#023 [2025/02.11]

わたしたちの、このごろ

いつかデザインの力で食の大切さや食文化を伝えることに貢献したいです

小原琴音さんKotone Ohara

こう語るのは、現在大阪府のWEB制作会社に勤務する、小原琴音(おはら・ことね)さん、25歳だ。

「これはまるで、食のアートギャラリーだ……!」

友人から「素敵な女の子がいるよ」と紹介され、ことねさんのSNSを初めて覗いたとき、思わず口にしたのがこの言葉だった。自作の料理からカフェやレストランで味わったひと皿まで、投稿の全てが鮮やかでおいしそうな料理写真で埋め尽くされている。そこに添えられた言葉の一つひとつからも、彼女の溢れる食への愛が伝わってきた。

食にかかわる仕事をしているのかと勝手に想像して会いにいくと、WEB制作をしていると言うから驚いた。しかし、話を進めるうちに、食への深い愛情が彼女をその道へと導いたということが見えてきた。

自分で考えて手を動かし、
なにかを完成させることが好きだった

ことねさんの食への愛は、幼少期に両親が与えてくれた、とある本から始まっていた。

ことねさん:子どものための料理キットが付録についている雑誌を毎月買ってくれていたんです。雑誌を見ながらキットを使って料理を作る時間が本当に好きでした。一からなにかを作り上げるおもしろさに気づかせてもらいました。

ことねさんが作ったお弁当。小学生のころには、休日にお弁当を作ってベランダで食べるのが好きだったそう

また、「食に関しては節約しない」というユニークなルールのある家庭で、幼いころからおいしいものをたくさん食べさせてもらったと振り返ることねさん。

ことねさん:外食に行っておいしいものを食べるのはもちろん、家で作る料理にも食材へのこだわりがありました。特に焼肉には本気を出していて(笑)焼肉をすると決めた日には、お気に入りの決まった精肉店で4万円くらいのお肉を買っていました。

その一方で、幼稚園のころから始めたピアノにも熱心に取り組み、ピアニストになりたいとも思っていたそう。小学校6年生の時の発表会では、自分の限界を超えるような難曲に挑戦したという。

ことねさん:負けず嫌いなところがあって、誰よりもむずかしい曲を弾きたかったんです。毎日深夜まで練習して、当日は見事に弾ききることができました。

料理もピアノも自分の手を動かしてなにかを作り上げるという点は同じ。「自分で考えて手を動かし、なにかを完成させることが幼いころから好きだった」と語る。

受験勉強に盲目になり、
好きなことを見失ってしまった

中学に入学してからも音楽に対する情熱は消えることなく、ピアノを続けながら吹奏楽部に入部し、フルートを演奏。また、地元のオーケストラにも参加していたという。

ことねさん:ずっと音楽は好きでした。将来音楽の道に進むという夢も消えずにあったのですが、「もっといろんな道を見てから考えてもいいんじゃないか」という周りの助言もあって、普通科の高校に進学することを決めました。

京都の大学に通っていたことねさん。鴨川は思い出が詰まった場所

その際、幼いころからの負けず嫌いな性格もあってか、「そこそこの高校には行きたい」と受験勉強に盲目になったことねさん。がむしゃらにがんばりすぎたことと、一緒にがんばっていた友人がダイエットをしていたことが重なり、拒食症になってしまったそう。

ことねさん:何かひとつのことに取り組み始めると盲目的になってしまうところがあって。食べることも作ることも好きだったのに、受け付けなくなってしまいました。勉強だけの楽しいことがなにもない生活の中で、自分の好きなものを見失ってしまっていたのかもしれません。

無事に第一志望の高校に合格したあとも、しばらくはごはんを食べることができなかったが、母の根気強いサポートのおかげで、徐々に元の状態に回復していったと話す。

食の大切さや食文化を伝える仕事をしたい

地元のオーケストラで音楽活動は続けていたものの、将来音楽の道に進もうという気持ちが以前より薄らいだとき、ことねさんが考え始めたのは、食の道だった。

ことねさん:幼いころからの食への興味と、拒食症を経て食べることの大切さに改めて気づいたことから、農や栄養について学びたいと思い、管理栄養士の資格が取れる大学に進学しました。

大学では管理栄養士の資格取得を目指し、栄養素や食文化について学んだ。調理実習や食文化を深掘りする授業を通じて、食のおもしろさを改めて実感したという。

ことねさん:自分がこれまで食べてきたものについて、知識を深めることは本当に楽しくて、この道を選んでよかったと感じました。

その後、資格を取得し、就職先を探し始めたとき、管理栄養士として働ける場所のジャンルの少なさを痛感したそう。

ことねさん:私がしたかったのは、資格を活かしつつ健康な人に食の大切さや食文化を伝える仕事だったのですが、管理栄養士を募集しているのはほとんどが医療機関でした。

そんななか、初めの就職先に選んだのは食品小売業の会社だった。

ことねさん:管理栄養士の部門があって、店舗で勤務しながらお客さんに食にまつわる知識を教える仕事ができると聞いていたのですが……

やりたい仕事ができないジレンマ。
新たな道への挑戦

いざ入社をしてみると、ことねさんが配属されたのは管理栄養士の部署ではなく、販売部門だった。

ことねさん:店舗で商品整理や店舗管理をする仕事で、想像していたものとは全く違っていたのですが、どうせやるならよい成績をとろうとがんばりました。

ことねさんは、1年半でサブチーフに昇格するまで努力したが、自分の本当にしたいことができない環境や、長時間労働を強いる職場の体制に疑問を持ち、別の道に進むことを決意する。

ことねさん:次の就職先を決めないままに辞めて、新たな道を模索する中で出会ったのが、WEBデザインだったんです。

自分の心に耳をすませ、好きなことを思い起こしてみたとき、「食について発信すること」だと気づいたという。

ことねさん:学生時代からSNSで食についての発信をしていたんです。見てくれた人の役に立っている感覚も少しあって、そういう仕事がしてみたいと思いました。でもより多くの人に情報を届けるためには、デザインのスキルが必要になると思いました。

2024年に作ったクリスマスケーキ。一緒に食べようと思っていた人がインフルエンザにかかり、ほとんどひとりで全部食べたそう。

その後、職業訓練所に通ってWEBデザインの基礎を学ぶ過程で、子どものころに感じていた「一からつくりあげる喜び」を再び実感したという。

ことねさん:ゼロの状態からWEB上に自分の空間を作り上げていく。それがとにかくおもしろかった。昔から何かを一から作るのが好きだった私にはぴったりだと思いました。

相手の想いをすくい上げる
「意味のあるデザイン」ができるようになりたい

職業訓練所を修了し、多くのWEB制作会社の中から今の会社を選んだ理由は、その会社が持つフィロソフィーに共鳴したからだ。

ことねさん:制作物を見る中で、ただ作ればいいというものではなく、クライアントの想いや情熱を大切にしていると感じました。人や会社の内側にある本質を丁寧にすくい上げる、私もこの場所でそんな仕事がしたいと思ったんです。

携帯ケースに挟まれたステッカーがかわいい

現在、ことねさんは未経験ながらもバナーやSNS画像のデザイン制作を通じて経験を積んでいる。未経験からの挑戦にもかかわらず、会社から受け入れられている実感が、彼女の情熱をさらに燃え上がらせる。

ことねさん:社長にはよく「意味のあるデザインをしなさい」と言われます。自分の解釈だけで作るのではなく、いかにクライアントの想いを汲み取って表現するか。それがデザインの本質だと教わりました。

まだまだ成長段階にあるが、ことねさんには明確な目標がある。それは、いつかデザインの力で食の大切さや食文化を伝えることに貢献すること。

ことねさん:今は小さなことをコツコツと積み重ねることが大事。デザインの技術はもちろんのこと、相手の想いをすくい上げる力ももっと磨いていきたいです。

編集部のまとめ

自分の好きなことを追求し、恐れずに新しい道へと進むことねさんに勇気をもらった。好きなことを多角的に見つめることで、「これじゃなきゃ」という凝り固まった観念から離れ、「これもあり!」という新しい道が見えてくる。

料理とピアノから始まった「一からなにかつくり上げる」という原点。その軸を持ちながら、彼女はWEBデザインという新しいフィールドで未来を描き続ける。

STAFF
photo / text : Nana Nose