#017 [2024/05.11]
わたしたちの、このごろ
普通の人の営みの中で紡がれる、拾われない言葉を残していきたいです
岸本成美さんNarumi Kishimoto
こう語るのは、2024年4月にニ年間勤めた通信社の記者を辞め、ドイツの大学院への留学を目指している岸本成美さん、26歳だ。
こんなに気持ちのいい「初対面」は初めてだったかもしれない。
誰と話していても、お互いのことを「分かりきる」ということはできない。
たとえどんなに親しい間柄でも、言葉を空気中に出す前の思考や経験までもを完全に理解することはむずかしいからだ。
しかし、彼女と話していると、自分の発した言葉を深いところでキャッチしてくれているような気になったし、はたまた彼女の発する言葉も私の深いところに入っていくような気がした。
初めは言葉を紡ぐ仕事をしている者同士、分かり合えることが多いのかもしれないと思ったが、きっと違う。
言葉を紡ぐことの意味が同じだったからだ。
表面的な情報や数字だけで全ては分からない。
もっと広い世界を見たい。
生き方の基盤をつくった高校時代
自宅で英会話教室を開いていた母の影響で、幼いころから英語に親しみを持っていた岸本さん。
高校時代に、ある思い切った経験をしたことが現在の生き方の基盤になっているという。
岸本さん:高校一年生のとき、二週間ニュージーランドへ語学研修に行ったんです。通っていた高校でもパッケージされた研修がありましたが、とても高額で……。すると母が個人で語学学校と航空券を予約してくれて、たったひとりで現地に向かうことになりました。
どれだけ英語に興味を持っていても、まだ大人に守られて生きている十代、遠い海外にひとりで足を踏み入れるのは、相当な不安があったはずだ。しかしいざ飛び込んでみると、抱いていた不安をワクワクと楽しさが上回っていったと話す。
岸本さん:常識が覆される時間でした。学校もホームステイ先も、さまざまな情報から自分でイメージを作り上げて勝手に不安がっていたのですが、それが実際には当てはまらなかった。その時に得た、表面的な情報や数字ではなくて、自分が経験してみなければ本当のことは分からないという学びは、今でもずっと大切にしています。
その後、もっといろんな世界を知りたいと思った岸本さんは、高校で募っていた模擬国連のメンバーとなり、世界情勢や文化について強い探究心を持つようになったそう。
岸本さん:新聞を読むのが好きになったのはそのころからだと思います。特に社会面と国際面を中心に読むようになり、シンプルに「世界には本当にいろんな人がいるんだな」と感じました。世界中の人のことを伝える、記者の仕事に憧れを持ったのは、今振り返るとここからだったのかもしれません。
カテゴリーの外側をもっと伝えたい。
トルコ留学時代に明確になった、
自分の進むべき道
高校時代に芽生えた広い世界への探究心はますます高まり、さらに学びを深めるために外国語大学への進学を決めた岸本さん。専攻に選んだのは、中東地域だった。
岸本さん:今現在も問題になっていますが、当時も中東情勢が悪化しているニュースが話題になっていて、いったいどんな地域なのか、もっと知りたいという関心から専攻を選びました。専攻言語は、アラビア語、ペルシア語、トルコ語のどれかひとつを選択する必要があり、私は言語以外の政治や文化についても幅広く学びたいと思っていたので、消去法で一番難易度の低そうなトルコ語を選んだんです。
そんな軽い気持ちで選んだトルコ語ではあったが、大学三回生から四回生にかけて行った、トルコ・イスタンブールへの留学が、彼女の中の「記者になりたい」という思いを明確にしたという。
岸本さん:高校時代の語学研修でもそうでしたが、机上の学びだけでは分からなかったことにトルコでもたくさん気づかされました。日本で流れるニュースだけを見ていると、中東・イスラム教=怖いというイメージを持っている人は少なくないと思いますし、実際に周りからそういう反応をされることもあります。でも、現地の人との交流の中で、もっと伝えられるべきことがたくさんあるのではないかと感じるようになりました。
困っていると、人種や宗教、性別に関わらず、当たり前に助けの手を差し伸べてくれるトルコ人の温かい国民性や文化の豊かさにふれながら、受け取るものがとても多かったという岸本さん。
留学中にトルコの街で見た何気ない出来事や、トルコ人と交わした会話を、メモする感覚でブログに記す行為を続けるなかで、自分のやりたいことが見えてきたそう。
岸本さん:大きなカテゴリーの外側にある情報といいますか、普通は拾われにくいものや言葉を残す仕事がしたいと思いました。
誰にでも話したいことはある。
いろんな人の普通の言葉を残したい
大学卒業後、2022年から通信社の記者として神戸で働き始めた岸本さん。
一年目は警察担当で事件や事故についての取材、二年目からは市役所担当となり、市の施策などを中心に取材を続けてきた。
さまざまな人と出会い、会話することは楽しかったが、鮮度が求められるニュース記事では、事実を簡潔に伝えることが求められ、岸本さんが伝えたい文脈とは少し違っていたそう。
そんななかでも、阪神・淡路大震災の被災者への取材や、毎年8月に広島で行われる平和記念式典の取材は、自分のやりたいことと直結していたと話す。
岸本さん:震災を経験した人や被爆者の声を直接聞いて言葉を残せたことは本当によかったです。自分が聞いていなかったら恐らく残っていなかった言葉を書き残すことに、やはり私はやりがいを感じるのだと。
誰にでも話したいことってあると思うんです。もっといろんな人の普通の言葉を残していきたい。
自分のやりたいことを突き詰めるのか、今の仕事をもう少し続けてみるのかを悩んだ末、自分のやりたいことのために新しい扉を開けることを決意した。
岸本さん:すごく悩みましたが、二つを天秤にかけたときにどちらがワクワクするかで選ぶと、答えは明確でした。
何が起こるのかは分からないけれど、まずは飛び込んでみてその選択を正解に変えていく。振り返ってみれば、彼女は昔からそうだった。
少し時間をかけて自分の可能性を探ってみたい
学生時代から、日本語を話しているときより英語を話しているときの方がイキイキしていると感じていた岸本さん。漠然といずれは海外で生活することをイメージしていたという。
10月から進学を目指す大学院では、ヒューマンジオグラフィー(人文地理学)を専門に学びたいと考えているそうだ。
岸本さん:記者をする中で、人の話を聞くことはもちろん、人そのものがすごく好きなんだと気づいて、もっと人について学んでみたいという意欲が湧きました。今は、自分の残したい文章を書くために、いろいろな可能性を探っていきたいと思っています。
私たちがふだん目にしている情報は、ものごとのほんの一欠片だ。
見えている部分を表とするならば、必ず等身大の裏面があるはずなのに、ついつい見えているものだけでことの良し悪しを判断してしまう。
表だけではなく、その裏側までもに想像が及ぶ文章を書くこと。
それは、言葉を紡ぐことを生業にしている私が、ある意味使命のように感じていることだ。
その想いをそのまま同じように感じ、試行錯誤しながら彼女のやり方で言葉を残そうとしている姿に、私自身が大きなエネルギーを受け取った。
これから彼女がどんな世界を見て、どんな人と話し、どんな言葉を残していくのか、同志として楽しみに見守っていきたい。
STAFF
photo / text : Nana Nose