フェリシモCompany

「利他とグッドデザインで“ともにいきる”社会を」

認定NPO法人おてらおやつクラブ代表理事

松島 靖朗さん

開催日
13:30 - 15:40(開場13:00)
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プロフィール

松島靖朗(まつしま・せいろう)さん

1975年生まれ。株式会社NTTデータにてインターネット事業、投資育成事業、株式会社アイスタイル(アットコスメ)にて企業経営・WEBプロデュースに従事。2010年僧侶に。2014年、全国のお寺の「おそなえもの」を「おさがり」として「おすそわけ」する「おてらおやつクラブ」をスタート。国内の貧困問題の解決のため、NPO法人や公的機関と協業するお寺の社会福祉活動として全国規模の活動を展開。2017年8月に特定非営利活動法人化。2020年11月認定NPO法人へ。2018年度グッドデザイン賞大賞(内閣総理大臣賞)受賞。

※プロフィールは、ご講演当時のものです。

講演録 Performance record

第1部

みなさま、こんにちは。本来でしたら直接お会いしてみなさまの前でお話をするのが私としてもいちばん話しやすいのですけれども、今日は奈良にあるお寺の本堂から、ご本尊さまを背景にお話をいたします。1年ほどいろいろなところから講演のお声がけをいただいたのですけれど、大体こうして前にカメラがあってZOOMの先に聞いている方がいらっしゃって……やはり慣れないですね。今日も特に本堂、仏さまをバックにというご指示がありまして、あんまりしないセッティングを用意したので、ちょっとそわそわしながら時間を過ごすことになるかもしれません(笑)。

本日は神戸学校の講演に呼んでくださいまして本当にありがとうございます。私からは「利他とグッドデザインで“ともにいきる”社会を」ということで、おてらおやつクラブという活動を通じて、実際に今コロナ禍で何が起こっているのかということも、しっかりとお伝えをしたいと思います。それに加えまして、この活動を通じてどんな社会をつくっていきたいのか、そんなこともこの1年いろいろと考えることがありましたので、その現在進行形の思いをみなさまにお伝えしていきたいと思います。

人を助けるということ

最近ちょっとはまっているアプリがあるんです。Be My Eyesというアプリをみなさまご存知でしょうか。このアプリはiPhone、Andoroid共にあるのですけれども、目の不自由な方、視覚障害者の困り事に、目が見える人がビデオ通話で相談に乗って、その困り事を解決する助けを提供するというサービスです。今このアプリは世界で30万人の視覚障害者の方がダウンロードされ、そして私もそのひとりなのですけれども500万人のボランティアの方がつながって、実際に困り事があればビデオ通話を通じて会話をするというアプリです。視覚障害者の方がこのアプリをどういうふうに使うかといいますと、無くしたものや落としたものを探すときなど、目の前にある写真とか絵画の説明をどなたかにしてもらいたいときにコールをされます。色を確かめたり食べ物の賞味期限を確認したり、また交通機関が到着した、出発したという場面や景色を確認するためにコールしてくださる方もいらっしゃいます。

例えば「このミルクはまだ飲めるかな?」という質問がありました。我々はその画面に映る商品の賞味期限を見ながら「明日まで大丈夫だよ」というふうに答えたりするんですね。「このシャツは何色?」と、今日着ていくシャツの色を聞かれることもあります。「少し薄めのブルーだよ」と答えたりもします。

私も半年ほどこのアプリを使って待機しているのですけれど、電話を取ろうとすると、もうすでに別のボランティアさんが通話に応答しましたと(表示されて)なかなか取れないのです。助けを求めている方がいらっしゃいますとプッシュ(通知)が鳴るのですけれど、運転していたり子守をしていたり、トイレでちょっと考え事をしていたりでなかなか応答できなくて、「うわ、これめっちゃ難しいな」という感じです。

月に1回から2回ぐらいコールがあるのですけれど、先日ようやくコールを取ることができました。たまたまタップしたら電話に出ちゃったという、そんな感じです。私は勝手に、聴覚障害者の方の「助けて」の声だから、とんでもない状況で電話がかかってきたらどうしようと思っていました。「今交通事故に遭いました。助けてください」とか、「今こういう状況で身の危険があります」とか、そんな状況で助けを求められて、私に何ができるのだろう、取ってしまってよかったのかなとわずか2~3秒の間にそんな葛藤が走りました。

実際に私が何の助けをしたかというと、画面にスマホのスタンドが映っていて、いきなり「これを買おうと思うんですけど、iPhoneを乗せても大丈夫ですかね」こんな質問でした。「あれ、そんなんでええの?」と、ちょっとずっこけました(笑)。通販サイトの商品詳細ページが載っていまして、それほどほかの商品も特徴はなく、どの商品も同じようなものですから、これで大丈夫ですよとたわいない会話をして終わりました。そんなものだったんですね。何か構えて大変なことをしないといけないと思っていたのですけれども、いざ話をして「助けて」という求めに応じて私がしたことというのは、普段の会話をしたまでだったのです。

そこでふと思ったのです。人を助けるということは難しいことなのだろうか、簡単なことなのだろうか。何だかよくわからないけれど、このコールを受け取って日常会話をして、人の助けになったということでとても清々しい気持ちになったのも確かです。ただその一方で取れなかったコールもたくさんあるわけですから、もっとたくさんの人が日常で不便な生活をされているということも感じました。「人を助けるってどういうことなんだろう」と思った次第であります。

普通の人生を求めて

そろそろあたたまってきましたので、本題に入っていまいります。私は今、奈良のお寺で住職を務めております。母親の実家がお寺というご縁があって、お寺での生活を幼少時代からしております。これは訳がわからないまま衣(ころも)を着せられて、住職だったおじいちゃんと一緒に横に座ってお勤めをしている場面です。小学校低学年ぐらいまではずっとこんな姿で日常生活、小坊主生活を送っておりました。でも、どんどん周りの声が気になり始めました。「あんたはお寺の子なんやから、もっとちゃんとせなあかん」「そんな口の利き方したらあかん。将来はお坊さんになるんやで」……何か面倒くさい場所だなと思い始めたのです。

大阪に上宮高校という、浄土宗という宗派が運営している高校があります。多くのお坊さんの子どもたちがここに進学をする学校です。私は実はここを2週間で退学したのです。「このままこの高校に行って卒業するとお坊さんになってしまう。これはまずい、だまされた」と思って。2週間と言いましたが3日ぐらいしか行っていません。もっと早く気づけばよかったのですけれど、あんまり何も考えていませんでした(笑)。

ここから15歳の私は、お寺からどうやって逃げることができるだろうかと、仏教から逃げるために全力疾走の毎日が始まりました。そのときは、とにかく周りの友だちと同じように普通の人生を生きたいと思っていました。「将来こうせなあかん」「お寺に生まれたからこうせなあかん」と特殊な環境であれこれ言われるのではなくて、自分がやったこと、これから歩む道をしっかりと見てほしい、それは周りの友だちと同じように普通の人生を送りたいということでもありました。

1995年、この神戸学校が始まるきっかけにもなった阪神・淡路大震災が起こりました。その後、3月には地下鉄サリン事件という宗教が絡む大きな事件も起こりました。1995年、私は東京に行くご縁をいただいて、翌96年に上京することになりました。東京の大学に進学することになったのです。奈良から東京には通学できませんから、これでやっと苦しみから逃れられると思いました。これはちょっと不思議な話ですよね。お寺は仏教をお伝えする場所、苦しみから逃れる教えがある場所なのですけれど、このころの私にとっては苦しみだけの場所だったのです。お寺から出ることでやっと苦しみから逃れられると、そんなことを思っていました。

1996年、ちょうどインターネットがこれから世の中をどんどんよくしていくというその黎明期、導入期でありました。多くの人がそうだったように私自身もインターネットに魅了されたひとりで、大学卒業後はIT企業で9年間お仕事をさせていただいて、大学を入れますと13年ほど東京で生活をしました。本当に毎日刺激的な日々を過ごしていたのですが、そんな中、この人は凄いなあ、こんなふうになりたいなと思う人たちは、どこか人とは違うユニークな生き方をしている方が多かったのです。

私は上京したときに、普通の人生を歩みたいと思っていました。しかし、普通の人生を求めて生きるということに飽きてしまったのです。何だか思い描いている憧れるものと、自分が上京してきたときに思っていたもののギャップがどんどん広がっていく、これから何をして生きていこうかなと思ったことがありました。そこで「そうだお坊さんになろう」と、ここでつながったのです。人にはできないこと、お坊さんになるということは特殊なこと、そうだこれからはお坊さんになって人とは違うユニークな生き方をしようと、そんなふうに決めました。

東京で仕事をしていた株式会社アイスタイルというアットコスメ(@cosme)を運営している会社で、最終出社日に断髪式をしてもらいまして……というかされまして、同僚にバリカンをひとりずつ入れられて、これでいよいよ「ああ、お坊さんになるのだな」という覚悟を決めた日のエピソードであります。

そのあと2年半お坊さんになる修行をしたのですけれど、ぶっちゃけ、めちゃくちゃしんどかったです。今からもう1回やれと言われたら、うーんどうだろうなと思うぐらい、なかなかしんどかったです。お坊さんになるというのは本当に楽しいことでもあるし苦しいことでもあるのですけれど、人とは違う体験をさせていただいたなと思います。

「おてらの習慣」と「子どもの貧困」

2010年12月25日にお坊さんになる修行を終えまして、安養寺での生活が始まりました。その翌年の春、東日本大震災が起こりました。またここで私の人生の中でも2度目の震災を経験することになりました。お坊さんになってすぐ東日本大震災が起こりましたけれども、私は奈良のお寺で生活をしていかないといけません。住職としてこのお寺のことをやっていかないといけないですから、なかなか東北にボランティアに行くことができません。何かしたいけれどなかなか難しいなと、被災地に思いを寄せながら過ごす日々が始まりました。

今も修行生活を送っているのですけれども、その中で気づいた「おてらの習慣」というものがあります。これがまさに、おてらおやつクラブの活動の源泉にもなっているものです。お寺にはたくさんの食べ物が仏さまやご先祖さまへのお供えとしてお寺に集まってきます。私たちは供養として仏さまにお供えをします。仏さまは、お供えに応じる存在と書いて別名「応供(おうぐ)」と呼ばれたりします。「供える」という字が「供養」と「応供」のどちらにも付いていますとおり、お供えで私たちと仏さまはつながっている、そんな関係でもあるのです。

お供えはお寺で生活をする私たち僧侶や家族が食事やおやつとして、仏さまからのお下がりとしていただきます。ときにはおすそ分けですね。お寺に集まってくる子どもたちや、お客さまとして来られるいろいろな方にお茶菓子を出したりおすそ分けをしたりする、そんな習慣がお寺にはあるのです。

しかしながら、実は賞味期限が切れてしまって食べられずにお下がりをいただくことができない、もったいないこともあります。どんどん気温が上がっていく夏場、果物やお野菜はすぐに傷んでしまって一部もったいないことをしているなと思うことも、実はお寺の中で起こっている課題です。

その一方で、子どもの貧困という社会課題が大きく報道されるようになって数年がたったと思います。一日一食の食事に困る子どもたちが増えています。果物を食べることなく過ごす子どもたちがいます。これはどこか遠くで起こっている話ではなくて、この日本で起こっている子どもたちの姿です。日本の子どもの13.9%、7人に1人の子どもたちが貧困状態にあります。生活が困窮し、ハンディキャップを背負いながら生活をしています。18歳未満で人口計算してみますと、約280万人もの子どもたちが貧困状態にあるといわれています。本当に大きな問題なのですが、なかなか実感が湧きにくい問題でもあります。

みなさま貧困と聞いて、今も数字をご覧になりながら、どんな景色を思い浮かべてくださいましたでしょうか。私がこの活動をする前に思っていたのは、いわゆる発展途上国で、お腹を空かせる子どもたちの姿です。貧困にはふたつございまして、人間として最低限保障されるべき生活ができていない状態を、絶対的な貧困といいます。それに対して、日本も含めた先進国で、その国で相対的に生活が困窮して厳しい生活を送っている状態を相対的な貧困といい、こちらも何らかの支援が必要です。私たちの活動で解決したいと思っているのは、この相対的な貧困です。

国際社会における日本の貧困率、特にひとり親家庭に限定してみると、先進国で貧困率がダントツで高いのが、実は日本なのです。それだけひとり親家庭にいろいろなしわ寄せがいってしまっている状況があるということです。では一部の地域の問題なのかというと、そんなことはありません。子どもの貧困率は全国平均で13.8%、いちばん少ないのが福井県の5.5%ですね。沖縄県は37.5%と高いです。これは戸室健作准教授(社会政策論、2012年当時、山形大学人文学部准教授、現、千葉商科大学商経学部准教授)の分析を基に作成された2012年のデータです。ちょっと字が細かいのですけれども、左側に各都道府県別の貧困率が載っています。この数字をどう読むか。いろいろ読めるわけですが、0%の都道府県はないのです。全国どこにでも生活に困窮する子どもたちがいる、身近なところに困窮する子どもがいるということがこの調査でも明らかになりました。

どうして貧困問題がこれだけ大きくなってきたのでしょうか。その背景に、ひとり親家庭が増加しているということがあります。なぜひとり親家庭が増加しているのでしょうか。その原因は離婚件数や、結婚することなく子育てを始められるお母さんたちが急増しているということがあります。今どれぐらいいらっしゃるのでしょうか。おじいちゃんおばあちゃんとの同居もない、母子のみで生活をしている世帯が全国で64万4千世帯あります。そのうちほとんどのお母さんはしっかり仕事をされているのですが、やはり非正規雇用です。新型コロナウイルス感染症の影響もあり、なかなか収入を増やすことが難しく、平均就労年収が125万円、およそ月10万円で、子育てをしながら生活をしないといけません。ひとり親家庭の48%、およそ半分が生活困窮しているという状況にあります。特にお母さんと子どもだけで生活をしている世帯に限ってみると、もっと割合は高くなります。

どうして貧困問題が生まれるのでしょうか。お金がないから?仕事がないから?貧困という言葉は、「貧しい」と「困る」というふたつの文字からなっています。「貧」というのはお金の問題、経済の問題ですね。「困」は、困り事があるということです。ただ、私も含めて困り事が何もありませんという方は、きっといらっしゃらないと思います。みなさまそれぞれに「ああ困ったな」ということを抱えて生活をしていらっしゃると思うのですが、貧困問題の根っこにあるいちばんの課題、要因はその困り事を解決するために「助けて」と声に出して言うことが難しい状態、つまり孤立してしまっているということなのです。困り事の解決をむずかしくしてしまっている状態、孤立してしまって「助けて」と言えない人たちがたくさんいらっしゃるということであります。

貧困の問題は単に物やお金がないということにとどまらず、人とつながりを持つことができない、子どもを安心して育てられない、お母さん自身が悩み事を相談することができない、そんな日常があります。また、この社会的弱者に対して、強い自己責任論があるわけです。「自分勝手なことをしてそんな状態になってしまった(のなら)、それはあなたの責任でしょうと言われてしまう。だから相談できないんです」というお母さんもたくさんいらっしゃいます。助けてと言えない社会になってしまっているのが今の日本であります。

この貧困問題というのは、今この瞬間だけではありません。負の連鎖として未来にも影響が及びます。親御さんの収入が少ないと十分な教育を受けることができなくて、進学や就職で不利になります。収入の高い、自分が希望する職に就くことがなかなか難しくなり、その結果、子ども世代も貧困状態を引き継いでしまうという負の連鎖があるのです。だからこそなるべく早く今この瞬間にも、この連鎖を断ち切っていかなければなりません。

途中でもお話をしましたとおり、7人に1人が貧困状態、ひとり親家庭の2人に1人が貧困状態と、こういう統計は年々アップデートされるのですが、子どもの貧困はなかなか見えにくいという大きな課題があります。国連が提唱しているSDGsは、「誰ひとり取り残さない」というテーマでさまざまな活動をされていますが、(子どもの貧困を解決するには)見えづらい、漏れてしまう人たちを見つけるところから始めないといけない、そのむずかしさがあるということなのです。マクロな統計データや世界規模での活動、スローガンを立ち上げたとしても、現実的にはその課題がどこにあるのかを探すところから始めなければならないという、大変むずかしい問題でもあります。

今からちょうど8年前、2013年5月24日、大阪市北区で28歳のお母さんと3歳の息子さんが、餓死状態で発見されるという事件がありました。国内で餓死が起こるという、本当に大きな問いを投げかけた事件でもありました。マンションの一室から、お母さんが息子さんにあてて書いた手書きのメモが発見されました。そこには「最後におなかいっぱい食べさせてあげたかった。ごめんね」と書かれていました。

二度とこの悲劇を起こしてはいけない。「おてらの習慣」「おそなえ・おさがり・おすそわけ」と「子どもの貧困」、これをつなげることで何とかこの社会課題を解決する一助になれないかと、大阪の事件の悲劇を(再び)起こさないために始めたのがこのおてらおやつクラブという活動であります。お寺の「ある」と社会の「ない」をつなげる、どちらの課題も解決しようというアイデアで、全国のお寺のお供えを、仏さまからのお下がりとして子どもたちにおすそ分けする活動です。我々の活動は3年前にNPO法人になりまして、いろいろな事業を行っておりますが、中心となるのは今お話をしましたおすそ分け事業です。全国のお寺と地域の支援団体をつなげ、その先にいる子どもたちにおやつをお届けしています。

母子家庭への「おすそわけ」支援

支援の流れをご紹介します。全国にはたくさんのひとり親家庭があるというお話をしました。同時に各地域にそれらの家庭を支援する団体があり、(ひとり親家庭と)つながっている状態にあります。おてらおやつクラブはその地域の団体に地域のお寺をおつなぎし、それぞれの地域で見守りをつくっていくというのが、おてらおやつクラブのおすそ分け事業の基本的な形です。おかげさまで活動は日本全国に広がっています。47都道府県1624のお寺を通じて、全国それぞれの517の支援団体を通じて、毎月およそ2万人の子どもたちが、どこかのお寺から届くおやつを楽しみに待ってくれています。

お寺のお供えと聞いて、ぱっと思い浮かぶ方もそうでない方もいらっしゃると思いますが、お寺にはたくさんのお供えが日々集まってきます。お寺は仏さまへのお供え、ご先祖さまへのお供えとして、みなさまのお気持ちが集まってくる場所でもあります。おてらおやつクラブはそのお供えをお下がりとしていただいて、箱詰めして必要なご家庭、支援団体にお届けをしているという活動です。そんなにむずかしいことをしているわけではありません。

お供えを箱詰めして子どもたちに届けている、それが全国いろいろなお寺で広がってきています。お手紙を一緒に入れたりして、単にものが届いただけではない、いろいろな人が思いを寄せて届けてくれているということをお伝えする、そんな活動になっています。(新型コロナウイルス感染症の影響で)最近は人を集めて発送するということができず残念なのですけれども、ボランティアさんに集まってもらって発送会を開いて、活動のご紹介もしながら社会問題、子どもの貧困について知っていただいて、そしてそれに対して「おそなえ・おさがり・おすそわけ」の活動をして、何らかの手応えを得ていただく、そんな機会をつくる活動もしています。

おてらおやつクラブという名前なのでおやつ、つまりお菓子を送っているのですかというご質問をいただくのですが、お寺には本当にいろいろなものがお供えされるのです。お米やお野菜もそうですし、旬の果物も農家の方が届けてくださいます。また、お寺で使っている日用品、タオルや洗剤などを一緒におすそ分けとして届けることもあります。おやつといいながら、いろいろな日常必要なものをおすそ分けでお届けしています。

お母さんたちへのアンケートで、おすそ分けを受け取ってどういう変化がありましたかという質問をしますと、経済的な改善というよりは心理的状況の改善、心理的に気持ちが楽になりましたという答えの方が多いのです。つまりはものを届けているというよりは、いろいろな思いを届けていたり、支えを行ったりしているということです。単にものを届けているだけの活動ではないということを、このようなお母さんたちの声によって実感し、私たち自身も力をいただいています。

これはダンボールいっぱいの歯ブラシと歯磨き粉です。今、スプレータイプの歯磨き粉ってあるんですね。*私は3か月に1回ぐらい、歯のクリーニングをしてもらいに歯医者さんに行きます。というのも、私は歯磨きがめちゃくちゃ下手で、必ず磨き残しがあるので定期的に専門家に取ってもらわないといけないのです。これはここだけの話ですけれど(笑)。*初めて行った歯医者さんで、受付に行きましたら「あれ?あんたおやつのお坊さんやんね?」こんなふうに聞かれました。「あ、やべえ。顔バレしてる」と思ったんです(笑)。ありがたいことなのですけれど。「あ、はいそうです。今日はちょっとクリーニングにお願いに来たんです」と言いながら治療室に行きまして、ちょっとそわそわしていました。「あれ?僕、おやつのお坊さんって思われてるってことは、おやつを食べ過ぎて虫歯になって治療に来たと思われていたらどうしよう」と何かそわそわして(笑)。大丈夫やったんですけれど。

会計を済ませましたら院長さんがこの箱を渡してくださって、「これ子どもたちに届けてくれへんか」と、歯ブラシと歯磨き粉のサンプルをたくさんいただいたんです。ああ、その手があったかと思いました。おやつの食べ過ぎでどう思われているだろうと心配していたのですが、全然そんなことはありませんでした。いろいろな人がいろいろな思いでこの活動、子どもの貧困について何かできることはないかなと考えてくださっている思いに触れることができた、とてもうれしいエピソードです。

子どもたちからも手書きの手紙などをいただくことがあり、しっかり届いてよかったな、必要なものを食べてくれてよかったな、そんな思いになれています。団体さんの活動の中で子どもたちが(おやつを)奪い合うという状態も起こっているみたいですね(笑)。そんな子どもたちの元気な姿を見られるというのも私たちの励みになっています。

グッドデザイン賞 大賞受賞

2018年、私たちはなかなか実感の湧かない子どもの貧困、この問題を多くの人に知ってもらうために何ができるかということで、ひとつのチャレンジをしました。それがグッドデザイン賞へのエントリーです。どうすればこの社会問題、子どもの貧困を多くの人に知ってもらえるだろうか、そんな思いでエントリーをしました。そうしたら、なんと2018年のグッドデザイン大賞を受賞してしまったのです。平成最後のグッドデザイン賞をこのおてらおやつクラブという謎の活動、しかもNPO法人で、しかも衣を着た坊さんが活動しているということで、授賞式の会場がかなりざわつきました。大賞って内閣総理大臣賞なんですね。当日会場で審査されて、その場で結果が決まったわけですけれども、最終的な決済は安倍晋三前首相(2021年7月現在)がされました。会場の係の方が首相官邸に電話されて、「会場でこんな結果が出たんですけど、大丈夫でしょうか」と確認がありました。そうするとやはり官邸もざわついたそうです。けれど無事に受賞できたという裏エピソードです。

グッドデザイン賞の審査委員長である柴田文江さんがこんな言葉を残してくれました。

「従来、寺院が地域社会で行なってきた営みを、現代的な仕組みとしてデザインし直し、寺院の「ある」と社会の「ない」を無理なくつなげる優れた取り組み。地域内で寺院と支援団体を結んでいるため、身近な地域に支えられているという安心感にもつながるだろう。それができるのは寺院が各地域にくまなく分布するある種のインフラだからだ。全国800以上の寺院が参加する広がりも、評価ポイントのひとつであった。活動の意義とともに既存の組織・人・もの・習慣をつなぎ直すだけで機能する仕組みの美しさが、高く評価された。」なかなか自分で活動を評価するというのはむずかしいですから、このように、特にデザインの専門家や発信力のある方々がこの活動を評価してくださったということは、本当にうれしかったです。受賞した瞬間は全然実感がなかったのですけれども、その後、今回のようにフェリシモにお声がけをいただいたというのも、グッドデザイン賞を受賞したというのがひとつのきっかけであっただろうなと思います。多くのご縁を生むきっかけとなった一日の出来事でありました。

参加するお寺と支援団体の声

参加してくださっているお寺は今1600を超えているのですけれども、お寺からもいろいろな声をいただいています。おすそ分けを届けている頻度というのは月に1回が2割、2~3ヵ月に1回が4割です。年に2~3回お届けをしてくださるお寺が中心になっている活動で、今後も活動を継続したいと思ってくださっています。お寺と地域の団体をおつなぎしていますが、その地域での関係もおおむね良好、これからもその地域での関係性をつくっていこうということで、活動を続けてくださっています。また、おてらおやつクラブにかかわることで貧困問題に目が向くようになった、さらにはその地域の課題に対して、何か役割を果たしたいとお思いになるお寺が多くなったというのも、ひとつの変化であります。支援団体からも、8割強が「おてらおやつクラブへの登録によって、心理的・経済的によくなった」、7割弱が「困ったときはおてらおやつクラブに助けを求められる」と、ポジティブな回答を多くいただいています。

また、届いたおすそ分けに満足していますか、今後も続けたいと思っていますかという質問に対して、「満足している」「これからもおすそ分けの受け取りを継続していきたい」とおっしゃる団体が9割強と多くいらっしゃいます。さらに、お寺との関係が良好だと8割の団体がご回答くださり、これからもお寺と継続して関係をつくっていきたい、地域の見守りをつくっていきたい、そんなふうに思ってくださっています。その地域で見守りをつくっていこうということで始めたこのおてらおやつクラブですが、今の段階でお寺と団体がそのように思ってくださり、これからも継続を続けようと思ってくださっています。

コロナ禍での活動

この1年間の活動で、かなり変わったところがあります。ここからコロナ禍の活動についてお話をしてまいります。

2020年2月に全国一斉学校休校になったタイミングがありました。まさにこれがコロナ禍の始まりと言ってもいいタイミングだったと思います。2020年の暮れの新聞に、この1年間で困窮する人たちからのいろいろな機関への相談件数が一気に増えた数字が載っていました。例年に比べて3倍、生活の困窮に関する相談があったということなのです。コロナ禍でいろいろな人たちがいろいろな状況で生活困窮する、追い込まれてしまう状態にありました。

コロナ禍で地域の支援団体とつながりのないお母さんから、奈良の事務局へ直接「助けてほしい」という声が急増したのです。おてらおやつクラブはその声に対してすぐにおすそ分けを届けるということで、なんとか緊急支援活動を始めたわけであります。去年の3月末に351世帯だった「助けて」のご縁が、1年経ちまして1720世帯になり、「助けて」の声がおよそ5倍に膨れあがりました。それだけいろいろな人がしんどい思いをしている中でも、ひとり親家庭、特にお母さんたちに困窮度が増す状態が一気に押し寄せてきたということなんです。どんな声が届いたのかご紹介します。

「コロナの影響で仕事がなくなり、今日明日、何を食べようという状況でおすそ分けをネットで知りました」

「ひとりでがんばっていましたが、ごめんなさい。子どもが欲しがるお菓子やジュースなど、以前は買える余裕がありましたが、買ってあげる余裕がありません」

「ジャガイモ1個買うにも悩んでいます。明日食べるお米さえもないときがありました」

「出勤日数が減らされ給与が減少し、パートはシフト取り消しになりました」

「離婚調停が延期になり、学校も学童(保育)も休校でどうにもなりません」

「失業保険で暮らしていますが、障害のある子どもを育てているためとても精神的につらく、体調もずっと悪いです」

このように、学校の休校で子どもたちの給食が無くなると食事の機会が減ってしまいます。家にいる時間が増えて、食費・光熱費が増加します。家計を支える仕事がなくなり、食べるものがありません。その結果、生きる気力がどんどん無くなっていきます。これが、この1年間お母さんたちの声を眺めながら感じたことです。それまでぎりぎりの生活、黄色信号で生活をしていたお母さんの日常が一気に赤信号になってしまうのです。

私たちは連日、即日、特にお米を中心にしたおすそ分けを全国の支援を求めるお母さんたちにお届けをする活動を、今も継続しています。これらのおすそ分けを受け取ったお母さんたちの声もお伝えしたいです。

「コロナで生活がさらに苦しくなった中、スマホをいじっていたらおてらおやつクラブにたどり着きました。半信半疑でメールしたところ、数日後にたくさんの日用品やらお米やそうめんなどが届きました」

「想像以上にいっぱいでびっくりしました!コロナで収入が減り、お菓子もたくさん買えず大変助かりました」

「仕事も半減し、子どもたちにものびのびとした生活をさせてあげられていなかったので、本当に感謝しています。これからの生活に活力をいただいた気がします!がんばります!」

「母子(家庭)だという理由で子どもたちにつらい思いはさせたくないという思いもあり、今回こども食堂やこちらに申し込みさせていただきました」

「どの母子家庭も一生懸命踏ん張っていらっしゃると思います。おやつを送ってきてくださり、支えられているという実感で、明日も子どもたちのために笑顔でがんばらないと……と思います」

ちょっと気になる言葉がありますね。「がんばらないと」「がんばります」もう十分にがんばっていらっしゃるお母さんたちが、さらにがんばろうとされるのです。子どものために自分は我慢してご飯も食べずに、まずは子どもたち。自分を犠牲にして我慢されるお母さんたち。もっともっと、私たちは何かしないといけないのだろうと感じているところです。

*「身寄りのない私にとっておすそ分けが届くことでひとりじゃないんだと思えます。」*

次に、たくさんご寄贈いただいたフェリシモの手づくりマスクを受け取ったお母さんの声をご紹介します。

「高校生の娘と私は手づくりのマスクを手に取ったと同時に、感動して顔を手で覆って泣いてしまいました。子どもたちには祖父母がおりません。手づくりマスクに入っていたお手紙を見て、ああ、子どもたちにはおばあちゃんはいないけれど、会ったことがなくてもこうして気にかけてくださる方はいるのだと、とても励まされました」

手づくりの品をご寄贈でいただくこともたくさんあるのですけれども、受け取ったお母さんたちはあたたかみや、そこに込められた思いをしっかりと感じてくださいます。その先に人がいる、自分たちのことを思ってくれる人たちがいるということが本当にありがたい、そんなふうにおっしゃいます。

お母さんたちの声に共通するメッセージがあります。それは、自分たちのことを見守ってくれる人がいる、そのことが本当にありがたいということなんです。ひとり親家庭の抱える経済的な困窮もそうですが、孤立して困り事を相談できない、この孤立感の解消に向けて、このおてらおやつクラブの活動はまだまだ続けていかなければなりません。

「自助・共助・公助」と「仏助」

よくいろいろな社会課題を解決するにあたって、自助・共助・公助という言葉が聞かれると思います。自助というとその裏側には自己責任論があります。自分の力で、家族や世帯の力でその課題を解決していきましょう。そしてさまざまな国の仕組み、制度、公助や地域の見守りで課題を解決していきましょう。公助、共助という助けがありますけれども、なかなかそれにたどり着くことはむずかしいのです。いろいろな制度はありますが、申請しないとその制度を利用できません。つまりはその制度があることを知り、そしてその制度の意味を理解しないと、その公助を受けることはできないのです。また個人主義、監視社会になっていますから、地域で見守りを持って助け合っていこうというのも、なかなかむずかしいですね。ともすると、顔が見える関係が監視につながってしまうこともあります。顔が見える関係で助け合っていきましょうと言うのは簡単ですけれども、実際のところはなかなかむずかしいのです。おてらおやつクラブは、この活動を通じて我々にできることは何かということを常に考えながら、まだ答えがないなかで活動を続けています。

「自助」ひとり親家庭のお母さんたちはひとりで生活を支えていらっしゃいますから、なかなか自分自身でそれを乗り越えていくということはむずかしく、こぼれてしまうお母さんたちがいます。

「共助」顔が見える関係で助け合いましょうといってもなかなかむずかしい。同じように、自分自身がそういう状態にあることを言うと、自己責任でしょうと言われてしまうこともあります。地域の目のむずかしいところもあるのが、実際のところです。

「公助」申請主義であるということもそうですし、役所が開いている時間に、仕事を休んで申請に行くということもむずかしい。ダブルワーク、トリプルワークが当たり前のお母さんたちです。その制度を理解し、窓口に行くのもむずかしい。窓口に行くと子どもの同級生のお母さんたちがいて、なかなか相談に行けないんですというお母さんも、実は多くいらっしゃいます。

自助・共助・公助、それぞれから漏れてしまうお母さんたちに対して、我々お寺だからこそできることはないかと思ったときに出てきたのが、「仏助」という言葉です。まさに仏さまの力、「助け給え仏さま」お寺にしかできないことをやっていこう、それが「おそなえ・おさがり・おすそわけ」を通じて子どもの貧困問題にチャレンジしていくということなのであります。

「支援させてくれてありがとう」

コロナ禍でいろいろな声が届くのですけれども、不思議な声に我々自身が励まされている、そんな声をご紹介いたします。これは「三宝(さんぼう)」というお供えを乗せる仏具なのですけれども、よく見ると下にグッドデザインのマークがありますよね。Gマークが彫ってあるのです。これはグッドデザイン大賞を受賞したときに、デザイン振興会のみなさまが、丸の内のギャラリーでおてらおやつクラブの活動を紹介する展示会をしましょうということで作ってくださった、イベント用のものです。そのイベントが終わりまして、そのあとこのお寺の仏具のひとつとして全国から届くお供え・ご寄贈の品をお待ち受けしているものです。

たくさん子どもたちに届けてくださいと、例えばアマゾン(Amazon)でギフト購入し、受け取りを事務局にされて(お供えを)送ってくださる方もいらっしゃいます。こうして寄贈の品がたくさん届くのですけれども、あるご寄贈にこんな手紙が添えられていました。「実は去年から、私自身が持病の線維筋痛症で本当に苦しく追い詰められてしまいました。このような人間が誰かの手助けなどおこがましいのでは?と思い詰めていました。まだ答えは出ていませんが、取り急ぎたくさんのお菓子を集めてまいりましたので、せめて誰かの役に立てばとお送りさせていただきます」

ご家族に支えられながらおやつをいろいろな形で集めてくださって、こんな自分だけれども周りに助けられているだけではなく、自分にできることをさせてほしい、そんなふうにお申し出てくださって、必ずお手紙を添えて、継続してご寄贈を届けてくださっています。

コロナ禍の影響を受けて、寄付やご寄贈が増えています。本当にありがたいことなのですけれども、みなさま一様に「支援させてくれてありがとう」そんなふうにおっしゃってくださるのです。ちょっと不思議な言葉だと思いませんか。

「助けてもらってありがとう」これはわかりますね、何かをしてもらった。「何かをさせてもらってありがとう」そんな声が寄せられています。不思議な声だなと思っていたのですけれども、冒頭でお話をしました東日本大震災が起こったとき、私は住職になるために奈良の寺に入りましたから、なかなかお寺を離れられない毎日が始まったのです。それがなければ東北に行って、いろいろなボランティアのお手伝いをしたかったのですけれども、なかなかそれができませんでした。何かできないことの歯がゆさ、つらさがあると思います。だからこそ、何かできる状態にあるということがありがたい、うれしい。それと同じではないかなと思ったんですね。「支援させてくれてありがとう」そんな声がたくさん届いています。「自分に何かできることがうれしいのです」多くの人がそのようにおっしゃってくださる。ああそういうことかと、私たちも大きな気づきがありました。

「助けて」と言える、“ともにいきる”社会へ

おてらおやつクラブは、お寺の習慣「おそなえ・おさがり・おすそわけ」と子どもの貧困という社会問題をつなげ、お寺の「ある」と社会の「ない」をつなげ、どちらの課題も解決しようというアイデアでした。その中で、具体的にはお供えものという食べ物や日用品を、あるところからないところに届けることで支援活動を行うというのが、おてらおやつクラブの今までの形だったのですけれども、コロナ禍で我々の活動はアップデートします。

「支援させてくれてありがとう」という声のとおり、人々の利他心の受け皿でもあり、おすそ分けを通じてお母さんや子どもたちも、人々の何かしたいという利他心に触れることができる、その機会を生んでいる、それが私たちの活動なのです。つまりは「助けて」と「助けたい」をつなぐプラットフォームになるというのが私たちの活動です。子どもの貧困や困窮者支援、これは引き続き継続してまいりますが、その先にある社会はどんな社会でしょうか。共助を志向する共助社会の創出へ、「助けて」が言える社会をつくっていくのが私たちの活動の目指すところです。

東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷(くまがや)晋一郎先生が、こんなことをおっしゃっています。「自立とは依存先を増やすことなんだ。それが自立した状態なんだ」「自立というと何でも自分でできる状態、人に頼らない状態を自立と思いがちだけれども、そうではない。自分自身が多くの依存先、相談先を持って支えられる状態をつくるということが本当の自立なのだ」まさにそのとおりだなと思うのですけれども、熊谷先生は何でこんなことをおっしゃったのかなとちょっと疑問に思って、いろいろな書物とかインタビューを拝見しました。そうしたら本当に説得力のあるそのお言葉には背景がありました。

熊谷先生は障害をお持ちで、ずっとお母さまの献身的なサポートに支えられながら生活をしてこられました。ただ、あるときに「母は本当に、日常疲労困憊している。私のために自分を犠牲にして支えてくれる。もしかすると私を残して先にあの世に行ってしまうことを思い悩み、私を殺してそして自分を殺めてしまうのではないか。これではだめだ。母のためにも、私は母に頼らず自立しなければならない」そんなふうに思われたそうです。お母さま以外の依存先をつくるにはどうしたらいいのか。自分自身も勉強され医師になり、そしてこの「自立とは依存先を増やすことなんだ」という言葉を私たちに投げかけてくださっています。本当に目が覚める思いといいますか、私たち自身が「助けたい」と「助けて」をつなぐためにも、いろいろなつながりや依存先を増やしていくという社会になれたらなというふうに思ったわけであります。

おてらおやつクラブは、全国のお寺のお供えを、仏さまからのお下がりとして子どもたちにおすそ分けする活動です。最後に、この活動を通じて私のお寺からおすそ分けを届けていた男の子が送ってくれたお手紙をご紹介します。何が書いてあったかというと「お坊さん、和菓子はもういいのでポテトチップスをください」がんばって手書きで書いてくれていました。「なんやねんこいつ、生意気なやっちゃな」と、一瞬思いましたけれど、本当に小さいころからなかなかしんどい環境で育ってきた大阪の男の子が、やっと子どもらしい姿を見せてくれたんだなと、うれしくなりました。いろいろなことを我慢していた子どもたちが、ようやく子どもらしい姿を見せてくれました。そのことが本当にうれしかったです。

おてらおやつクラブの活動は任意法人から始めてNPO法人になり、7~8年活動していますけれども、子どもの貧困問題は全然解消しません。どんどん悪化する一方です。どうしたものかなと思うのですけれども、こうして男の子が子どもらしく成長する姿、小さな変化を見せてくれたことが私たちの大きな成果のひとつになれるよう、こんな男の子がたくさん増えるよう、子どもたちの変化が見えるよう、活動を続けていきたいと思っています。

「利他とグッドデザインで“ともにいきる”社会を」と題しまして、今日は縷々(るる)お話をいたしましたが、利他とはまさに助けたいという気持ちと助けてほしいという声が上げられる状態であり、それを「おそなえ・おさがり・おすそわけ」という昔からある習慣をつなぐことで、利他の心「利他心」を広げていこうという活動でもあります。その先に“ともにいきる”社会が必ず現われてくる、そのことを胸にこれからも活動を続けていきたいと思います。駆け足になりましたけれども、「利他とグッドデザインで“ともにいきる”社会を」のお話を終わります。ありがとうございました。

2部 お客さまとのQA

フェリシモ:

ここから、みなさまからいただいたご質問をいくつか代読いたします。松島さん、どうぞよろしくお願いいたします。それではさっそく最初のご質問です。

困窮するお母さんに活動を知ってもらうために

お客さま:

貴重な講演をいただきありがとうございました。とても感動し、お母さんの声に何度も涙しました。貧困家庭を見つけるのは難しいとおっしゃっていましたが、困っているお母さんたちに活動を知ってもらうためどのような活動をされているのか、よかったら教えてください。よろしくお願いします。

松島さん:

おかげさまでお母さんたちの口コミで結構広がるようになってきました。オンライン上に、いわゆるシングルマザーのコミュニティーがたくさんありまして、そういうところでこんなおすそ分けが届いたよとか、こういうNPO法人があるよということを、口コミで話題にしてくださることも増えてきました。そういうコミュニティーでも話題に上がるほど、お母さんたちが困窮しているということなのですけれども。

当事者同士が情報交換される中に、私たちのこの活動名が出てくるようになって、多くのお母さんたちに知ってもらえるようになってきている流れを、我々は歓迎しています。またNPO法人になったひとつの理由が、もっと行政と連携をしていくことです。困窮するお母さんたちの公的な支援の窓口になるのは行政です。我々の狙いとしては、そこに来られるお母さんに、役所の窓口では困窮していることを相談できなくても、窓口に置いてあるおてらおやつクラブのパンフレットを持って帰って、こっそり私たちに相談していただくというものです。その動きをしてもらうために、行政の窓口におてらおやつクラブのパンフレットを置いてもらうという相談を、積極的にしています。実際にそういう窓口で知りましたとか、役所の方が協力してくださって、おてらおやつクラブという活動があるよとご紹介いただくケースが増えてきました。そういった形で少しずつお母さんとのご縁をつくっています。

フェリシモ:

なるほど。やはり人と人とがつながっていく、行政でもパンフレットでつながるというふうに工夫をされてつなげられているのですね。ありがとうございます。

その「つなげる」について、関連したご質問がいくつか来ています。

「助けて」と言いやすくするための取り組み

お客さま:

おてらおやつクラブのように、何をしてあげたらよいかのメニューがあることで「助けたい」の受け皿はたくさん広がり、利他の心がつながる社会への希望が見えました。一方で、見えない「助けて」をもっと見やすくするためには何が必要だと思われますか。

お客さま:

「助けて」は深い信頼関係の上でないと、なかなか言いづらい言葉だと思います。東京大学の熊谷先生は、自立は依存先を増やすとおっしゃいますが、信頼関係の薄いところでは依存しづらいだろうと想像します。「助けて」と言いやすくなる環境をつくる工夫があれば教えてください。

松島さん:

質問をどうまとめるかがむずかしいのですけれど、どちらから答えましょうか。

フェリシモ:

最終的にお聞きしたいのは、「助けて」ともっと言いやすくするために、どういうことを私たちがしていけばいいのか、ですね。

松島さん:

それは本当に我々もずっと考えています。毎日どう行動を改善すればいいのか考えているのですけれど、「お寺なら、お坊さんなら何かしてくれそうだ」という期待をお持ちいただいているのが、本当にありがたいのです。相談先はいろいろあるのですけれど、断られたらどうしようとか怒られたらどうしようというときに、お寺だったらさすがに怒りはしないだろう、何か一緒に考えてくれるだろう、苦しみを共有してもらえるかもしれないと多くのお母さんたちが思ってくださるからこそ、コロナ禍で「助けて」の声をこれだけ上げてくださったのだと思うのです。その期待に応えていくということがひとつあると思います。

そしてインターネットですね。24時間いつでも受付、相談に乗れるフォームを開設しています。事務局のメンバーのがんばりが本当にあるわけですけれども、連日即日でお応えをして、早ければ「助けて」の声が上がったその日のうちに発送して、翌日にはおすそ分けが届きます。相談事をしっかり聞いていない段階でも、まずはご飯を食べてくださいということで、おすそ分けを届けます。早くアクションするということで、私たちは他の窓口と比べて、「相談してもいい団体かも」と思っていただくことがまずスタートです。そこから個別にコミュニケーションしながら信頼していただく、依存してもらう関係をつくっていきます。

ただむずかしいのは、何か言えばおすそ分けを送ってくれるというような、あまりよくない意味での依存になってはいけません。私たちは、そのご家庭が本当に解決しないといけない課題を解決できる専門部隊に橋渡しをしていくということも、ひとつの役割です。私たちにまずは依存していただき、それ以外の依存先を一緒に見つけていく、つなげていく橋渡しをするというのも我々の大きな役割だと思います。今のところ、実際そこをなかなかできていないです。

フェリシモ:

ありがとうございます。それでは、次の質問にまいります。

課題を知ってもらうことの大切さ

お客さま:

本日は貴重なお話をありがとうございました。今私にできることは何かを考えています。

おてらおやつクラブの活動を続けていくために、今助けてほしいことは何かありますか。お供えはもちろんですが、お供え以外にも何かあるでしょうか。

松島さん:

そうですね、いっぱいありますけれども……(笑)。まず今日聞いてくださったこと、知ってくださったことをお知り合いやお友だちなど、できるだけ多くの方にお話をしてもらいたいですね。SNSでシェアするということもそうですけれど、ぜひ身近な人とこの問題について話し合っていただきたいと思います。多くの人に知ってもらうということが、やはりこの活動を加速していくために必要なのです。

我々の活動に参加してお力添えをいただくという方法以外にも、子どもの貧困を解決する方法はたくさんありますから、まずは課題があるということを知っていただいて、それぞれができることを考えていただくというのがいいかなと思います。実際のところ、例えばマンスリー会員になってもらってお金で寄付をしていただくというのが、こういう活動にはいちばんありがたい応援なのです。けれども、そういった形でこちらから何かしてくださいということではなくて、ご自身がそれを考えるきっかけにもしていただきたいなというのがこの活動をしているひとつの狙いでもあるのです。我々の活動も正解がない中でやっていますので、一緒に考える仲間を増やしてほしいと思いますし、その中で思いついたアイデアがあればぜひ提案をしていただきたいなと思います。

フェリシモ:

まずは知ることからなのですね、ありがとうございます。それでは同じお客さまから2点目のご質問です。

全国のお寺から匿名配送で「おすそわけ」を送る試み

お客さま:

おてらおやつクラブの今後の活動について、新たなチャレンジをしようと考えられていることはありますか。

松島さん:

おてらおやつクラブ自体は、お寺がしている新しいチャレンジというわけではないのです。全国にはそれこそ地域で何百年と歴史があるお寺が多くあります。そのお寺というのは地域の方々のいろいろな思い、信仰や祈りの力に支えられてきた場所でもありますから、私たちの活動はそのお寺の持っているポテンシャルやソーシャルインフラとしての機能を社会問題に接続しただけなのです。従来のお寺の活動を引き続きやり続けるということが、我々が大切にしていることです。ですから、新しいことにチャレンジしてこういう活動を始めたとは、今もあまり思っていません。これからも何か今やっていない新しいことをやっていこうということは、あまり思っていないのです。

ただ今月からスタートしたシステムがありまして、それは何かといいますと……コロナ禍で事務局にたくさんの「助けて」の声が届くようになりましたというお話をしましたよね。連日、いただいたご寄贈の品やお供えをおすそ分けする活動をずっとしているのですけれど、正直、事務局は結構しんどいです。大変です。人を集められない状況の中でやっていますから、少人数の事務局メンバーが日替わりで荷作りをして、私も夜な夜な筋トレ代わりにおすそ分けを詰めています。けれど、あまりこれはよろしくない。持続性の高い活動ではありません。

かなり負荷が高まっているので、これを何とか分散できないかなということでひとつひらめいたアイデアがあります。何だと思いますか?お母さんたちに荷物を送らないといけないのですけれども、ここから送るのではなくて別の場所から送りたいのです。でもお母さんたちの情報は外には出せません。どういう仕組みがあったらいいでしょう。

フェリシモ:

学校との連携でしょうか。

松島さん:

ああ、学校でお渡しするんですね。けれど誰に渡すかという情報は誰かに知られてしまいますよね。

フェリシモ:

そうですね、学校ではわかってしまいますね。

松島さん:

はい、わからないようにしないといけません。みなさま、メルカリ(mercaari)を使われていますかね。メルカリに匿名配送の仕組みがありますよね。あれをおてらおやつクラブでも導入しました。

フェリシモ:

なるほど。確かにあれなら匿名でお届けできますね。

松島さん:

全国のお寺から、事務局が送っている荷物と同じようなおすそ分けを、おてらおやつクラブの荷物として届けてもらうことで、我々の代わりに事務局機能を果たしていただきます。なおかつ、それぞれのお寺に個人情報が渡らない匿名配送の仕組みをつくりました。まだちょっとテストで動いているぐらいなのですけれど、これが広がっていけば、もっと多くのお母さんたちの声が届いても分散して協力し合え、まさに助け合えます。私たち事務局自体が全国のお寺に「助けてください。こんなシステムをつくったので使ってください」と、そんなふうに今お願いをしているところであります。

フェリシモ:

ありがとうございます。それでは次の質問です。

ロゴマークに込められた思い

お客さま:

とてもシンプルな質問なのですが、おてらおやつクラブのほっこりかわいいマークはどなたが作られたのですか。またどんな意味が込められているのでしょうか。

松島さん:

真ん中に子どもの顔があって手が差し伸べられているロゴマークですね。東京の知り合いのデザイナーさんと侃侃諤諤(かんかんがくがく)しましておてらおやつクラブという活動の名前を付けたので、それに合うロゴを付けたいという相談をしまして出来上がりました。まさに今日お話をしたメッセージが込められているのが、このロゴなのです。真ん中に子どもの顔があって、それを支えるいろいろな人がいるのですが、支える側のほうには顔がありません。デザイン案には両方の顔が向き合っているとかいろいろなパターンがあったのですけれど、「いや、顔はひとつだけでいいでしょ」と。子どもたちに手を差し伸べる顔の持ち主はいろいろいるのだということと、もしかしたらあなたが真ん中の顔の持ち主になるかもしれない、助けられる側に回るかもしれない、いつ何時自分が助けられる側、支える側どちらになるかわからないという、いろいろなことを思える活動の広がりを、このロゴマークに込めました。

もうひとつ、お坊さんとしてどうしてもこっそり入れておきたい思いがありました。「みなさまは仏さまに見守られているのですよ。ご先祖さまに見守られているのですよ。顔は見えないけれど、確か見守ってくれる人がいるのですよ」というそんな思いも込めてデザインしてほしいなという相談を、その当時にしました。ですので、友人のデザイナーに作ってもらいましたというのが答えです。

フェリシモ:

そのようにお聞きしますと、またロゴの見え方が一味違ってきますね。もう一回見直そうと思います。

松島さん:

ありがとうございます。

フェリシモ:

次のご質問です。

かかわる人たちがおのずと仏教的な行いを実践していく

お客さま:

おてらおやつクラブの活動の中で、仏教の教えが生きた場面やエピソードはありますか。それはどのような教えでしたか。

松島さん:

そうですね、それを言い出したらたくさんあるのですけれども……ひとつ注意しないといけないなと思ったことがありました。おてらおやつクラブの活動というのはNPO法人の活動なので、布教する活動ではないのです。ただ、全国のお寺で行っている「おそなえ・おさがり・おすそわけ」というのはまさに目に見えないものに感謝する、仏さまに尊敬の気持ちを行為として表すという宗教行為なのです。ですから「おそなえ・おさがり・おすそわけ」というのがまさに慈悲の実践、行動を表している、その受け皿になっているということなのです。

助けたいという思いをたくさんの方が寄せてくださいますけれども、これは仏さまが苦しむ人を救いたいという救済の思いと、1ミリも変わらない同じ思いです。さらにこの助けたいという「利他」の気持ち、他人に利することが自分にとっても利することになるのだ、人の幸せが自分の幸せになるのだということを多くの人が感じてくださっているということが、我々が何か仕掛けるというわけではなく、おのずとみなさまがこのおてらおやつクラブの活動に参加しながら、感じていらっしゃることだと思います。

ですから何か仏教的な工夫や仕掛けをあえてしているということではなくて、かかわってくれる人たちが、仏教的な言葉をおのずと言ってくださっているということなのです。私たちよりもお坊さんのような言葉を発する方がとても多くいらっしゃるのがありがたいですし、我々にとってはプレッシャーですね。お坊さんはお布施をもらうのは得意なのですけれど、自分たちがお布施をするのは本当に苦手なのです。それがよくわかります。ああ、この人のほうが徳を積んでいるなという場面が本当に多いです。幸せは分けても減らない、分け合えばもっと増えるという言葉もあります。まさにこれは仏教的な言葉ですし、そのことをみなさま自身が思っておのずと行動して、我々坊さんに教えてくださっているというのが実際のところです。

フェリシモ:

なるほど。今のお話に出た利他についてなのですが、お客さまからまたご質問をいただいております。

自己犠牲ではない「自利利他」

お客さま:

利他というと自分を犠牲にして他者の利益を、という印象を受け、少し気負ってしまいそうです。本来の利他を実践していくための気の持ちようといいますか、心構えのようなものがあればお聞きしたいです。

松島さん:

そうですね、まさに自己犠牲では続かないですよね。利他という言葉は単独では存在していません。「自利利他」という言葉にありますとおり、他人に対する利他と、人が喜んでいる姿を見て自分自身もうれしくなるということがセットでないと、それは自己犠牲だったりするわけです。今、世の中利他ブームというか、利他という言葉を結構いろいろなところで聞きませんか? 例えば「所有する」から「利用する・共有する」とか、シェアハウスなどもそうですし、ものを持たないでお互いに利用し合うということであったり。価値観が変わっていく中で環境に配慮するということも、回り回って自分以外のこと、自分の周りの環境がよくなることで自分自身も幸せになるということですし、利他的な仏教寄りの言葉が背景にある動きがたくさん出てきているなと思うのです。

自己犠牲をするような利他というのは局所的にやはりあって、ひとり親家庭のお母さんの声にもありましたけれど、「自分ががんばらなければ」というのはある意味無理をしてしまっていて、持続可能な状態ではありません。多くの利他が混じり合う、支え合う環境がたくさん出てきてそれがつながり合うことで、誰かに負荷が集中する環境がなくなっていき、依存する先が増えていくようにすることで、おのずと自己犠牲ではない利他の世界ができてくるのではないかなと思います。

コロナ禍でマスクをつけていなければならない毎日になったと思います。最初は自分がうつらないようにと思っていたのですけれども、無症状でもうつってしまっているかもしれない。けれど症状が出ないから(自分が感染しているかどうかは)わからないですよね。そうすると(人に)うつさないためにマスクをつけようという、ある種利他的な行動になってきていると思うのです。自分がうつさないことで感染者が増えないということは自分にとってもいい状態で、つまりはこの自利利他の実践を知らず知らずのうちにしているのではないかなと感じたのです。そういうふうに思ってみると、自己犠牲ではない利他の行動というのはたくさんあるなと思いますし、そういうはやり言葉としての利他ということではなくて社会に実装されていく日常的なものとして、もっと多くの気づきがあればいいなと思います。お答えにちゃんとなっているかどうか途中で怪しくなったのですが、すみません。

フェリシモ:

ありがとうございます。自分がしたことによって相手の人も幸せで、それがまた自分にも回り回って返ってくるというのはすごく素敵な循環ですよね。

松島さん:

そうですね、ただこれはめちゃくちゃむずかしいです。先ほどのお話の初めにも「助けるってむずかしい?簡単?」という疑問をちょっと投げたのですけれど、よかれと思ってやったけれど(相手は)「いやいや、そんなのして欲しくないんだけど」ということって大いにあると思うのです。障害者支援の現場にかかわられているいろいろなお坊さんの先輩から現場のことを聞くのですけれど、自分は助けを差し伸べているつもりでいたのだけれど、実は助けたいという人の気持ちをおもんぱかって、障害をお持ちの方が逆に気を遣ってしまっていて、本当はそこまでして欲しくないのだけれど、したいという気持ちに応えようとして、それをさせてあげているという状態(があるそうです)。これって誰もうれしくないですよね。

案外人のためを思ってしたことが、自己満足だったり求められているものをできていなかったりという状況があって、これは私自身もちょいちょいあるのです。人のためにという行動の裏には、そうじゃないミスマッチも多く起こっているのだなと思うので、そこは注意しながら意識していく必要があると思います。

フェリシモ:

なるほど、ありがとうございます。続いてのご質問です。

活動を始めてから変化した、お供えものの内容

お客さま:

ポテトチップスが山ほどお供えされている写真を拝見し、驚きと同時にお供えされた方の思いが感じられて心があたたまりました。お寺のお供えものといえば和菓子や果物などが多そうですが、おてらおやつクラブが始まってからお供えをされるものの内容は変わりましたか。

松島さん:

いい質問ですね。めちゃくちゃ変わりました(笑)。レトルト食品や日用品は、従来お供えではあまりなかったのです。けれどおてらおやつクラブの活動を知ってくださった方が増えるにつれ、お寺のお檀家さんもそうですし、お供えしたあとのことを考えてくださる方が増えました。

せっかくお供えするのだから「これ、住職のためにあげてるんちゃうよ。子どもたちに届けてね」という声を添えてくださる方もたくさんいらっしゃいますし、特に日持ちするものや火を使わなくともすぐに食べられるものとか、そういったものをお持ちくださることが増えました。今の時期必要なマスクや消毒液とか、そういったものをご準備して箱でドンとお供えしてくださる方もいらっしゃいます。食べ物以外のお供えも増えましたし、手づくりのお品もあります。実家のお母さんが東京にいる息子に仕送りの品として段ボールに詰める(ような)ものを入れてくださる、それがお寺のお供えものとして集まってくるのです。だいぶ変わってきましたね。

先ほども話題にしましたが、まあいちばん苦笑いしたのはやっぱり歯ブラシですね。その手があったかと思いましたし、私にはその発想はありませんでしたので、自分がどう思われているかしか想像もできていなかったけれど、ちょっと恥ずかしいエピソードです。はい、そういう話ではなかった(笑)。

フェリシモ:

メルカリでの匿名配送でのつながりという事例を先ほど挙げていらっしゃいましたが、次の質問です。

おてらおやつクラブを、多くの人がかかわる場所に

お客さま:

おてらおやつクラブに寄せられたお母さまのお声に涙が出ました。世の中にはたくさんの「助けて」と同時に、「助けたい」という思いにあふれているとお話を伺って感じましたが、お互いに「助けて」と「助けたい」を聞き合うためにはどうすればいいのかと今考えています。松島さんは「助けて」という方と「助けたい」という方の両方をたくさん見てこられたと思いますが、「助けて」と「助けたい」がつながりやすくなるためにはどうすればいいと思われますか。

松島さん:

やはりプラットフォームですから、そこにかかわる人たちが増えるということが、いちばん「助けたい」と「助けて」がマッチする確率が上がってくるのだろうなと思います。ちょっと比較していいのかわからないですけれど、これはオークションサイトとかも一緒で、売りたい人と買いたい人が多くいる場所ほど、成約率が上がると思うのです。「助けて」と「助けたい」も、「助けて」という人が増えるということと、「助けたい」という人が同じ場所に集まってくるとそこが大きくなってきます。おてらおやつクラブを知ってくださって、かかわる人がどれだけ増えていくかということが、重要なポイントじゃないかなと思うのです。私がいくらがんばっても、私ひとりがすべての「助けて」と「助けたい」をつなぐというようなことは絶対に無理です。先ほども申しましたとおり、よかれと思ってつなげたけれども実は全然マッチしなかったということもありますから、やはり多くの人たちがかかわり合う場所に育てていくということが、大切なのではないかなと思います。

もうひとつ、おてらおやつクラブを始めてやっと気づけたことがありました。先ほど男の子の手紙をご紹介しましたよね。「和菓子はもういいからポテトチップス送ってください」というあのセリフですね。実は、私が小さいときにおじいちゃんに言っていた言葉なんです。「おじいちゃん、最中はいいからおやつ買いに行こう」ってずっと言っていたんです。「またあんこ?嫌やねんけど」まあ、めちゃめちゃ失礼な子どもですよね。それが嫌で東京に出て、という話をしましたけれど、こうしておてらおやつクラブの活動をして連日お供えされるものを見ながら、自分自身がそういうお供えのお下がりで育てられたからこそ、今ここにいるのだなということにやっと気づけたのです。40年かかりました。

お寺を離れても、村のおじいちゃん、おばあちゃんたちは私の帰りを待っていてくれました。あの子はいつか帰ってきてお寺を継いでくれると、そんな思いでずっと待ってくださっていたけれど、間に合わなかったおじいちゃん、おばあちゃんもたくさんいます。お別れをしました。ようやく住職になって戻ってきて、法事などで私が小さいころに育ててもらったおじいちゃん、おばあちゃんたちにお経を読みながら、「あのときは本当にすみませんでした。いただいた恩をみなさまに直接お返しはできないけれど、今これから未来を担う子どもたちに届けます。いただいた恩を未来に向けて送ります」と反省しながら勤めているのです。

自分自身も「おそなえ・おさがり・おすそわけ」で育てていただいた、つまり「助けて」と「助けたい」がそのときその瞬間につながらなくとも、また別のご縁で未来につながっていく流れもあると思います。お寺という場所は本当に不思議で、今この活動は横のつながりを広げていこうと言っていますけれど、先祖代々から続く縦の糸もあるのです。そういったご縁もありますから、助けられた子どもたちが将来助ける側に回るかもしれません。これをご縁にお坊さんになる男の子が出てきたらうれしいなと、実はこっそり思っています。子どもたちがお坊さんになりたいと思ってくれたら、それはそれでひとつ私の中での喜びでもあるなと思います。

ご質問の答えは、より多くの人がかかわる場所に育てていくということがいちばんの近道かなというふうに思っています。

フェリシモ:

ありがとうございます。今、過去の松島さんと現在の松島さんという話も出ていましたが、最後のご質問です。

過去の自分自身にかける言葉

お客さま:

お寺から離れたいと考えていた若いころのご自身に対して、今の松島さんならどんな言葉をかけられますか。

松島さん:

お寺を離れてよかったなと思っていますし、その選択に間違いはなかったよと伝えてあげたいですね。ただし、それができたのは多くの人の支えがあったからということを忘れずにいてほしいなと。これは今の自分に言い聞かせているのですけれど(笑)。

お釈迦さまがお弟子さまにおっしゃった言葉をひとつご紹介します。インドにはいろいろな身分制度があって、お釈迦さまの時代も本当にきつい身分制度がありました。お釈迦さまのもとに、奴隷の身分だった方が出家されてお弟子になられました。そのお弟子さんがお釈迦さまに「自分のような卑しい身分のものが修行して、お釈迦さまのようになれるのですか」というふうに聞かれました。そうしたらお釈迦さまは「あなたは身分によって、生まれによって立派な存在になるのではない。人というのはこれから何をなすかで尊い身分になれるかどうかが決まるのだ」そんなふうにおっしゃいました。生まれによってその人の歩みが定まってしまうのではない、これから何をするかによって尊い存在になれるのかどうかが決まるのであるというふうにおっしゃったのですね。

本当にそのとおりだなと思うのです。私はお寺で生まれたということが本当に嫌で、ときにはもう命を絶ってしまおうかと思うぐらいに悩みましたけれども、実際には多くの人に支えられて、そしてここまで来て、お坊さんになれました。ですから、今生まれで苦しんでいるとするならば、そんな社会はなくそうというのが私たちの活動でもあります。生まれによっていろいろな人たちが苦しむそんな社会ではなくて、あなた自身が何をするかによって未来が切り開かれていく、それがまさに自分が経験してきたことでもありますし仏さまの教えでもあり、おてらおやつクラブがこれから成し遂げていきたい「助けて」が言える社会、自由にいろいろなチャレンジができる社会をつくっていくことだと思います。

だから「お寺が嫌だったら東京に出て、またいずれ戻ってくるのだから精いっぱいその場でできることをしっかりやってください」と言いたいですし、奈良に戻ってきて修行している今の自分には「道は回り道ではなかった。あれも修行だった」というふうに思えるかなと思います。お答えになっていますでしょうか。

子どもたちが笑顔でいられる社会をつくる

フェリシモ:

ありがとうございます。まだまだたくさんの質問にお答えいただきたいところなのですが、そろそろ終了のお時間が近づいてまいりましたので、最後に神戸学校を代表して質問をいたします。

改めまして、一生をかけてやり遂げたい夢について教えていただけますでしょうか。

松島さん:

そうですね、本当にこの活動の延長線上にあると思います。子どもたちが笑顔でいられる社会をつくるということ、それに尽きます。そのために私は僧侶として生涯修行を続けていきますけれども、そのなかでできること、また多くの人と力を合わせながら実現していくこと、大きな夢に向かって子どもたちが笑顔でいられる社会をつくっていくということ、それが私自身が命をかけてやりたいと思っていることです。

フェリシモ:

松島さん、ありがとうございます。本日は神戸学校にお越しくださり本当にありがとうございました。

みなさま、本日の神戸学校はいかがでしたでしょうか。松島さんのお話から、何事もまず自分事として捉えて見ることの大切さと、“ともにいきる”ことのできる社会の美しさを感じていただけたのではないでしょうか。みなさまの日常に、何か少しでも新しい気づきが増えていますと幸いです。現在、おてらおやつクラブの活動はフェリシモでもメリーポイントを通じてお客さまから寄付を募り支援をしております。子どもたちの未来に向かう勇気や力につながるおいしいおやつを届けるため、お力をお貸しいただければと思います。

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