2025.3.11

もっと、ずっと、きっと。災害からの復旧・復興支援を、みなさまとともに。

FELISSIMO / GO! PEACE!

2011年3月11日の東日本大震災から、今日で14年となりました。
これまで、フェリシモがお客さまとともに続けてきた活動をご紹介します。

1995年1月17日 阪神・淡路大震災

私たちは、1995年1月17日の阪神・淡路大震災をきっかけに、災害支援の取り組みをはじめました。

震災当時、フェリシモの本社は大阪にありましたが、翌月に神戸への本社移転を予定していたところでした。

震災で少し延期になりましたが、7カ月後の9月に本社を神戸に移転し、さまざまな形で、神戸の復旧・復興に取り組んできました。

1995年3月、避難所へ支援物資を届けたようす

震災直後、私たちフェリシモにお見舞いや、励ましの言葉をくださったのは、たくさんのお客さまでした。

電話やFAXでメッセージを送ってくださったり、「何かの役に立ててください」という添え書きとともに、商品代金を多めに振り込んで来られたり、現金を送ってくださる方もいらっしゃいました。

そうしたあたたかな気持ちに背中をおされ、毎月1口100円から参加いただける「100円義援金基金」を立ち上げたところ、約7年間で3億5000万円もの義援金が集まり、被災した市町村のまちづくり協議会やNPO、地域のリーダーさんたちと連携して、現地で求められていることをヒアリングしながら、さまざまな復興の取り組みをご支援させていただくことができました。

2011年3月11日 東日本大震災

そして、東日本大震災。
阪神・淡路大震災の経験をふまえ、震災直後に100円義援金をスタートしました。

そして、災害からの復興には長い時間がかかることがわかっていたので、最低10年間支援を続けるということを決めていました。

寄せられた基金で、緊急支援をはじめ、地元の女性たちが主役となって東北の経済復興のための事業のはじめの一歩を応援する「とうほくIPPOプロジェクト」を展開。
10年間で180件のプロジェクトに助成をすることができました。

とうほくIPPOプロジェクトの支援先のひとつ「ベリーズパーク郡山」(福島県郡山市)

そのほかにも、東北の女性の手仕事による商品を販売して、その利益を基金として街に花や緑を植える「東北花咲かお母さんプロジェクト」や、

「東北花咲かお母さんプロジェクト」では、東北の女性の手仕事品を基金付きで販売し、基金で地元に花を植える活動を行いました。

東北の地場産業とコラボした商品カタログ「とうほく帖」

「とうほく帖」

アートワークショップによる心のケア、被災地のお子さんたちによるミュージカルの制作公演、防砂林の植樹など、数多くの取り組みをサポートさせていただきました。

そして、東日本大震災から10年が経った2021年、全国各地で地震や豪雨災害が頻発する近年の環境の変化に対応しようと、「もっとずっときっと基金」に名称をあらため、国内の災害へのご支援と防災減災の取り組みを推進する基金へと役割を拡大することにしました。

「令和6年能登半島地震での炊き出しの様子」

もしもしも防災プロジェクト

こうした支援活動に加え、2022年には防災の知識と備えのアップデートを目指した「もしもしも防災プロジェクト」を立ち上げました。

被災された方々のお声を反映した、避難時に必要な防災グッズや備蓄食などの企画開発や、いざというときにすみやかにお届けするアイテムを備蓄するための「もしもしも防災基金」も運用を開始しています。

「みんなの防災 もしもしも きほんのきセット」

もっと、ずっと、きっと。
息の長い復旧・復興支援と、防災・減災の取り組みを、みなさまとともに。

これからもご支援をよろしくお願いいたします。

※もっと、ずっと、きっとの活動の詳細は、フェリシモの社会文化活動のページでご覧いただけます。

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