〈お知らせ〉
1000人集まれば、あの名著が復刊します。
「1000人集まれば、復刊できる」を旗印に、絶版となった書籍の復刊リクエスト企画。
電子書籍が普及するなかでも、紙の本を読みたい、残したいという思いからはじまりました。
本の素晴らしいところは、物体としてお守りのように手元に置いておける。安心して忘れられて、ふとしたときに目に入れば、思い出すことができること。
そんな本を未来に残していくため、このプロジェクトに参加してみませんか?
今回の選書のテーマは、「一歩、踏み出す」。ブックディレクター「BACH」の幅允孝さんと一緒に選んだタイトルが、詩集『数と夕方』です。
そっと背中を押してくれる、物語のような詩集を選びました。
2025年4月25日までに、お申し込みが1000人に達すると復刊が実現します。
お申し込みは、こちらから。
復刊リクエストの募集開始を機に、著者である詩人・明治大学教授の管啓次郎さんと、幅さんの対談が実現!
作品への深い示唆と思い入れを、ここにお届けします。
管啓次郎
幅允孝
紙で読むことによって「潜れる深さ」
幅允孝さん(以下幅):
僕は今、公共図書館などの分類法や選書、空間やサイン計画などを手掛けているのですが、90年代から2002年までは、書店で働いていました。
出版人として現場を見てても、本を買う人が減ってきてしまっているのは、とても残念ながら事実で。
一方で絶版や版元切れなどで、リプリントされない本も増えています。
今はデジタルで読めるからいいだろう、という声もあるんですけど、やっぱり僕はどうしても、紙で読むことによって潜れる深さというのが、確実にあると思っていて。
それでフェリシモさんと一緒に相談しながら、復刊したい本として「数と夕方」を提案させていただきました。
管啓次郎さん(以下管):
もう、感無量です。このようなお話をいただいたことだけでも、本当にありがたくて。
というのもこの詩集は僕にとって、すごく思い出深いものなんですよ。
それ以前に書いていた詩集のシリーズがあったんですが、すべて同じ16行の64篇を4冊で、一応シリーズが完結したんです。僕は詩を書き始めたのがおそくて、50歳を過ぎてからです。
それで形式の整った4冊の詩集をつくってみて、さあ、次はどうしようか。
そこでちょっと方向性を変えて、もう少し別の形式や内容で試してみたいなと思ったのが、この「数と夕方」なんです。
幅:
なるほど、そうなんですね。
管:
それまでと同じ16行の詩もあるんですけれども、非常に長いものもあり、同時に物語みたいな要素も入れて。
だったら最初から物語として書けばいいわけなんですが、あくまでも詩として書く。
そこには、一体どんな違いがあるのか。おそらくイメージが連なっていくことによって、簡単には説明できない何か、自分なりの世界や、人間に対する捉え方が浮かび上がってくるんじゃないかと。
「忘れてしまう」喪失感に対する抵抗
幅:
この詩を読んでいると、僕は車窓が思い浮かぶんです。
風景がずっと流れていて、パッとそこに女の子とお母さんがいるのが見える。
何をしてるんだろう?と思いをめぐらせる間に、すぐ過ぎ去っていく。
この、完全には知り得ないことを、言葉として定着させてくれるような、すごく不思議な世界で。
重力や時間が、今私たちが生きている世界とは、ちょっと違う場所のような気がするんです。
管:
地球上のどこか具体的な地点は、常に思い浮かべていますね。
たとえば記憶として、車窓から見た子どもたちの表情があるとします。
1回だけすれ違ったけれど、もうおそらく2度と会うことはないだろう。それが30年前のことであれば、もう多くの人が亡くなっているかもしれない。
そうしたことが、常に自分に押し寄せてくる。
なので詩は僕にとって、ある意味「忘れてしまう」という危機感に対する、抵抗でもあるんです。
幅:
それが、時間にがんじがらめに縛られているところから、ちょっと解き放ってくれるような感覚がありました。
せわしない日常から、何かに誘うための一歩になる本だなと。
「自分の足で」歩いて発見した結晶を言葉に
管:
僕は詩を書き始めたときから、テーマがすごくはっきりしてるんですよ。
まずひとつは、古代ギリシャの説にあった、これが世界を形作っているという4つの元素「地・水・火・風」。
もうひとつは「人間と、それ以外の生命」。
僕の基本的な考えとして、人間は人間の世界だけで完結していては面白くない。
ほかの動植物とか、地球に存在しているあらゆるものと関わりたい。
このふたつのテーマを繋ぐために、自分の足で実際に各地を歩いて、土地を体験して、発見したものを結晶のようにして、言葉にしていきたい。そんな気持ちが、ある時から芽生えたんです。
幅:
「地・水・火・風」でいうと、僕は菅さんの詩に、水の要素をとくに感じます。僕は3歳から18歳までずっと水泳部だったんですが、ひとりでひたすら黙々と泳いでるときって、すごく孤独なんですよ。
なので最中に歌を歌ったり、いろんな妄想を勝手に頭の中で組み立てていたときの記憶が「数と夕方」を読んでいると、蘇ってくる。心拍数とか、広背筋の動きとかのリズムとぴったりはまって、心地よく読めるんです。
管:
水泳って、目は覚めているけれど、夢に非常に近い状態なんじゃないかなという気がします。
起きているときの、完全に覚醒した状態とは違う状態で、脳がいろんなものに反応している。
僕は泳ぎませんが、歩くことがもっぱらそれに当たります。
長い距離をずっと歩いていると、だんだん一種の瞑想状態に入っていく。
いろいろな過去が思い出されると同時に、目の前にある刺激と結びついてくる。
そうした大変おもしろい状態に言葉によって近づくことができるんだったら、これは結構すごいことだなと思います。
『数と夕方』を手に取る方にも、そんな気分を楽しんでいたけたらうれしいです。
1000人集まれば復刊が実現します。
お申し込みは、こちらから。ことばが好きなすべての方のご参加をお待ちしています。