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2024年8月、私はX(旧 Twitter)にて母のワンピースの写真とともに「90年代のフェリシモのワンピース、しっかり裏地ついていて生地も丈夫、夏に重宝している」、このようなワンピースを今も購入することができたらいいのに、とポストした。
するとこのポストは瞬く間に拡散され、いいねが付き、なんと企画元のフェリシモ(felissimo)にまでこの声が届いてしまった。
2025年、創立60周年を迎えるフェリシモさんは、60周年企画としてこの「平成エレガンス」なワンピースを当時のものに限りなく近い形で復刻販売するということになった。
今回のnoteでは、私の投稿がきっかけとなり、25年前の洋服を復刻販売するに至った話について書いていきたい。
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30代に入り、めっきり洋服を買わなくなった。
30代というと、ある程度自分に似合うものと似合わないものが分かってくるから、「これが欲しい!」と店で一目惚れして服やアクセサリーを買うことも少なくなる。
また20代のうちに買ったものの中で、お気に入りのものは今も使えるわけだから、まずモノ自体を持っているために、店で新しいものを見ても「似たようなものを持っているしね」と手に取ることもなくなってくる。
ここまではちょっと消極的な「買わない」理由であるが、私には一つの魔法があった。
それは、母のクローゼットである。
昭和の終わりに母親の花嫁道具として誂えられたタンスの中には、母のワードローブが並んでいる。
母は洋服の手入れを丹念にする人だったので、どの服も非常に状態が良い。
クローゼットを開けると、母の歴史を見ているようであった。
(花とパールがついたイヤーカフ以外は母の指輪)
母が20代の時に購入したであろう肩パッドが入ったパステルカラーのジャケットから、40代に入ってから購入した毛皮が首元にあしらわれたずっしりしたコートまで全て母の日常を彩ってきたアイテムである。
私自身が20代の時には、自分で購入したピンクや水色、フリルや水玉といったガーリーな洋服(2000年代終わりから2010年代前半に流行った洋服を思い浮かべて欲しい)を好んでいたが、30に近づくにつれ、このような服は自然と手に取らなくなっていった。
代わりに、20代の時には「大人っぽすぎる」と手に取らなかった母の洋服に30代に入ると同時に袖を通してみた。
(母のフェリシモのワンピースを着てミラノにて撮影)
するとその服は、まるで私を待っていたかのようにぴったり私の身体と雰囲気にマッチしていた。
母のクローゼットに入っている洋服は、1980年代から2000年代半ば頃までの洋服なわけであるが、これらの洋服は2020年代に私が着てもなんらおかしいことはなかった。
こうして母の服によって楽々大人のエレガンスを手に入れた私は、とてもスムーズに20代から30代にシフトすることができたと思っている。
膝丈のスカートを履くのをやめ、ロングスカートやパンツを好むようになったのもこの頃からである。
私は身長が155-156cmくらいとさほど高くないために、ロングスカートを綺麗に履きこなすためにはヒールが必須である。
ヒールを履くと背筋が伸びる。
この洋服全体の雰囲気に合う靴は?カバンは?アクセサリーは?と今度は、母のクローゼットに飽き足らず、祖母の昭和のアイテムにまで手を伸ばすようになった。
祖母は「おばあちゃんはもう着んから(着ないから)」と私が自分のアイテムを身につけているのを見てとても喜んでくれた。
(祖母のブローチ)
こうして私が発掘し、令和の世に好んで身につけている「アーカイブ」について書き出せばキリがないのだが、中でもフェリシモのワンピースは、すんなり私の生活に溶け込んだ。
私の故郷は地方都市であるために、都会のように国内外のブランドが入った百貨店も少ない(実は県内に一つしか百貨店がない)。
地元の人が買い物をする場所というと街のショッピングセンターになる上に、平成の中頃までは今のようにネットショッピングが普及していなかった。
このような状況の中、母は比較的早い時期からフェリシモで通販をやっていた。
(フェリシモさん提供、1990年代のフェリシモカタログ)
毎月、母親宛の段ボールが届くのが楽しみであった。
なぜならば母の買い物と一緒に私の分の「ちょこちょこ」も頼んでもらっていたからである。
話が脇道に逸れたが、母が1990年代に購入したフェリシモのワンピースは、私のワードローブとしてすっかり定着した。
洗濯しやすい生地である上に、コンパクトに畳めるものも多かったので、旅先でも重宝した。
中には肩パットが入っているものもあったが、あえてそれを抜かずに着て見たところ、より身体のラインが綺麗に見える気がした。
幼い頃、母が身につけていたものを今、私が身につけているということ。
いつの間にか大人の女性になった自分に驚くと同時に、もう戻ってこない子供時代を思い出し、少し悲しくなったりもする。
でもそれは、幼い頃に見た母の姿は私の中に生きている、私はもう大人の女性にならねばならないのだ、と思わせてくれるような儀礼ともいうべき行為であった。
平成の終わり頃からプチプラ服や海外通販のバリエーションがどんどん増えていき、クラシカル、かつエレガントな洋服はあまり見なくなった気がする。
また平成の中頃までは、比較的手頃な値段で購入することができていた日本の洋服、物価が上がり、世の中の情勢が変わった今では、同じようなものを作ることは難しいと聞いている。
母が着ていたような平成の洋服、今でも購入することができたらいいのに…と常々思っていた。
たまたまこのことをソーシャルメディアでポストしたところ、奇跡が起きた。
なんと企画元のフェリシモにまで、この声が届いた。
令和の世にもう一度「平成エレガンス」を、ということで、このたびフェリシモから、1990年代に販売されていたワンピースを限りなくオリジナルに近い形で復刻販売されることになった。
令和に甦った「平成エレガンス」なワンピースは、グレーとブルーの2色展開である。
(朝霧をまとうグレー)
グレーのワンピースは、紺色のジャケットを着ればオフィスカジュアルとしても通用するし、赤のカーディガンに合わせれば少し遊び心を加えられる。
さらに白い羽織ものを合わせれば優しい印象になる。
決して派手ではないが、色々なシーンで着まわすことができるグレー。
(細部までこだわったワンピース)
グレーと言ってしまうとなんだか寂しい気がしたので、朝霧が立ち込めるミラノの風景を思い出し、朝霧をまとうグレーと名付けることにした。
霧の色のワンピースは、日常に生きる女性の肌に馴染む。
もう一方の色味のブルーは、思わず心が晴れやかになる色味である。
(潤んだ空のブルー)
真っ赤なエナメルの靴や葡萄色のコート、ピンクのふんわりシフォンワンピース、黄色の花柄のスカートなどなど、子供の時には、お出かけ用の服として着るだけでワクワクしたよそ行きの服が一つや二つはあった人もいるであろう(たいていそのようなよそ行きを着ている時に限って、アイスクリームをこぼしたりして母に叱られたりするものだ)。
大人になっても、いや大人になったからこそ、よそ行きの服をいくつかクローゼットに入れておきたいものである。
(フェリシモの社員さんに試着いただいた潤んだ空のブルーのワンピース)
ちょっといいレストランに行く時、休日のお出かけをする時、久々に会う友人との約束の時、大人になった自分に自信を持たせてくれる、そんな美しいブルーが必要だ。
そんなブルーは、ふと見つめると心がほどけていくような、夕闇に包まれる直前の空から着想を得て潤んだ空のブルーという名前となった。
ちょっと辛気臭い、と思う人もいるかもしれない。
しかしながら大人の女性には、真昼の真っ青な空の色もいいけど、夕暮れ時のしとやかな空の色も似合う。
(「Xでバズった」、元の写真と同じポーズでという私の無理なお願いに答えてくださった社員さんのお写真、ありがとうございました)
「30代になったから、40代になったから」「母親になったから」「いい歳になったから」、たまにそんな弱音を吐きたくなる時もあるが、そんなことを言ってしまっては自分が可哀想である。
母が洋服を大事にクローゼットにしまっていたように、私もこのワンピースを愛したい。そして次の25年、30年につなぎたい。
(20代の母、新婚旅行先にて)
(2-3歳頃の私と30代の母)
福井県生まれ。博士(歴史学)。2017年よりイタリア・ミラノ在住。専門はルネサンス期イタリア史。京都大学文学部、同文学研究科修士課程を経て、一橋大学大学院博士課程単位取得満期退学。2025年3月、ローマ第一大学サピエンツァ博士号取得。著書に『カフェの世界史(SB新書)』。カフェや美術館を巡るのを趣味とする。
増永菜生さんの『note』の記事はこちら >