#12 [2024/10.03]
せんぱいたちの、このごろ
自分が手に持てるものの数には限りがある。
”持ちすぎないこと”を意識し始めてから、本当に大切にしたいことが見えて来ました。
清野明香さんHaruka Kiyono
こう語るのは、大阪を拠点にクリエイティブディレクターとして活動する清野明香(きよの・はるか)さん、28歳だ。
私が彼女と知り合ったのは、人をマッチングさせることを趣味としている友人(決して悪口ではない)が、「絶対に気が合うから!」と言って半ば強制的に紹介してくれたことがきっかけだった。
その友人の思いつきは事実で、初めて会ったときから彼女のウィットに富んだ言葉や思考が私の心を鷲掴みにしたし、世界の見方が似ていて、心根の部分でつながっているような気がした。
ロジックだけではなく、直感や感覚を大切にしながら生きている彼女の人生や考え方は、きっと新社会人をエンパワーメントしてくれるはずだ。
新体操が自分のすべてだった
姿勢が美しいとは思っていたが、清野さんが新体操をしていたという過去は、今回のインタビューで初めて知った。
清野さん:実は3歳から高校卒業まで、ずっと生活の中心にあったのは新体操でした。小さい時から、とにかく踊ることが大好きで、開脚をしては「見てみて!」とみんなに見せびらかすような陽気な子どもでしたね(笑)
中学卒業まではクラブチームに所属し、学校の授業が終わればすぐに練習に向かう日々。高校はスポーツ推薦で新体操の強豪校に入学したというから、まさに人生のすべてが新体操だったのだろう。
清野さんが新体操とは別の人生を考え始めたのは、高校卒業が間近に迫ったタイミングだった。
清野さん:大学も新体操の道に進むことも考えました。でも15年続けてきて、自分の中でやりきった感覚が大きく、全く違う環境を選んでみたいと思いました。
新体操の選手としての平均寿命は20歳といわれているそう。選手生活が終わると、コーチに転身したり体育教師の道に進む人が多いが、清野さんは自分がその未来を歩んでいるイメージをどうしても持てなかった。そんななか、違う人生の選択肢を考えたときに頭に思い浮かんだのが「雑誌や広告をつくる仕事がしたい」ということだった。
新しい人生、一から勉強。
続ければいつかそれがアイデンティティになると
信じていた
新しい人生の選択肢はなんの脈絡もなく現れたわけではなく、新体操漬けの日々のなかで、彼女の唯一の娯楽がファッション雑誌を読むことだったからだ。
清野さん:ほとんど遊びに行く時間はなかったけれど、毎月ファッション誌を買って読んだり、気に入った広告を切り抜いてコラージュしたりする束の間の時間は、自分と世間を繋げてくれるものでした。
また、ものづくりをしている祖父母の影響もあり、昔からなにかを生み出すことにあこがれを抱いていたそう。急な進路転換だったものの、「雑誌や広告を作るならグラフィックデザインだ!」と明確に方向性を絞り、短期間で猛勉強をした末に大阪の芸術大学に合格した。
人生で初めて新体操から離れ、新しいことを学ぶ生活。周囲にはずっと芸術で生きてきた人がたくさんいたものの不思議と劣等感は感じなかったと話す清野さん。
清野さん:自分のアイデンティティだった新体操を手放して、何者でもなくなった不安はありましたけど、0から新しいことを始める楽しみの方が大きくて。どんなことがあっても根気強く新体操を続けていたおかげで、「一定のラインを超えるまでやり切るとある時、人と差が出て強みがわかる」という確信を自分の中に持てていたんです。だから、自分の新しいアイデンティティになるくらいやってやろう!と、かなり前のめりに必死で勉強しました。
「何者でもない」という感覚は「社会」という大きな荒波に飛び込んだ新社会人なら、一度は感じるものではないだろうか。しかし、やり続ければ必ず得意になる。これを信じることができれば、得意になるまでの道のりも楽しくなるかもしれない。
広告の意味ってなんだろう?
もっと人の思いや手ざわり感を
伝える仕事がしたい
大学卒業後、ファーストキャリアでは大手広告代理店に就職した清野さん。念願だったファッションやコスメの広告を日々つくったという。
しかし、仕事をこなすごとに「このままでいいのか」という疑問が彼女の心に募っていった。
清野さん:広告って3ヵ月や4ヵ月かけてつくったプロジェクトでも、世に出て消えるまでの期間はたった1・2週間なんです。自分のクリエイター人生としてアーカイブされないジレンマがずっとありました。
また、入社2年目のタイミングで時代はコロナ禍へ。その影響で広告費は一気に削減されていく傾向にあったことも彼女の心を苦しめた。
清野さん:それでも会社としては広告をつくらないといけなくて……目の前の仕事には丁寧に向き合っていたものの、広告を出す必要性や広告に出すものを自分が心からよいと思えていないのにつくる意味ってなんなんだろう……と疑問が積もっていきました。
とても働きやすい環境だったそうだが、清野さんは大手広告代理店で2年半働いたのち、「もっと人の想いに近いところで、そのものの価値を高める仕事をしたい」と、退職を決めた。
新たな就職先に選んだのは、知人のベンチャーのデザイン会社。その中でブランドの新規立ち上げの段階から伴走し、ゼロから依頼者の想いをデザインに落とし込んでいくブランディングの仕事を始めた。
充実はしていたけど、自分自身の充足を
ないがしろにしてしまった。
持ちすぎたものを手放す休息期間
転職後、清野さんは自分が理想とする仕事をするために必死で働いたという。
清野さん:広告代理店で働いていたころは、自分のつくった広告がどのくらい社会やブランドに影響を与えているのかが見えなかったのですが、一から一緒に作るところから始めると、そもそもリリースすること自体も大変だし、その先にブランドを続かせることはもっと大変だと知りました。自分が何かを世の中に生み出す責任の重さが全然変わりました。そのぶん、出来上がったときの達成感ややりがいはなにものにも変えがたいものがありました。
しかし、責任が重くのしかかってくるぶん、もちろん中途半端にはできない。
目の前のお客さんの力になりたいという彼女の想いと、同時に向き合うことのできる仕事の数のバランスがだんだんと合わなくなってきたという。
清野さん:ある時から週4日の会社員と個人事業を両立するようになっていました。前のめりで完璧主義なこともあり、気がついたら自分のキャパを超えた仕事を引き受けてしまっていて……。自分の心をないがしろにした働き方だったと思います。
デザイン会社で約3年働いたとき、心の調子を崩してしまった清野さん。休息期間を取り、これまでの働き方や暮らし方をじっくり考え直す時間をつくったそう。
清野さん:「仕事」という条件下に関わらず、人生において大切に思える人とことに向き合う日々の時間の方が大切だと気付きました。結果的にそれが仕事になっていて評価されているという状態が理想です。
清野さんは、今までは仕事を選ばず頼まれたことすべてに応えようとしていたが、能動的にやりたいと思う仕事だけに絞り、自分の心のすこやかさを保てる働き方をしたいと独立することを決意。
清野さん:自分が大事にできるものの数には限りがあると思うようになりました。“持ちすぎないこと”を意識し始めてから本当に大切にしたいことが見えてきた気がします。まだまだですが、少しずつ限りある心の引き出しに何を入れるかを判断し整理をしているところです。
2024年7月、パートナーとともにクリエイティブと文化を起点としたブランディングを主な事業とする「株式会社SOJI」を立ち上げた。
清野さん:SOJIというのは、そのまま・ありのままという意味や、手を加えておらず、これから何かに変わるものを指す日本語の「素地」に由来しています。
私たちはそれを人や土地が持っている変わらないアイデンティティと捉えていて、その素地を引き継ぎ後世に受け継いでいけるような文化づくりを、大切にしたいことに共感しあえる人と長い時間をかけて健康的に着実にやっていきたいです。
彼女の話を聞きながら、いつもなにかに追われている自分を振り返り、私ももしかすると自分が持てる以上のものを持っているのかもしれないと思った。なにかを手放すのは勇気のいること。
しかし、手放すことによって塞がっていた空間に隙間ができ、そこから風が吹いて気持ちよく過ごせる。よい仕事と自分の心の健康は、切っても切り離せないところにあるのだと改めて教えてもらった。
そんな清野さんから、おすすめの一冊
『禅と日本文化』
著: 鈴木大拙 訳:北川桃雄
発行:岩波新書/990円(税込み)
清野さん:禅の考え方が日本人の性格や文化にどんなふうに影響を及ぼしてきたのかが綴られている本です。白か黒かの二極で判断することの多い西洋の文化に比べて、日本の文化はもっとグラデーションを大事にする。そこには禅の考え方が色濃く現れているんですよね。私が「手放す」という感覚を大事にしようと思ったのも、「無い」を美学とする禅に影響を受けています。禅とは、簡単に言うと、それぞれの本来持っている清らかな心や本当の自分を見つけ出すことであり、悩みすぎるときやこうでなければならないと自己完全欲に苦しめられたときは「空」に徹して食事でも掃除でも仕事でも、今目の前にあることに集中することで心が研ぎ澄まされるといわれています。
新社会人のみなさんにとっても、心穏やかに過ごせるヒントが書かれていると思います。
STAFF
photo / text : Nana Nose