#025 [2025/04.15]

わたしたちの、このごろ

目立つものではなくて、本当に暮らしに必要なものを届けたい

金谷翔真さんShoma Kanaya

こう語るのは、現在、京都府に拠点を置く、テクノロジーを生活空間に自然に溶け込ませる製品を開発する会社で、広報として働く金谷翔真(かなや・しょうま)さん、25歳だ。

伝えることを生業にしている彼と話していると、言葉の選び方にどこか迷いのようなものが混ざっていることに気づく。けれどそれは、場を濁さないための保身ではなく、自分の言葉に責任を持とうとする、誠実なためらいのように感じられた。

彼はこれまで、「伝える」という行為とどう向き合ってきたのだろう。なにを伝えたいと思い、どんな言葉を選んできたのだろう。そんな問いが、自然と浮かんできた。

自営業の家で育ち、
働く現実を間近に見ていた子ども時代

金谷さんが育ったのは、自宅の一階が工場、二階が住まいという環境だった。暮らしのすぐ隣に「働く」という営みがあったからこそ、幼いころから働くことに対して、現実感を抱くようになったと話す。

金谷さん:一階で仕事をしている大人たちの姿を見ていたのですが、どこか余裕のなさや張り詰めた空気が漂っていたのを覚えています。働くって大変なんだなという印象が幼いながらにありましたね。

その一方で、家の中にはまた違った風景があった。母親が本好きだったこともあり、絵本の読み聞かせなどを通して、自然と本や言葉が身近な存在になっていたそう。

金谷さん:言葉が好きになった原点には、家庭環境があると思います。内省的な性格にも影響しているかもしれません。当時は、好奇心旺盛だけど、その気持ちを全面に出すことは苦手で、交友関係にも少しコンプレックスを持っていました。

交友関係のコンプレックスを
解消してくれた銭湯

中学に入ってからは、部活動でバスケットボールを始めた。それまで人との関わりにどこか不安を感じていた彼にとって、仲間と同じ目標に向かう経験は新鮮だった。

金谷さん:小学生のころまで持っていた友達付き合いに対するコンプレックスが、部活に入ってから、自然と緩和されていった気がします。

なかでも、部活終わりに仲間と行く銭湯は、彼にとって特別な場所だったという。

金谷さん:銭湯に行って、仲間と一緒に何時間も他愛のない会話をする時間が、とてつもなく好きでした。

また、学校の授業では美術や音楽といった、手を動かして表現する科目が好きだったと話す金谷さん。自分の中にあるものを、言葉や形にすることへの興味は、このころから芽生えていたのかもしれない。

デザイン塾で見えた、
働くことのもうひとつのかたち

デザインや広告の仕事に興味を持ち始めたのは、大学に進学する直前のことだった。
高校卒業を目前に控え、進学先はすでに決まっていたが、自分が将来どんな仕事に就きたいのか、明確なイメージはまだなかったそう。

金谷さん:正直、自分が何に向いているのかも分からなくて、将来のことはあまり真剣には考えていませんでした。

あたたかみのある木のインテリアたちが目を惹く

そんななか、大学入学前に友人に誘われて参加した、とあるデザイン塾が、彼の大きなターニングポイントになる。

金谷さん:広告やデザイン業界で働く人たちが、自分の仕事についてキラキラした目で話していて。それを聞いているうちに、「働くって楽しいことかもしれない」と思えたんです。

これまで金谷さんにとって「働くこと」といえば、義務感にかられて淡々と続けるイメージだったが、目の前の大人たちはとても生き生きとして見えた。

金谷さん:こんなに楽しそうに働けるデザインや広告の仕事を、僕もやってみたいと思いました。

進学先の大学では、社会マスメディアを専攻することがすでに決まっていた金谷さん。偶然にもその関心と重なる学びの場だったことが、夢を後押しした。

コピーライティングと出会い、
自分の「言葉」に手応えを得る

大学3年生からは広告のコピーやCM制作を専門に学べるゼミに所属。昔から本を読むことが好きだった金谷さんにとって、「言葉で伝える」という広告の一面は、自然と惹かれる分野だった。

金谷さん:デザインと聞くと、グラフィックとかデッサンのイメージが強かったのですが、広告の中にはコピーだったり、言葉を使う仕事がある。「これなら自分にもできるかもしれない」と思えました。

本の置き方ひとつからもセンスが感じられる

大学の外でももっと学びを深めたいと思い、外部のコピーライター養成講座にも通い始めた金谷さん。100人規模の受講生の中で、毎週出されるお題に対して提出されたコピーが評価され、上位10人が発表される仕組みだったそう。

金谷さん:その上位10名の中に選んでもらえることが多くて、この道が向いているのではないかという自信につながっていきました。

「言葉を使って伝える」という行為が、仕事として成り立つこと。そして、自分にもその可能性があること。その二つが一致したとき、金谷さんの中で「広告の世界で働く」という意志がはっきりと輪郭を持ち始めた。

しかし、就職活動の結果は思うようにはいかなかった。目指していた広告業界の会社からはすべて不採用の通知を受け取ってしまったという。

金谷さん:でも、どこでもいいから就職するという気持ちにはなれなくて。

迷った末に選んだのは大学院進学だった。家族の後押しもあり、自分の関心ともっと丁寧に向き合ってみようと思えたという。

金谷さん:今振り返ると、落ちたことにも意味があったと思います。あのまま希望通りにいっていたら、今大切にしている価値観は持てていませんから。

目立つ広告に感じた違和感。
アテンションエコノミーとの出会い

大学院では「アテンションエコノミー」を研究テーマに選んだ。
情報があふれかえる社会のなかで、人の注意そのものが経済的な価値になる。そんな構造をひもといていく中で、金谷さんはこれまで抱いてきた広告へのあこがれと、向き合うべき問いに直面することになる。

金谷さん:人の目を引くために、情報がどんどん過激になっていく。目立てば勝ち、という空気がすごく強くて。そこに言葉じゃない何かが暴走しているような怖さを感じました。

人の心を動かす力があるからこそ、広告には責任が伴う。けれど現実には、過激な言葉や刺激的なビジュアルが注目を集め、結果を出す。その構造が、何か大切なものをこぼしてしまっているように思えた。

金谷さん:僕自身、大学時代は目立つ広告にあこがれていました。それは情報を届ける大切なひとつだと今でも考えています。ただ、もしあのまま何も考えずに進んでいたら、「届けること」への別の可能性には気づけなかったかもしれません。

装丁の美しい本が並ぶ

「伝える」という行為は、ただ注目されればいいというわけではない。どんな言葉を使うか、誰に向けて届けるのか、どんなかたちで生活に入り込んでいくのか。そうした一つひとつの問いを、研究を通して丁寧に見つめなおしていった。

金谷さん:人を動かすことは大事だけど、誰かを無意識に傷つけていたら意味がない。そうじゃなくて、本当に暮らしに必要なものをちゃんと届けたい。そんなふうに思うようになりました。

まぶしい世界だと思っていた広告業界。その輪郭がぼやけ、揺らいでいく過程で、彼の中には、「目立つ」ではなく「溶け込む」という新しい価値基準が育ち始めていた。

暮らしの中に溶け込む「伝え方」を求めて

アテンションエコノミーの研究を深めるなかで金谷さんが興味を持ったのが、「カームテクノロジー」という分野だった。

スマートフォンの通知のように人の注意を奪うのではなく、必要なときだけ静かに機能する。生活のリズムを乱すことなく、そっと寄り添うようなテクノロジーを目指す分野だ。
その技術のあり方に、彼は自分がずっと大切にしたかった「伝えること」の理想を重ねた。

金谷さん:情報を押しつけるんじゃなくて、生活に溶け込むように届けていく。派手ではないけれど、確かに役立つものを届ける。その姿勢に、とても可能性を感じました。

そして出会ったのが、今働いている会社だった。カームテクノロジーの思想を体現するようなプロダクトを開発しているその会社に惹かれ、研究対象として選んだのが始まり。インターンとして関わるうちに、「ここでなら、自分の言葉を活かせるかもしれない」と感じるようになったそう。

金谷さん:考えていることとつくっているものの間に、ちゃんと一貫性がある。理念も製品もどちらも素敵で、その両方に共感できたんです。

大学院修了後、そのまま就職。現在は広報として、会社の思想や製品の背景を言葉で世の中に伝える仕事を担っている。
SNSの運用やプレス対応など、見た目には「伝える力」が問われる場面も多い。けれど彼は、「目立たせる」ことよりも、「どう届くか」をいちばんに考えている。

金谷さん:どうしても広報はアテンションエコノミー的な動きが求められる場面もあります。でも、だからこそ、これからも自分の中で「伝えるってどういうことか」を問い続けていたいと思っています。

編集部のまとめ

私もまた、「言葉」を生業にしている一人だ。
それゆえに、金谷さんが話す一つひとつの言葉に、どこか他人事ではないものを感じていた。注目されることが価値になる時代に、金谷さんは、目立つことよりも「暮らしに必要なものを、丁寧に届ける」ことを選び取っている。

声高に語らず、慎重に言葉を選び取る。「自分の言葉が誰の生活にどう届くか」を、最後まで想像することの意義を教わった気がした。

言葉にできることの限界と、言葉にしかできないこと。
その狭間でもがきながらも、「それでも伝えたい」と思い続ける。そんな人から生まれた言葉こそが、誰かの暮らしにいつまでも残り続けていくのだと思う。

STAFF
photo / text : Nana Nose