありました。埋め立ててずーっと遠浅にすると、小さい子でも海水浴を安全に楽しめるということで、震災の前からそこを遠浅にしようという計画があったのですが、震災でその計画が延期になってしまって、まだ一部ですけれども、やっと今年完成しました。
それでオープニングセレモニーと一緒にお祭りをしようということになって、須磨の海岸で漁師さんとか海の家の方とか地元の方たちがいろいろなイベントをされました。漁師さんがとってきたチヌを塩釜焼きにするワークショップのお手伝いに行きましたが、子どもも大人も自分たちで塩をベタベタ上から貼りつけて、炭火で焼いてその場で食べるイベントで、私はレモンを切っていただけですけれども、そんなことができるのも神戸らしいと思いました。海も山もあって、しかもその場所には漁師さんはいる、パティシエさんはいる、海の家の人はいるという種々雑多な人たちがひとつの目的の中で動いているのがとても神戸らしいと思います。そういう神戸の人たちをどんどん紹介していくのが私の趣味でもあり、仕事でもあるという感じです。
フェリシモ:
たくさんご質問をいただいたのですが、個人的におたずねしてもよろしいでしょうか。
先ほど神戸のおすすめをおうかがいしましたが、神戸で食べられるおいしいもののお話などを教えていただけませんか。
松下さん:
うーん、むずかしいな。
フェリシモ:
人を連れてきた時に、なるべく地元産のものを食べていただきたいなと思うのですが。
松下さん:
それも相手が誰なのか、どういう嗜好を持っていらっしゃるのかということがすごく大事だと思います。映像制作者の人たち、監督さんとかが来た時に、ロケハンというのがあります。まだ神戸で撮影するかどうかわからないけれども、ロケハンをして気に入ったら神戸に来てくれるかもしれないという人たちで、なんとしてでも神戸に来てもらいたいですよね。ロケ場所としての魅力があるのは当然のことですが、そこにプラスおいしいものが食べられたら、結構決まる確率が高いのです。
フェリシモ:
本当ですか。
松下さん:
私は前の代表から「胃袋をつかめ」と言われました。なので、その監督さんがどんなものが好きかわかる範囲でリサーチをして、どこにお連れするかということをものすごく真剣に決めます。だいたい監督さんがいらっしゃる前には、その下の方々が先に前乗りして来られることが多いです。その時に「監督さん、どんなものが好きですか」とちらちらリサーチして、俗語で私たちはメシハンと言っていますが、飯ハンティングに先に行っておいて「こんなん、どうかな」と。そして当日お連れして「うまいな」と言われると「よし!」みたいな感じになることが多いです。
さっきお見せした大和ハウスのCMの監督さんはすごく有名な方ですけれども、めちゃめちゃくいしんぼうなんです。神戸に何回も来られているので、結構いろいろなものを食べてはるんですけれども、わりとジャンクなものが好きなのです。そんな高級料理ではなくて、1品おいしいものが食べたいという感じの方で、だいぶ食べ尽くしていらっしゃるのだけれども新しいネタをそろそろ出さないとやばいなと。
それで、最近ラーメンに凝っているという話を聞いたので、順徳という中華料理のお店のねぎ汁そばが、いまうんうんうなずいている方も何人かいらっしゃいましたが、すごくおいしいのでお連れしたら、スープを全部飲んで「うまっ!」と言ってくれたのです。
フェリシモ:
勝ちましたね。
松下さん:
「よし!」って感じです。
フェリシモ:
ロケハンは事前に松下さんがこちらがいいのではないかと提案した所に連れて行くのでしょうか。
松下さん:
そういう場合もありますし、いまの時代、ネットで見ているといろいろなものがあがってきます。ある程度目星をつけて、「こことここに行きたい。ほかにありますか」と聞かれる場合もあります。私たちだけが探すのではなくて、制作の人たちが探してくる場合もあるので、いろいろなケースがありますが、やっぱり私たちはこれを仕事としているので、いちばんピタッと「よし、ここだ」と思われる所を提案できたらいちばんうれしいので一所懸命探しています。
観光地と違うのは、台本に書いてある場面に合う所を提案しないといけないので、廃墟かもしれないし、何気ない商店街の一角かもしれないし、いろいろなシチュエーションがあります。神戸の町のいろいろな所をインプットしておいて、なにか言われた時に「ここか、ここか、ここ、どうですか」と3つぐらい選択肢をあげられるぐらいになっていたいと思います。でききれない場合も多いのですけれども。
フェリシモ:
外からいらっしゃった方からの視点というのはあるのでしょうか。
松下さん:
さっきの元町の交差点もそうですけれども、「なるほど、ここね」とか「専門家から見るとこういうところがいいんだ」と思うところはすごくたくさんあります。
フェリシモ:
最後に、松下さんに神戸学校からひとつ質問させていただきたいと思います。松下さんが一生をかけてやり遂げたい夢とは何でしょうか。
松下さん:
事前に「この質問を最後にしますよ」と言われていて、ずっと考えていたのですがなかなか答えが出せなくて、今日の朝、やっとこれで言おうかなと思ったのですけれども、今日のテーマがシビックプライドということで、この町の人たちがこの町に誇りを持って暮らせるようになればいいなというのが私のいちばんの思いです。
でも、これは私ひとりががんばってできることではないし、誰かひとりの力でできることではないのです。白馬の王子様が現れてすべての問題をサーっと解決してくれたらいいのですが、そういうことはありえない。なら、いろいろな人が「私は私ができることをがんばる」、そして「いろいろな人ががんばっていらっしゃることを応援できるときは私も応援する」みたいな感じです。
最近、町をよくしようと思っている人がすごく増えています。例えば町づくりや防災はしんどいこと、大変だけどやらなければいけないことみたいに思っている人が昔は多かったと思うのですが、最近は結構「これ楽しいし」とか「素敵だし」とか「こうした方がおもしろいに決まってるやん」みたいなノリでやっている人が増えてきているような気がするのです。
オフグリッドというらしいのですが、電力会社からの線をオフにして自家発電をしている人たちがいます。結構それは大変なことじゃないですか。「自分たちは地球環境のためにこれをやる」という気持ちでやっているのかと思って聞いていれば、自分たちで作った電力で料理をすると料理がおいしいとか、これも「ほんまか!」と思いましたが、アンプにつないで音楽を聞く時に自家発電した電気でCDを聞くとものすごく音がいいとか言うのです。「そんなわけあるかい」と思ったのですが、その人は「でもね、100人中95人はそう言います。絶対違います」と必死に言うのです。そんなに楽しいのだったらやってみようかなと思うじゃないですか。そういう乗り越え方をしようと思っている人たちがたくさん出てきているんだなと思って、すごくそれが明るい未来のような気がしているのです。
なにかいいことを少しでもしたいなと思っている人たちの思いがだんだん増えてきて繋がっていけば、その先に見える世界は、いまよりもっと素敵な世界なんだろうなと思うのです。そういう世界をみるのが夢です。