フィンランドの暮らしの中で
長く愛され続けてきた
フィンレイソン
フィンランドで知らない人はいないと言うほど、長い歴史と伝統を持つフィンレイソン。
北欧の自然や四季の移り変わり、伝統あるフィンランドアートなどが
そのデザインのインスピレーションの源になっています。
1820年創業以来、フィンランドの人々の暮らしに欠かせないテキスタイルとして、
インテリアから生活雑貨に至るまで今も変わらず愛され続けています。
フィンランドで知らない人はいないと言うほど、長い歴史と伝統を持つフィンレイソン。
北欧の自然や四季の移り変わり、伝統あるフィンランドアートなどが
そのデザインのインスピレーションの源になっています。
1820年創業以来、フィンランドの人々の暮らしに欠かせないテキスタイルとして、
インテリアから生活雑貨に至るまで今も変わらず愛され続けています。
英国スコットランド出身のジェームズ・フィンレイソンがフィンランドの南西部で、もともと紡績業が盛んだったタンペレに自身の名前で紡績工場を設立しました。これがフィンレイソンの長い伝統の始まりです。
機械による産業化された綿製品の機織りが始まりました。当初は紡績機械を製造していましたが、1828年には綿ウール糸の紡績と織物製造にシフトし、当時フィンランド最大の工場となった紡績工場を稼働しました。その工場エリアは巨大なコミュニティを形成し、工場内に学校、病院、疾病基金、図書館、教会、通貨が作られました。
1860年代、フィンレイソン社はタンペレの人口の半分もの人を雇い、フィンランド初となる女性雇用の場を提供しました。フィンレイソンの高品質な製品は、しばしば国際展示会で高い評価を受けました。
フィンレイソンは常に先駆者的で革新的であり、スカンジナビアで最初に電気が使用されたのがフィンレイソンの工場でした。工場には男性1,000人余り、女性2,000人強、その子どもたちが300人ほどいました。
1900年代前半の新聞には、よくフィンレイソン社の広告が取り上げられました。パジャマやフランネルシャツほか、多様な種類のファブリックがありました。
1920年、タンペレにショップがオープン。
その後、販売網が拡大していきました。
PMKというフィンランド綿工場の業界組織ができました。PMKの広告キャンペーンは雑誌、店のショーウィンドウなどさまざまなところで見られました。
1950年までは、テキスタイルデザインは海外から調達していましたが、1951年に工場内にスタジオができ、最初のデザイナーを登用しました。以降フィンレイソンは自社のデザインチームでオリジナルのテキスタイルパターンを数多く生み出していきます。
刺しゅうをあしらったシーツが販売されました。また、自社初の羽根布団を製造。掛け布団(デュベット)は“寝袋”という愛称で親しまれました。
カラフルな原色が流行した70年代には、明るい色やキラキラしたプリントがほどこされたファブリックが流行しました。このころArja Mattilaが手がけたハート柄のテキスタイルが爆発的な人気に。
80年代にはいると、インテリアの色柄を統一してコーディネイトするという流行が生まれました。フィンレイソンのホームデザインテキスタイルは布団カバーや、タオル、カーテンなど、カラーとパターンのどちらでも組み合わせながら、セットでデザインされるようになりました。
2006年に、コンセプトストアがヘルシンキの目抜き通りエスプラナーディ通りにオープン。その後北欧を中心に海外にも店舗が広がります。時代を超えて愛されるフィンレイソンは伝統を守りながらも新しいものを常に創り出し続けています。長い歴史のなかで、トップリーダーとして挑戦してきたその姿勢は、現在の企業理念でもあり、サステナビリティ、ダイバーシティーなど、世界的な社会問題にも積極的に取り組んでいます。