#08 [2024/06.26]

せんぱいたちの、このごろ

来てくれる人が元気になれるような、栄養のある空間を創りたい。料理はその一部だと思っています

高松遼平さんRyohei Takamatsu

こう語るのは、現在デンマーク・コペンハーゲンのレストラン「Apollo bar」でシェフとして働く高松遼平さん、28歳だ。

「なんて美しい料理なんだろう……」
彼のインスタグラムに並んだ料理の写真を初めて見たとき、私は一瞬で釘付けになった。
それは、見た目だけの美しさではなかったからだと思う。写真から彼がそこに込めたあたたかい想いが溢れ出て、私のもとへと伝わってきたからだ。

「いつか実際に食べてみたいな」そんなことを思っていた矢先、さらなる料理の探求のために彼はコペンハーゲンへと旅立った。

高松さんが表現したい料理とは一体どんなものなのだろうか。
話を聞くうち、写真から伝わってきたあたたかさの理由が分かってきた。

ベーカリーの息子として生まれ、
自然とものづくりに興味が湧いた幼少期

富山市内のベーカリーの一人息子として生まれた高松さん。毎日朝から晩まで忙しく動き回る両親の背中を見て育ってきたという。

高松さん:小学生くらいのころから両親の手伝いをするようになりました。手を使って遊ぶ事が好きだったこともあり、自然と料理やものを作ることに興味が湧きましたが、朝早いのが苦手なので、パン屋さんは嫌だなと思っていました(笑)。

週に一度は外でゆっくり家族でご飯を囲みたいという母の想いから、日曜日の夜ごはんは外食する事が決まりだった高松家。老夫婦の営む定食屋や居酒屋、町中華、ファミリーレストランなど、ジャンルを問わずさまざまな場所で食事をするなかで、特に好きだった場所があったそう。

高松さん:地元に昔からあるイタリア料理のレストランです。イタリアのサルデーニャで修行されたシェフがつくる料理がおいしかったことはもちろん、店内で使われる椅子やテーブル、絵画、流れている音楽に至るまで、全てに雰囲気があって子どもながらにいいなと思っていました。

サービスマンでありオーナーのおじいさんに気になった音楽や絵画について伺うと、その全てに物語があることに感動したという。

高松さん:レストランなんだけど、自分の好きな世界を自由に創っていました。漠然と料理ができるようになったら、このおじいさんのように空間全体で自分を表現できるのかもしれないと思いました。

なんでも手を使って料理がしたい
大阪修行時代に学んだあたたかい料理

高校卒業後、自然な流れで地元・富山を出て、大阪の調理師専門学校へと入学した高松さん。
当時は和洋中どの料理にも興味があり、すべての料理を学校で学んでいたが、アルバイト先を探すために食べ歩いていたとき、たまたま出会ったレストランのピザのおいしさに感動し、専門学校卒業後もそのままそのお店で働くことになったそう。

高松さん:学校ではさまざまな調理機器を使って、決まったレシピをみんなで作っていました。でも僕は手を使うことが好きだったし、そんなにきめ細やかじゃなくてもいいから、誰が作っても同じものではなくて、もっと温もりのあるものを作りたかった。その点で最初から最後まで手しか使わないピザに魅力を感じました。僕の今の基盤はピザ作りから始まっています。

ピザを作り続ける日々を超え、だんだんピザの上に乗せるチーズやトマトソース、ソーセージなどを探求すれば、さらにおいしいピザが焼けるのではないかと思い始めた高松さんは、次のステップにコース専門の格式高いイタリア料理レストランを選んだ。

高松さん:そこでもさまざまなことを学ばせてもらいました。週替わりで何品も料理を考え、パスタは5種類ほど手打ちで作っていました。

そんな生活を3年続け、もっともっと一つひとつの料理を深く追求したいと思ったとき、イタリア料理ではなくフランス料理の道を考え始めた高松さん。

高松さん:そのお店のシェフがフランス料理出身の方で「遼平はフランス料理も勉強したらおもしろいと思うよ」と言ってくださり、フランス料理のことを少し教わったり、本を貸してくださったりして、学びたいという思いが強くなっていきました。

北欧×フランス料理
料理の繊細さを学んだ東京修行
同じことを何度やってもいい

より高い技術を求め、大阪で働きながらほぼ毎週休みの日に夜行バスで東京に出向き、フランス料理のコースを出しているレストランを食べ歩いたという高松さん。そのなかで心動かされたレストランが一軒あったという。

高松さん:まったく分からなかったんですよ。料理人をしていると、料理を見たときにある程度そこに何が使われているのかが分かるようになるのですが、そのお店だけは何がどうなっているのかが本当に分からなかった。でもすごく美しくておいしくて。食後に「ここで働きたいです!」とそのまま直談判。なんとか働かせてもらえることになりました。

そこでシェフを務めていたのは日本で8年ほどフランス料理をしたのちにフランスへ渡り、最後にコペンハーゲンで料理をして帰ってきた人。今から約20年前、デンマークで生まれた今までに無いような新しくデザインされた新北欧料理を日本に持ち帰ってきた人だった。

高松さん:その人のもとで働けたことは僕の人生の中でも大切な時間でした。最初はまったく役に立たず戸惑う日々。でも丁寧にひも解いていくと、クラシックなフランス料理を、発酵調理や素材の味を引き出す北欧ならではの技術が支えているといった構成が分かりました。北欧に行きたいと思い始めたのも、このころからですね。

地元・富山の食材を使用して高松さんが作った美しい一皿

高松さんは、この当時先輩から言われたことを今でも大切にしているという。

高松さん:毎日賄いをひとりで作るのですが、それがまぁ大変で。必ず名前のある料理を作る、フランス料理を週に二回作る等の決まりもあり、とにかく必死でした。そのときに先輩が「毎日同じものを作ってもいいから、毎日成長していってくれ」と言ってくれて、一週間同じものを作ったこともあります。それが自分を成長させてくれたと思っています。僕より若い世代の人にも、同じことを何回も何回もやってみる事の大切さを伝えたいです。たまたまうまくいくとできた気になってしまうけど、何回もやることによって毎回気づきがあって、いつか自分のものになるから。

来てくれたひとが元気になるような
空間をつくりたい
Apollo Barに学ぶ自由であたたかい空間

2023年7月からワーキングホリデービザを使って、コペンハーゲンの街の真ん中に佇むカフェ「Apollo Bar」で働き始めた高松さん。この場所を選んだのは、北欧のレストランシーンを見たいという思い以上にオーナーのフレデリックさんと働いてみたいと思ったから。

Apollo Barで働く高松さん。左がオーナーのフレデリックさん
コペンハーゲンの風景

高松さん:フレデリックを知ったのは、コロナ中のことでした。レストランも開けられず外出もできない時期に、フレデリックが自身の子どもたちとホームクッキングをしている様子をSNSに投稿していて。不安定なご時世、家の中でご飯を囲むときくらいは幸せでいよう!というメッセージで、それがすごく好きだったんです。あたたかい人間性が滲み出ていますよね。

高松さんはフレデリックさんに感化され、家で料理を作ってSNSに投稿したところ、なんと本人からメッセージが届いたという。

高松さん:デンマークの国民性やものづくりにも興味があったので、コロナが落ち着いたら必ず行ってみようと、現在に至ります。ここでは料理ももちろんですが、フレデリック始めチームのホスピタリティ精神溢れる空間創りから学べることが本当に多いです。レストランやカフェって、食事の場であって元気になれる場所でありたい。その人と人の間にはおいしい料理や飲み物があります。思い返してみれば、子どものころによく行った地元のイタリア料理のレストランは、それが調和していたから好きだったんだな、と。僕もいつかそういう空間をつくれるようになりたいです。

いずれは地元・富山に帰って、自分のお店を持ちたいと考えている高松さん。
料理を軸にしながらも、その枠だけに捉われることなく空間全体で幸せを届けるために、彼の探究の旅はまだまだ続く。

高松さん:オーガニック料理のカリスマとして世界で注目を集める、アリス・ウォータースの完全レシピ集です。アリス・ウォータースが好きで、いくつか本を持っていますが、本当にどれもいい本です。その中でもこの本は誰が読んでもおなかがぐーっと鳴ってしまうような素敵な本です。食材をはじめ、食への愛や敬意が溢れていて読んでいるだけで心がぽかぽかしてきます。

STAFF
text : Nana Nose
photo:すべて高松さんからのご提供