#021 [2024/10.17]

わたしたちの、このごろ

半径5メートルの目に見える範囲の出来事を言葉にして残していきたいです

河合萌恵子さんMoeko Kawai

こう語るのは、現在大阪府の人材会社で法人向けのマーケティング業務を担当している河合萌恵子(かわい・もえこ)さん、23歳だ。

「自分のことを話すのは少し照れくさいけど、ずっとこの日を楽しみにしていました」

河合さんを訪ねたとき、開口一番、彼女はそう伝えてくれた。
というのも「このごろ」のコンセプトに深く共感し、記事に綴られた同世代の人生からいつも勇気と元気をもらっているそうだ。

誰にでも唯一無二のたったひとつの人生があり、胸に秘めた想いを持っている。その想いを引き出し、確かな言葉に変えてこの世界に残していく。それはとても尊く価値あることなのだと、彼女の歩んできた人生が私に改めて教えてくれた。

自分の頭で考えて
黙々と熱中できることが好きだった

福井県の田舎町で生まれ育った河合さん。幼少期は内向的な性格で、友だちと遊ぶというより、ひとりで図書館に行って本を読むことが大好きだったという。

河合さん:母が毎週、県の大きな図書館に連れて行ってくれたことがきっかけで、本を読むことが好きになりました。本を読んでいるといろんなことに疑問を持つようにもなって、夏休みの自由研究に熱中したり、自主学習帳を使って地元の新聞を作ってみたり。自分の頭で考えて黙々と熱中できることが好きな子どもでした。

河合さんが通っていたのは、学年に1クラスしかない小さな小学校。周囲の雰囲気に無理に合わせるような空気はなく、それぞれの個性を尊重する環境だったそう。彼女もそんな自由な空間の中で、自分の探求心に熱中しながらも友人との間に壁を感じることはなく、のびのびと気持ちよく過ごせていたという。

河合さん:だからこそ、中学校に入ってからは環境がガラリと変わって、少し心苦しい日々を過ごしました。

人からどう見られるのかを気にしていた
中学時代

中学校では、地域にあるいくつかの小学校が統合され、一気に生徒数が増えたそう。その中で「孤立したくない」という想いが生まれ、クラスメイトの顔色を伺いながら過ごす日々に変わった。

河合さん:相変わらず内向的ではあったのですが、孤立しないように適度にクラスメイトとコミュニケーションを取りつつも、自分の意見を主張することはあまりなかったです。

私にも記憶がある。狭い教室が自分のすべてだと思い込んでいたあのころ、世界の広さに気付けない自分がいた。その小さな世界での自分の見られ方を意識することに心をすり減らしてしまう。
しかし河合さんは、その窮屈さを学びによって解放する術も持っていた。

河合さん:小学校時代から黙々となにかを探求することが好きだったので、勉強する時間は楽しくて、学力はそれなりにあったと思います。でも、今でも高校選びには少し後悔していて……。

当時の河合さんの成績から考えると、県内学力トップの高校にも合格できると言われていたそうだが、そこでもまた「行っても自分は埋もれてしまうのではないか」という不安に駆られ、あえて家から近い高校への入学を決めたという。

河合さん:結果として熱中できる「なにか」とは出会えず、中学校の延長のような生活が続くことになりました。自分らしくいられたのは、もしかすると選ばなかった方の高校だったのかもしれないと入学してから気づきました。

国語の先生との出会いが
やりたいことを見つけるきっかけに

そんな息苦しい生活に光を照らしてくれたのは、高校2年生の時に出会った国語の先生だった。

河合さん:授業の中で扱う物語や文献について自由に考え、議論する時間を与えてくれました。私がたどり着いた考えに対し、まっすぐクリティカルなことを言ってくださったり、反対によいと思ったことに対してはとても褒めてくれる。当時使っていたノートに書かれた先生とのやりとりは今でも宝物です。たくさんの文学作品のなかでさまざまな人間のあり方、自意識の持ち方にふれたことを通じて、「複雑なままでいいんだ」と自分の感情を肯定されたように感じました。

国語の時間は、自我との折り合いのつけ方に悩んでいた河合さんに、自由な思考の翼を与えてくれたのだろう。いつしか「文学」というもの自体が、彼女の心に火を灯していた。

部屋に置かれた本棚。日本の近代文学から詩集まで、美しい言葉で綴られた本が並んでいる。

河合さん:先生との出会いをきっかけに、文学部に進みたいという思いが強くなりました。

自分の進むべき道が明確になった河合さんは、関西の国立大学の文学部を第一志望にして勉学に励んだ。

河合さん:結局第一志望にしていた大学には落ちてしまったのですが、浪人することは考えていなかったので、第二志望にしていた京都の私立大学の文学部に進学することを決め、福井を離れました。

華やかな日々への戸惑い。
自分のために始めたオウンドメディアの運営

福井を離れ大学の門をくぐったとき、河合さんの心は期待よりも不安の方が大きかったそう。

河合さん:まずは第一志望に届かなかった悔しさと、自分が想像していた以上に華やかな日々への戸惑いがありました。私が想像していた大学は学問に没頭する場所だったのですが、勉強以外のことで輝いている人が大勢いました。この場所で自分がどう4年間を過ごすのか、きちんと考えなければいけないと思いました。

学部の中での授業、教授や文学を愛する友人との出会いは新鮮で楽しかったものの、周囲の雰囲気を見ながら、それだけでは大学時代が充実しないと感じた河合さん。勉強以外の「なにか」を求めて動き始めた。

河合さん:とにかく思いつくことをやってみようと、ボランティア団体に所属して、さまざまな場所に向かったのですが、なんだかしっくりこなくて……。意義のあることだとは分かっているのですが、そこに自分のやる意味を見出せなかったんです。ボランティアを重ねるうちに、もっと自分にしかできないことをしたいと思うようになっていきました。

祖父が書いたという書。言葉に惹かれ、祖父の家から持って帰ってきたという

それが一体どんなことなのかを模索していたとき、同じマンションに住む友人が漠然としたその想いに共感し、「オウンドメディアを一緒につくってみない?」と誘ってくれたそう。
MAZIME ZINE」と名付けられたそのメディアのテーマは、「私自身」の視点で目に見えるもの、好きなものを発信すること。

河合さん:誰かのためにではなく私のために。自分が日々感じたことや考えたことを言葉に残して記録していく。それが誰かに届いたらうれしいし、何より自分の気持ちがアーカイブされることで自分自身の安心感にもつながって、地に足のついた生活が送れるような気がしたんです。

気に入った本は目に見えるところに置いておく

河合さんは自分を記録するように、暮らしの中から湧き出た疑問について綴ったり、時には気になる人にインタビューをしに出かけ、彼らの思いとそこから得た自分の感覚を言葉に変えて届けることもあった。また、寄稿者がいた場合は、より読者に伝わる構成に変える編集作業にも挑戦したという。

河合さん:インタビューをした人や編集を担当した方から、「自分のことがより分かったような気がする」とか「言葉にできなかったことを的確に引き出してくれてうれしい」というお声をいただいて、自分のためにやり始めたことが誰かの心を豊かにしていることに喜びを感じました。

編集の視点を持って仕事をしながら、
別の軸でも自分にできることを探していきたい

オウンドメディアの運営経験から、編集視点を持って取り組める仕事が自分の性に合っていると思った河合さん。たくさんの企業を見てまわる中で最終的に選んだのは、彼女自身が就職活動中に使っていたサービスを提供する今の職場だった。

河合さん:編集視点を持てる職業を考えたとき、事業会社でのマーケティング業務が思い浮かびました。でも、自分が毎日向き合うことになるプロダクトだからこそ、心からいいと思えるかどうかは大事にしたかった。今の会社が提供するプロダクトは、理念はもちろんのことサービスの仕様にまで想いが反映されていることが使う中で分かってきたんです。

就職して今年で2年。少しずつ自分の手でできることが増え、小さな成長が日々を彩っているという。一人前と言われるようになるまで今の仕事としっかり向き合いたいと思うのと同時に、今、本業とは別の軸でも新しい活動をしてみたいと思い始めているそう。

河合さん:まだなにも具体的には見つけられていないですが、やっぱり自分にできるやり方で半径5メートルの目に見える範囲の出来事や人の過程を見つめ、言葉に残していくことをやっていきたいと思っています。これからじっくりと時間をかけてその方法を探していきたいです。

編集部のまとめ

河合さんは昔から、自分の中に静かに芽生える想いや、目の前の出来事を大切に見つめ続けている。
そのぶん、インスタントに消費されていく言葉やものごと、人間関係にときに傷つくこともあるかもしれない。しかし、日々を見つめ続けることは、自分自身と向き合い、そして周囲と深く繋がっていくための彼女なりの大切な営みなのだ。

これから見つめる新たな世界も、きっとその一つひとつが、彼女の手によって美しい記録となり、誰かの心にそっと届くものになるだろう。自分を信じ、言葉に込めたその思いがまた次の誰かの勇気となって広がっていく。

STAFF
photo / text : Nana Nose