あなたの生活に、詩はあるでしょうか。
あなたの家の本棚に、詩集は並んでいるでしょうか。
つい、と指で背を傾けて取り出し、はじめから、あるいはページをたぐって、ふと気になった言葉をたどる。
目だけでなく、時には声に出して読む。自らのからだに、心に深く潜らせ、詩を味わっているでしょうか。
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今回取り上げた詩集『数と夕方』の著者、詩人であり、明治大学教授の管啓次郎さんに、詩の持つ効用について教えていただきました。
管啓次郎 さん
詩人・翻訳家・明治大学<総合芸術系>教授紀行エッセー『斜線の旅』で読売文学賞受賞。
『本は読めないものだから心配するな』『本と貝殻』などの読書論でも知られる。
『数と夕方』をはじめ詩集は9冊を数え、20カ国以上で招待朗読をおこなってきた。
サン=テグジュペリ『星の王子さま』の画期的新訳をはじめ、英・仏・西語からの翻訳多数。
詩が持つ、3つの効用。
まず一番重要なことは、詩は短い。すぐ読める。
だから1分あれば、それなりに充実した読書ができる。
しかも、それを繰り返すことができます。
また詩というものは、読み終えることができない。
作品を全部覚えてしまった時に、一応「読み終えた」とは言えるかもしれないけれど、
折に触れて思い出す瞬間があり、すると
文字が目の前になくても、また「読んでいる」状態に戻っていく。
その繰り返しです。
さらに詩は、一瞬で人の気分を変えることができる。
日本には「俳句」という、極限的に短い詩とも言える、非常に面白いジャンルがありますけれども、
ほんの一句を読んだだけで、
すっかり気分が変わることがある。
それまでの1日の流れが完全にリセットされて、新しいものに向かうこともできる。
ちょっと別の方向をめざしてみよう、という気持ちになる。
詩は、人生のサプリメントでもあるし、薬にもなります。
いいことばかり。
あなたにそれを体験してみてほしい。
だからぼくは、詩を読むことをおすすめします。
詩を本で読みたい、ただひとつの理由。
しかも詩を読む時、媒体は紙の本であることに特別な意味があります。
紙の本で育ってきたわれわれには、紙の本でなければ本らしくない。
愛着も湧かない。
電子情報だけになって、フォントの大きさも自由に変えられるなら、
それは便利かもしれないけど、なんだかリアリティーがない。
ボディーがない。
ところでぼくは、ギターという楽器が大好きです。
その最大の理由は、木でできていること。
もとをたどればどこかの土地で、1本1本の木が育って、やがて材として輸入され、ギターに組み上げられている。
それを想像するのは楽しいことです。
例えばメキシコ産のマホガニーでできていると言われれば、それを想像してみたい。
この木はメキシコを覚えていると考えてみたい。
そんな具体的なあり方とパラレルに考えられるのが、本です。
本は紙でできていて、紙の背後には樹木があって、木の生命がある。
わざと遠回りして考えるなら、読書とは木が教えてくれること。
木が姿を変えて、文字を見せてくれること。
そういったことをいつも考えています。
もちろん、木がパルプになって紙になる、その起源はたどりようもない。
しかし、
森が姿を変えたものとして、本がここにあるんだ。
それに今、手を触れているんだ。
ぼくの声を運んでくれているのは、
森に生えた木々なんだ。
それをいま手にした読者のみなさんも同じように、
空気を、感情を、土地を、音を感じている。
そうした想像力を与えてくれるのは、やはり本が具体的な物だからです。
手触りがあって、サイズがあって、厚みがあるものが、自分のところにやってくる。
しばらく滞在して、やがてどこかに去っていくかもしれないけど、それはそれでいい。
古本として流通してくれればおもしろいけれど、姿を消しても、何かの記憶が残る。
本は天下の回りもの。そして、永久の一時滞在者。私たちみんなとおなじように。
そんな考えからぼくは、詩を紙のボディをもつ本で読むことをおすすめしたいと思います。
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