フェリシモCompany

「私が伝えてゆきたいこと」

モデル

マリエさん

開催日
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プロフィール

1987年6月20日生まれ。東京都出身。ViViの専属モデルやTVでのタレント活動など、多方面で活躍。2011年渡米、NYにある名門「パーソンズ美術大学」へ留学。ファションを専攻。数々のデザイナー達へのインタビューから影響を受け、アート・ファッション・カルチャーに深い関心を寄せるようになる。趣味は映画、音楽、ギャラリー巡り。現在は多数の雑誌に出演し、J‐WAVE「SEASONS」ナビゲーターや、世界150ヵ国以上で放送中の NHKWORLD「TOKYO FASHION EXPRESS」 MCを務める傍、デザイナーとしても活動の場を広げている。2017年6月、自身のブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS」を立ち上げ、第一弾として販売したTシャツは発売開始5分で完売。再販の依頼が殺到した。今夏はファッションバスで全国16都市のセレクトショップや工場を巡る、ブランド初の全国ツアー「ALREADY FAMOUS TOUR17」を開催!

※プロフィールは、ご講演当時のものです。

講演録 Performance record

第1部

マリエさん

フェリシモ:
マリエさん、本日は神戸にお越しくださいまして本当にありがとうございます。とても素敵なお召し物ですが、本日のファッションに何かこだわりなどございますか。

マリエさん:
今日はみなさんの前に登壇させていただけるということで、もう少しフォーマルにしようかなと思いましたが、みなさんと一緒に楽しみながら私と私のチームがやっている活動をシェアできればと思って、カジュアルダウンしてこんなコーディネートにしてみました。

フェリシモ:
ありがとうございます。それではマリエさん、早速ですがどうぞよろしくお願いいたします。

マリエさん:
平日の夜に神戸にこうして集まっていただいてありがとうございます。ただいまご紹介に預かりましたマリエと申します。現在、メインはデザイナーとして活動しています。今夜はみなさんと1時間半ないし2時間くらい楽しく時間を過ごせたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。ありがとうございます。

最近で言うと、バンタンさんとか岩崎学園さんという東京や横浜の服飾の学校で、洋服や文化について「洋服のこういうこと知ってるんだ」「ああいうふうにファッションって見るんだよ」ということをお話させていただくことはありますが、こういうふうに「自分は今、こういう活動をしています」ということを話すのは意外と初めてのことだなと思っています。今日はみなさん、いろいろなご職業の方がいらっしゃると思います。今までは全体的に講演する時は洋服に特化したことが多かったのですが、今日も最後のほうは自分たちの洋服のことや物づくりのことをたくさん説明できればと思っていますが、私が大事にしていることや生き方とか、そういうこともふまえてお話しできたらいいなと思っています。

自己紹介をするマリエさん

目指したいものがないことにプレッシャーを感じていた10代

今日は友だちも来ていますが、みなさんとほぼ初めましてなので、自己紹介がてら私がどういう人間か少しお話しします。ご存じのように、私は18歳からバラエティの仕事をさせていただくようになりました。10歳のころからモデルの活動はしていましたが、話すことに興味があって人が大好きだったのでバラエティは私にとって興味の的でした。そんな時に18歳から5年間だけバラエティで濃く時間を過ごさせていただきました。一番忙しかった時はラジオを含めて週に9本、「笑っていいとも!」、「アッコにおまかせ!」などで3年半くらいレギュラーをさせていただきました。週に9本のレギュラーというと、今から言ったらよくがんばったなと思います。「あの時、使命感があったの?」とよく言われますが、使命感というよりは、実はあの時は有名になるというビジョンしかなかったのです。

姉が2人いて私は末っ子ですが、姉2人はとても美しくて私が幼少の時からモデルをしていました。ファッションに関してもいろいろなことを教えてもらいました。2人を見ているうちにファッションがどんどん好きになったし、お姉ちゃんのことをまねしたいと思う気持ちはたぶん妹さんならわかる方がいると思いますが、「どんな雑誌を読んでいるんだろう」「どんな服を買っているんだろう」、お姉ちゃんの知らない間に部屋に盗み入りして服を勝手に着たりしてよく怒られていました。そういうすごく大雑把な夢しかなかったのです。

例えば私の同期だと沢尻エリカちゃんや佐藤めぐみちゃん、有名なところでは紗栄子ちゃんとか、そういった方たちと私は12歳くらいの時から一緒に事務所でレッスンを受けていたのですが、私は「いいな」と思っていました。みんなのことが本当にうらやましくて、例えばエリカだったら12歳くらいの時から「グラビアをやりたい」とずっと言っていました。「みんなの前でかわいく水着を着てほめられたい」とすごく正直に言う子でした。紗栄子もそうだったし、「私は歌手になりたい」「私は俳優になりたい」「私は洋服を作りたい」、いろいろな人が私の周りにいました。「プログラミングデザイナー」になりたいという子もいました。

でも、10代の私は夢がありませんでした。何をしたいとか、これをやって一生食べていきたいとか、私のお父さん、お母さんも別に継ぐような職人肌の仕事ではないと思った時に、すごく孤独を感じたのが自分の実際の10代でした。好きなことはファッション。興味があることはたくさんありました。写真にも、アートにも、もちろん男の子にも、いろいろなものに興味がありましたが、みんなが言うように「あれを目指したい」「これになりたい」というのが見つからなかったのです。

その恐怖心は結構、大きかったです。というのは、大人はみんな「何になりたいの?」と聞いてきます。これになりたい、警察官になりたい、弁護士になりたい、何でもいいのですが、それに対してなにか答えがなければいけないのではないかと、すごくプレッシャーを感じていました。みんながみんなそうだったのか、私だけがそうだったのかはわかりませんが、そんな中ではっきりと見える目標はテレビの中に映るものがすべてな気が、あの時はしたのです。こういうふうにはっきり言えるようになったのは今、30という年を迎えたからだと思います。昔は有名になることがすべての成功だと普通に思っていました。別に信じていたとかそういうことではなくて、それが普通だと思っていたのです。だから、とにかく有名にならなければいけない、なにかで注目されたい、テレビの前で成功をおさめなければいけないと思っていたころがちょうどバラエティが自分の目の前にあったという時でした。

パーソンズ留学を決意

その時、私は18歳でしたが、18歳というと「大学に行こう」とか「この後、自分は何をして過ごすのだろう」ということに結構、直面します。「大学に行くの?」と、最近は大学に行くことを考え直しなよという大人すらいて、いろいろなチョイスがある時代です。もう少し昔だったら大学に行くしかチョイスがないのかもしれません。でも「今という時代だからこそもう一回考え直して」と思った時に、私は昔からアートが大好きで16歳の時から暗室に入って写真を焼くのが大好きでした。だから、アート的な感覚で学びができるところに行きたいと思った時に「パーソンズに行きたい」という夢が16歳の時からありました。

写真は、念願がかない、23歳の時にパーソンズに行かせていただいた時の実際の授業風景です。

ザーっと言ったから端折ってしまいましたが、パーソンズで学んだことはすばらしいと思うし、最近のお笑い芸人さんのコントを見ていると「ニューヨーク留学は人を変えるんだ」みたいなのがネタになっていたりしますが、結局、私がすごく感謝しているのは5年間のバラエティにあります。バラエティで出会ったすばらしい人たちから教養やスキルを与えてもらったと思っているので、決して自分がテレビに出ていたころが恥ずかしいとかそういうことは全然ありません。今、自分は新しいステージに立って、あのころのスキルをデザインに生かせたらと思ってやっています。今は物づくりを中心にしているので今から話が物づくりや自分が学んできたことに移りますが、その前にみなさんに言っておきたかったのは、決してテレビに出ていた時が嫌だったとか、今も別にやめたわけではないですけど、有名なことが嫌だったとかは一切なく、本当に素敵な経験をさせてもらったと思っているということです。

その時に、有名になったら満足すると思っていたのにしなかった自分のこのモヤモヤっていったい何なんだろうと考えに考えました。やっぱり自分のやりたいことを今、やってみたい。ずっとやりたかったモヤモヤしていたものって何だろう。その時に「もっと学びたい。そうしたらこのモヤモヤが解決できるんじゃないか。昔から思っていたやりたいこと、学校に行って学ぶことをやってみよう。きっとそれは悪いことじゃない」と思って自分の中で決着をつけました。そして周りにいるお世話になっていた人に話をして大学に行くチャンスを作りました。

パーソンズ留学を決意したときのことを話すマリエさん

みんなには「23歳で大学に行くの?」とすごく言われました。私は何歳になっても大学に行っていいと思います。実際にこうやって行った時も私が一番年下でした。同じクラスの生徒さんで一番上は68歳の方がいました。一緒に縫製やパターンの制作を学び、論文を書きました。本当にすばらしい体験でした。彼女に「どうしてパーソンズに来たの?」と聞いたら「娘が歌手デビューするから衣装を作ってあげたい。だから洋服を学びなおしたかった」と言われました。ニューヨークでプラダのマーケティングを担当している32歳の女の子やいろいろな方たちがいました。私が23歳で次が25歳とかだったので、みんなからしたら「23歳で大学に入るの?」というのがアメリカの現状です。

これはさまざまなことが関わってくるのですが、日本みたいに教育に対する保証がアメリカはほとんどありません。自腹を切らないと、もっと深い話をすると、教育制度と医療制度はアメリカでは本当に問題になっている制度で、ローンのようなものを組まなければいけないシステムになっています。これは日本でも最近流行っていることですが、政府が住宅ローンのように教育ローンを組ませて一生かかってそれを返済します。それが一体いいのか悪いのかというところに今、アメリカはなっています。みんなそういう思いで大学に入っていて、日本とは少し違う考え方で教育を受けています。だからこそ死に物狂いで学ぼうとしている人たちが本当に多いです。特にデザイン学校は特殊な学校なので、「これを学びたい」と本気で思って入ってくる人がいるのでスキルもかなり高いし、みなさんの本気度は少しだけ違うかもしれないです。だからといって日本のあれがいいとかアメリカのあれが悪いとかそういうことではないのですが、パーソンズはそういう場所でした。

私は23歳で入って、朝と夜のどちらも通う設定にスケジューリングして、2年間で終了できる10科目のコースを1年で終わらせることができました。それは社会人コースと言って、生徒ではないけれど生徒と同じ卒業資格が与えられるコースです。これなら4年制に入るよりも値段が半額以下に抑えられます。ニューヨークのパーソンズではトミー ヒルフィガーが半年に1回、登壇しに来てくれて、実際に話すこともできました。アナ スイさんに会ったり、いろいろなデザイナーさんや人たちと交流する機会がありました。本当にそれはすばらしいことだったと思っています。

今、東京でJ-WAVEのラジオ生放送を3時間、藤原ヒロシさんと一緒にやっていますが、23歳から今回ラジオを始めるまでニューヨークを行ったり来たりしていました。実は卒業後、パーソンズの教授に「自分の下でアシスタントとして働かないか」と言われました。この時が人生で一番感動した瞬間でした。お金とか有名とかそういうことではなく、一人の人間として、日本語が話せて、ファッションのことに詳しくて、英語も少し話せて(ちなみに私は18歳まで日本語しか話せなかったので独学で英語を学びました)という自分の特技で、自分をほしいと言ってくれた人がいることにものすごく感動して、悩みました。日本に帰るべきか、ニューヨークの教授の下で働くべきか。私の人生の分岐点だとはっきりわかりました。

でも、帰ってきました。ファンの子たちが毎日ブログにいっぱいコメントをくれます。ファンレターをくれます。日本にたまに帰ってくると、見たことのない量のページ数のレターだったり、「マリエさんががんばっているのを見てこう思います、ああ思います、大好きです、がんばってください」というのを見て、私が日本にいいものを届けてあげなければいけないと思いました。自分と同じ悩みを抱えている若い子が一人でもいるなら、その子たちに「洋服はこれがかっこいいよ」「この色がかわいいよ」とかそういうことではなく、「こうやって生きていったらきっと楽しいよ」「こういう生き方があって、こういうふうな自分の信じ方があるよ」「こんな生き方ができるよ」と伝えたいです。若い人間として、女性として、人として、生きていくことがつらかった時期が私にはありましたが、今、こうして好きなことに向き合えて、がんばっていける理由があります。そういうことをみんなにも見つけてほしいし、一人でも悩んでいるのなら、その子のために日本に帰って一緒に楽しくそれを伝えていける場をもっと増やしたいと思ったのが私が帰ってくる理由でした。

ということで少し長くなりましたが、今の私がこうやって形成されているわけです。帰って来てラジオをしたり、「これがいいと思うよ」と自分が自由に話せてみんなと一緒にわかり合える場所を今、一生懸命日本でどんどん広げているというのがメインの活動になっています。今、フェリシモさんにこうやって出会う機会にもなった初めの一歩だと思います。神戸学校という学校があることを知り、お話をいただいた時にマインドが似ていると思ったので、こういう機会をいただけてとてもうれしいです。

世界で活躍するのに必要なのは多様な視点と情熱

ニューヨークの学校ではイラストレーションを学び、デッサンを描いたり、塗ったり、パターンを引いたりします。ウィンドウディスプレイの授業もあります。おもしろいと思うのは、黒人、アジア人、いろいろな人種の方がアメリカにはいらっしゃって、そういった観点でライティングやビジネスを学ぶことは日本には絶対ない教育だと思います。「これからはグローバリゼーション」とよく言われますが、グローバライズした考え方で物を売っていく人たちにはとてもためになる授業だと思います。

質問を受ける時は「どういうことがしたいの?」と生徒さんに聞いて、「世界的に活躍したい」とか「日本でこういうことがしたい」ということを聞きながらその子にぴったりのアドバイスをするようにしていますが、「世界的に輝きたい」という子には「そうしたら物を違う面から見る方法が必要だね」というのはよく言わせてもらっています。

スライドについて話すマリエさん

これはニューヨークやパリで行われているファッションショーの様子です。日本のファッションショーのスケールとは全く違います。何が違うかと言うと、まず会場に入った瞬間に教会に入ったかのようなシーンとした張りつめた空気があります。それがもうたまらなく気持ちいいです。そこから一体どんな音楽が流れてきて、どんなモデルさんが来て、最後にどんなデザイナーが顔を見せるんだろう、というそこの5分間をみんなで楽しむというのがファッションショーの醍醐味だと思います。

パリやいろいろなところでショーに足を運びました。スケールやクオリティというところで本当にたくさんのものを見て学んだ気がします。日本のPRの方が入れてくれたというのもあるので、ひとえに日本のみなさんのおかげです。「マリエちゃんだから入れたんでしょ」とよく言われますが変わらないです。本当に頭を下げまくりました。「日本人の留学生です」とか言いながら門を叩いたり、あの手この手で入らせてもらいました。結局、好きという気持ちが伝われば、別に私だからとか私じゃないからとか関係ありません。ファッション界のみなさんは新しい才能を求めているので、ヘジテイトせずに(ためらわずに)いろいろな門を叩いて行くべきだと思います。

制服のデザインで何千人、何万人もの生活を変えられる

ショーを回ったり、学校に行ったり、洋服を作ったり、新しい職場でいろいろなことを発見しながら日本とニューヨークを行ったり来たりしている時にデザインの会社を立ち上げました。それが4年前になります。私に近い友だちはみんな「マリエ、ブランドを作るんでしょ」と当たり前のように言っていましたが、私はそんな大それたことはできないと思っていて、ずっと作りませんでした。その間、何をしていたかというと、バンタンやいろいろなところで服飾の講演をしたり、制服のデザインをさせてもらいました。ミュゼという脱毛エステサロンで働いている女の子の白い制服は、私が絵から生地まで全部選んでデザインしています。ミュゼでは3000人の女の子が働いています。その子たちが朝の10時から仕事が終わるまでの間を私のデザインで気持ちよく過ごしてもらえているということにとても喜びを感じています。

企業さんの制服はその後もデザインさせてもらっていますが、近いところで言うと、最近出たばかりですが、グローをご存じですか。電子たばこのアイコスの新しいバージョンです。そのサンプリングをするグローストアが東京と仙台と大阪の梅田にありますが、そこで働いている女の子たちと男の子たちのコスチュームを担当しています。これも絵も全部自分で描いています。こういった形で企業さんと一緒にお話をしながら、どういうのがいいかなというのをいろいろさせてもらっています。こういう絵を描いています。グローはオレンジが基調で、企業さんの「テーマはこれです」「こういうことが好きです」という資料をまとめて、そこから「こういうのはどうですか」というのを、ここにあるのは20体くらいですが、3日くらいで5~60体をバーッと描きます。

ブランドを始める前になぜユニフォームをやろうと思ったかというと、ブランドは「これ作りました。かわいいでしょ」と言っても「かわいくない」という人もいるじゃないですか。「私はちょっとそれ着られないから」と。そうではなくて、自分が好きなブランドを作るよりも先に、私は日本にいる女の子をもっとらくにしてあげたい、もっとプロデュースしてあげたかったのです。

日本は世界でナンバーワンの制服大国と言われています。小学生、中学生、高校生から大人、OL、作業員、いろいろな人たちが他の国のどこよりも制服を着ます。私からしたら「これ買ってよ」と言うよりも、生地や機能や製品の流通にこだわることで一気に何千人、何万人という人の生活や環境をもっといいほうにがらっと変えられます。そこに私は着目してユニフォームをやりたいと言いました。そこは今、がちがちに固められた日本の物づくりを変えていこうという私の熱い思いからの願いでした。そして、私の会社の人たちが「いいよ、マリエがそう思うなら」と聞いてくれて実現したのがこのユニフォームの話です。

なぜ最初にそう思うようになったかというと、もっと話が深くなりますが、日本人の女性の病気、特に子宮がんなどの子宮の病気は、日本はこれだけ狭いと言われ人口ももっと大きい国もたくさんありますが、毎年10位以内に入るくらい世界でも深刻な問題になっています。

私はそれは若い子が着る制服のせいだと思っています。おなかまわりを一番守らなければいけない時に、寒い中、みんなミニスカートをはくでしょう。私も経験があります。かわいくなりたいと思って真冬の登下校中、ものすごく寒い思いをしておなかを冷やしながら学校に行きました。何とも思っていませんでした。「かわいいから」「足を見せたいから」、そう思っていました。でも、本当にグラフで出てくるのです。若いころから制服を着ている国であればあるほど女性の病気が多くなってくるのです。私はそこに着目しました。私もそういう病気を21、2歳の時に経験しました。ストレスと言われたり、何のせいかはもうわからないです。かわいいのもおしゃれも好きですが健康は守りたい。少しでも原因があるなら、私はそれをデザインという面で変えていきたいと思いました。若い子の将来の病気をなくしていきたい。それでいて、おしゃれを妥協しなくてもいい場所を作りたい。そう思ったことがユニフォームをデザインしようと思った最初のきっかけになりました。まだ女子校や学校のユニフォームには出会えていませんが、いつかそういうところをプロデュースできるようになって、機能性とデザイン性を一緒に持てるユニフォームを作れることをいつも目指しています。

満を持してパスカル マリエ デマレがスタート

そういった中から、やっぱり自分のブランドを起こそうとチームに聞きました。「いろいろな制服にチャレンジしてこうやって成功させてもらっているけど、じゃあ一体自分はどんな物がほしいんだ」「自分は周りにどんなものを提供したいんだ」という準備段階ができるまで4年くらいかかりました。「ああでもない、こうでもない」「いつかやってもいいかな、でも今ではないな」とか悩みながら、やっと自分なりに「もう準備してもいいと思う」「デザインもみんなに打ち出す時が来た」と思って始めたのが今年(2017年)6月11日にスタートした「パスカル マリエ デマレ」という私の本名でやっているブランドになります。

本当に最近始まったばかりなので私もここから模索だと思っていますが、ここで少し私のブランドについてお話しします。マリエはミドルネームでパスカルが私のファーストネームになります。昔はクラスメイトに「ラスカル」とか「パステル」とかいろいろ言われて、パスカルというなまえが本当に嫌いで大人になってから好きになったなまえです。「何で私にパスカルなんてなまえつけたの」と親によく怒っていたのですが、みんなに言われました。「大人になったら自分のなまえも好きになるよ」って。本当に信じられなくて「絶対ない。だって私こんなに学校でいじめられてるもん」とずっと思っていましたが、やっぱり好きになりました。だから、そう言ってくれた大人にはすごく感謝しています。デマレが父のなまえで、今回は本名を使わせてもらっています。

自信のブランドについて話すマリエさん

これが今取り組んでいる私のプロダクトですが、自分のブランドをやるという時にはかなり考えました。一番考え直したのは今のファッションや物づくりでいいのだろうか、例えば百貨店に行って他の人や芸能人がやっているブランドを見て、はたしてほしいと思える物があるだろうかということです。

いろいろなファッションショーに行き、マーケティングやこれが当たり前だと言われているものを学びました。でも、日本で洋服が始まったのは戦後です。戦前から洋服業界は入ってきていますが、本格的に洋服が市場で売り出されるようになったのは戦後です。日本の洋服の歴史はまだそれくらいしか経っていないのです。そう思うと、今日こうやって当たり前に着ているシャツもニットも何もかも技術はまだ伸びしろがあることに気づいていただけると思います。そして今、その前にあった技術もまだある時代です。完全に消えきっていない織物、染め、帯、刺しゅう、たくさんの技術が共存している時代に私たちは生きています。職人がいなくなってきた、伝統工芸が守られないと言われていますが、ぎりぎりみなさんがんばってまだ物づくりをしています。完全になくなってしまったわけではない時代です。気づかなかったら、あと30年したらもう手遅れになるかもしれないけれども、今はまだ大量生産と伝統工芸と工業技術がいいバランスをとって共存している世の中だと思います。そのすべてを使ってブランドができるのではないか、できるとしたらどういう物づくりなんだろうということをチーム全員で考えていったことが今からの私たちのブランドづくりになっています。

まずはマスターピースを集める物づくりをします。もちろん旬の物であれがほしい、これがほしい、いろいろな物があると思います。デザートを食べるみたいに、今はイチゴがおいしいからイチゴのソフトクリームやショートケーキを食べるとか、なしがおいしい時期だからたまに食べてみるというのもありだと思います。これは例えるとファストファッションです。そういうところで旬のものを取り入れながら、それはそれとして、自分のツールとして自分は一体何がほしいのか、自分は一体何で形成されているのか、そういうところで自分にサイクルを作ることが大事になります。職人さんにこういうものを作ってくれとオーダーする側がお客さまがどういう買い方をするかを見いださなければいけない時代になっていると思います。今、断捨離とかよく言われていますが、断捨離を終えたらまた同じものを買うのですか。断捨離をしたら次のステップがあります。これからどんなものと一緒に生きていこう、どんな人生で、どんな物に囲まれて自分の毎日のライフスタイルを築いていこう、そこまでやらないと断捨離が成功したとは私は思いません。

それを私は「ライクマインデッド」と呼んでいます。日本ではよく「意識高い系」と言われます。特に私はよく「でた、オーガニック」とか「でた、またそういうランチにそれくらいの値段使って意識高いね」とか言われます。私はそれを英語で卑屈な言い方をせずにライクマインデッドと言っています。アメリカではライクマインデッドピープルは、日本語に訳すと意識高い系になってしまうのですが、「僕たちはマインドを高く持つ高貴な自分たちでいたい」「さらに次を目指している自分たちとして生きていく」ということを大事にしています。私はそういったお客さまが外にいると思っています。そして、そういったお客さまのために洋服を作りたいと思っているので、毎シーズン20体、30体と作りません。

こういうのを掲げているのですが、私は毎回、7つアイテムを作ります。色違いはありますが型数で言うと7つ。実はこれには私の思いがあって、本当に売るのは6型です。最後の7つ目はブランクとしてあけてあります。「あなたのクローゼットにある物が私のブランドの最後の7つ目のアイテムです」という言い方をしています。または「腕を通して私たちの作った洋服の中に入ってくれるあなた自身が最後のアイテムです」という言い方をしています。私自身がそうだからというのもありますが、わかりやすく言うと、私は洋服屋さんに行って並んでいるものを見る時に「これ欲しい。きっと私のあのデニムにも合う」「きっと私のあのロングスカートにも合う」「きっと私のあのヒールにもこのTシャツってぴったり」と思って買い物をします。と思うと、中に入ってくれるお客さまとそのクローゼットがなかったら私の洋服はただの布切れ一枚になります。なので、こういうプロデュースに決めました。

一緒に物づくりをしてくれる人は、ファスナー、カットソー、ニット、刺しゅうまですべて私が世界で一流だと思った企業のみなさんです。私はジャパンメイドにこだわっていません。私が出会ってきた世界で一番いいと思う人たちに実際に話をしに行って、熱い思いを伝えて、取引を行うようにしています。なので、イタリアのラッカーニというファスナーがあったり、和歌山のエイガールズというものがあったり、いろいろなものがあります。

今、メディアワークはNHKワールドという世界150カ国で流れているファッションの番組をさせていただいています。毎回、三宅一生さん、山本耀司さんや日本の今のファッションアイコンと言われている方たちに英語でインタビューする番組です。ラジオやYouTubeでもいろいろ配信しています。講師の仕事もしています。また、ファッション・ウィーク東京のオフィシャルアンバサダーを2年半ほど務めています。そういった中で、これは私の実際のデザイン画になりますが、こういうものを描いてお客さまとお話しをしながらデザインしています。

「売る」と「買う」もデザインしたいから東京では売らない

ブランド展開について話すマリエさん

では、どういうふうにブランドを展開していくのかということについてですが、これは6月6日にマスコミの方向けに行ったプレゼンの資料です。この時点で、リテールショップは仙台、神戸、福岡、ニューヨークの4つにしようと言っていました。もう東京では売らない。理由は、売るという行為と買うという行為も一からデザインしたかったからです。ネットでポチッと押すとか、みんながいつも行っている百貨店に足を運ぶことで手に入るものではなくて、買う行為、売る行為にも新しい発見がないとだめなんじゃないか、これからはそういう時代なんじゃないかということで、東京では売りません。ロンドン、ニューヨーク、パリ、ミラノ、どこにいてもほしいもの、同じ物が手に入るのだから、そうではない売り方をしようということでこの4つですと言ったら、次の日から「うちにも置いてくれ」というオファーを全国から受けました。

私は東京出身で、東京は田舎だと思っています。そして他の40以上ある道府県が私からしたら新しい町です。神戸も私からしたら本当にわくわくする町です。東京出身で恥ずかしながら「何で東京には置かないんだ。うちに置かせてくれ」というセレクトショップは1つもありませんでした。地元としては少しショックでした。でもうれしいことに東京以外の道府県から何十件も「うちに置かせてくれ」というオファーがありました。とてもうれしかったです。

それだけではなく「マリエさんの物づくりを本当にリスペクトするから自分の物づくりを見てくれ」「自分の会社の社員と会ってくれ」、そういうオファーを全国の職人さんからたくさん受けました。縫製場、ニット工場、皮細工、シルバーからなにからいろいろなところにお声掛けしてもらって、全部調べました。見られる物は全部見て、チームと検討して会いたい人に会いに行こうと決めて、今回、8月20日から9月20日までファッションツアーとして北は青森から南は鹿児島まで全国を回ってきました。もちろん神戸にも来ました。

なぜそんなことをしたかというと、全国からオファーがあった店舗は、今回は11店舗にしましたが、ものすごくかっこいいです。東京にあってもニューヨークにあってもおかしくないと思うくらいのセレクトショップが全国にこんなにたくさんあることをもっとみんなに知ってほしかったからです。そしてさっき言っていた売るという行為、買うという行為について、「マリエちゃんのものを買いに鹿児島に行ってみよう」「マリエちゃんのものを買いに行ったことがなかった福岡に行ってみよう」「仙台に行ってみよう」「新潟に行ってみよう」「ついでに温泉入ってみよう」「ついでにもつ鍋食べてみよう」「本場のひつまぶしを食べたかったんだよね」とか、私のものを買うことによって新しくなにかに出会うルートを作りたかったからです。ということで、今回11店舗を選ばせていただいて、そこに行くことになりました。

そして、その道中で職人さんに会うバスツアーを1カ月間、回らせていただきました。説明を聞いただけだと何のことかなと思う方もいると思うので、映像を一緒に見ていただけたらと思います。私たちが今回、ブランドの初めのごあいさつとして取り組ませていただいている日本の技術や日本の物づくりを一から考え直すというツアーです。

(ツアーの映像)

マリエさん:
彼らは留学時代の友だちで、一緒にパーソンズに行っていたクラスメイトです。後ろに映っているバスはザ・モッズというバンドが実際に使っているツアーバスですが、それを貸していただいて全国を回りました。

(ツアーの映像)

マリエさん:
カメラマンさんや、もちろんPMDのメンバーもいますが、パーソンズの元クラスメイトや日本の伝統工芸や職人技に興味がある子にもたくさん一緒に乗ってもらいました。

この場面ではこんなことを言っています。

ニューヨークに行った時、トム フォードとかいろいろなファッションショーのキャスティングをしている有名な会社の社長さんが「自分の直感を信じなさい。そしてすべてのことは理由があって起こっているんだよ」ということを教えてくれました。それを言われた時、「いろいろなことってたまたまで起こるんじゃないの?」と思っていて、何のことを言っているのかわかりませんでした。けど、今こうしてファッションを自分の好きなこととして見た時に、この友だち、このチーム、この制作しているみんなと出会えたことは、なにか直感を信じてよかった意味があったのだと思っています。

(ツアーの映像)

マリエさん:
エピソード4くらいまでは、Go Getterz(ゴーゲッターズ)というサイトでロードムービーとして見られるようになっています。トークショーや販売会をしながら進んでいくのですが、このブランドの活動で私が一番大事にしていることは、洋服だけではなくて環境問題、食べること、物づくりの環境、そういったことをすべてデザインに落とし込んでいくと思って見直していくことです。なので、その土地に行って地産地消のものをチームみんなで食べる、山の中に入って山のものをいただく、そしてそこにファッションがあるということは一緒のサイクルで回っているということを、どれくらい一緒の距離でみんなで感じられるかをすごく大事にしてきたツアーです。

(ツアーの映像)

マリエさん:
このチャレンジは職人さんに特化したもので、気仙沼のデニム会社です。今、気仙沼の一帯でメカジキから年間40トンのゴミが出ます。メカジキのツノみたいなの、わかりますか。あれはツノではなくて吻(ふん)といいますが、あそこだけでものすごく重いです。そのゴミを捨てるのに漁師さんたちはお金を払っています。だったら、そのゴミを使ってデニムを作ろうということで、気仙沼のオイカワデニムがそれに成功してメカジキでデニムを作っています。メカジキの容量が60パーセントを占めるコットンです。

なぜこういうことをし始めたかというと、コットンは2040年に地球からなくなるだろうと言われています。それは今、私たちが直面している食の問題ととても似ています。ファストファッションが大量に欲しいからコットンをもっと早く成長させてくれと言って化学肥料などをばらまいたあげく種が死んでしまい、オーガニックコットンだけでなく、コットン自体の製造ができるかどうかさえ、怪しまれています。その中で、生産の方が違うものでどう代用するのか、他の道を考えるのかということに注目が集まっています。

オイカワデニムの工場は崖の上にありますので、地震があった時、デニム工場は全部シャットダウンされて2年半キャンプ地になりました。そして漁師さんを迎え入れました。毎日お酒を交わしながら、他にやることがなかったと言っていましたが、漁師さんと話をして、あんなに悲劇的な震災だったけれども一つだけわかったことがあると及川社長が言いました。「丘の上の人間と海の人間は今まで一切話していなかった。それが初めて生活をともにすることによって、海で起こっている問題と陸で起こっている問題が一つになったんだ。その時に、40トンもツノ(吻)のゴミが出ているのなら陸でなんとかするよ。そして陸で起こっている問題を海になげたら、うちがなんとかするよというシェアができるようになったことが震災があって唯一よかったと思えることだ」

いい、悪いではなくて、なにかしらの気づきを私たちに与えてくれたのではないかと思っています。そして、その気づきをやめてはいけないと思っています。それで私たちチームはみんなでこうやって全国を回っています。最近の新しい気づきは、私が30歳になったので周りのファンもみんな子どもができたりしています。なので、ちょうどみんな自分の食を考え直したり、息子や娘に何を食べさせたらいいかなとか、何を着せたらいいかなとかを考える上で、自分の健康志向も変わってくる年代なのではないかなということです。この動画はネットで見られるので、興味を持たれた方はぜひ見てください。

そんな感じで活動を続けていて、オリジナルは東京ではない所で売るとかはありますが、コラボレーションをたくさんしていきます。コラボアイテムに関しては、自分のなまえを知ってもらったり、コラボをしている素敵なパートナーを知ってもらえるきっかけになると思っているので、自分たちのネットで販売していくという形です。

ツアーについて話すマリエさん

環境問題をデザインに取り入れる試み

(キャンプの映像)

マリエさん:
おもしろいのが、次に映像が流れている「キャンプしよう」というものです。もう一つ今、私が取り組んでいることにシカのジビエの問題があります。日本中、日本だけでなく世界中ですが、クマもシカも動物が冬眠しません。山の気温が上がって生きやすくなっているので増えています。北海道でもそうですが、映像にあるのは山梨になります。行くとわかりますが、山に住んでいる人たちはみなさん、すごく高いフェンスの中に住んでいます。学校もできません。特に北海道は深刻な問題で、幼稚園、小学校、中学校、高校、全部ないです。野生のシカがいすぎるから、とてもじゃないけど学校は作れない。そして違う所に息子や娘が出ていってしまうため、過疎化してどんどん高齢化が広がっていきます。

そして私が一番問題にしているのは、食用に作られている牛、豚、羊、シカと、洋服用に作られている牛、豚といった動物は全く別に育てられているということです。食べるほうは皮を捨ててしまうし、洋服に使うほうは中身を捨ててしまいます。これはオーダーする側のコストだけの話です。そこを一緒にしたらどれだけの命が助かるか。環境問題としても、ここを一個ドッキングしただけで運送やフン、二酸化炭素などのガスも半分に減少します。

そういったことをもうファッションで取り組んでいるのがニューヨークです。例えば、ブルックリンで3、4件のレストランと近くの洋服のデザイナーさんたちが一緒に一頭、二頭の牛を買います。そして、どこの部位を誰がシェアするかを相談します。無駄を出さないためにそういった活動はどんどん広がっています。そこは私たちも真剣に取り組まなければいけないことだと思っています。

ベジタリアンになるとか、そうではないとか、いろいろなことが言われていますが、そこまで行く前に、大量生産、ゴミを出すということからまずは考えなければいけません。何を選ぶのか、何を食べて、何を着て、どの物づくりを選ぶのか。それはみなさんに、そして生産者にもかかっていると思います。

山梨の早川町に私の知り合いの山の人がいます。その人は「締める場所があって、その圏内の1時間以内でしか締めない。それ以外は捕らない」と言います。私たちはそこでさばいたものの皮をもらって、これから作る作業に入っていきたいと思っています。そういうことにもファッションで取り組んでいきたいというキャンプです。

限られた条件の中で納得できるものを本気で追求したい

こういうふうに食のほうからもこだわりながら進んでいます。いろいろ見せたいものがあったのに半分くらいしか見せられませんでしたが、私が気づいたことは何かなと思うと、今、いろいろ言われていますよね。ファストファッションがどうだとか、好きな物がないとか、こだわりが失われているとか、職人さんがいなくなっているとか、私が直面した物づくりの問題があります。自分で作りたいものを最後までやってみようと思って、さらに、誰かにお金を出して買ってもらうのなら責任があります。自分が納得しないのに人さまにお金をもらっていいでしょなんて言えないという思いがあって突き詰めるようになりました。

そこで見えてきた日本の問題があります。特に、私はファッションをしているのでわかったことがあります。本来なら「こんな商品を作ってほしい」「こんな素敵なデザインで、こんなすばらしいものを作ってほしい」と職人さんにオーダーする側が、「とにかく早くできあがってくるものでいい」というようになってしまいました。それは私からいうと、個々の責任逃れができる物づくりをしていて、特に都会ではそうでした。

本当にショックでした。好きだからファッション界に入ったのに、一緒にファッションを作っている人は「早く帰りたい」ということしか考えていない。それはそうなんですけど、「納期がここくらいまでだからこういうオーダーでこうで」と言って、業者さんが「その納期ではだめですね」と言ったら、私は「その納期に間に合わせるためにどうしたらいいですか」と言います。でも今、物づくりといわれているOEMなどでオーダーする側は98パーセント、「そうですか、仕方がないですね」。この物づくりの違いです。

なりたい自分になるために、作りたい商品を作り上げるために、どれだけ限られた時間の中で本気が出せるか、そこを私は大事にしたいと思っています。仕方がない、条件がある、でもそれらを自分の一番の売りだと思って、逆にこれしか条件がそろっていないけど自分の納得できる物をどこまで追いつめられるだろう、その物づくりの仕方がみんなに少しずつでも感覚的に戻ってきたらいいと思っているし、全部のことに言えると思います。こういうふうになりたい、こんな人間でありたい、こんな家族を築きたい、これくらいの夢をかなえたい、これくらいお金持ちになりたい、全部一緒のことだと思っています。

みんな、限られた大きな時間というものがあります。そこを一番の軸にして、もっと細分化された条件の中で本当に自分が楽しいと思う人間と楽しいと思う人生を送るには、限られた条件の中で自分をどう納得させるかも大事なのではないかなと。チームPMDは全員がそこに向かって走れたらという物づくりをしているブランドです。私たちの夢はファッション、流行で、アート、物づくり、オーダーの方法など生産の仕方をもっと変えていけて、みなさんの毎日を笑顔にプロデュースできるようなデザインチームになれたらいいなと思っています。長い間聞いていただいてありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

第2部

講演会ポスター

質問1

お客さま:
先ほど、自分の可能性、限られている範囲の中で自分がやることと仰ったのですが、自分自身の限られた範囲、その可能性をもっと広げたいと思った時に何をされていますか。

マリエさん:
かっこいいです。私、そういう思いで言っているのがすごくかっこいいと思います。多くの人は限られた選択肢や出された資料がいったい何なのか見極めることもむずかしいと思うから、その範囲をもっと広げたいと思えているということは、今の自分に余裕、伸びしろがあると思います。それはすばらしいことだと思います。

それで言うと、今、自分の好きなことが一つはあるということでしょうか。

お客さま:
好きなことは●●●●ですけど。
みんなには●●●●。

マリエさん:
めちゃくちゃかっこいいです。その考え方にゾクゾクさせられます。私もすごくそういう衝動に駆られます。正直な話を言うと、周りにいる仲間をアシスタントやマネージャーと思わないようにしています。もちろんアシストしてくれる子も、マネージメントしてくれる人も、手を貸してくれる人もたくさんいますが、全員、自分より下だと思ったことは一度もないです。常にそう思いたいと思っています。全員が私に意見をくれる存在で、周りにいる人全員、友だちも親も後輩も先輩も、全員がなにかのプロフェッショナルだと思うようにしています。そうすると他人の意見をもっと聞きたくなるし、私もリスペクトします。それがダイバーシティだと思います。次のレベルはプライドや負けず嫌いみたいなところにきます。全員一緒の方向に向かっていて、アシスタントもマネジメントも雑用する子も一緒のレベルだと考えた時に「負けたくない」ということがそこで出てきます。「もっとスキルをあげたい」「もっと知識を増やしたい」と思うと、いい競争心が生まれます。そうなると他の子も私に対してそう思います。「マリエちゃん、このことについて詳しかったら、このことのここについて詳しくなってみようかな」という子が出てきたりして、お互い高めあいます。それは年齢関係なく、まず環境づくりと常に次のダイバーシティに向かっていける自分のマインドセットになると思います。これが私が気をつけているところです。「もっと広げたい、もっと」みたいな欲だけになると違うところに進んでいってしまいますが、仲間と一緒に高めあう自分をずっと置いていくと、途切れない向上心をキープできると思います。でももう、そう思えている時点ですごくかっこいい。素敵だと思います。

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質問2

お客さま:
日本で再活動されることに不安はありませんでしたか。

マリエさん:
まったくなかったです。勉強をしている時のほうが、もっと恐怖心がありました。本当に私はなにかを得られるのだろうか。他の何百人という生徒も一緒に大学に入っているわけで、大学に入っただけでなにか特別なものが見えてくるのだろうか、そこへの不安のほうが大きかったです。戻ってくることや受け入れてもらえることへの恐怖心よりは、受け入れてもらえるまでの自分に到達するのか、そこへの恐怖心が激しかったと思っています。たぶんオーディエンスと戦っているというよりも、私のファンや私を見てくださっているお客さまは仲間だと勝手に思っているんでしょうね。仲間に対して私のスキルアップが追いつくのかという所への恐怖心のほうがありました。だから、どちらかというと私の技術が追いついたらきっとみんなもう一回受け入れてくれるだろうと思っていました。

質問3

お客さま:
マリエさんはアイディアの種をどのようなところから集めていらっしゃるのでしょうか。問題にされているところが社会問題であったり、かなり深いところから集められているようでしたが、どのようなところからヒントを集められているのか伺えたらと思います。

マリエさん:
グローバルマーチャンダイジングの授業をする時にいつも言っていますが、まずは文字への恐怖心を捨てます。英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、韓国語など自分が話せない文字への恐怖心を頭の中から、わざとでもいいから、気にしないようにしようみたいなことでもいいから、まず取ります。これは私の話ですが、デザインをやっている人に重要なことが2つあります。文字と目を隠すということです。私たちは毎日、気づかない間に広告を目にしています。オランダでは景観を壊すので町で広告を禁止しています。看板は出していいですが、例えば「シャネル5番」みたいな広告はいっさい町では見ません。電光掲示板はなく、渋谷みたいなことはありません。日々の生活でCMや雑誌を見ている中で、作り手として一番大事にしなければいけないのは文字にとらわれないことです。

あと、目というものはすごく強いイメージです。ニューヨークに行って一番最初に私が学んだのは、伝えたい表現をする時にすべてのモデルから目を消すことです。目がついているマネキンがありますが、置いている人がどういう意味で置いているかは別ですが、あれは実はマネキンとしての役割は全く得ていません。というのは、服を見てほしい時にマネキンに目があったら、人は自動的に目に目が行きます。男性が女性を見た時に胸とかおしりに目が行くみたいなもので、本当はその前には目に目が行くのですが、人間は必ず目に目が行きます。デザインのキーワードがほしい人は、そこをまず隠してビジュアルとは何だという概念を気にするといいヒントになると思います。なので、私は文字と目を自分の概念から消すというところを特に大事にしています。

そこから派生して、いろいろなサイトを見ます。読める、読めないは関係なしにビジュアルとしていろいろな物を見ます。「英語を話せないのですがどうしたらいいですか」という質問をよく受けますが、まず気にしない。デザインとしてそれがどう自分のビジュアルに入ってくるのかを気にします。そして、CanCam、JJ、ViVi、ストリート雑誌、モード誌、全部見ます。雑誌屋さんに行ったら2時間くらい出てこないのが普通なくらい全部のジャンルを見て、気になった物はすべて調べます。そこが私のデザインのソースになります。

フェリシモ:
ご質問ありがとうございました。間もなく講演終了の時刻が迫っておりますので、以上で質問のお時間を終了とさせていただきます。たくさんのご質問をいただきありがとうございました。

マリエさん:
すごく長い間みなさんに聞いていただいて、本当に感謝しています。どうもありがとうございました。

フェリシモ:
最後になってしまうのですが、マリエさんが一生をかけてやり遂げたい夢についてお聞かせください。

マリエさん:
すごく大きな質問です。自分の一生をかけてやり遂げたい夢は、毎朝、夢を見るために起きたいです。寝る夢ではなくて、こんな夢に挑戦したいという毎日を死ぬまで送りたいし、チームやこういうところに来てくれた人たちが笑顔になってくれることを自分の制作で提供していける毎日が広がっていく、それが私が毎日していたいことだと思います。本当にみなさんの笑顔のおかげです。

ここにも飾っていますが、ツアーの限定Tシャツやどこを回ったかの資料も少し、10枚程度ですが今日、持ってきました。そして、チームも、絶賛募集中です。人手が足りなくて困っているので、興味があったら後で声をかけてください。どうも今日はありがとうございました。

マリエさんと集合写真

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