講演録
第1部
フェリシモ:
まずはじめに、私、対談相手をつとめさせていただきます、フェリシモの森重秀則と申します。ふだんはフェリシモでカタログ制作の仕事をしています。今回、対談相手をつとめさせていただくきっかけとなったのが、2014年から15年くらいに発刊されていた『WEEKEND PEOPLE』というカタログです。デリシャスファッションといって、例えばこのエプロンはカタログの写真ですが、アーティチョークの柄やトマトが散ったような総柄のシャツというファッションと食の融合がテーマのブランドをしておりまして、その時に小桧山さんにフードスタイリストとしてフードを作っていただいていたというご縁がありました。このたび喜んで来てくださるということで、そうさせていただきました。小桧山さん、今日はよろしくお願いいたします。
小桧山さん:
よろしくお願いします。
フェリシモ:
まずWEEKEND PEOPLEの写真を見ていただきたいのですが、物撮りもアスパラガスの色を使いました。
小桧山さん:
そうです。この時は洋服のなまえも「アスパラガス」とついていた気がします。
フェリシモ:
アスパラガスの染料を使ったカーディガンや先ほど言ったトマトをちりばめた柄とか、後ろの額縁もこのように作ってくださっていました。壁の後ろに根菜類をたくさんつるしたり、タイを塩漬けにしたり。
小桧山さん:
これはタイではないです。お魚です。この時は夏だったので海がテーマでした。
フェリシモ:
そうです。こちらはアイスキャンディーを作ってくださっていて、これも夏号です。
小桧山さん:
ちょっと変わった、普通のスタイリングページに食を使うというよりは、この洋服自体のコンセプトが食を意識したものでした。
フェリシモ:
イマジネーションを膨らませていろいろな提案をしてくださって、当時、小桧山さんの世界観に私ども、魅了されておりました。
小桧山さん:
楽しかったです。
フェリシモ:
このような撮影をしていて、スパイスを使ったケーキの上に素敵な装飾をほどこしてくださいました。
小桧山さん:
砂糖漬けにしたハーブや実などを飾りました。これは冬だったと思います。
フェリシモ:
そうです。というご縁で今日、来ていただきました。今回の神戸学校のフライヤーには肩書は「yama foods(山フーズ)主宰」と書いてありましたが、小桧山さんはふだん、「何者ですか」と尋ねられたらどのような肩書きを名乗っていらっしゃるのでしょうか。
小桧山さん:
肩書きをひと言で言い表せるものがなくて、料理家でもないし、フードコーディネーターでもないし、「なんて言ったらいいかな」ということで、いつも肩書きを求められると「なくてもいいですか? 」と言うのですが、「何者かわからないので何かつけてください」と言われることが多いです。それでスタイリングをした時はフードスタイリスト、レシピを考案した時は料理家と媒体によって言われる肩書を書くのですが、実際、しっくりくる言葉がみつかっていなくて、簡単にひとことで言いたいと思うので、もし今日お聞きいただいて「これ、いいんじゃないかな」というのがありましたら教えてください。
■空間全体を演出するケータリング
フェリシモ:
募集中です。そのように枠にとらわれない活動をされている小桧山さんですが、過去のお仕事ぶりをいくつか紹介させていただきたいと思います。
小桧山さん:
いま、パチパチと入れ替わっていた写真は仕事の写真ではありませんが、料理を作って食べる間にいろいろな行程があります。野菜をさわって料理する、食べる時間、食べ終わった後とか私が好きな食の瞬間を写真に収めたものを初めにご覧いただきました。
フェリシモ:
まず、こちらはケータリングのお仕事です。
小桧山さん:
仕事としては食を扱って、ケータリング、撮影、ワークショップ、イベント企画などさまざまですがケータリングから始めました。おいしいものをお出しするというだけではなくて、その会のテーマにあわせたものをどのように食べてもらうかというところまで考えて提供しています。なので、空間全体を演出するプランを考えて、什器も料理も用意してという感じになります。
フェリシモ:
アクリル使いの什器や上からつるす手法が独特です。
小桧山さん:
この時はミロコマチコさんという画家の展示のオープニングパーティーでした。『たいようのねっこ』というタイトルの展覧会だったので、太陽、根っこ、自然の植物や動物を使ってほしいというご依頼で考えました。芝生のようになっているのはハーブのディップが下にありまして、それをクラッカーにつけて食べたり、下はガトーショコラをくずして土のようにして、それをすくって食べていただく感じにしました。
フェリシモ:
ユニークな見た目だけど食べたらおいしい。
小桧山さん:
そこはいちばん大事にしています。根菜をチップスにして揚げたり、太陽の根っこをイメージして上からグリッシーニをつるして、それを自分で切って収穫して食べてもらう形にしました。ただ「どうぞ」と言って食べ物を出すのではなくて、自分から食べに向かってもらうような仕掛けを作っています。
フェリシモ:
自分で取りに行く動作がひとつはさまるということですね。
小桧山さん:
そうです。これは始まる前にミロコさんにテーブルの下に絵を描いてもらって、その上にガラス板を乗せて盛りつけをしています。なぜこんなことをしているのかというと、ケータリングは初めはきれいな状態で盛りつけられていますが2時間とか3時間の長いパーティーだとだんだん食べ散らかした感じになっていくのが気になっていました。だけど、初めに食べ終わったお皿の写真を見ていただきましたが、食べ終わったお皿を見て「きれいだな」と思うこともあって、それをうまく融合できないかなと思いました。下に絵を描いていただいているので、食べすすめてなくなっていくと下の絵が出てきて、フォークとかで取った痕跡と下の絵が混ざり合って常にテーブル上が1枚の絵のように変化していくという仕掛けで作ったものです。これはメニューです。いつも作りすぎて量がもりもりです。
フェリシモ:
何人分くらいを想定していたのですか。
小桧山さん:
200人分でした。
フェリシモ:
すごい量です。
小桧山さん:
こういう感じで自分で取ったり、収穫して食べます。
フェリシモ:
お子さんも大喜びです。
小桧山さん:
はい。これはまた違うケータリングで、NHKのTECHNE(テクネ)という映像番組の打ち上げパーティーでした。その会は8K、超高画質がテーマでした。毎回、何かしらのテーマを与えられて食べ物を考えるのですが、「8Kで料理って何だ」と全く思い浮かばなくて、4人くらいの監督さんが作った短編が流れるという番組で試写会まで見せていただいたのですがそれでも想像できませんでした。一所懸命考えて、食べ物はリアルなので逆にフェイクを作ろうと思いました。この状態は事前に写真を撮ってそれを切り抜きました。全部、偽物で影もあわせています。これは本物が混在している状態です。
フェリシモ:
上に置くのではなくて混在なのですね。
小桧山さん:
リアルとフェイクが入り混じっている感じで、食べる方が結構、間違って取るのです。それで「あっ」みたいになっているのを「しめしめ」と思いながら見ていた感じです。こちらは8Kのカラーバー、赤とか緑とか黄色とか、それぞれの色をテーマに料理を作ったものです。
こちらはまた違うケータリングで、谷川俊太郎さんの80歳のお誕生日パーティーです。和田誠さんが描かれた谷川さんの似顔絵をもとにクラッカーを作りました。80歳は傘に寿と書いて傘寿と読むので谷川さんと傘のクラッカーをたくさん並べてみんなで食べてもらったのですが、谷川さんが「みんな、僕を頭から食べてる」とおっしゃって、「ああっ、マズい、やっちゃった」と思ったのですが「すごくそれがうれしい」とおっしゃっていただいて「よかった」と思いました。写真がないのですが、この時は80歳までの0歳から10代、20代、30代、40代とそれぞれの年代にひとことと色を谷川さんに事前にお聞きして、それをもとに各年代のケーキを作り、かさねてバースデイケーキとしてお出ししました。
これは村上春樹さんの出版記念パーティーです。いろいろなご要望がありましてメニューを考えるのが大変でしたが、和食メインでご用意しました。出版パーティーだったので本に見立てて真ん中にしおりをつけて、見開きに色とりどりの食べ物やお寿司が乗っている感じで作ったり、本の中のイラストをクッキーにして提供しました。
こちらはこの間、神戸学校にもいらしていた絵本などを作られているtupera tupera(ツペラツペラ)さんのパーティーです。
フェリシモ:
お子さま向けのイベントですね。これもお子さんが大喜びのパターンです。
小桧山さん:
はい。
■枠にとらわれない食の活動を展開
フェリシモ:
以上がケータリングのお仕事です。続いてイベントですが、こちらはデパートのバレンタイン催事場をまかされたというお仕事です。
小桧山さん:
伊勢丹新宿店でバレンタインにチョコレート鉱山を3週間ほどやりました。
フェリシモ:
これがすごい大きさです。
小桧山さん:
3mくらいの鉱山をチョコレートで作りました。11番まで「賢者の鉱石」「底なし沼」とかいろいろ地名がついていて、それぞれ違う中身の味を作っていました。「何番と何番をください」と言うと、ヘルメットをかぶった人がびんに詰めて購入できるというイベントでした。鉱山は3時くらいには売り切れて1日でなくなってしまうので、1日中ひたすらチョコレートを作り続け、3週間、ものすごい日々でした。中身も30種類くらい入っていて、チョコレートだけでも数種類ありますがクッキーも3~4種類焼いていたり、キャラメライズしたナッツが入っていたり、いろいろありました。
フェリシモ:
それはおひとりではないですよね。
小桧山さん:
ふだんの仕込みは200人分くらいまではひとりでやりますが、この時はさすがにスタッフをお願いして、造形は私が全部やりましたが、チョコレートを溶かす作業をしてもらいました。バレンタインの催場ということでお声掛けいただいた時に、バレンタインの催場はフロアが満員電車みたいに女性が群がって、ハートがプカプカ浮いて、ちょっと異様だと思っていました。それで、裏テーマとしてそれをぶち壊すというテーマがあって、いろいろな年代の方や男性にも来ていただきたくて、チョコレートまみれになるというかチョコレートを全身で味わうことができたらいいなと思って考えました。この写真は庭で撮ったのですが、下は本当の土です。
フェリシモ:
そっくり。
小桧山さん:
私は小さいころに庭の土を「おいしそうだな」「雨が降ってしっとりしているところはチョコレートケーキみたい」「乾燥して白っぽくなっているところはミルクチョコレートみたい」と思って見ていたのです。それを大人になって実際に形にして、みんながそれをキャーキャー言って楽しんでくれるようすを見て「なんか大人って自由だな」と思って、小さいころの夢がかなったというか、大変でしたけど楽しかったです。
こちらはGINZA SIXのクリスマスのインスタレーションと商品の販売をしてほしいというご依頼をいただきました。クリスマスですが青がテーマだったので、青をテーマに短い架空の物語と氷の樹という商品を作りました。枝の部分はビスケットでできていてあめを流しています。青い寒天のお菓子も一緒に販売しました。
フェリシモ:
普通、クリスマスは赤があってにぎやかしいイメージですが、大人っぽくて、これも男の人もいけそうな雰囲気です。
次は、我々がファッションの撮影をしていただいたのですが、靴の撮影を小桧山さんに頼むという大胆な企画でした。
小桧山さん:
私は初めのころ、あまり撮影に興味がなくて、実際にわーっと思って、食べて、からだに入れて、何かを感じてもらって完結、と思っていたので、ビジュアルのお仕事は最終段階が食べないので「あんまりな」と思っていたのですが、ちょうどビジュアルのお仕事をたくさんいただいていた時期がありました。食べ物はとても強いので「食べ物の写真を見ると唾液が出たり反射的にからだが反応する。実際にからだに入れなくてもそういうことはできるかもしれない」と思ってビジュアルのお仕事もしていました。この時は靴で、靴と食べ物はいちばん混在させたくないテーマでしたが、どうしても食と絡めたいと言われまして。
フェリシモ:
私は先ほど聞いたのですが、これはどちらかが食べ物です。右ページ、左ページ、どちらでしょう。左がクッキーだそうです。左側の靴の上がちょっと欠けていますが、これは小桧山さんが作られたクッキーの写真を隣の靴と一発撮りで撮りました。
小桧山さん:
原寸大で作りました。これは食べ物と近寄っていますが、ほかのページは左側が食べ物のイメージカット、右側が商品のイメージカットとわけて考えようと思いました。これはレインブーツで左側は野菜のテリーヌコンソメゼリー寄せですが、ゼリーの食感とレインブーツのゴムの質感をあわせて体感的に響くように作ったビジュアルです。
フェリシモ:
こちらはお化粧品のカタログのビジュアルも作っていらっしゃるということでカタログの撮影のお仕事です。
続いてワークショップのお仕事に行きたいのですが、こちらは食べられる器です。
小桧山さん:
これは定期的にしている子ども向けのワークショップです。固焼きのクラッカーを使って器を作って盛りつけをして、最後は器まで全部食べるというものです。途中からおもむろにフォークをガリガリ食べ始めたり、スープを飲んでいったと思ったらお皿をガリガリ食べ始めるという光景がまずおもしろかったです。
フェリシモ:
子どもさんはいつ食べてもいいということですが、どんな反応でしたか。
小桧山さん:
やったことがないので混乱したり、快感だったり、いろいろな感情が入り乱れる感じになって、ふだんはそんなに食器を意識しませんが、これをやることによって「フォークってこういうもんだ」と目を向けるきっかけになりました。
フェリシモ:
次がスープのイベントで、色とりどりのスープが登場します。
小桧山さん:
4種類のきれいな色の野菜のポタージュを作りまして、胃袋ぬりえというぬりえを用意しました。そのスープの4色のペンをお渡ししていまして、胃袋を塗るとそれがオーダー表になり、その絵と同じように盛り付けをして食べていただきました。
フェリシモ:
これは左の絵がオーダー表で右が小桧山さんが出されたスープです。
小桧山さん:
ポタージュなので描くように盛りつけられるのです。野菜の色は本来の色だけですごくきれいですが、それを食べて胃袋の中がこんな色になっているんだなと想像しながら食べてもらうワークショップでした。
フェリシモ:
こちらは金沢21世紀美術館で行ったワークショップです。
小桧山さん:
「食べられる窓を作ろう」という中学生向けのワークショップでした。こちらは「株式会社窓」という架空の会社を立ち上げまして、「未来の窓を考えよう」といって「食べられる窓があったらどう活用できるか」とか「どういう窓があったらいいか」ということをグループでディスカッションして発表してもらってそれを制作しました。意外でおもしろい答えがいろいろ出てきまして、「非常食を窓に埋め込んでおいて災害時に割って食べる」とか考えもしなかった発想がありました。
フェリシモ:
これは(窓を)舐めていますね。
小桧山さん:
ハハハ。子どものころにやりたい夢です。
フェリシモ:
確かに。やりたいけどやっちゃいけないみたいな。
小桧山さん:
これはウエディングの雑誌のイラストレーションのような形で作ったお菓子です。焼き方によって肌色が変わります。
■「おいしい」はいろいろな要素から成り立っている
フェリシモ:
このようにさまざまな活動をされています。フードを題材にされている方は結構いらっしゃいますが、オリジナリティーあふれる活動をされているという印象をみなさま受けていただいたと思います。このような活動をするに至ったきっかけがあるとおうかがいしたのですが、その話をぜひ聞かせてください。
小桧山さん:
最近、いろいろな所で言っているので目にした方がいるかもしれませんが、中学生のころに、真夜中、台所に夕飯の残りのポトフが入った鍋が置いてあったのです。ふだんはそんなこと思わないのですが、なぜか「それに直接手を入れて食べてみたらどうだろう」と思った瞬間があって、手を入れて食べてみたのです。そうしたら、その液体はまだ生ぬるくて、生ぬるい液体に手を入れている感触とか、やってはいけないことをやっている罪悪感と快感とか、肉をつかんで食べたのですが肉を手で感じる触感と口の中の食感の違いとか、真夜中だったので肉をクチャクチャと咀嚼する音がすごく鮮明に聞こえて、それを飲み込んで食道を通って胃袋に落ちていくまでとか、ふだん、1日3回食べるということをしていますが、においや味をそこまで鮮明に感じたことがなくて、「食べるっていろいろなからだの感覚を使う時間なんだ」ということにその時すごく衝撃を受けて、いままで当たり前と思っていたことがその体験後にガラっと見える景色が変わりました。
フェリシモ:
それはどんなふうに。
小桧山さん:
食べることがいちいち気になり始めて「いま、この気分で、この気温で、この景色の中、どんな形のものをどうやってからだに入れたらいちばんぴったりかな」と考えすぎて食べられなくなった時期がありました。
フェリシモ:
中学生の時に。
小桧山さん:
そうです。あと、「ふだん食べている食パンを寝っ転がって食べたらどんな味がするかな」とか「チョコレートケーキを焼いているにおいの中でキムチを食べたらどうかな」とか、いちいち立ち止まっていろいろなことを試さずにはいられないという時期がありまして、いまもありますが、それを機に食べることにまつわる体感的なことが気になり始めたのがきっかけで「おいしいっていろいろな要素が組み合わさって成り立っている」ということを感じたのです。食べ物は生き物を食べているのですが、食べている私たちもなまものなので感情もあり、体調もあり、同じものを食べても同じ味に感じなかったりするというのがおもしろいと思いました。
フェリシモ:
シチュエーションによって味が変わると。
小桧山さん:
はい。シチュエーション、食べ方、自分の体調、感じ方、緊張していたら味を感じなかったりとか、いろいろな要素が合わさっておいしいとか味というのは成り立っていることに興味がわきました。私は母が料理をしてくれる人だったので幼稚園くらいから一緒に料理をしていて、作って食べることは好きだったのですが、「食べる」「作って食べる」以外の「おいしい」のまわりにあるいろいろなことに注目し始めたのです。
フェリシモ:
その体験以来、「おいしい」に敏感にならざるをえなかったということですか。
小桧山さん:
そうです。料理をおいしく作って食べる以外の食べる身体的なことに興味がわいたのは、ずっとからだに興味があったからです。大学は美大の油絵科でしたが、からだをテーマに立体作品を作ったり身体表現をしたりしていました。からだというものに注目するきっかけは中学校の多感な時期でした。小学校の時は目立ちたがり屋でみんなの前でコントをしたり、遠足の写真は全部写っているみたいな感じでしたが、中学生になって急に「恥ずかしい」ということに気づいてしまった瞬間があったのです。きっかけは思い出せないのですが赤面症みたいになった時期があって、対面して話はしたいのだけど10言いたいうちの3くらいしか言えなくて、「顔、赤いんじゃないかな」とか思うと話どころではなくなることがありました。「赤くなるこのからだ、いらない」みたいな、からだという器とその中身の自分が乖離してうまくかみ合っていない時期にからだに向き合わざるをえないような状況がありまして、それで興味を持ったというか対象になっていったところがあります。
フェリシモ:
強烈な原体験からのからだに対する興味がいまの活動にもつながっているということです。「おいしい」ということを常に考えられてきたと思うのですが、現在、例えばSNSにみなさん、「おいしい物、食べたよ」といって写真を載せたりしていますが、おいしそうだから「いいね! 」を押すみたいな、いま、「おいしい」がそういう扱いになっていることに関しては何かありますか。
小桧山さん:
本当においしいと思って載せているものはいいと思いますが、SNS映えだけのためにおいしそうに作って味はどうでもいいとか、極論、食べなくてもいいみたいなところまで行ってしまっているものも最近はあると思います。それはあまりにも本来の意味とかけ離れてしまっているという感じはします。「おいしい」は画一的なものではなく、個人的なものだったり、正解はないものだと思います。私は学校でたまに講義をする時に、よく宿題で「私の偏愛おいしい」を書いてもらっています。これは「一般的にはおいしいとされていないけれど、実は私、これが好きでひそかにニヤニヤしながら食べてるんだよね」とか「こういう時に食べるこれが好き」とか画一的に「おいしいもの」とくくれないものです。
フェリシモ:
ヨーグルトの本体よりふたの裏の方がおいしいとかお弁当についたご飯粒とか。
小桧山さん:
はい。そういうのがいいなと思うのです。
フェリシモ:
確かにいろいろな人のを聞きたいです。
小桧山さん:
森重さんは何かありますか。
フェリシモ:
昨日、その話をして家に帰って考えたのですが、私は家の隣のコンビニの氷が大きくて嫌なので500m離れたスーパーまで買いに行きます。
小桧山さん:
ハハハ。氷ですか。
フェリシモ:
そのスーパーのオリジナルブランドの氷は小さくて私好みなのです。夏は500mの間に溶けるのにそこに行くって、「それ偏愛じゃないか」と昨日、思いました。
小桧山さん:
氷は飲み物に入れるのですか。
フェリシモ:
アイスコーヒーに入れます。
小桧山さん:
その小ささが好きなのですね。
フェリシモ:
そうです。
小桧山さん:
おもしろいです。
■「味に正解はない」を体験するワークショップ
フェリシモ:
みなさんの「偏愛おいしい」も聞いてみたいのですが、今日は「おいしい」は画一的な考え方ではなくて、個人的な体験や見え方、感じ方で違うという小桧山さんがおっしゃっていることをぜひ体験していただきたくてワークショップを用意しました。小桧山さんは白衣を着られるそうなのでお着替えタイム。
小桧山さん:
実験なので。
フェリシモ:
今日、入ってきていただいた際に、後ろのテーブルに謎のフードがあるのをご覧になった方がいらっしゃると思いますが、そちらを使っての実験ワークショップです。小桧山さん、説明をお願いします。
小桧山さん:
では実験を始めます。後ろにシャーレが用意されています。中にひと口大の食べ物がありますのでそれを食べていただきます。紙のようなものでキュッとくるまれていますが、オブラートなのでそれごと口の中にポンと入れて舌の上で味わってください。そしてその味をふだん使っている「甘い」とか「しょっぱい」という形容の仕方ではない言葉で表してほしいのです。感じた味を言葉にするという実験です。ふだん、私はケータリングとかで何かお題を与えられてそれに対しての味を考えて形にする作業をしていますが、その逆です。味から言葉に置き換えるというちょっとした変換の作業ですが、ふだん使わない感覚を使ってもらおうという実験です。味に正解はないのでひとことでも、ポエムでも、味にタイトルをつけていただいてもいいですし、記憶と結びつける方やいまの状態と味がリンクする方がいるかもしれないし、それぞれの感じ方で味わって、紙とペンをお配りしていると思いますが、言葉にしていただきたいと思います。
「#ワークショップ」
小桧山さん:
おそらくひとことでは形容しがたい味だと思います。それを何か、味覚以外の言葉で置き換えて書いてみてください。
フェリシモ:
だいたい書いてくださったようなので、ここでお楽しみのみなさまの言葉を聞かせていただきたいと思います。我こそはという方、ぜひ教えてください。
小桧山さん:
楽しいですね。あっ、手が上がりました。
お客さま 1:
間違えて海水を飲んだみたい。
小桧山さん:
ハハハ。「ああー」という声が。
フェリシモ:
ありがとうございます。
小桧山さん:
おもしろいですね。じゃんじゃん聞きたいです。
フェリシモ:
私、言っていいですか。
小桧山さん:
言ってください。
フェリシモ:
スパーク、そして訪れるハーモニー。
小桧山さん:
なるほど。おもしろい。
フェリシモ:
みなさま、ぜひ。
小桧山さん:
これはいっぱい聞いた方がおもしろいです。
お客さま 2:
冬の終わり、春への足音が近づいてくる中、コタツを片づけた時に布団を日に干し終わり取り込んだ後、ふとその布団のにおいが鼻先をかすめた時に口の中に広がるというような思い。
小桧山さん:
なるほど。いいですね、わかります。
フェリシモ:
では、白いお洋服の先輩、お願いいたします。
お客さま 3:
お花のミルク。
小桧山さん:
おお。
フェリシモ:
お花のミルク、その意図は。
お客さま 3:
お花畑にいるようなミルキーな感じがふわっと香る感じが。あと、食感が花びらを口に入れているみたいな。
小桧山さん:
なるほど。おもしろいです。
フェリシモ:
ちなみに先ほどのお話も聞かせてください。どういう感じがしてそのような。
お客さま 2:
まず食感がジャリっとして、塩分系と糖分の感じがあったので、それが大掃除で若干ホコリを吸いこんだ時にそういう口の中の感触になるのがあるのです。そのあと鼻へ抜けるわずかな香りに何かしら香辛料の香りがしたのですが、うちが非常によく香辛料を使う家で掃除をするとそれがあちこちから出てくるのでそれを思い出したという感じです。
フェリシモ:
なるほど、そこが布団を干したことにつながるのですね。
小桧山さん:
おもしろいです。
フェリシモ:
ほかにもみなさま、お願いいたします。
小桧山さん:
後ろの方の方とか。
フェリシモ:
では私の部下の人、ふたり続けていきます。
お客さま 4:
懐かしい感じがしました。ちょっと妄想になりますが、海の近くのおばあちゃんの家で丸くなったガラス片を海辺で拾って食べたような感覚がしました。塩味を少し感じて、懐かしくて、そんな感じです。
フェリシモ:
なるほど。最初に答えてくださったお客さまも海水とおっしゃっていましたが、海を思い出すということです。
お客さま 5:
宇宙の味と思いました。
小桧山さん:
おお、壮大。
お客さま 5:
塩分もあるし、甘さもあるし、ちょっとミルキーな感じもしてプニっともしているし、口に入れた瞬間にどこかに投げ出された感じになって、あと見た目もゴールドでキラキラした感じがオブラートで包まれていたのも何となく宇宙飛行士みたいな気持ちになって、それで宇宙の味です。
フェリシモ:
宇宙飛行士になったような気持ち、おもしろい。
小桧山さん:
おもしろいです。
フェリシモ:
その隣の方、お願いいたします。
お客さま 6:
トルコの沼のほとりに咲く赤い花。
小桧山さん:
おお。
フェリシモ:
どうしてトルコなのでしょうか。
お客さま 6:
食べた印象がエキゾチックな感じがしたのでトルコの風景がまず浮かんで、オブラートがどろっと溶ける感じが沼っぽいと思って、最後に華やかな香りがわーっときた感じがしたので赤い花かなと。
フェリシモ:
ありがとうございました。
小桧山さん:
おもしろいです。
フェリシモ:
その後ろの男性の方、お願いできますでしょうか。
お客さま 7:
「小学生の夏休みの探検」としました。分析できるかわかりませんが、オブラートが最初にあったので、何かに包まれた過去に戻るような感じがあって、夏休みの探検というのは、近所の団地とか、本当は住んでいるところとたいした差はないのだけどふだん行かない所まで行った時みたいな感じで、味が「味わったことはあるのだけどなんか違う」みたいなところがそこの連想になりました。
フェリシモ:
ありがとうございました。
小桧山さん:
全員聞きたいです。おもしろいです。
フェリシモ:
全員聞いていたら終わってしまうので、では味の種明かしはしてもいいのでしょうか。
小桧山さん:
はい。
フェリシモ:
何だったのですか。私も食べましたが不思議な味でした。
小桧山さん:
あれはオブラートの中にスキムミルクのパウダーが入っていまして、琥珀糖(こはくとう)という寒天と砂糖を煮詰めた和菓子があるのですが、小さな琥珀糖(こはくとう)にレモン汁を加えたものを中に入れていました。そしてマルドンの塩というパリパリのピラミッド型の薄い塩の結晶の破片が少し、カモミールティーとかに使うカモミールのお花をパウダー状に砕いたものとカルダモンというしょうがの香りのスパイスがほんの少し、あと金箔が入っていました。
フェリシモ:
金箔が。私も食べる前に見ていたのですが、見た目を見てほしい、そんな野暮な質問ですか。
小桧山さん:
フフフ。
フェリシモ:
それを見た人と、見ずにパクっといった人はあまりいないかもしれませんが。
小桧山さん:
見た目の要素もたぶん入ってくると思います。
フェリシモ:
入ってきますよね。
小桧山さん:
先ほど「宇宙」とおっしゃった方がいらっしゃいましたけど、みんな同じものを食べたのに、こんなにいろいろな感じ方があるというのがおもしろいと思うのです。
フェリシモ:
私が感じたスパークは何ですか。私、結構刺激を。
小桧山さん:
塩?
フェリシモ:
塩か。もっと激しいスパイスが入っているに違いないと思っていたけど、そんな感想はあまりなかったからいまの気持ちが反映されたのかも。
小桧山さん:
そうですね。
フェリシモ:
というわけでワークショップでした。ありがとうございました。白衣はそのままでいいですか。
小桧山さん:
白衣は脱ぎます。
フェリシモ:
では実験終了ということで。後半は最近の活動についておうかがいしていきます。
■変化を味わい、からだを開く
小桧山さん:
銀座の資生堂ビルの4階にSHISEIDO THE TABLES(シセイドウ ザ テーブルズ)という施設が今年オープンしまして、そこでお食事をしていただけます。資生堂さんはお化粧の会社なのでどんどん重ねていくイメージですが、4階のスペースは素の自分に戻るというコンセプトがありまして、どんどん脱ぎ捨てていって自分と向き合うスペースです。いろいろなイベントもしていますが、そこで五季膳というお膳を出しています。根っこの季節、種の季節、お花の季節とか5つの季節に分けてご飯を提供していて、最後のひと口菓子を担当しています。季節ごとに変えているのですが、「時間を味わう」というテーマで一口菓子を作ってくださいと言われました。それで、先ほどお召し上がりいただいたものに似ていますが、真ん中は琥珀糖(こはくとう)をベースにスパイスやパウダーとかいろいろな食材をちょっとずつ混ぜあわせてそれを自分でくるんで食べるというお菓子です。味が一瞬で終わるのではなく、いろいろ変化していくのを味わうというテーマのお菓子です。いま、たぶん週末にお出ししています。
フェリシモ:
これも食べた人の感想を聞いてみたいですね。
小桧山さん:
そうですね。
フェリシモ:
これも最近のお仕事ですね。
小桧山さん:
はい。
フェリシモ:
こちらは実験的なイベントです。ピアニストの林さんと小桧山さんで山林というユニット名でしていらっしゃるという話ですが。
小桧山さん:
これは聞くという行為と食べるという行為を味わうという、感覚やからだを開くコンセプトのイベントです。音楽と食のイベントというと音楽を聞きながら料理を食べるものが多いと思いますが、これはもっと実験的にそれぞれがかかわり合って味覚や聞くという感覚を刺激する実験です。毎回、10個くらいメニューがありまして、短い実験をみなさんと一緒にいまみたいな感じでやっていきます。これがメニューです。「料理」「実験」「台所」とかいろいろあります。
フェリシモ:
来てくださった方が全部召し上がるようなコースになっています。
小桧山さん:
これは3つの全然違うタイプの味のものを用意して、それをお客さまにもお配りします。ピアニストの林さんが即興で弾いているところにこのように食べさせて、その瞬間に見ているお客さまも一緒に口の中に入れて、味覚によって演奏がどう変化していくのかを味わうというメニューです。写真がおかしいですね。
フェリシモ:
これは別のメニューです。
小桧山さん:
煮たり切ったりという調理している音にピアノが合わさって演奏になっていくメニューです。調理音、食べること、音で味を変えられるのか、同じものを違う音楽とともに食べると味がどう変わるのか、そういう食べることにまつわる実験的なことを次々やっていくイベントです。
これは前回、ついこの間やったのですが、「桃のうぶ毛」「台所に差し込む西陽(にしび)」「シンクで喋る種」「肘までしたたる汁」など初めに台所の中で印象的な調理のシーンを集めて私が朗読して、それにピアノが加わってくるという演目でした。料理をしている時はひとりですが、仕込み中にいろいろなハッとする瞬間があるのです。それを味わってもらえないかなということでやりました。
フェリシモ:
確かに「ちぎったミントの香り」「スナップエンドウの筋を引く」「秋刀魚の内臓」とか感覚がパッと思い浮かびます。
小桧山さん:
料理は疲れてやりたくない時もありますが、食材にふれると元気になったりもします。食べ物って栄養だけを摂取するのならサプリメントでいいと思いますが、調理している時から既にそのものから何かしらのエネルギーの交換というか、数値的な栄養素以外のものが「料理をして食べる」という中にはとても大きな割合で含まれていると思います。
フェリシモ:
確かに食材をさわるとか、料理をしていると脳がリラックスするということは私でも感じます。「お昼ご飯は完全栄養食でいい」といま、そういう商品も出ていますが、きちんと調理されたものは数字では測れない何かがあるということです。「台所はいつだってドラマティック。わたしはいつも それを独り占めしている。その瞬間、瞬間は 台所で起こっていて だからなるべく目を見開いて、目をつむって感覚をひらいて、立っていたいとおもってる。そしてその震えを、わたしは食卓にどこまでのせられるか、台所に立ってまず 深呼吸をする。」ハッとする言葉でした。
■味覚以外の感覚を使って味わう
フェリシモ:
こちらは最近まで行われていた山形ビエンナーレというアートのイベントです。小桧山さんは「ゆらぎのレシピ」というタイトルで出展されていました。
小桧山さん:
昨年から毎月山形に通い、いろいろな生産者さんの所に行きました。食べ物として私たちが扱っているものが生きている現場に足を踏み入れて、それを実際に取ってその体験をもとにおいしいレシピを考えましょうというだけではなくて、前日にからだで感じた生き物を取った感触を含めて何かひと皿にするというプロジェクトでした。
フェリシモ:
食材は勘次郎胡瓜だったり。
小桧山さん:
キノコを山に取りに行ったり、川を食べるスープは鮎を川に入って取ったり、比内地鶏の丸焼きは鶏をしめて調理したりという濃厚な体験でした。後ろにも少し持ってきたのでぜひ見ていただけたらと思います。
フェリシモ:
私もたまたま山形に旅行に行きまして、ビエンナーレの展示会場にうかがいました。
これが小桧山さんの展示の内容です。比内地鶏や勘次郎胡瓜というひとつひとつのお料理のことが紙媒体にアウトプットされており、その紙を1枚ずつ取って最終的にメニューファイルに挟んで持って帰ってくださいというプレゼンテーションでした。比内地鶏をしめるなど生々しい現場の映像もありました。後ろに紙一式がありますので見ていただきたいのですが、紙の質や大きさも違って、お料理のワークショップもされていたらしいですが、それがない日でも五感に訴えかける展示を意識されたのだろうと思いました。
小桧山さん:
この時は味覚以外の感覚を使って味わうという形で展示をしました。実際に食べていただくことはしなかったのですが、テキストを読んだり、映像の音を聞いたり、紙の束をたくさん食事のように食卓に並べました。そのほかに乾燥した山菜があってそれを手でさわったりにおいをかいだりしていただけるような食卓を作り、味覚だけではなくいろいろな感覚を使って食べ物と向き合う時間を作るような展示をしました。
フェリシモ:
展示はこういう内容でしたが、小桧山さんが実際に現地で1日目に何かを収穫してその次の日に調理するというプロセスを6回行ったということで、そちらで得た経験や考えは何かありますか。
小桧山さん:
いままで身体的な面から食べることに興味がわいて料理の仕事をしていたので、どちらかというと「食べるからだ」みたいなものから「どう食べさせるか」ということに注目していた部分が多かったのですが、今度は自分のからだではなく「食べ物の方にフォーカスする」「生き物を食べるってどういうことだろう」「料理するって何だろう」みたいなことに向き合う時間だったので毎回、体験が濃厚でした。私は東京のもやしと自分で思っていて、アウトドアにも全然行かない自分にコンプレックスもありつつ、それでも「命をいただく」と言葉では何百回も言っているし、頭ではわかっているつもりだったのですが、やはり実際に行ってみるとそれは圧倒的な体験でした。「それを作品として作ってください」と言われて、初めは考えている食についての思いを形にしようと思っていろいろコンセプトを練ったのですが、その体験があまりにも強烈だったので、それをどれだけ素直に受け取れるかということだけに集中しました。知っているつもりになっているところやかっこよくまとめようとしている自分をなるべく排除して、いかにそのものに向き合えるかということに集中して作った作品です。
フェリシモ:
確かに先ほど見せていただいたケータリングはコンセプトがあるから華やかな感じですが、みなさん後ろを見ていただいたらわかりますが、「素材そのまま」みたいな、きゅうりのサラダも超、野性味を感じます。ルックスもそうだし、きっと味もそうだろうと思いました。「動物的な感覚が呼び起こされるのではないか。食べてみたい」と思いながら見ていました。
小桧山さん:
特に今回、「食べる」とか「食べる対象も生きている」ということに向き合ったのでそういう部分が出たと思うのですが、食べるって1日3回誰でもやることですが、意外に通りすぎます。自分の生々しい部分とか、自分は動物であるという大前提とか、生き物を食べるという本当はとても生々しい行為をないことにしている部分がすごく多いと思うのです。でも、食べるというのは、私がポトフに手を突っ込んだ時に感じたいろいろな感覚を使って食べているとか、自分のからだと向き合う行為でもあるし、たくさんの切り口があると思います。三大欲求のひとつでもあり、生々しい自分にふれられる時間だと思うのです。
フェリシモ:
何気なく12時になったらご飯を食べようとなりますが、動物である自分と向き合える貴重な時間と考えることもできるということですか。
小桧山さん:
はい。それで、私がケータリングやワークショップの機会に提供する時には、ふだん使わない、当たり前になって通りすぎてしまっている感覚をツンツンと刺激できたらいいなと思って、そういう仕掛けを作るようにしています。
フェリシモ:
今日、我々もいろいろなものを味わわせていただいて、おいしいということは多面的でいろいろなことからアプローチできる言葉だということが改めてわかった気がしました。お話は尽きませんが、そろそろ第1部が終了のお時間となっておりますので1部は終わりです。
フェリシモ(司会):
小桧山さん、ありがとうございました。
第2部
質問1
お客さま:
小桧山さんの偏愛食べ物は何ですか。
小桧山さん:
偏愛食べ物はたくさんあるのですが、シチュエーションによって食べたくなるものがあります。ライブの帰りによくまずいポテトを食べたいと思って、コンビニで売っているカピカピになったフライドポテトをあえて食べたりします。
フェリシモ:
何のライブですか。ロックですか。
小桧山さん:
いろいろですけど、その感覚が共通して反応してくれる友だちがいて、帰り道に「まずいポテト食べたいよね」と言って、一緒に「まずいねー。でもなんかこれがぴったりだな、いま」と言いながら食べるみたいな。
フェリシモ:
まずいポテトはおいしいですか、まずいですか。
小桧山さん:
まずいポテトはおいしいです。その時にぴったり。
フェリシモ:
わかる気がします。
質問2
お客さま:
大学のころ、油絵学科を専攻されていましたが、どんな立体作品を作られていたのですか。またいま、食べ物を使って表現することに大学時代のことはつながっていますか。
小桧山さん:
大学の時はからだをテーマに金属や布などいろいろな素材を使って人体から着想を得た立体物やインスタレーションを作っていました。油絵科は抽象絵画、具象絵画、ミクストメディアという3つのコースがありまして、私は現代アートコースみたいなミクストメディアという、素材はなんでもありのコースでした。なので、インスタレーションとかいろいろな素材を使った立体を作っていました。
大学時代は食を仕事にするとは1ミリも思ったことがなく、料理を作って食べるというのがひとつ好きで、そのほかに食べるという体感的なことが気になっているというのも中学生の時からずっと続いていましたが、それはただそういう性質としてありました。自分は作家として生きていこうと思っていたので、美術系の作品を作るということをずっとやっていました。
卒業して作品を作りながら仕事ができたらいいなと思って、同じような物を作る工房に務めました。そして工房で働きながら自分の制作をしていたのですが、その工房が忙しくてあまりにも時間がなくて、4年目くらいでやめて飲食店のアルバイトを始めました。制作の時間を確保しようと思って仕事をやめたのに、キッチンに入ると絶対にのめりこむと思ったのでホールで働いていました。そしたらそこで映画と食のイベントを毎月やろうというお話があって、オーナーに「そういうの好きでしょ。やらない? 」と言われて、1回断ったのですがやっぱり気になって、初めて40人分くらいのケータリングをやりました。料理が好きで興味があることをオーナーさんは知っていたので声をかけてくれたのですが、その時にテーマにあわせて何を料理するかはもちろん考えますが、どう食べさせるかという、いままで身体的な食べるという感覚で気になっていたことを盛り込むこともできたし、そのテーマに沿って器とか什器も作りました。什器を作ったり、空間を演出したり、メニューに絵を描いたり、それをやった時、いままでやってきたことが全部、テーブルの中に生かせると気づいたのです。
フェリシモ:
大学を出て4年間の工房の後にカフェでやった時が多数の方にお料理を振る舞った最初ですか。
小桧山さん:
最初です。40人に一斉に食べてもらう機会はなかったので。その時、40人がワッと沸くのですが、その反応がすごくて。いままで自分の手で作品を作って、展示して、感想をもらうというのはうれしかったのですが、食べ物は自分の手で作ったものが相手の内臓の中に直接入っていくものじゃないですか。それで「おいしい! 」という反応を一斉にもらった瞬間に鳥肌が立ったのです。改めて「料理ってすごいことだな」とその時に思って、そこから料理の道が開けて仕事になっていきました。なので中学生の時にポトフに手を入れたことから始まり、大学で美術をやっていたことも含めすべてがいまの活動につながっていて、どれが欠けてもいまがないという感じはします。
フェリシモ:
なるほど。
質問3
お客さま:
初めて作った料理は何ですか。
小桧山さん:
何だろう、初めて作った料理。
フェリシモ:
小さい時ですか。
小桧山さん:
幼稚園くらいから一緒に台所で包丁を持って料理をしていたらしく、写真が残っています。
フェリシモ:
幼稚園から包丁を持つのは結構レアかもしれないです。
小桧山さん:
大変です。たぶん倍以上の時間がかかると思いますが、それをしてもらって本当に感謝です。
フェリシモ:
確かにお母さんもよくつきあってくださいました。何を作りましたか。
小桧山さん:
初めはケーキが多かったかもしれません。マドレーヌとかただ混ぜて焼けるものからやったかな。
質問4
お客さま:
お母さまの料理でいちばん好きなものは何ですか。
フェリシモ:
ちなみに今日、お母さまがいらっしゃっています。
小桧山さん:
何だろう、ひとつはなかなかむずかしいですけど筑前煮とかですかね。
フェリシモ:
オーソドックスなお袋の味ですね。
小桧山さん:
そうですね。うちは薄味で澄んだ感じの筑前煮です。
質問5
お客さま:
撮影のお仕事で、料理や食べ物の魅力を最大限に写すために気をつけていらっしゃるのはどのようなことですか。
フェリシモ:
最近は撮影のお仕事は。
小桧山さん:
最近、少ないです。
フェリシモ:
我々も雑貨のカタログを作っていてフードの絡む商品がありますが、撮影用に「食べないで」という場合もあります。
小桧山さん:
ありますよね。撮影もさまざまで、昔、CMのスタイリストさんのお手伝いをしていた時期がありました。その方は映画のフードもしていらして、映画の時は本当においしい状態でワっと湯気が出ておいしく食べる様子を撮るというものを作っていたのですが、商品的なCMになるとひと粒ひと粒乗せていったり、つやを塗ったり。
フェリシモ:
見た目が大事になってくるので。
小桧山さん:
あと、麺のCMで「麺かけ」といって割りばしに1本ずつ麺をかける仕事があります。「麺かけしといて」と言われていっぱい麺をかけるのですが、どちらも見てきて、商品の方は自ら進んでやりたいとは思いませんが、職人としてはおもしろいなと思いました。でも、やっぱり素材の持つ勢いや調理するものが持ついちばんいい瞬間があると思っていて、それに手垢をつけすぎないというか、そのものが持っているオーラを汚したくないというのはケータリングの時もいつも思っています。なので、作りたいもののイメージとその素材をどう生かすかというバランスをいちばん気にします。そのものの持っているオーラを生かせるような撮影をしたいといつも思っています。食べ物を「食べなくてもいいモノ」としては扱いたくないです。
質問6
お客さま:
個人的な感覚ですが、いいものを食べると自分が特別な人間になったつもりになります。やっぱり生活の質と精神が関連しているように食べ物の影響は大きいと考えます。質問ですが、食べることにアイデアを出力している小桧山さんは逆に何からインスピレーションを受けているのでしょうか。おいしいは多面的であると知ったいま、とても気になります。
小桧山さん:
インスピレーションは「何かを作る時の」ということですか。
フェリシモ:
先ほど映画のフードの話をされていましたが、映画がテーマだったら映画を見るとか、ケータリングのお仕事では音楽をもとにとか何かありますか。
小桧山さん:
常に何かイメージを見る癖がついているというか、いろいろなものを、例えばこのグラスをただ水の入ったグラスという見方だけではない見方をしようとする癖があるかもしれないです。そうやってストックが知らないうちにたまっている部分があったりして、それらが結びついて発想に繋がったりします。でも、なかなかいいイメージが湧かない時もあります。どうやっても何を作っていいか湧かない時はひたすらジャンプします。脳みそをシャッフルするイメージです。ずーっとジャンプしているとだんだんトランス状態になってきます。歩きながらの方がイメージが出る方もいらっしゃると思いますが、頭で考えても浮かばない時は肉体から。
フェリシモ:
脳も物体だからシェイクしたら絶対何かの変化は起きますよね。
小桧山さん:
そういう荒技もありつつ、6~7個、常に同時進行でいろいろな案件が進むのですが内容が全然違うのです。お花、宇宙、家具とかぐちゃぐちゃの全然違う内容が頭の中を行ったり来たりしていますが、逆にそのことで全然違うと思っていたものから思わぬヒントが生まれることはあるかもしれないです。
質問7
お客さま:
食事をされる時はいつも感覚を研ぎ澄ましているのでしょうか。ちょっと疲れてしまいそうな気もしますが慣れると普通になるのでしょうか。
小桧山さん:
絶対、疲れると思います。
フェリシモ:
でも、先ほどまずいポテトも食べると聞いて少し安心したというか。
小桧山さん:
私は癖みたいにやらずにはいられない感じがあるのでめんどうくさいと思わないというか、中学生の異常だった時よりは意識的にいろいろできるようになっているのでそんなにつらいと思ったことはないですし、それが好きなのかもしれないです。楽しいからやっているというのもあります。
フェリシモ:
そういう運命のもとに生まれているという感じがします。考え込まずに楽しんで食べていらっしゃるのは何となくわかります。
質問8
お客さま:
ポトフを手で食べた体験とまではいいませんが、今日の夕食ですぐにできそうな新しい体験の方法はありますでしょうか。あれば実行してみたいです。ちなみに本日の夕食はお鍋の予定です。
小桧山さん:
お鍋、結構ハードル高いですね。
フェリシモ:
でも聞きたいです。
小桧山さん:
いちばん簡単なのは目をつぶって食べるとか、ナイフとフォークで食べるとか、みんなでいすの上に立って食べるとか、器を変えてみるとか何でもできると思います。
フェリシモ:
具材で、調理段階で仕込みを入れるものは何かありませんか。先ほど我々がいただいたような口に入れたあと、一瞬ではなく時間軸のある食べ物みたいなもの。
小桧山さん:
なんですか、それ。むずかしいですね。
フェリシモ:
つみれを工夫するとか何かを入れるとか。
小桧山さん:
ハハハ。なんですかね。むずかしそうだけど、そういう意味ではふだん入れない具材を使ってみるとか味を変えるとか。
フェリシモ:
思いついたらまた教えてください。でも、立って食べるとか食べ方を変えるというのはありそうだと思いました。
質問9
お客さま:
小桧山さんはどのように食材を選んでいますか。基準やルールはありますか。
小桧山さん:
おいしそうなものです。「絶対にここの農家さんのじゃないと食べない」とか「絶対に完全無農薬じゃないと食べない」とかはないです。近所の畑に無人販売の直売所があるのですが、さっきまで土に埋まっていたみたいな野菜はおいしかったりします。
フェリシモ:
野菜はスーパーでも買いますか。
小桧山さん:
見て「いいな」と思ったらスーパーでも買います。
フェリシモ:
オーラですか。
小桧山さん:
そうです。結構、見た目に出ますよね。でも、いつも頼んでいる農家さんもいます。畑にも行ったことがあるし、どんな人が育てているかわかっていて、ダンボールで届くのですが、それを泥を落として料理するといい体調になったりというのはあるので、使いたいと思えるものを使うということです。
フェリシモ(司会):
せっかくの貴重な機会ですので、小桧山さんにご質問のある方はぜひお手をおあげください。小桧山さんの肩書の提案でも結構です。いかがでしょうか。
小桧山さん:
先ほど何個かいただきました。うれしいです。
フェリシモ(司会):
何点か肩書きの提案がございまして「味楽家(みがくか)」、「味」に音楽の「楽」に「家」で味楽家と書いてくださっています。もうひとつは「感覚回路過剰修理型美食探求者」。
小桧山さん:
過剰という言葉が入っている。すごい。
フェリシモ:
合っている感じがします。
質問10
お客さま:
個人的ですが、私はもともと甘いものが好きだったのですが、味覚障害になって甘いものを戻してしまうようになりました。ラムレーズンが好きで食べたいのですが、シロップ漬けになっています。お肉と煮込んだらおいしいかなと考えてはいるのですが勇気が出なくて、甘くない調理法があれば教えてほしいです。
フェリシモ:
砂糖を使わなければいいのですか。
小桧山さん:
でもレーズン自体が甘いですよね。
フェリシモ:
それは果物の甘さだからいいですか。
お客さま:
果物の甘さだったら大丈夫です。
小桧山さん:
先ほどおっしゃっていたお肉と煮こんだりしてもだめでしたか。
お客さま:
いや、まだ、合わないかなと。
小桧山さん:
合うと思います。レーズンはちょっと水につけてふやかしてフレッシュな感じに戻してサラダに入れたりお肉と一緒に煮込むとおいしいと思います。
お客さま:
ありがとうございます。
フェリシモ(司会):
小桧山さん、ありがとうございます。ご質問、ありがとうございます。では続いていかがでしょうか。それではいただいたご質問用紙の中から再度、私が代読させていただきます。「ピアノを弾きながら味の違うものを食べて実際にどんなふうに音色が変わりますか。辛いものだと激しくなったりしますか」とのことですがいかがでしょうか。
小桧山さん:
言葉で言うのがむずかしいのですが、辛いからガーっというふうになるだけではなかったです。
フェリシモ:
実際、どんなものをピアニストの林さんは食べたのですか。
小桧山さん:
クッキーみたいな焼いてあるものとみずみずしい感じのものと粉状のものです。
フェリシモ:
みずみずしいものは何ですか。
小桧山さん:
ゼリー的なものです。
フェリシモ:
それは先ほどのいろいろな要素が入ったものですか、それとも煮こごりのようなものですか。
小桧山さん:
だし汁のゼリーにカボスをしぼって、オイル、塩、1ミリくらいのドライトマトのかけらを入れました。
フェリシモ:
結構、いろいろな物が混ざっています。
小桧山さん:
そうです。
フェリシモ:
この時はこんな音楽になったというエピソードはありますか。
小桧山さん:
いろいろなものが混ざっていて、味自体もはっきり「辛い」とか「甘い」ではなかったので激しい変化ではなかったのですが、カリッとしたものにあたると「カリッ」みたいな感じになったりという変化はありました。お客さまにも同じタイミングで口に入れていただいているので、みなさん「あ! 」とニヤニヤしながら食べていらっしゃいました。
質問11
お客さま:
現代は食べるということと命をいただくということが乖離してきていると思うのですが、生きることと食べることについて何か伝えたいことはありますでしょうか。
小桧山さん:
乖離していますよね。山形で鶏をしめる体験をしたのですが、生きている肉であることは頭ではわかっているけどスーパーでパックされている鶏肉からどこまでそれを想像できるか、あまりにも距離が離れすぎていて、ないものとされて流通しているので、そこに思いをはせることはむずかしくなっているのが現代だと思います。その鶏のエピソードを長いのですが話します。
フェリシモ:
ぜひお願いします。
小桧山さん:
放し飼いになっている比内地鶏をしめました。いつもしめているおじちゃんに「おまえ、持ってろ」と言われて、その鶏を抱かされました。初めはつつかれるんじゃないかと思って「やだな」と思いながら抱いていました。おじちゃんに抱かれると、鶏も「あっ」という感じで察するのです。その前にも1羽しめたのですが、その時は全然鳴かずに手際よく。
フェリシモ:
しめられるのは1回なのにどうしてわかるのでしょう。
小桧山さん:
まわりで見ているからですかね。それか、私がそういう目でその鶏を見ているからそう見えるだけなのかもしれないですけど、私が1回抱いたのでその鶏は「あれ? 」みたいな感じで落ち着いてここでぬくぬくといたのです。私もずっと抱いていたらかわいくなってきたのですが、おじちゃんが「ほら、持ってこい」と言って持って行ったのです。そうしたら外を向いていた鶏がクルっとこっちを向いて鶏と目が合ったのです。そしてその鶏がとさかをフルフルとふるわせてふるえて、そのあと黒目が錯乱状態みたいな感じで目が合っていたのにすごい顔になったのです。そんなことが起こると思っていなかったのでびっくりして、でも「持ってこい」と言われて、もう何にも思考できずに持って行ったのです。そうしたらすごく暴れててこずって、しめたのですが、放し飼いにされている鶏を目の前でしめるというのより、ほんの数分ですが私が抱いて目があった経験があったのでさらに感じるものがありました。丸鶏で使おうと思っていたので、そのあとまだあたたかい内臓を引っ張り出しました。さっき抱いていたあたたかさと内臓のあたたかさがリンクして、そして内臓がとてもきれいで、青とか黄とか赤とか極彩色というかすごく鮮やかな色をしていました。
フェリシモ:
青?
小桧山さん:
青もありました。次々と手際よく進んでいくのであまり考える隙がありませんでした。比内地鶏はおしりに脂身が分厚くついていますが「それ、刺身で食うんだ。食え」と言われて生あたたかい脂肪の塊を食べました。
フェリシモ:
切るのですか。そのまま?
小桧山さん:
ちぎって「ほれ」と言われて。
フェリシモ:
塊がそのまま渡されたのですね。
小桧山さん:
はい。脂ですが口の中で溶けてなくなるものではなくてガムみたいに弾力がありました。だけどクリーミーでした。いままで食べたことのない味がしてなかなか飲み込めず、次の日までずっと喉と胃の間にあるみたいな消化されずにつっかえている感じでありました。そういう体験をして、翌日その鶏を使って何かを作らなければいけなかったのですが、朝になっても全然、整理がつかなくて「どうしようかな」と思いながら鶏肉に塩をすり込んでいました。いつも塩をすりこんで丸焼きを作るのですが、すごく新鮮で皮が塩をはじいてしまって全然すりこめなくてていねいになでていたのです。その瞬間、鶏にお化粧しているみたいだと思ったのです。
フェリシモ:
それは死に化粧という気持ちではなく。
小桧山さん:
死に化粧というよりはお化粧をしているみたいだとふと思って、そのものがいちばんいい状態になるように手を尽くしている祈りのような時間で、料理は祈りに近いのかもしれないと思いました。その時、すっと胸がすいた気がして、ならこの鶏がいちばんおいしくなるように調理をしようと思い、地面を掘ってそこにカンカンに焼いた石を入れ、その上に山で採ってきた葉っぱでくるんだ鶏を置いて土をかけて蒸し焼きにしました。アースオーブンという地面に埋めて焼く方法です。「命を食べるって何だろう」「それに手を加えて調理するって何だろう」ということにきちんと向き合いたいと思ったので味は塩だけにして、調理行程もシンプルに焼くだけというやり方でやってみました。4時間くらいかかりましたがものすごくきれいに焼けまして、もう外は暗くなっていましたが、みんなでその鶏を「いままで食べた鶏の中でいちばんおいしいね」と言いながら骨までしゃぶる感じで食べました。その経験はすごく大きかったです。
フェリシモ:
命は言葉にするとひとことで軽々しく言えてしまうけど、身をもって感じられたのだろうと思います。昭和の初期までは普通だったと思いますが、私もきっと一生鶏はしめずに終わる可能性が高いと思いながらいま、聞いていました。
小桧山さん:
命をいただくとは言いますが、食べているものとの距離がすごいじゃないですか。でも、ぜひやってほしいと思いました。それを実際に経験することはなかなかできないかもしれませんが、感じてもらえたらと思って、山形の時はテキストを書いたり料理をしました。
フェリシモ:
テキストが素敵なのでよろしければ見てください。
小桧山さん:
ぜひ。美しかった内臓のドローイングもあります。
フェリシモ:
ありました。青も黄色もありました。
小桧山さん:
本当にきれいな色でした。
フェリシモ:
あれは内臓なのですね。
小桧山さん:
はい。
質問12
お客さま:
小桧山さんご自身がこれから食と組み合わせた表現をする上で取り入れてみたいテーマや分野、技術があればぜひお聞きしたいです。
小桧山さん:
興味があることはたくさんあって、身体論や栄養学とかもそうですが菌もおもしろいですよね。解剖学にも興味がありますし学びたいことは山ほどあります。料理、食は多様な切り口があって、誰にも平等に毎日2回、3回、開かれている時間なのでいろいろな可能性があると思っています。もっと自分の動物的な部分や生々しい所を揺さぶれるような提案ができたらいいなと思っています。私は食の分野でやっていますが、食にこだわらず、いろいろな分野の人と一緒にそういう提案ができたらおもしろいなと思っています。どんどんテクノロジー化していって身体がだんだん遠くなるというか生々しさを排除していく方向に行っているので、自分の肉体的な部分にふれる時間を作るということはこれから大事になっていくのではないかと思っていて、そういうきっかけを作りたいです。
フェリシモ:
小桧山さんならできそうです。ぜひやっていってほしいです。
フェリシモ(司会):
小桧山さん、ありがとうございます。
それではこれにて神戸学校も終了となりますが、最後に小桧山さんに神戸学校を代表して質問させていただきます。小桧山さんが一生をかけてやりとげたいゆめについて教えていただけますか。
小桧山さん:
一生をかけて、というと壮大ですよね。20代のころは食の仕事をするとはゆめにも思っていなかったので「一生何かを」というビジョンはないのですが、その都度、200%で取り組むことは必ずやろうと思っています。その形はどんどん変わっていくし、自分でも未来にどんな形になっているか予想がつかない部分もあってそれが楽しみでもあるのですが、何か生み出す機会があった場合にふたつ道があったとしたらむずかしい方を選ぼうといつも思っています。むずかしい方を選べばうまくいけばそれを乗り越えた力になるし、失敗しても何か得ることがあります。適当に「このくらいでいいか」でやっていたら次が生まれないと思うのです。だから「毎回、出し切る」という意気込みで向き合っているので、それを続けていけたらいいなと思います。
フェリシモ:
「食」というひとことですむ言葉に対していろいろなアプローチをされていて、食には無限の可能性と楽しみ方があることを今日は教えていただいたと思います。今日のテーマが「エンジョイ! 食! 」ということで、みなさまも食の楽しみ方がいろいろあることを感じていただけたと思います。先ほど肩書きに「探求者」とありましたが、小桧山さんにはいろいろなフィールドの方々とタッグを組んでチャレンジャーとしてこれからも進んでいただきたい、そして我々もその姿を楽しみにさせていただきたいと思いました。今日はどうもありがとうございます。
小桧山さん:
ありがとうございました。